2025年3月30日日曜日

2025年3月の思惑 〈第2弾〉

2.27☆ (少し前になるが、YouTubeだけでなくブログにも残しておきたい印象。)

 『精神科医の論破』

 先生や、神奈川の精神科医の言っているように、俺の抱いているものが『被害妄想』だとしようか。

 では、俺はそれで「何」をする人間か…。

 2018年10月は、たしかに、人(おばあさん)に暴力を振るった。でも、本当に暴力と、呼べるものにはなっていなかった(現場にいた人間しか分からない)し、何より、あの時俺はずっと混乱していたのだ。ヨーロッパで行った、「救世主宣言」の失敗(猛烈な精神的探求、兼挑戦)がもたらした混乱によって。

 では、さっきの話に戻ることにしよう。

 「俺は、その被害妄想とやらで、何をする人間か…。」

 暴力じゃないのな。つまりは、いわゆる問題行動じゃない。

 よく聞け。俺が、社会の人間のせいで人生で一番苦しんだ24の時でさえ、俺は人々には『指一本触れず』ヨーロッパに消えたんだぞ?消えて、独力で絶望の淵から、這い上がってきたんだぞ…?

 そんな人間が、今更暴力なんか振るうと思うか?

 じゃあ、何をするか。

 「念ずる」、もしくは、「呪う」、これである。

 悪いけど、これはいわゆる問題行動ではない。念じたところで、呪ったところで、変わらないというのが人間の世界の理解だから、それで、何かが出来たとしても、たとえ、人を殺めることができてしまったとしても、それは、超越的な何かだから、人は、文句など言えないのだ。

 (事件を診た2018年の精神科医の診断を覆す、名印象。何故“自分が”警察を呼んだか、とか、署に着いたら、騙された、とか。)

 

3.15

•(ジョーク。)

 『30kgのバックパックを背負いながら、3万キロも歩いたら、それだけで地震が起こせるようになるのかもなっ!!』

 

•『小川君は、「人に言ってあげる」という優しさがあるね。』

 誰だか忘れてしまったが、その、僕にある人には見えにくい優しさの一つに気付いてくれた人が、ちょっと前にいた。


3.16 

•(*僕の瞑想能力の賜物。多分若かりし頃の不屈の思索·瞑想(『人生探求』)がこれをもたらした:)

『僕は、「結論」、しかもすごい究極的な結論に達するのがむちゃくちゃ早い。

 僕があっという間にエベレストの頂上のような結論に達するとすれば、凡人は1500m、2000mの頂上のような結論を得ることだけで、大喜びしている。』


•『人生、もう「やり切っている」(2006年、24歳)から、悩まないのだ。(人間というものを追求しきっている。)

 新しい悩みなど、出てこない。

 「人間」をマスターしている。卒業している。』

 

•(再:)

 誰も、俺のことなど信じない。

 東日本大震災のことも。

 イスタンブールの神様の承認も。

 嘘ついている奴は、信じてもらわないと、つまり、認めてもらわないと、失望するけど、俺はそれが実感としてあるから、承認されなくてもいいのな。一人も、承認してくれなくても、別に平気だ。それは残念なことではあるけれども、たしか「人間」って、そんなもんだったと思う。俺の記憶の中の人間も。

 俺がどんだけ真実を語っていても、心に、届かない。伝わらない。信じない。聴かない。

 そんな人間達に、信じてもらえるまで関係作って、お付き合いする時間なんて、取れない。『実感』としてそれがある人間は、信じてもらう、ただそれだけのために、そんな労力は割けないのだ。

 SNSで一通り自分のことを発信した後は、俺はSNSを降りることも考える。つまり、再び「自由」になることも考える。 

  

 人間が、やっぱし醜けりゃ、そんな人達と一緒にいる気はない。一緒にいて、やな思いしてまでして、屋根の下にいようとは思わない。

 人間が、「好き」というよりも「嫌い」であるなら、無理して好きになろうとは思わない。聖書の、イエス様のようになろうとは思わない。もしそれが、俺の中の真実であるならば。


3.25

 ≪重要≫『俺という人間』(新たな側面)

 俺は、自分が「スーパーマン」になれることを知っていた。そういう自信が、「小学2年生」くらいからあった。

 

 生憎だが、子供時代は不遇に見舞われた。「父親との不通」、「食生活」、「ファミコンなし」、「信仰生活」、「度重なる海外生活」… それらは、「『平凡』では無かったという意味で良かった」、「世間に毒されなかった」、「海外生活は素晴らしかった」など、良い面ももちろんあったにはあったが、概して僕は、年相応に自分の能力が磨けなかった。(「学業」、「スポーツ」、「趣味」、「人格」などなど。)

