(注: 以下の原稿は、12月29日、夕方『不食』を中断する前に書いたものです。中断は、不意の出来事でしたが、一週間をまとめる原稿としては十分価値があると思ったので、そのまま掲載致します。不食の中断に関しましては、以下で「一週間の生活の様子」を扱った後、お話します。よろしくお願い致します。)
こんにちは。(^_^)
今日(12/29)は、「断食10日目」です。いえ、昨日は、昨日だけは、1食相当の食事をしたので、断食10日目とはいいにくいですが、まだ、断食はやめません。後ほど、なぜ昨日食事をしたのかについても、詳しく述べます!
数日前、今週の思惑は「断食のせいであまりないでしょう。」ということをインスタグラムで言いましたが、意外と時間があるので、先週切実だったグループホームのオーナー体験について、僕のこれまでの経緯を踏まえて、話をしたいと思います。
ブログ『とものきせき』を13年ぶりに更新した時も少し話しましたが、僕は、精神病院に4年半入院したために、退院の時、医師の指示に従って、「グループホーム」に入りました。
しかし、その時も言っているように、僕は自分が精神病者(障害者)だとは思っていません。6年前(2018年10月)、僕はとある「事件」を起こし、それを診た精神科医が、僕に『統合失調症』という病名を付けたのですが、僕には「被害妄想」などないことは、入院当初から分かっていました。
でも、僕には“別の”精神的問題がありました。2013年10月にドイツで発表した、『救世主宣言』というものに失敗した時に被った、混乱であります。僕は、『イエス·キリスト』を名乗って、本気で世界を前に『救世主』として君臨しようとした一大プロジェクトに失敗した時に、大混乱に入ったのです。
『救世主宣言』失敗から4年が経っていた2018年10月でも、僕の精神は混乱を続けていました。日本語を忘れ、日本を捨ててヨーロッパに行っていたこともあり、明らかに普通ではない僕の在り様を見て、何が問題なのか、精神科医と言えどもよく分からなかったのではないでしょうか…。
ともかく、入院も4年となった、2022年11月に実兄からの心のこもったお手紙をもらうまで、僕の精神の混乱は溶けませんでした。
人生の一大プロジェクト、『救世主宣言』に失敗した時、僕はなんと「自分のこと」も、「人間のこと」も、忘却してしまったのです。2011年夏に「絶縁」し、忘れた家族の一員である兄の人柄に、手紙を通して触れたことで、僕は『自分』を取り戻し、混乱が幕を閉じたのです。それからまだ半年間の入院、「退院」、「デイケア8ヶ月」、「作業所7ヶ月」の2年弱という歳月を経て、僕はようやく自分を完全に取り戻しました。
ですから、僕が言いたいのは、僕が抱えていた精神的問題というのは、不治の病とされる統合失調症などではなく、別の問題であった、ということです。
しかし、神奈川県から転院してきた僕を受け持った主治医も、そして入居先となったグループホームのオーナーも、僕をそうは見ません。僕を、「指導」•「サポート」(お世話)が必要な、「障害者」として見るのです。
この2者と僕の意見の食い違いは、グループホーム入居当初から、あからさまではありませんが、衝突が起きていました。
「社会」に戻り、家族や、デイケアの人々、作業所の仕事仲間などに触れて「自分」を取り戻していくにつれて、その衝突は激化していきました。
今年の3月には、作業所で知り合った仲間と、オーナーの指示で主治医の許可を取ることをせずに門限を破って、焼肉を食べに行ったことが問題視され、許可が下りていた自炊ができなくなるという処分を受けました。
「オーナーは、僕を障害者と見ているから、自己判断能力を認めていない!」
そのことが、この時よく分かりました。そして、自分の方が、立派な人間だと思い込んでいるから、「上から目線」になり、「指揮官」になり、指図をしてくる…。
若い時から一際自立心の強い自分としては、このような干渉は我慢ならないのです。オーナーと、対立する度、気持ちを入れ換えて、温和な関係を育もうと努力してきましたが、どうも受け付けません。
去る12月18(19?)日は、こんなことがありました:
建設業の一般就労が始まってから、僕はクタクタになってグループホームに帰りますが、帰って一番、「サービス管理責任者から、「退去」のこと聞きましたか?」と聞くと、「いつ出るの?」と言うので、「えーっと、1ヶ月前なので…」と自分が考えていると、
「ちがうよ!」
と言う。(何が違うんだよ?)と思うが、次の瞬間、「退去届け」を見せて、説明をおっ始めた。疲れているので、(一通り聞いたらまた熟読しよう。)と思って聞いていると、事細かな説明を次から次へと進めていく。
