2025年1月13日月曜日

今週の思惑(2024.12.30~2025.1.4))

 こんにちは。(^_^)

 


 12/29、不意に『不食』を中断すると、30日朝に特筆すべきことが起こりました。なんと、グループホームの入居者さん1人とスタッフを交えて、居間で1時間以上ゆったりとおしゃべりをしました。こんなこと、これまでやったことがなかった。僕は、常に「走って」いて、人生を進めること、創造性•英知の獲得、に夢中であった。若い時は、人間研究•自己研鑽を深めるために、仕事は半日だけにして、1人アパートで思索に没頭し、人間関係はほとんど持たなかった。「人間関係がめんどくさい。」そう感じてさえいた気がする。自分が惹かれるような人間は、ちまたでは余り会えなかったような気もする。そしてなにより当時は一人「思索」することが、社会や、人間や、生き方(身の処し方)に関して膨大な知恵を恵んでくれていた。

 

 「人と、ゆったりと時間を過ごす。」

 -そんな、少なくとも13年間はやってなかったことがこの日(30日)復活しました。

 

 それから、なんとなく、自分をせかす気がなくなって、食事を続けました。

 そして、実に、庶民的な、「食事を楽しむ」趣向(現代人的な食文化)を、これまた何年ぶりかというくらいに、久しぶりに思い出します。例えば、僕は去年退院してから、ソーセージパン、コーンマヨネーズパンなどの「しょっぱい菓子パン」や、コーラ以外の様々な炭酸飲料や紅茶など、若い時は割と普通に手を出していたものも食べていなかった。実に、不食的感覚、「食事を楽しもうと思わない」感覚が基本的にずっとあったためです。

 それが、実に20代以来かと思えるような趣向が、食事を続けたことで思い出されてきました。

 しかし、皮肉にもそれで思い出したのは、かつての僕の人間観、「人間は、こんなにも恵まれているのに(幸せを与えられているのに)それが当たり前だと思っているような傲慢な人間が、世には大勢いて、そんな人間がなおかつ利己的に生きている」という、醜い現実でした。(残念ですが。)

 

 こうして、常識的な価値観を忘れていたり、人間に関して毎週のように新しい発見をしている僕を見ると、いかに、僕が破天荒なことをやってきた人間かということが分かると思います。

 (そんなことも、知らなかったのか…!)と。(苦笑)

 

 しかし、やってきた数多の試みが破天荒ではあっても、その裏にある動機は、狂気•邪気ではないという自信が僕にはあります。狂気に身を委ねた人間ではないという自信が、僕にはある。そういうものに駆られる人間的弱みというものは、24の絶望という人間体験を自力で乗り越えたことで、「克服」したからです。

 

 12月30日から1月3日の間は、実に食欲に耽った。ガッついたせいで、12月半ばに困っていた歯痛が、せっかく断食で取れたのに、再発してしまうのだが。

 腹パンパンにも食べたため、思索も、瞑想も放置し、のんびりした。

 

  1月4日(土)、それは、記念すべき門出の日であったが、僕にはそんな感慨に耽っている時間はない。そういう感慨深さに浸る、という幸せの実感があまり持てなくても、人生に支障がない。(「大人になった」ということかな?)例えばそういう感覚の延長で僕は、(人生十分食べた。)と、20代で思い、不食を夢見てきたのでもある。(食事という喜びはもう要らない。)

 いや… たぶん、今の僕にある心の充足感は、普通の人の比ではない。

 基本的に、満たされているから、「働き虫」になれるのだ。一人で33歳まで積み上げてきた世界と、それがもたらした人生の道のり、人生体験、これを、『世に広めること』、それが僕が、自分の人生の使命と感じている神様から与えられたプログラムです。そこに、寸分の疑いもないとは思っていませんが、恐らく、僕は行かなければならない。人生に狂いがあったとして、それが発覚するまでは、少なくとも。

 

 