 それが、その、意欲はあったのに磨けなかった未熟な素質が、社会に出る時に猛烈なハンディキャップになった。自分には才能があると分かっているのに、それが人並みに開発できなかったために、学業や、就職で結果が出せないのは、苦しいことである。

 

 最近思い出しているのは、父親が自分を懐疑視するあまり、僕自身が『自分を生かす』ことができなかった、人間の能力開発にとって大の敵である、親の承認不足というものである。

 

 でも、俺は負けなかった。

 19、20で、大学1年の「自己改革」に成功した時、人生でイエス·キリストを目指すことにするのである。

  親の愛、関わり、支援に恵まれていたなら、僕は31歳ではなく、もっと早く救世主宣言をしたかもしれないが、24歳の絶望体験とは、僕を人間的に鍛えてくれたのは、否定のしようがない。親の愛に恵まれていたのなら、それは、友人関係や、学歴なども反映された可能性は高く、そうしたら、人間関係にも、社会にも愛されて、より愛溢れる救世主に早くなれたかもしれないが、逆に言えば、もしそうであったなら、「人生のどん底」で鍛えられるとか、神様の承認をもらうということもなかったのではないか。

 人生のどん底体験というものは、救世主のような存在には、欠かせない体験だという気もする。2000年前のイエス様も、そういう体験をしたのかどうか、僕は知らないが…。そんな体験しなくても、それが分かってしまうような神がかった方だったのだろうか。

 

 ともかく、話を戻すと、19、20で抱いたその人生目標が、僕を徹底的に磨くことになる。「悪」を、「苦しみ」を、知りつくして、それを乗り越えようと、そんな目標ができてしまうのだ。普通の人間は、敢えて踏み出すことなどしないことである。

 

 「善」や、「楽しさ」を知るのは簡単だ。心を開けばいいだけだからだ。少なくとも僕は、それを楽しめないような歪んだ人間ではなかった。だから、若い時僕は、進んで問題を探していった。自分の、家族の、社会の、人間の、世界の。。。

 そしてそれをどうやって解決したらいいか、それらの問題の根源は何か、誰に求められるともなく、学問を履修するのでもなく、自分で研究していったのだ。特に、人間の問題を。。。

 終。

 

3.26

 (記録)≪重要≫『僕の精神病院体験』

 神奈川の病院の西川医師は、俺はもう一生精神病院にいた方がいいんじゃないか、と思っていたかもしれないと思う。

 入院当初から、暴れたことなど一度もなかった俺を、一向に出そうとしてくれなかった。

 病人(人の心)を扱うのも、あんまりうまくない人だったと思う。

 小柄で、細身の女性医師が、僕のような西洋人の血を引いた強い人間を前に精神科医として、また日本人として、心に寄り添う一歩(言葉掛け、など)が踏み出せないのは、想像に難くない。

 病院に閉じ込められて、刺激すら断たれてしまった人間に、救いの手を差し伸べてあげられるのは、医師と看護師くらいしかいないのに、その医師がこれであったために、俺は3年以上をこの病院で過ごした。

  

 精神病者を生かす、殺すも精神科医次第である。

 患者の問題が、掘り当てられない精神科医は、(まぁ、それは普通の人には簡単じゃないと思うが)、患者の人生を葬ることもできるのだ。(!) 何も、咎められることもなく。

 (傷ついた子供を抱えた患者もいる。それが悪魔のようになってしまって、手に負えず、やむなく“放置的”関わりを採ることもあるだろう。

 手を縛ったり、隔離したり…。

 本当に必要なのは、子供なのだから、たっぷりの愛情、それだけだったりするのだが、なかなか、一般人に、そのような愛を施せる人間はいない。)

  

(重要)『世間一般人に関する、記憶回復!』

 「世間では、変な奴は居るもんだから、そういうのは避けなさい。」

 それが、世間一般人の処世訓だろう。自分が、できる限りそういう人間達に巡り合わないように注意して、(自分を守って)、かといってそういう人間達を排除はしない、、、 だから、もっとずっと自分自身が、いい暮らし向きができるように、仕事で、自分の人間関係で、頑張って、そういう人間どもに触れなくて済む人生(例えば、「東京一級地のスーパーには、そういう人間はやって来ないから、そういう所に住むことを目指す」、とか、「高級車に乗り、夜は外出しない」とか)を築こうとする…。

