新年2025年(令和7年)、明けましておめでとうございます。
僕は今、三重県津市久居の「スターバックス」に来ています。一人です。
ここは、入院していた精神病院から近くで、4日には出るグループホームから、最も近いショッピングエリアです。「スターバックス」は、普段から利用はしませんが、特別な時はこの上品な雰囲気もいいなと思います。
今日僕は、神様の慈愛をしみじみと感じています。
29日、僕は、軽い気持ちで『不食』を中断しました。『30日はやる!』と決めた不食実験を、8日半で中断しました。「不食エネルギー」と僕が呼んでいる、食べ物に替わるエネルギーが、出たと確認したそばからの中断でした。なんで僕は、中断してしまったのでしょう…。
断食9日目の夜に1食分、翌日午後に2~3食分食べた後、その次の日も食べました。
そして、僕は、「ゆっくり」になりました。
こんなゆっくりになったことは、もう何年もなく、その日は、初めてと言っていいくらいグループホームの入居者一人とスタッフとで、ゆったりとおしゃべりをしました。
断食を再開せず、ぶらりとコンビニに食べ物を買いに向かった時、僕は久しく感じていなかった「神様の慈愛」を感じました。
(神様はこんなにも人間を、愛して下さっている。食べものを与え、生きる喜びを与え、太陽を欠かさず昇らせて、どんなに人間の行動がやましくても、許して、生かして下さっている。)
僕が「断食」を放棄したのに、食べることを許されたから、こう思ったのではありません。そうではなく、世間一般人が、これだけ神様に愛されているのに、「間違った心の使い方」、「不正」、「悪」等を働く現実に、神様の深い慈しみを感じたのです。
もちろん、軽い気持ちで復食しても、そうする自由を与えてくれたことにも、少し愛を感じたのですが…。
去年は、僕にとって、≪走り続けた≫1年でした。
まあ、僕の精神は「8年間」眠りに就いていましたから、反動としましては、自然なことだったかもしれません。(^_^;)ゞそして、この年(42歳)になったからこそ叶っている、諸能力の開花(人間としての成熟)というものもあります。
今年もまだ、「走って」しまうかもしれません。(汗)
でも、ゆっくりすることの大切さも、学びました。
今年はいよいよ、『Youtubeデビュー』するかもしれません。
「東日本大震災」(2011)と、自分が放った呪の関連性、という、ここで既に告白しているテーマについて、詳しく語って参ります。
『希望』に溢れる僕です。
今年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
令和7年1月1日(水)
小川智裕
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