とうとう僕が、
「今疲れているんで、少し後でもいいですか…?」
と聞くと、「はい」と答えたが、結局、説明をやめようとしない。ここで、僕の弱みを突くかのごとく、「退去時に、自費で業者を呼んで、部屋をきれいにしてから出ていって下さい。」という要求を出してきた。
ここで、「衝突」した。
僕の泊まっている部屋は、「はなれ」で、プレハブなのだが、この部屋が壁が空気をまるで通さない為、カビがすごく生えやすい。それで、「そのカビを業者を呼んできれいにしてもらってから退去して下さい」ということなのだが、なぜに自費(5万とかそれくらいかかると思われる)かというところが、「おかしい」と僕は思った。
オーナーの理屈はこうだった:
「カビが生えやすいのなら、その分多く掃除しなきゃだめでしょ。(でもあなたはやっていない。) 第一、あなたがあの部屋を選んだんでしょ。」
僕が思ったこと:
その一。
「自然現象」である、密閉性の高い住宅で、カビが生えやすいというその欠陥的性質にあらがってまで、普通以上に掃除するというのは、あほらしい。1日普通より10分間長く家具や壁などを掃除しろとでもいうのか?第一、根本的な疑問だが、「プレハブ」というのは、僕をそこに「生活」させているけれども、本来生活するところではないんじゃないか?本来、作業とかするところじゃないのか?そこに生活させる上で生じるカビ問題は、僕の責任ではないと思う。。。
その二。
確かに、僕は自分でこの部屋を選んだ。
しかし。
オーナーの言い方だと、入居時に、この部屋は普通よりよく掃除しなければならないということを、知っていて、選んだ、という言い方になる。
僕は、この部屋のカビの生えやすさについて、入居時は一切何も聞かされていない!!
つまり、オーナーの言っていることは筋が通らない。
僕が拒絶しても持論を通そうとするオーナーを前に、僕は席を立ち、最後はかわいい声で「バイバイ!」と言って、部屋に戻った。
「退去届け」も出さず、「1ヶ月前告知」もせず、僕は、グループホームを出ることにした。。。
2,3日後、オーナーは、「バイバイ!」と言った僕に対して、また話をした時、「逃げるな。」という文句を付けた。
それを聞いて、思った。
(この人は、自分の欠点を、僕に気付かせてもらいたいのかもしれない。。。)
なんて欲張りな奴だ。自分の図太さで相手を困らせているにも関わらず、それを説明して分からせて欲しいというのだから!
自分自身を顧みる能のない者は、その能力を身につける迄、苦労する!
≪以上、「2010年代半ばからの大まか
なこと」+「先週のグループホーム
のオーナー体験談」≫
⚫以下は、今週の生活の様子です:
先週末、G工業では、12/26(木)まで同じ現場に入ってくれと頼まれた。しかし、現場がなかった2日の間に、やっぱり名古屋に行ってくれと言われた。そして名古屋に1日行くと、やっぱりまた別の現場に、となった。
(何じゃ…!!)
結局、今週は23日(月)しか仕事はしなかった。
断食突入(12/20)からは、仕事は楽な現場2件だけだった。
断食2日目:(1件目、12/21) 名古屋。窓枠に綿(防火剤)を詰める、軽作業。脱力感に襲われた時のために、あんぱんを用意するのを忘れたが、道端で拾ったチョコレート菓子に勇気付けられ、軽作業でもあったので、乗り切れた。
断食3日目: 「休み」(日曜日)
断食4日目: (月曜日) これまた軽作業。親方と一対一でペンキ屋の後片付け。問題なかった。
しかし、そうでなくとも色々動き出した、一週間。
断食5日目: 仕事を入れてもらえなかったが、却って「よかった。」
僕は、「気合」で乗り切ってしまうようなところがある(やりがいを感じるとエネルギーがグーンッと出てくる)が、休みと言われた時、「年末はあまり仕事ないかもしれない。。。」とも番長補佐から聞き、僕は気持ちを切り換えた。
(断食始めの、一番キツい時に、なにもそんな頑張る必要は、ない。)
と。
それで、25日(断食6日目)も休み、その夕方に給料明細だけ必要で会社に取りに行くと、年末は27日迄で、「仕事はもうほぼない」と聞かされた。
「インスタグラム」には、毎朝トランクス一枚になって裸の自分を自撮りしていたが、ここには、体調の覚書きだけ残すことにします:
(以下、インスタグラム投稿より)
断食3日目(22日) 若干脱力感を感じるが、体調は良好。
断食4日目(23日) 断食に入ってから、深く眠れない。
でも、思ったより脱力感はない。断食前も少食だったからだろうか。
断食5日目(24日) 「足」が細くなる。(ちょっと仕事で”酷使“したと、後日思う。)
仕事はもらえず、休日になる。