 俺は、24でそういう生存競争(幸福の追求)に乗っかるのはやめた。

 むしろ、道ですれ違う悪者を前に、平気で正義を突き付ける、「悪を摘発する」、そんな能力まで磨き上げた。

 

 俺の人生は、不遇により、そういう大衆的な趣向に参加をして、そこで成功するには余りに不利な逆境というものを突き付けられ、「なら、どうする…?」という『難問』を突き付けられた、そんな若者時代だった。

 そこで選んだ孤高の人生に舵を切ることが、どれだけ勇気がいることだったか、あなたに想像できるだろうか?

 GOOD.


『人は、変われない。』

 (それを変えられるとしたら、「俺」か?)

 

•(若い頃の僕の世界観)

 『若い時、ヒットする曲の歌詞が突き詰めた「真理」、「悟り」、「気付き」等のレベルに、僕は満足しなかった。』

 僕は、もっともっと高い真理、天国的世界、美、そういうものがあると思った。「年収一億とか稼ぐスーパースターは、そういう世界を表現するべきではないのか?」と思ったりした。人間界の霊的なレベルの低さに、気付いていた。

 

•(僕の、真理への到達能力)

 これは、できる人も多いかもしれないが、好きな曲が聞きたいと思って、聞くとする。

 「想像力」や、「感度」が未発達な人間は、曲を一通り聞かないと、心が満たせない。(心を満たす箇所に出会えない。)

 僕は10秒、15秒聞けば、心が満たせる。求めていた物が手に入る。

 感じ入って、曲の先や、自分が求めていた情感、世界を10秒で掘り当てられる。


2025.3.27

(記録) (発表するか迷った印象)

松阪イオンタウン工事現場

米山智典だかいう、一ヶ月くらい通った松阪の工事現場で、ダンブがこぼした石ころを、監督と一緒に拾いに行ったことがある。

今、あれは、作業者、しかも自分の班の者が…

           わざと落としたものだという気がする。

 わからないが、監督と俺が、言葉交わすチャンスを作るために、そんなことをしたんじゃないか。(人間の持つ、「人間不信」(≠俺)) そういう、労働者を探るための、「予定変更」や、「仕事作り」。。。そんな、人間の仕事、世間ではありふれてるんじゃないか。

 

•(素朴な思い)

 人生に相応にチャンスを与えられ、自己実現し、『成功』した人は、人を愛しやすいというのはある。そういう人は、自分のポジティブさが、人々から賞賛されるから、「幸せ」であるのだ。

 俺は、自分は神様の承認をもらっただとか、大地震を起こしたとか言っても、賞賛されないから、人間の人生としてはなんも達成していないかのようだ。

 俺はかつて、極めて有望であったにも関わらず、人生を捨てて、ホームレスにならなければならなかった、不幸者でもある。これから、放浪者として、人々にバカにされたり、承認されなければ、また怒りを募らせる可能性は、十分ある。

 

3.28

(僕の、真理への到達能力-その2)

 『「一言」から、結論が出てくる。』

 (問題を聞いて、自分がかぎつけた何かに、ほんと一言、(もしくは2言3言)でそれを突き止めることができる。そのテーマに関して、僕なりにマスターした人生の真理へと、到達するのである。) 

 

•(僕の性格)

 『俺は人生で、清く正しい「心」·「行い」を、徹底したい人間で。

 「一秒一秒」、「24時間」、「365日」、である!』

 (*「一秒一秒」それをするというのは、僕も訓練が必要だった。)


3.29

(母へ)

(ドイツ語)≪Du kannst dankbar sein, dass ich mit 24 nicht gestorben bin.

 Im Jahr 2016 konntet ihr von zwei meiner groessesten Lebensgeheimnissen erfahren, etwa «die Gottesanerkennung in Istanbul 2007», und «das Fukushimaerlebnis 3.11». 