 昨年11月、「一般就労」が始まる直前、僕は松阪市の母とケンカしている。

 『人との不和』… それは9月頃に本当に自分を取り戻してから、生憎絶え間なく続く現象であるのだが、こうなるのは、どうも正当な理由が自分にあるような気がしてならないのだ。それは、間違いない(にせものではない)と思う『絶望』という24歳の人生体験と、そこから、まがりなりにも『神様の承認』を獲得したと思ったほどの、絶望復活体験。そして、当時の自分は生憎もう忘れてしまったが、それに続く、「自分の放った怒りの呪が天に届いた」と、実感した、東日本大震災の体験、という僕の中のリアリティー(実際的人生体験)が説得しているのだ。

 

 

 たとえば、僕は、2011年2月末、「単なる言葉」ではなく、『言霊』を行使していた気がすること。『言霊』とは、実に言葉は力を持つという日本古来のすごい教えだが、それを体得していたから、それは、その呪の言葉は、天に届いたのではないかと思えること。(!)

 言葉に力を与える、もしくは、どういう時言葉は、力を得るか、そういうことを若い頃から僕は熱心に研究してた。

 

 相応に、人間的レベルが高いという自負もあるから、易々引っ込むことはしない。現に、来週の思惑で発表しようと思うが、1月7日(火)には、「今の自分で正しい」と自信が持てるようなすごい出来事が起きている。今の自分にのぼせることはしないが、何が真実か、自分は引っ込むべきか、否か、それが分かるのはもはや時間の問題である。「人間」を、「日本人」を、忘れた僕が、その『実体』を掌握する(過去の自分の人間理解の正誤を確かめる)のは、そう遠い未来ではない、そんな気がする。

 

 (話が逸れてしまったが)、ともかく、母とケンカした僕は、その衝撃が、兄妹を僕から離させても、何も不思議ではなかった。兄妹と離れるのは嫌だとか、そんなことはケンカした時考えていない。ケンカで、自分を貫くのが大事であり、その結果自分が被ることに、何も文句を言うつもりはない。だから、人生で再び一人になるか、つながっても愛知の3番目の妹くらいになることも想定していた。

 

 しかし、年末、2番目の妹から、妹はグループホーム退去掃除を、兄は4日の引っ越しを手伝ってくれるという連絡が入った。何が二人を動かしたかは分からない。ともかく、そうして退去掃除の苦労は半減、引っ越し費用の節約が叶ったのだった。そうして4日(土)、兄が駆けつけてくれた。。。

 

 

 久しぶりに兄と1日、めでたい日を送ったが、午後4時頃までは、実に楽しかった。。。

 しかし、午後4時過ぎに、「二人の時間を大切にしよう。」と、他の買い物をやめて二人で喫茶店に入ると、兄と口論が始まり、荒っぽくはなかったが、たしかな不和で別れる羽目になった。

 別れると、兄のおかしなところを挙げ連ねる思索が始まったが、しばらくすると(こんなことやっている時間はない!)と思うようになり(若い頃とは大違い)、4日の昼のこともあまりよく思い出せない。思い出せた内容だけちょろっと話して、起きてしまった口論についてここでは語りたい。

 

 

 4日土曜日は、朝8時に兄が来ることになっていた。しかし、僕はそれまでに済ますと思っていた「退去掃除」(床以外)が終わらなかった。

 だから、8時40分頃までは、連絡せずにただ兄を待った。

 しかし、8時40分兄に連絡すると、8時と主張する僕に兄は「ちがうよ、10時だよ!」と言った。

 否、約束は「8時」だったのだが、兄は打ち合わせ中の変更時間だかを覚えていて、最終的約束内容が頭に入っていなかった。

 兄らしい。

 そうして遅れてきた兄はだが、一人でやった第一便を「瞬殺」、その午後、僕が終わらせられなかった掃除もみっちり肩代わりしてくれたお陰で、僕は、後で発覚した(自分の掃除不足で)フロアーの溝に溜まってしまった油汚れをきれいにするという、大変な仕事に特化することができた。

 

