2011年2月17日木曜日

日本無銭放浪 510日目‐2

 断食のテーマに戻りたいと思います。
 ドイツで9日間の「完全断食旅」ができた時は、心が限りなく軽快でした。「やることやった達成感」というか、当時ではまだ生きられることの喜びなどが相まって、非常な幸福感もありました。
 その“同じもの”を、「この日本で実現したい」というのが、2009年に帰国してからの夢でした。それには、前述したように日本を深く体験し直し、捉え直す中で、安堵感や信頼感が高まり、実現するもの、と思ってきました。
 それは、幸い、少しずつではありますが、実現しています。
 当初はまさか「500日も歩いて次の断食体験ができない」なんて、想像もしませんでしたが。この年(28)にあっても、一つの事をただひたすらに続けるという行為が、新たな理解や感覚を養ってくれます。その新たな理解などによって過去の認識や価値が塗り替えられます。どんなにアホらしいと思えることでも、馬鹿みたいに続けることで変われるということは、まったく希望ですね。(^‐^)



 昨年の12月には長い日本の放浪で溜まった、膨大な量のテーマがありました。
 10月頃ひょんなことから軽快した心が突然活発に動き出し、日本の旅をまとめ上げてしまうような勢いで、思案が巡りました。12月まで溜まったメモの数が4、5百、『こども時代』に続くよみもの『日本無銭放浪』を書こうと思いましたが、12月末、あまりの膨大さに食事との向き合いがいい加減になっていたので、断念しました。

 そして、どうも言葉で表現する限界にブチあたったという気もします。
 最近、『統合失調症』や『パーソナリティ障害』などの精神病の本を読みましたが、2006年の自分の精神が体験していたものが何であったか、分かった気がしました。
 たとえば『幻聴』という体験ですが、自分が体験していた精神活動の異変には、それもあったということが分かりました。もう少し専門用語で言えば「注釈幻声」(自分の行動にいちいちコメントしてくる)、「自生思考」(勝手に頭が考えだす)、「作為体験」(自分の意思とは無関係に何かをさせられてしまうと感じるもの)などがありました。
 特に「幻聴」とは、実際に音が物理的現象を起こしているのではなく 「自分の思考が自分でないもののように感じられてしまう」 ことの結果だということだと分かったのは貴重でした。そしてあくまで自己診断ですが、自分は『統合失調症様障害』というものだったとわかりました。

 この、精神世界のことだけでも膨大なものが書ける自負があります。しかし、それを焦ってまとめることは望ましいことではないとわかったため、1月からは日記さえ書くのをやめました。より日本に心をゆだねることができている、ということかもしれません。


 24時間自由の身になって久しいためか、自分の精神活動は膨大です。
 それがうまくまとめられない内は、社会生活も、仕事もままなりません。
 でもやはり「時間」が、日本は日本で「時間を使う」ということが、これまでの混乱や焦燥の原因を気付かせてくれます…。
 人は社会生活を送る以上は一つの人格を着なければなりません。それは、人間同士お互いに気持よくするためのルールとも言えるものですが、これを取っ払った僕はまたそこに「戻る」のに苦労を体験しています。
 人間の本来の精神活動は無限である。でも、他人と共存しなきゃいけないから人は、「社会性」とかで自分を縛るしかない。これは、自分以外に人が一人でもいれは、そうなる。でも、インドの修行者とかが超人的な能力を発揮するのは、まさに彼らは自らの縛られから自己を解き放っているからと言って間違いないだろう。
 高度文明社会では「管理社会」が厳しい。
 民主主義自体も人間管理の性格が強い気がするのは気のせいだろうか。


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 断食体験は、ひょっとしたらブログに公開できないかもしれません。
 これまでは9日より1日でも長い不食体験ができれば、興奮も交えて発表しようかと思っていましたが、より“慎重な”姿勢が、不食的生き方には欠かせないと思うようになりました。まだセルビアとかトルコだったら、以前の興奮も通ったかもしれませんが。(苦笑)
 
 これからまだしばらく日本を歩こうと思います。
 より心おきなく歩きたいと思います。場合によっては次の不食体験がすすむと思います。でも、ここに発表するかどうかも、慎重に検討を重ねた上で決めたいと思います。

 大阪かどこかで仕事を探して、「ヨーロッパに行く」という考えもあります。自分は何をすべきであるか常に自問を怠らず、かといって自分を苦しめず、先に進みたいと思っています。
 願わくば、日本の放浪をまとめた読み物が書けることをのぞみます。
 
 
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 皆様の幸福、ご健闘を祈りまして、終わりの言葉とします。

日本無銭放浪 510日目

 僕の放浪は大部分が「自分との向き合い」です。むしろ、それが必要だったため、ヨーロッパで僕は無銭放浪者となりました。(2007年4月)
 それが4年が経つ今日も続いているといって間違いじゃありません。別の言い方をすれば、“社会の強い刺激を避けるために”、このような生活になっていると言えます。

 「自分との向き合い」とは、ひたすらな瞑想のようなものです。頭に起こる思考を操作せず流し続けます。朝目が覚めれば始まり、食事や洗濯以外は何も自分に課しません。靴も、自分でこしらえていますが、本当にぼろぼろになるまで修理もしませんし、捨てません。限りなくやることを“なくし”、思考だけ流していきます。
 「意識」とは不思議なもので、自分を意識することもできれば意識しないこともできます。何か特別な気付きやアイデアに恵まれる時というのは、必ずと言っていいほど自分を意識しない時です。だから自分の客観性なるものに意識を向けることは極力控え、「無心」で歩くように心掛けます。
 
