2011年4月16日土曜日

一報告

 4月14日、京都府与謝野町の町議会議員である高山さん(仮名)に出会った。
 高山さんはそれから敦賀にある原子力発電の研究所に、「もんじゅ」(プロトニウムを使った原子力発電)の安全性などについて話を聞きにいくところだった。「何かの縁」と僕は思い、同伴させてもらった後、高山さんのご実家に招かれた。

 実家では、織物業を営んでいる高山さんのご両親とお会いし、一か月振りのお風呂に入れさせてもらい、オープンな気持ちで交流した。
 僕は自分の旅や判断の非常識さに関してますます疎かったが、出会って間もなくご両親には強い疑いを向けられたのを覚えている。
 翌日は、時間に融通が効く職柄ではあるが、高山さんご自身が多くの時間を割いて、僕を丹後では珍しい日本庭園や織物の工場、「螺鈿」(らでん)織の職人さんのところにつれていってくれた。
 しかし僕は高山さんのご両親との間に生じていた不和感に対してもやもやした気持ちがあった。
 そして、そうでなくとも普段、人と会わない自分は、度重なる出会いに、また精神的に緊張状態に入ってしまった。
 その夜、(昨夜であるが)、高山さんの応援会の会長さんにもお会いしたのだが、そこではもう、情けないとしか言いようがない、子供染みた自分しか出せなかった。

 何がひっかかったのか…。
 高山さんのご両親、とくにお母さんと僕はたくさんおしゃべりをしたが、どうもそこで、自分や旅のことに関して十分な弁明ができなかったという気がしてならない。
 弁明とは「明らかにすること」、すなわち相手によくわかるように話すことだ。僕はその辺りで力量不足だった。
 
 自分の旅や、「絶望」(と自分が「定義」した人生体験)や、非常識とも見える考え方を表現することは、これまでも命一杯してきたつもりだ。しかし、まだ、まだ未熟だ。これが、僕の日本人的な、とくに繊細な日本人女性の感性に対する自分の鈍感さが原因であれば、いいなと思っている。それが自分の「日本人度」の足らなさに因って生じているなら、変えることはできるからだ。

 2月のブログにも似たようなことを書いたが、僕は今、28歳にして、子供のような時間を過ごしている。衝動で動く。感情で動く。明るく笑顔でいる...