 Und ab 2023 konntet ihr euch mit mir unterhalten, und von “mir” weiter kennenlernen.≫

(補足: 2011年末から4年間「ドイツ語圏」に没頭したことで、日本帰国から9年がたった今日でも、ほぼ支障なくドイツ語が出てくる、…そんな自分がいる。30を超えても、知力が伸びている自分がいる。)

 

•(辛かった、僕の親の真実。)

 先日偶然見つけた、すごいYouTube動画(スピリチュアル系メッセージ、→自分の過去を、掘り起こしてくれた!)から、抜粋:

 ①『“十分なことをしていない”、“十分な時間を割いていない”、“十分な犠牲を払っていない”。そういう罪悪感を持たせた。』

 ②『彼らは、あなたがどうしているか、何が必要かなど、決して尋ねなかった。』(彼らにとっては、僕が元気なのは当たり前で、放っといても平気だと、彼らは思っていた。) 

 (30分ほどの動画だったが、その最も痛快であった2つだけ、紹介する。〘重要〙)

 

•(俺のこれからの、人間の見極めポイント)

 『それは純粋な親切?

  それとも、「貸し」作り?』

 (*前に、妹の一人が採った行動からの推察。更には、日本には、『安いもの』を与えて、俺が下手に有り難くしてみせれば(それが本当に有り難かったとしても!)、『見下してくる』人間も確かいたよな!お金の崇拝者。≠妹。…世の中とは、厄介な場所だな!)


3.30

•去年精神が回復してきてから、体験した人のいくつかの関わりの中に、自分は気付かなかったが、“とんでもなく嫌な心“が潜んでいた可能性を思う。それがほんとかどうか、これから突き止める!!

 (作業所で知り合った、LINEをやってた若者など。これとは別に、たしか…、こんな記憶もある:

 ※「日本人」は、僕を前にとかく嫉妬深くはなかったか。外人だし、強いし、かっこいいし、能力も高い…。だから、しょっぱなから、心的に距離を置くのだ。顔を作る、卑屈に出る、思ってもいないことを、俺を試すために、言う、等々。もちろん、心を開いてくれた人も、いたにはいた。でも…、生憎、(悲しいことだが)その日本人的な『素』(「心の開き方」、また「心」)は、俺には“馴染みが足らず”、そんな貴重な人の関わりも、僕はうまく生かせない人間だった気がする。子供の時に、日本人の心に、十分歩み寄れなかったのである。(苦)(『こども時代』参照。親の施した教育の責任。)

 今は…、時代も進んで、日本人も変わったかもしれない。日本の認知度も上がり、“卑屈”になる人間はもういないかもしれない。

 民族の違いによって起こる、『不通』。人類はこれを、どうやって乗り越えたらいいのだろうか。(…))

 

•(今日の僕の一日)

 夜になって、初めて散歩に外出した時、ふと明るい自分(明るい気分)になることができた。これまでの自分を反省した。

 そんな自分で歩いていると、コンビニにいた二人の若いきれいな女性たちが、僕に好意を示しているような気がした。(こういう自分にならなきゃいけないんだな。)、と思った…。

 しかし、その後、スーパーに買い物に行った時、商品を眺める俺を急かすような若者(店員)が現れ、そいつがむっちゃ気の抜けた顔をしていた。嫌な感じがしたが、そいつが、俺が会計をしている時に、別の会計にいるアルバイトに近寄ってきて、卑しい笑顔で何かを会話。

 そういう、卑しい笑いを浮かべる元気はあるのだ。

 なんだか俺は、それが俺をからかういじわるのように思えた。客である俺に対して、実に感じが悪い。

 僕の30歳までの日本でも、たしかそういう人間がいた。

 コンビニで、(明るくなろう。)と思った矢先の、不意打ちだ。どうも、この世界では、「明るくすること」は、場所を選ばなければならないようだ。例えば、自分の好きな人といる時だけ、明るくする。それ以外は、要警戒。「接客業」ですら、あなたにちょっかいを出してくる!

 (下らない世界だ。)と、思わないか? 

 

•『能力高めたかったら、“自分”、“自分の感覚”に集中する時間をもて。』

 『能力』は、“自分”に集中する時間が、人生でどれだけ取れるかで、決まってくる。俺は、仕事も、結婚も、子供もならなかったが、学生時代は大したことなかった知力が、ホームレス生活で自分を磨いたことで、べらぼうに伸びた。

 僕ほどに自分の時間を取るということは、普通の人には無理だろうが(やりたいこと·やらなければならないことが多くて)、子供の時にどれだけそういう時間が持てるかで能力の高さは決まる。東大まで行けるか、それとも中卒で終わるか。(例えば僕の父は、僕と違って子供の時にそういう時間が持てた。だから、「一流大学」に行けた。)