断食6日目(25日) 断食を始めてから、先週のオーナーとの決裂もあり、休みは遅くまで(7時半から8時など)寝るようになる。
断食7日目(26日) この日から、「不食エネルギー」の発生が感じられる。昼寝1時間半を挟んで、午前は郵便局に転送届を出しに(頭がいつものようには回らなかった)行き、2~3キロのものを持ってオークワから20分歩いて帰る。午後は2時間20分自転車に乗って洗濯機などを見に行く。風呂は疲れて、入れず。睡眠時間は長い。(10~11?時間)
断食8日目(27日) 妹(2番目)と4時間ほど「退去掃除」に精を出す。
断食9日目(28日) 思考力が回復してくる。2008年のドイツでの不食体験と比べて、『爽快感』や『腸の静止』という快感が体験できずにいることに気付いたが、おそらくストレスのせいと推測。
この夕方、とうとう『不食エネルギー』のスイッチが「ON」になったと思う。(!)(pm4~5時)
それは、『不食エネルギー』の源泉が開かれたと思った矢先だった。
(断食の始めの4日間は忙しく、仕事もあって足を酷使した。1月6日には仕事が再開するから、その時のために少し「肉」を付けようか。。。)
断食4日目、5日目、ひざがゲッソリしたのは事実である。(インスタグラムで写真公表) それを補いたい気持ちが一番の動機だったが、後から、断食9日目にして、食事に対して体がどう反応するか見てみたいという気持ちもあった気がした。(2008年10月の不食体験(*このブログの2009年12月に掲載した『今できる不食総括 29』で詳しく語っています)と、どう違うか、見てみたかった。)
(食べてみよう。)と思ってスーパーに向かった自分は、『不食エネルギー』で実に機敏にスーパーの中を歩いていた。
唐揚げ(4コパック)、コッペパン(あん&マーガリン)、カップメン(赤いきつね)の3点を買って帰った。
唐揚げは、午前9時調理されたもので、少し固かったせいか、それほどおいしくは感じなかった。(でも、2008年10月のリンゴとは違って、普通にのどを通った。)
しかし、カップメンができあがるまで待てずに食べたコッペパンでは、のどが少し閉じるのを感じた。2008年と同じような症状である。でも、深刻ではなかった。
「赤いきつね」は、温かかったせいか、とてもおいしく感じた。
その夜は、なんとも元気になってしまった。寝たのは、わずか2~3時間で、活発な思考力が復活していた。横になりながら、一杯思索をした。
ところが、『軽い気持ちで』食べたことが、次の日、自分の調子を崩させた。
「生活の全体感」が失われかけた。
そして、ついに、確かな目的意識なく自転車で出掛けると、食べることになった。(インスタグラム投稿参照)
この時、別に食欲が爆発したとか、そういう訳ではなかった。
情けないが、実に軽く、(食べよう。)と思ってしまった。
そして、自動販売機で2本ジュースを買い、セブンで「唐揚げ」、「あんドーナツ」、「テーブルロール」を買って食し、次にはオークワで「トンカツ弁当」、「フライドチキン2ピース」、そして、最後にファミマで「明太子スパゲティー(大盛り)」を買って、食した。大して、「食欲」からではなかった。夜は暴食のせいで、少し苦しかった。
以上。
(追記: 以後、これを書いている今日(1月2日(木))も食事を続けている。6日には、また肉体労働が控えている。勇んでまた断食するのも悪くはないかもしれないが、今回、9日間でかなりゲッソリしたのは確かなので、「アプローチ」を換えようかと考えている。)
⚫以下、今週の思惑です!:
2024.12.23より
•(記録) 断食4日目。
貧血にはまだ一度もなっていない。
•「仕事」や「インスタ」、「ブログ」、「引っ越し手続き」で忙しくて、断食中にも関わらず、身体の声を聴く時間がほとんどない。(汗)
2024.12.24より
•「首周り」、「手首」、「足首」の動きが精妙になったんじゃないか。例えて言えば、グリースをよく塗った後の、機械の稼働部のように。
•(記録) まだ、体力が少ない…。
•(記録) 断食を始めてから、グループホームで朝晩測る体温が、35.0~35.9℃。
断食5日目朝、36.4℃に戻る。
•(情感) 『心もとない…。(汗)』(断食2日目~5日目(今日))
エネルギーがないので、これまでの行動力(生活力)·思考力がない。動けない、考えられない訳ではないが…。
•(記録) 「不動産」、「銀行」、「引越し会社」の三者と電話のやりとり、などで、休みだったが、心は休まらなかった。
2024.12.25より
•(気付き) なかなか不食エネルギーに移行できない時:
やはり、(やりたい!)というものを見つけることが大事?!