 (僕は、兄を忘れたが、)兄は確か、特に他人が決めた予定を「守る」ことが苦手だ。実に、ヨーロッパ人である母にもあった気のする特徴なのだが、自分の「ロジック」が違うからか、相手(日本人)のペースに合わせようとすることによって、「ペコペコ人間」になってしまう、とか、「相手のペースに乗せられて、ついていくしか能がなくなってしまう…」、そういう運びになる危機感があるからじゃないかと僕は思っている。だからあえて、細かい約束は破る(日本人はルールが細かい民族ではある)ことで、少し、物事を自分のペースに持っていき、それを理解してくれた人には、尽くして、お返しをする。

 

 「8時」という取り決めは、今回は兄がやったことだったが、まあ、兄にはそういうところがある。兄のこの、『ロジック』が関わっていると思われる欠点については、口論のところでまた一考したい。

 

 

 昼間の、楽しかった時間は、お互いの近況報告で実に色んな話を交わしたが、ここでは、あと一つ大きかったテーマについて話して、終わりにしたいと思う。

 グループホームの部屋が空っぽになって、最後の掃除をしてた時だったと思う。11月半ばにあった僕と母のケンカについての話になると、僕がしばらく振り返ったあと、兄から、

 「お母さんを、傷付けるなよっ…!!

 と、悔し紛れの反論をされた。

 「お母さんは、間違いなく智裕を愛してるよ。」

 「お母さんは、智裕のためにいっぱいやってきた。」

 …とも。

 

 

 これに対して、僕はこう自分が感じていることを返した:

 

 

 その一。

 僕は、母さんがそこまで好きではない。(兄とは違う。)

 その二。

 お母さんは、第一、≪僕を知らない。≫

 僕を知らないから、僕が母さんに期待する物事も、知らない。だから、それを施してもくれない。愛情はあるのだが、お母さんは、まず、日本人女性のような施しとか配慮とかしようとしない。「日本人」である息子がそういうのを求めて何も不思議はないと思うが、息子がそれを求めようが、求めまいが、母はそうはしない。

 息子の「あるがまま」を尊重しない。

 自分に、合わさせる。(父も同じ。)

  

  

 たしか僕はあの親のもとで、自分らしくいることができなかった。「自分らしさ」を育めなかった。育んで、それを親を前に生きることさえ、できなかった。(!)(育んだのは、19で「家出」をしてから。一人で。)

 どこまでも、僕は父などに“合わせてしまう”のだった。(!!)(承認欲求の切実なあまりに!!)それで、見事「自分」を失ったのだった。(実に去年のお盆も、父を前にまたそうなりかけた自分がいた。)

 あの親は、子供(僕)を立派に育てたと思い込んでいる、自分達に合わせていることに気付いていないのである。

 僕はいまだに、僕のあるがままの心(19から自分で培ったもの)の趣向(何が好きか等)を理解してくれているとは思わない。


 

 う~ん。。。

 ちょっと難しい。僕は29歳で(2011年8月)家族と絶縁してヨーロッパに行き、家族を忘れたから。

 これくらいしか今は言うことはできない。

 

 

 一つ去年11月、核心的に思ったのは、僕は、自分が(嫌だ。)と思ったら、その気持ちを“我慢するのではなく”、吐き出さなければならない!ということだった。若い頃は、そういう心は醜いとして、それを出すことにずっと罪悪感を抱いていた。自分の中に生じた「毒」を、吐かずに溜め込んで、その毒に生活全体が侵されたのである。(以下余談:僕の親の教育は、厳し過ぎた。それで僕は、自分を十分に愛してやること(「自分がやりたいようにやる。」という自己愛(自由)を、自分に許すことができず、「こうすべき」/「こうしなければならない」という基準で動くことが多かった。)ができず、自分を愛することによって実現できる(今日のような)幸せは、絶対実現不可能な状況であった。

 親も、自分も、「自分」を愛せないのだから、(神様には絶対愛される!!)と思う道を僕は突き進んだのかもしれない。(!!)

