2024年10月1日火曜日

『とものきせき(2009-2011)で隠していたこと』 1

  『とものきせき』は僕が26歳から29歳(2009年5月~2011年7月)の間に取り組んだ、我が人生の一大記録です。それは、24歳の時の『絶望•精神病』体験、スイスからトルコのイスタンブールまで2500kmを無銭で歩いた『放浪記』、『特殊な子供時代』など、当時既に特殊な人生経験を積んでいました。当時自分では(僕の人生は、既に十分本になる!)と思っていましたが、ブログや自伝を出版社に持っていくことはありませんでした。なにより僕は、(まだ人生半ば!)という実感が強く、(本にするなら、まだ待って、よりでっかい本にしよう!)そんなことを思っていたかもしれません。

 でも、僕は、どうしても一度自分のやったこと(「達成」したもの)を書きまとめてみたかった。そしてそこには、すでに、「インターネット」という便利なツールが存在し、日本語さえ読めれば、誰にでも渡せるブログというものがありました。ひょっとしたらそこで、誰かが僕の物語を見つけて、読んでくれるかもしれない。。。

 そういう期待もあって、ささやかながら、自分の自慢の物語を載せていたのです。

 しかし、当時の投稿のどこかでも言っていると思いますが、ブログ『とものきせき』は単なる「自己表現」を超えた、「大きな意味」を持った執筆活動であるというのが、今日も変わらぬ思いなのです。

 ブログ『とものきせき』が本当の価値を発揮するのは、「これからだ」と僕は思っています。あれから13年、僕には前にも劣らないほどの大変な人生がありました。そして、20代の『とものきせき』の最中に起きた出来事で、“デリケートであるが故に”伏せていた重大な出来事が、「2つ」あります。

 空白の13年間についてお話する前に、その2つの重大な出来事について公開します。

 

 隠していた重大な出来事≪その1≫

 『神様の承認』≪イスタンブールの歓喜≫ 2007.12

 

 

 隠していた重大な出来事≪その2≫

 『3.11と僕の呪』 2011.3


次に、それぞれについて話したいと思います。

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追記(2025.4.13):

 これらの重大な出来事(2つ)に関しましては、「2025年4月」に発表致しました。

『…あれから13年。』

  こんにちは。お久しぶりです。

 13年と2ヶ月ぶりに、ここに戻ってきました。僕も42歳になりました。

 今は三重県津市に住み、「作業所」に通っています。仕事は1日4時間だけで、足りない分は「生活保護」で補っています。でも、来月(11月)中には「アルバイト」でもいいから1日少なくとも6hは働いて、12万円程度の給料を目指し、「生活保護」から脱却するつもりです。

 2週間に一遍は、病院で診察があります。「精神病院」です。

 僕は、本音を言えば(自分はこれっぽっちも精神病じゃない。)と思っているんですが、かれこれ6年ほど前「事件」(*以下に注あり。)を起こし、『統合失調症』という診断を受け、「障害者」になりました。

 精神病院は神奈川県で「3年4ヶ月」、三重県で「1年2ヶ月」、合計「4年半」入院しました。

 去年(2023年)5月、「退院」し、デイケアに通い、今年(2024年)2月から「作業所」に通い始め、それを今卒業しようとしている、という流れであります。

 

 「一体全体どうしてこんな生活になったのか」ということを、今日は、『とものきせき』をやめた「2011年7月」もしくはそれ以前に遡ってお伝えしたいと思います。いいえ、今日すべてをお伝えするのは、とてもじゃないが無理ですね。読み物『今できる不食総括』や『こども時代』のように、番号を振って書いていきましょうか。2011年からの「13年間」についてすべておおまかなことを話すだけで、どれくらいかかるでしょうか。深いことは、後に回すとして、経歴としてすべて語るのにどれくらいかかるか、ちょっと想像ができません。この語り口で、出来事の深みにどれくらい入ろうとするか自分でも分かりません。難しいことは省いて、まずは記録的な歩みからお伝えしていきたいと思います。

 それでは、始めましょう。

 

令和6年10月1日(火)

小川智裕

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(追記:2025.4.5より)

*注

 「6年前の事件」、でありますが、2025年(令和7年)4月、『「精神病院」に入れさせられる切っ掛けとなった事件 〈2018年10月〉』で、その全貌を公開致しました。