2024年10月1日火曜日

『…あれから13年。』

  こんにちは。お久しぶりです。

 13年と2ヶ月ぶりに、ここに戻ってきました。僕も42歳になりました。

 今は三重県津市に住み、「作業所」に通っています。仕事は1日4時間だけで、足りない分は「生活保護」で補っています。でも、来月(11月)中には「アルバイト」でもいいから1日少なくとも6hは働いて、12万円程度の給料を目指し、「生活保護」から脱却するつもりです。

 2週間に一遍は、病院で診察があります。「精神病院」です。

 僕は、本音を言えば(自分はこれっぽっちも精神病じゃない。)と思っているんですが、かれこれ6年ほど前「事件」(*以下に注あり。)を起こし、『統合失調症』という診断を受け、「障害者」になりました。

 精神病院は神奈川県で「3年4ヶ月」、三重県で「1年2ヶ月」、合計「4年半」入院しました。

 去年(2023年)5月、「退院」し、デイケアに通い、今年(2024年)2月から「作業所」に通い始め、それを今卒業しようとしている、という流れであります。

 

 「一体全体どうしてこんな生活になったのか」ということを、今日は、『とものきせき』をやめた「2011年7月」もしくはそれ以前に遡ってお伝えしたいと思います。いいえ、今日すべてをお伝えするのは、とてもじゃないが無理ですね。読み物『今できる不食総括』や『こども時代』のように、番号を振って書いていきましょうか。2011年からの「13年間」についてすべておおまかなことを話すだけで、どれくらいかかるでしょうか。深いことは、後に回すとして、経歴としてすべて語るのにどれくらいかかるか、ちょっと想像ができません。この語り口で、出来事の深みにどれくらい入ろうとするか自分でも分かりません。難しいことは省いて、まずは記録的な歩みからお伝えしていきたいと思います。

 それでは、始めましょう。

 

令和6年10月1日(火)

小川智裕

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(追記:2025.4.5より)

*注

 「6年前の事件」、でありますが、2025年(令和7年)4月、『「精神病院」に入れさせられる切っ掛けとなった事件 〈2018年10月〉』で、その全貌を公開致しました。

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