 

 

 引っ越しが終わって二人で喫茶店に入ったら話したいことに、兄が2年前からやっている「フリースクール」のことがあった。兄のフリースクールが成功するように、(問題や課題を一緒に考えたい…。)と前から思っていたのだ。

 

 カフェに座ると、兄は口早に生徒達に言われていることをまとめて吐いた。

 いくつものことを同時に言われても、扱いにくいのだが、例えば、『「5分前行動」をみんなで守ろうとしているのに、兄はいつもギリギリになってしまう…』、とか、『予定があるのに、子供達が何かで白熱すると、兄もそこに便乗して、予定が狂ってしまう。』など、他にも何かあった気がするが、そんなことを言っていた。

 「5分前行動」に関しても、兄の性格的問題を意識しない訳じゃないが、まぁ、いいだろう。僕が、厳しいようだが、兄に一番に投げかけたのは、2番目の批判に関して…:

 

 「兄は、子供達が白熱する時に便乗するというのは、”自分が楽しむため“、になっていないか?」

 

 という、疑問だった。

 兄は、「ワクワク」•「楽しさ」をいっぱい盛り込んだ学校というのをやっている。

 しかし、「優先は、『子供達の楽しさ』、『子供達のワクワク』、だよね!?」


 兄が、遊びの楽しさを、子供達に伝える目的で自分が楽しむのは悪くはないが、つまり、「ワクワク」や「楽しさ」、『心の踊らせ方』を教えるのはいいと思う。でも、これは、20年前から兄を見ていて、「よくない」と思っていたのだが、兄は、いい大人して子供のように遊ぶのが本当に好きで、そういう、”子供の趣向“がある人間だから、「やりたい」と言っているフリースクールが、ちゃんとした「教育」の場ではなく、兄の個人的な「遊びの場」に成り下がる可能性を、僕は予感して、一度厳しく、「そうなってはいないかな?」という問いただしを入れてみたかった。

 

 すると、兄は、

 「今はもうやっていない。」(自分が遊ぶのはやめた)

 と返事した。

 実は、この僕の抱いた疑問は、2年前(2022年12月)、僕がまだ入院中で、自分を取り戻したばかりの頃に、兄と手紙のやりとりをして、早々と気付き、兄に『忠告』していたことなのである。

 それを、「今はやめた」という兄だが、少なくとも去年の夏までは兄は「やって」いたのである。(!)

  

 そんなことを、喫茶店に入って間もなく話したが、その後、話を聞いていくと、僕が磨き上げた直感力からして、どうも看過できない状況が、兄のフリースクールにはあると思った。ここでは控えるが、その日の朝あった兄の共同経営者との電話のやりとりや、去年の夏頃からの3~4つの出来事を聞き、そこに、その日の兄の様子や、兄の正月の過ごし方などを総合的に鑑みると、兄が犯してしまっている(周囲に迷惑を掛けている)過ち(ここでは、何かは言わない。兄も、これを読む可能性があるため。)(生き方の過ち)が僕には見えてきた。それで、兄にあり得る、人間としての「根本的欠陥」は日記帳にのみ記録したが、例えば、僕は、人生で「問題」が生じたら、『放置』はせず、即刻向き合って(他のことは、犠牲にする)、生活の平安が守られるよう、取り計らうのだが、兄は、新婚の奥さんとの関係や、この4日の日も、僕との時間をただただ「楽しもう」とすることによって、フリースクールの問題は後回しにしているように、僕には見えた。

 兄は、「年末年始は、子供達がいないから、(フリースクールで起きている問題に関して)何もできることはない。」とか、「今、自分は苦しい。」と言ったのだが、もし本当に「苦しい」のであれば、「その喫茶店に入るまで、僕との時間を、エンジョイなんかしている暇はなかっただろ?」とか、「子供達がいなくても、問題は重大なんだから、休み中にどうするか「考える」ということができるだろ?」とか、僕は注意した。

 

 兄と不和になって別れて、帰宅してからは、兄にすごいショックを与えそうな悟りを、日記帳に書き留めたが、ここでは、それを言う代わりに、言いたいと思ったことだけ残して、この話を終わりにしたいと思う:


 『無視だ。

 痛い思いをして、学べばいい!

