2011年2月17日木曜日

日本無銭放浪 510日目

 僕の放浪は大部分が「自分との向き合い」です。むしろ、それが必要だったため、ヨーロッパで僕は無銭放浪者となりました。(2007年4月)
 それが4年が経つ今日も続いているといって間違いじゃありません。別の言い方をすれば、“社会の強い刺激を避けるために”、このような生活になっていると言えます。

 「自分との向き合い」とは、ひたすらな瞑想のようなものです。頭に起こる思考を操作せず流し続けます。朝目が覚めれば始まり、食事や洗濯以外は何も自分に課しません。靴も、自分でこしらえていますが、本当にぼろぼろになるまで修理もしませんし、捨てません。限りなくやることを“なくし”、思考だけ流していきます。
 「意識」とは不思議なもので、自分を意識することもできれば意識しないこともできます。何か特別な気付きやアイデアに恵まれる時というのは、必ずと言っていいほど自分を意識しない時です。だから自分の客観性なるものに意識を向けることは極力控え、「無心」で歩くように心掛けます。
 
 「それで何が達成できるか」というと、これはいささか独特かもわかりませんが、“無意識の領域で”の学習が進みます。
 たとえば「観光」とか「名所」巡りですが、僕はこれをむしろ避けています。それをするとどうしても意識は「見るべきもの」・「知るべきもの」に奪われ、見事に自分の内面との向き合いがおろそかになるのです。「本当に自分が見たい事・知りたいこと」ではなく、一般の常識的感覚で“もの”を感じよう、と、捉えよう、としてしまうのです。

 日本で僕がこの2年間目指して来たことは、“なんでもない日本” を体験することです。
 日本人として、僕に最も必要だったことは、なんでもない日本の中に、人々の心を感じるというようなことでした。それは上で述べたように「お寺」を訪ねるとか、「文化遺産」と訪ねるということよりももっと根本的な、心の真髄たるところの日本です。でもこの緻密で膨大な目標はなかなか人には理解してもらえませんでした……

 ヨーロッパで絶望を乗り越えた時、何が僕を救ったかというと、おそらく久しく触れることのできなかった「西洋人性」が、僕の枯れかけていた西洋人の大枝に「栄養」を送ってくれたのです。日本の生活が長引くにつれ、僕は自分のある部分が枯死しかけていることに気付きませんでした。

 では 「日本で何を目指しているのか」…
 それは、多分に「無意識の学習」、裸の自己を日本社会に打ち出すことによってのみ得られる、日本の捉え直し、です。「裸の自分」とは、ヨーロッパの旅で元気を取り戻した自分、他人がどう思うかあまり構わず自分本位で行動してみる…、簡単に言うとそういう姿勢のことです。日本を出る前は周囲の目が気になって気になってしょうがなかった。その過敏性を、自分を出すことによって緩めようとしたのかもしれません。
 この9ヵ月間も、前の8ヵ月間もずっとそのことを意識していました。

 話は長くなってしまいますが、続けます…。
 しかし、もし西洋世界で心が元気になったのならば、僕の心の根っこは「西洋人である」ということかもしれません。自分が20年間の日本の生活で身に付けた日本人性は、「表面を覆うだけのもの」、だったかもしれない。
 2009年からは、まるで西洋や西洋言語は忘れて日本に徹してきましたが、去年の9月頃に悟りのように思ったのは、『西洋と日本は別世界である』ということです。「天上界」と「地上界」が存在するとすれば、そこには歴然たる、簡単に行き来はできない境界がありますが、それと同じくらいのもの、一つの世界として認識してはいけないものが、二つの世界の間にはあります。。。飛行機でピューっと飛べば1日もしないうちに行き来できる物理的世界ではありますが、精神的世界にはそこに説明つかないほどの違いが存在する…、そう感じました。Liebe(リーベ)と言っても、「愛」と言っても、同じものを指すように考えられていますが、具体的にみると双方はまるで違うもののように思えるのは僕だけではないのではないでしょうか。
 「グローバリゼーション」という世界的な波に乗って、日本もそこに同調する国ですが、それは厳密には西洋の世界観に他ありません。と言うか、日本人はそこに組み入るように見えて、実は猜疑心を捨て去ってはいない…、そのようにすら見えます…
 日本は日本として生き残らねばならないし、西洋のドイツならドイツで同じです。どんなに国境の存在が薄くなってきたとは言っても、国家としての存続、利害は100年前も今も、なんら変わりありません。すると日本とゲルマンの間に生まれた自分のような人間は、どう生きていったらよいのか。
 もっと気楽な人間ならば、はるかに若い頃に、直観的にどちらかを選ぶのでしょうけど、下手に考えすぎてしまった僕は、そこでとことんまでやってみるしかありませんでした。しかしどうも見えてきたことは心の拠り所は“一つの文化”を選ばなければならない、ということです。それはどこまでもその文化の人間であろうとすること、そこの文化人として自身を磨いていくということですね。そうでなければ、一種のハンディキャップを持った生き方しかできなくなる。それは無用に辛いことにもなるかと思います。


 次稿につづきます◆◆◆
 

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