そのとき、力が出る。余りやりたくないもの、納得しきれていないもの、それらには力が出ず、「貧血」を起こしやすい。(ここ2,3日、ふらふらになりそうなことが、風呂場(お湯に浸かって、体を洗うために出た時)、部屋で、スタッフに呼ばれ、立ち上がった後にあった。)
あと、(私は食べなくても生きられるのだ。)と思うことが大事ではないかと思う。(僕はこの間余りそうなりきれていなくて。)
※注 断食4日目(12/23)の時点では、貧血は一度も体験しなかった。
2024.12.26より
•(記録) 寝起きはそうでもなかったが、2時間ゆっくりふとんで過ごすと、エネルギーが出てくる。
郵便局への「転送願い」手続き、続いて20分以上歩き、コンビニに寄り(コピー作業)、スーパーで退去掃除の洗剤等買って、(引っ越し用の段ボール等をもらうため)、段ボール4箱と、2,3キロの荷物を20分掛けて歩きでグループホームまで持ち帰る。
(1日飛んで)2024.12.28より
•“思索する力は減ったが、日々より動けるようになっている気がする。”
•2,3日前(断食6日目頃)からの感想:
「眼球の動き」が軽快に。
(食事をしている時の僕は、「近視」という疾患もあってか、「目の動きにキレがない」というか、「目が重たい」というか、そういう症状がある。それが、改善される気がする。)
•先日、断食を始めてからの体の変化で、「体の動きが精妙になった」と言ったが、この言葉で表現したい!:
→体の動き(色んな箇所の動き)が“しなやか”になった。(!)
•(記録) 今日も、よく寝た。2008年の僕の不食体験と比べ、『爽快感』や、『不食エネルギー』の出方がかんばしくなかったから。
•(pm 9:40。 「思索」の元気が出てきた。今晩食事したこともあるだろう…。)
(僕の人生哲学)
『自分の一挙一動を意識する。』
「ペン1つ置く」のも、「花瓶1つ動かす」のも、あなたが、それらの『運命』を握っている!
ペン1つ適当に置けば、あなたは今度それを探す羽目になるかもしれないし、放っぽれば、落ちて、車にひかれる羽目になるかもしれない。
だから、自分のやることは、すべて、意識して(これでよかれ。)と思う形で収めていく必要がある。
そしてその一挙一動を、インプット(頭に入れる)するように努める。(それが自分の行動を意識する、ということだ。)
それが上手になると、思い出したいときに、何をどこに置いたか、何をいつ最後に見たか、なども思い出せるようになる。
どんな些細な行動でも、これをして、明日のために、明後日のために、備える(置き場所を変える、片付ける、工夫を加える、等)ことで、あなたの生活には創造力が吹き込まれ、生活の発展•充実が見込めるようになる。
朝起きてから夜寝るまで、一部始終の己の行動を「意識」することができるようになると、生活の創造力は最大になる。
何かを見た瞬間に、(あ。これはこうしたいんだった。)と思い出し、やること(やりたかったこと)が見つかるからだ。
(生活が、「やりたいこと」で満ちるようになる。)
「洗濯カゴ」1つ変なところに置けば、次それを見た時に、(邪魔だ。/変だ。)と思い、それを置いた時のイイカゲンな自分の心(良くない波動)によって、自分自身が『マイナスの波動』を受けることになる。
つまり、僕らは、触れるものすべてにそれを運命付ける力を持っている。
良く運命付ければ、良く自分に還ってくるし、悪く運命付ければ、悪く自分に還ってくる。
だから、『自分の一挙一動を意識する』というコントロールを学ばなきゃいけないのだ。
それは、変な話、人の中にいても、「その場での適切な行動を採る」という広義の意味でもある。「鬼」を前に、「優しくする」必要はない。「暴君」を前に、「追従する」必要もない。
(これでよかれ。)を手放さなければならないこともある。でもそれは、自分のせいではなく、鬼や暴君らのせいなのだ。そういう見極めも、時に必要になる。
『邪気によって扱われたものには、魔が差す。』(「花瓶を落とす」、「うっかりカタツムリを踏んづける」、「人とぶつかる」、など。) それが著しくなると、『交通事故』、『火事』、『骨折』、『負傷』などの事件になる。
※備考(次回考察?)
例えば、モノ1コ『マイナスな感情』で置くならば、あなたは、それをまた手にした時に、『マイナスな感情』に侵される(もはや過去であるはずの、その感情を、思い出す)。(!!)
「侵されない」人がいるとすれば、それはもっと質が悪く、その人は文字通り「世界を汚す」悪魔である。
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