 「それで何が達成できるか」というと、これはいささか独特かもわかりませんが、“無意識の領域で”の学習が進みます。
 たとえば「観光」とか「名所」巡りですが、僕はこれをむしろ避けています。それをするとどうしても意識は「見るべきもの」・「知るべきもの」に奪われ、見事に自分の内面との向き合いがおろそかになるのです。「本当に自分が見たい事・知りたいこと」ではなく、一般の常識的感覚で“もの”を感じよう、と、捉えよう、としてしまうのです。

 日本で僕がこの2年間目指して来たことは、“なんでもない日本” を体験することです。
 日本人として、僕に最も必要だったことは、なんでもない日本の中に、人々の心を感じるというようなことでした。それは上で述べたように「お寺」を訪ねるとか、「文化遺産」と訪ねるということよりももっと根本的な、心の真髄たるところの日本です。でもこの緻密で膨大な目標はなかなか人には理解してもらえませんでした……

 ヨーロッパで絶望を乗り越えた時、何が僕を救ったかというと、おそらく久しく触れることのできなかった「西洋人性」が、僕の枯れかけていた西洋人の大枝に「栄養」を送ってくれたのです。日本の生活が長引くにつれ、僕は自分のある部分が枯死しかけていることに気付きませんでした。

 では 「日本で何を目指しているのか」…
 それは、多分に「無意識の学習」、裸の自己を日本社会に打ち出すことによってのみ得られる、日本の捉え直し、です。「裸の自分」とは、ヨーロッパの旅で元気を取り戻した自分、他人がどう思うかあまり構わず自分本位で行動してみる…、簡単に言うとそういう姿勢のことです。日本を出る前は周囲の目が気になって気になってしょうがなかった。その過敏性を、自分を出すことによって緩めようとしたのかもしれません。
 この9ヵ月間も、前の8ヵ月間もずっとそのことを意識していました。

 話は長くなってしまいますが、続けます…。
 しかし、もし西洋世界で心が元気になったのならば、僕の心の根っこは「西洋人である」ということかもしれません。自分が20年間の日本の生活で身に付けた日本人性は、「表面を覆うだけのもの」、だったかもしれない。
 2009年からは、まるで西洋や西洋言語は忘れて日本に徹してきましたが、去年の9月頃に悟りのように思ったのは、『西洋と日本は別世界である』ということです。「天上界」と「地上界」が存在するとすれば、そこには歴然たる、簡単に行き来はできない境界がありますが、それと同じくらいのもの、一つの世界として認識してはいけないものが、二つの世界の間にはあります。。。飛行機でピューっと飛べば1日もしないうちに行き来できる物理的世界ではありますが、精神的世界にはそこに説明つかないほどの違いが存在する…、そう感じました。Liebe(リーベ)と言っても、「愛」と言っても、同じものを指すように考えられていますが、具体的にみると双方はまるで違うもののように思えるのは僕だけではないのではないでしょうか。
 「グローバリゼーション」という世界的な波に乗って、日本もそこに同調する国ですが、それは厳密には西洋の世界観に他ありません。と言うか、日本人はそこに組み入るように見えて、実は猜疑心を捨て去ってはいない…、そのようにすら見えます…
 日本は日本として生き残らねばならないし、西洋のドイツならドイツで同じです。どんなに国境の存在が薄くなってきたとは言っても、国家としての存続、利害は100年前も今も、なんら変わりありません。すると日本とゲルマンの間に生まれた自分のような人間は、どう生きていったらよいのか。
 もっと気楽な人間ならば、はるかに若い頃に、直観的にどちらかを選ぶのでしょうけど、下手に考えすぎてしまった僕は、そこでとことんまでやってみるしかありませんでした。しかしどうも見えてきたことは心の拠り所は“一つの文化”を選ばなければならない、ということです。それはどこまでもその文化の人間であろうとすること、そこの文化人として自身を磨いていくということですね。そうでなければ、一種のハンディキャップを持った生き方しかできなくなる。それは無用に辛いことにもなるかと思います。


 次稿につづきます◆◆◆
 

...久しぶりです。

(なぜ文字表示が奇妙な中国漢字になってしまっているのか、謎ですが、一報を入れます。このパソコンだけの設定なのでしょうか?)



 本当に久しぶりの寄稿です。待ちわびて下さった方もいると思います…。



 現在は愛媛県の大洲市というところにいます。

 昨年5月末、自分は「無銭放浪者」に戻りました。社会生活は、やはり無理でした。

 そして、再び混乱した心で、今度は東北地方往復と、関西、中国、四国地方を右往左往しました。



 断食の結果から発表しますと、いまだ9日を越える「完全断食旅」はできておりません。「一体何をやっているのだ?」という気持ちは、他人以上に自分が抱いているつもりです。

 日本の無銭放浪は今日で510日目となります。歩くことは日課で、ヨーロッパの旅とを合わせると1万4千5百キロメールくらいに上るようです。


 本日、とある女性(池田さんという) が雨の中歩く僕を拾ってくれました。
 車に乗せてもらうことは滅多にないことですが、温かく声を掛けてもらったので乗らせてもらいました。すると話が弾み、思ったより自分のことを話している自分がおりました。
 別れ際には、大きな「カンパ」をもらいました。「ブログに一報を入れよう」と思いました。

 2009年に始まった日本の放浪を“第1日本放浪”とすると、2010年に再開した第2日本放浪はそれを上回りました。265日、9カ月になります。いったい、何をやってきたのでしょう。
 それを、今なりの認識で綴ってみます。◆◆◆
(次投稿へつづく)