 僕の貴重なアドバイスを、批判だなどと、ケチを付けるならば!』

            -(兄へ。2025.1.4(土))

 

  

 

 

 

 最後に、今回いくつか扱った兄の性格的弱点に関して、ぜひとも言及しておきたいことがある。僕には、≪なぜ兄がそうであるのか≫、思い当たる節があるのだ。

 

 先に僕と母のケンカのところで、僕は「母は、第一、≪僕を知らない。≫」と言った。

 19歳で家出をした後、(正確にはその前年の恋愛から始まっているが)、「自分らしさ」を育んだ僕は、家を出てしまったために、母にその本当の自分らしさを知られなかった。「知られない」どころか、それからは遅れていた反抗期や、家族否定などで、もはやまともな関係など持てはしなかった。

 大人になるまでに、親を前に「自分らしさ」を出せなかったのがなによりも不幸なことだったが、その、「初恋」(2001年)に端を発する自分らしさの構築は、僕の中で、相当な危機感から突き動かされた一大決心の『自己改革』であった。「家出」の前年、2001年、そして2002年は、精神的にとても大変だった。

  

 なぜそんな大それた変革が必要だったかと言えば、それは、小川家特有の『経緯』、そして『人間性』があったためである。

  

 小川家は、当時としては珍しい「国際結婚」(日本とスイス)の家族であっただけでなく、兄や僕は、大人になるまでの「7年間」を海外2カ国(マレーシアとドイツ)で過ごしている。そこに、「崇教真光」や「マクロバイオティック」、「ゲーム」や「マンガ」といったオモチャを与えられない変わった教育が付随した。(*詳しくは、過去掲載の『こども時代』参照) そんな小川家には、『世間』(日本だろうが、マレーシアだろうが、ドイツだろうが)の影響が限りなく”少なく“、親の権力が絶大で、結果的に、親は子供を、自分達の好きなように「仕立てる」ことができたんじゃないかと思っている。

 

 その小川人間(兄妹、特に兄、僕、一番上の妹)の人間性は、とても「独特」で、『変わっている』ということを、1997年以降「日本」に定住した時に、僕は感じていた。小川家だけの人間なので、「自分達はおかしいんじゃないか。」という猜疑心も、僕は早くから持っていた。その、(おかしい。)という思いが、「危機感」へと変わるのは、高校生活が、”不完全燃焼“で終わった頃である。それで、「大学入学」早々、僕は「自分の気になる異性にアタックする」という、アクションを起こす。

 そうしてガランと変わった僕である。自分らしさをやっと発見できた僕である。

 

 

 しかし、兄は、変わることはなかった。

 「小川人間」のまま、生き続けたのである。(少なくとも僕の目にはそう映る。)

 そのせいか、兄は、必然かも分からないが、極端な楽天家になった。”「小川人間」のまま“日本の社会に出ていくことでブチ当たる難題(これを僕は案じたから19で自己改革が必要だと思ったのでもある)に対して、それでもやっていくためには、「極端な楽天家」になるという方法は、なんとも理解し易い。

 兄の好きな『遊び』… それは、生き方として、苦しみから目を逸らす、最善の方法である。

 20年以上も前、僕は、兄が、その小川人間を生き続ければ、兄は『仕事』も、『結婚』も、うまく行かないであろうということを、既に読んでいた。それは、今日兄は44歳だが、大方当たっている。

 20年以上も前から僕は、兄に「警笛」を鳴らしていたが、兄は、それをまるで相手にしなかった。

 今回したアドバイスも、そうである。

 

 極端な楽天家にありがちな欠点は、人の苦しみや、大変さを、感じ取れないことである。兄は、小川家で育ったことで変わっている自分のロジックを、変えなかったからきっと、今でも日本人の物事の考え方について行けず(合わせきれず)、半ばそれが「障害」のように兄の仕事や人間関係に支障を及ぼしている。

