2010年2月9日火曜日

「不食」思想の師との出会い

1月20日、僕は10日待って「鷹さん」に会った。

鷹さんは僕がこの5年間誰よりも会ってみたい人だった。ダライ・ラマよりも、マイケル・ジャクソンよりも、まちがいなく会ってみたい人が、『不食』を著した鷹さんだった。

6泊7日鷹さんの家にお邪魔したが、鷹さんは昼間は仕事のため、一緒にいる時間はそれほどなかった。それでも鷹さんは僕が断食したいと言うと、「いいよ。」と言ってくれた。それで最初の晩以外はずっと断食をした。苦労は“まるで”なかった。でもそんな好環境で断食なんて、今更贅沢だと感じた。自分一人で、旅をしながら、食べ物がある状態で断食ができなければ僕の「不食」は意味がなくなってしまう。「とりあえず10日間断食したい」と鷹さんに申し出た僕だったが、5日がたつ頃、鷹さんにもいろいろ手間を掛けるから、自分の満足の程度で早めに旅を再開することにした。
 
 一緒に「銭湯」に行ったり、市の図書館に連れて行ってくれたり、1月に執筆した『こども時代』(約8万字)をコンピュータのデータとして溜めるために、パソコンを貸してくれたり、何もない僕は何かと恵まれて、それが申し訳なくもあった。
 『こども時代』はいずれ公開したいと思う。いつになるかは分からないが。


 鷹さんは、存在からしていろんなことを語ってくれた。
 「話したいこと」は、いくらでもあって、話しきれないのだったが、もはやいちいち細かい話をする気も起こらなかった。僕は、ただ鷹さんに会えただけで、「満足」だったのである。「不食」の信憑性とか、鷹さんの人間性とか過去などについて、特に知りたいとは思わなかった。それは思わなくても、必要であるならば意に留まるに違いないから。話すまでもない。 今更「不食」思想を語る必要はなかった。
 でも鷹さんの「威厳」というものもあった。自分よりも30年以上永く生きてきた、しかも鷹さんのように本気で生きてきた人物に、僕のような若僧がモノを言うべきでない...という気がしたのは事実だ。僕はいつになく子供っぽく出た。
 
 鷹さんに会って、【「不食」に始まり、自分の精神探求はまだまだこれからだ】と思った。
 絶食と飲尿を組み合わせた【尿療法】という新たな研究分野が与えられた。鷹さんが貸してくれた本だ。
 J.W.アームストロング氏の『生命の水』(論創社)という本である。「飲尿」であるから、一般人には抵抗の強い療法(アームストロング氏は英国で迫害を受けている(1930年代))だが、僕には無理がなくもうすでに何度も自分の尿を試している。
 驚くのは「癌」や「心臓病」、「肝炎」や「腎臓病」、あらゆる病気に、この『絶食と飲尿』というシンプルな療法が「想像を絶する」治癒力を発揮するのだ。アームストロング氏は素人であり、医者ではないが、自身が施した治療例を満遍なく著作の中で書いている。
 僕はこれといった病気はないが、断食の際は尿というものに目を向けてみようと思っている。もっとも、今僕は断食の際に3、4日目に現れる、食事とは異なる「ぬくもり」(エーテル温)に興味があるため、飲食両方を断つことに興味があるのだが...
 十日町市では、とある出会いで癌の人があり、「何かの縁か」と思って僕は、この本を紹介した。これがその人の癌の治癒につながらないとは誰がいえよう。



 鷹さんは僕に  19000円  のカンパをくれた。
 鷹さんと別れるまでその金額は見なかったのだが、驚いてしまった。
 とっさに「この金は使わない... !」と決めた僕だったが、この金の使い道に、却って迷って、あるとき(2月6日)食べ物に使い出してしまった。。。


 あ゛-


 僕の節制は崩れてしまった!屈辱だった。自分が情けなくてならなかった。そして鷹さんに申し訳なくて。。。
 しかし、ヨーロッパでもお金を持ちながら使わずに旅したときはあった。9日間の完全断食旅を達成したときもそうだ。だから、僕は、この19000円という、鷹さんの気持ちに「甘えた」のだ。それを本当の意味で役立てるまで、僕の気持ちは完成していなかった。「僕の日本無銭徒歩はそれだけ未熟である。いまだに!。。。」 ということだ。くやしい。


 今回のネット報告も、山から下りてきて、とあるホテルで食べ放題ビュッフェに入った後、「やろう」と思った。あるがままの自分を出さなくちゃいけないときがある。そんな気もした。

 畜生!

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