 

  

  

                 ≪以上。≫



以下、今週の思惑です!:



2024.12.30より

•(「自分が嫌い」/「自己否定」に悩む人へ)

 (今日の僕自身の過去舞い戻りの体験から:)

 自分の好きなこと•やりたいこと、これを生かさない人は、元気にも、幸せにも、なりません。

 24の頃の僕がそうでした。当時僕は、自分を愛せなかった。愛せなかったから、自分の好きなこと、やりたいこと、そんな気持ち、まるで捨て去っていました。

 けれど、だからこそ、人生がうまくいかなかった。頑張っていたのに、うまくはいかなかった。

 それほど、実は、「やりたい」とか「好き」という感情を燃やすこと(そういう気持ちによく耳を傾け、応えていくこと)は大事なんです

 その感情が自分の内で「ひしひし」と感じられるようになった時、(「ひしひし」と感じられるようになるまで、心で温め守るという技を身に付けた時)、あなたはそこから莫大な「生命エネルギー」を得ることができます。あなたの人生を豊かにする、仕事で成功する、何かを達成する、そういう「生命エネルギー」です。

 

 (備考)

 「ひしひし」と、やりたい気持ちを感じ取って、それを感じるままに行動に移す、ということは、人によっては練習が要ることかもしれない。(「心を開放すること」を、教育のせいで、許されてこなかった人間など。)

 


以下の12.30の気付きは特に貴重

 これらの悟り、人生の極意、叡智、実践などが、僕が自分を高めてきたと言う所以である!:


•『言霊の駆使』? (俺?) 

 (俺は、「これだ!」と確信したものしか言わない。)

 

誰でも赦せちゃう

 

•俺はもう、周りの目など構わず、「自分を突き出す」ようになっている。(!!!)

 

•「本当のこと」(真実)には『力』がある。それを確かめた者は、自分に確固たる”自信“を得るからだ。

 

•『「的確な言葉」で表現できる。』

 (オレ)(そういう能力を身に着けている)

 

•『より高い真理に到達する瞑想』

 (自分が若い時からしてきたこと)

 

•“高貴な人間”とは、どういう人間か。(例えば、「聖者」と呼ばれる人達)

 そういうことを、僕は若い頃からずっと目指してきた。(重要なこと)

 

•(若い時) 俺は、「どんな人間でも、受け入れた。」

 

•(思い出し/ 20代の頃、「不食」を探求した時にさんざん抱いた思惑)

 『食べても、「始まら」ない!』 -食事がある生活に対する退屈さ





2025.1.1より

(食事に関する、20年前の僕の真実を今日発掘!)

 去年、おととしと社会生活に戻っていながら、すっかり忘れてしまった食生活の秘訣を思い出した:

 『コンビニ弁当·カップ麺では人(の体)は満足しない。

 

 マクロビで育った僕は、若い頃も、コンビニ弁当·菓子パン·カップ麺では、いつもより体が満足できないことに感覚的に気付いていた。

 「頭」で、「それは体に良くないから」という先入観があったから、そうだったのではない。

 食べ物に関する自分の感じ方、それを、読み取っていたのだ。

 

 去年のインスタグラムを見れば、僕の血色はあまりよくないのに気付く。

 「バランスの良い食事」·「満足する食事」を考えていなかったためだ。

  

 12/30, 31, 1/1と、コンビニの(世間の趣向)に2011年以来初めて参加し、昔の真実を思い出した。いかに、「手作り料理」が大事か。

 「コンビニ弁当」·「カップ麺」で普段から満足してしまうような人は、体感に関して『鈍感』•『無頓着』と言って間違いはない。

 

2025.1.4より

 『時間は貴重。』 -2025.1.4

 (引越し日、兄とぶつかって。若い頃は、こういうことがあれば『人間研究』の目的で詳細に振り返ったものだが、もう、それはしない。兄のためにそれらをやっている時間は、もうない。)

 

##############################

0 件のコメント:

コメントを投稿