 若者は、町に遊びに行くとか、高いブーツを買うためにバイトを頑張るとか、友達と遊ぶとかに人生の時間を浪費してしまい、こういう『能力を高める』とか、真に価値あることに人生を費やす機会を逸する。結果として、未熟なまま40、50になり、それから自分を磨く気力は、残っていない人も多い。結果として、仕事力も、低い。ミスや、横着も多く、それでも、最低限のことをやればお金はもらえるから、そういう社会だから(「ミス」や「横着」の代償は、自然界や見知らぬ他人が負っている。)、食っていくということができる。

 

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2025年3月29日土曜日

2025年3月の思惑。

 (こんばんわ。

 YouTube動画に替えまして、思惑をこちらに発表致します。動画は、「早送り」も、「巻き戻し」もできません。それに対して活字は、読者が自分のペースで読んでいくということができます。詰まらない内容は、飛ばすことができます。なので、そうすることにしました。

 今回の内容は、いつになく「充実」している気がします。面白いんじゃないか…。)


 

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3.13

• 『イスタンブールの歓喜』(2007.12「神様の承認」)

 俺は、いかなるなぐさめも、勇気付けも、感謝も… 必要としない。

 それが、イスタンブールの歓喜のすごさである。

 音楽だって、要らない。(無銭の放浪で、音楽なんか聞けるわけないやろ。)

 “俺の心は、永久的に、満たされているのだ。”


 今は、破格の家賃、16,000円の大きくてきれいな1Kアパートに住んでいるが、この部屋に置いている≪いかなるもの≫も、俺に手放せないものはない。

 (*大好きな辞書も、書籍も、変な話、ブログ上に載せた自伝や放浪記だって、なくなったって、平気だぜ…?)

 それが、一度社会を、屋根を、人生を、捨てた者の強さというものだ。

 人は、違う。モノや、体裁、世間体など捨てられないから、仕事を頑張る。(『身を削る』)

 例えば、「体裁」を捨てる、みずぼらしい格好をするって、そうそうできんよな!!(俺は、24歳で克服♪もちろんプライドを捨てたんだけど、むしろ、別の意味のプライドがあったから、体裁など捨てられたのだ。)


• ≪重要≫かつ痛快。

 『人間は適当。』/『なぜ俺が社会を捨てるか。』

  人というのは、俺よりも、うんと『適当』なのだ。

 分からないが、社会の、98%はそういう人間だと思う。頭のいい、僕の父親ですら、(僕から見れば)そうである。

 『適当』だから、ボロが出て、それを誤魔化すこと、隠すこと、知らんぷりすることで、やり過ごしている。

 そんなんでも、ボロが出た時のごまかし、「責任のがれ」が上手いから、仕事になり、その対価が発生し、家に住むことができる。

 

 社会の98%の人間が、おそらくそうなのである。

 そのボロがな、何になってるかというとな、、、人命を奪う事故だとか、何百万の修理代だとか、知らずの内に人を病にしたり、しているのだ。すべて、適当という名の人間の悪行によって、問題は生じているのである。

 この世の素晴らしさに対して… 人間はそれを正しく理解しようと努めない怠慢によって、世界を体験させてくれる神様を「裏切っている」とも言える。

 食べ物とか、素晴らしいものを体験して、幸せ感じていながらも、その奥義を謙虚な心で探ることは怠り、楽に、楽しいことだけ模索する。。。


 俺はその『適当』が、昔からできん質で。それで、皮肉にも「建設業」とか「物流センター」とか、余計適当人間が多いところで働いてきたから、そういう人間の醜さが、どうしても鼻に付いてしまって、結果的に『人間は醜い。』という一般論を、24で出してしまったのだった。 

 

 話を戻すと、人は、「働かない奴はダメ人間だ。」とか言うかもしれないが、俺からすれば、適当に仕事をして、問題起こして、自分だけ幸せな人生送っている人間の方が、醜い。

 そんな醜い人間と一緒にいたくはないと思ったから、かつて僕は、社会を捨てたのだ。

 その、人間の『適当さ』…。

 それは今日でも、体験すると、僕は胸糞悪くなる。また、もうそういうのが僕は一目で分かっちゃうから、なおさらである。

 どうしたものか…。

 僕は、一体何ができるのか。

 率直には、やはり地震という神通力のことを思うが、気持ちの変化によっては、やはり病人を癒えるという奇跡も、できるかもしれない。まだ、やったことはないが、人に見えないものが見える目は、ちゃんとあるのだ。。。

 終り。

 結論: 

 『全ては、人間の手、その扱い方を間違えているからである。』



3.14

 『他人は、鏡。』 〘重要〙

  - 人は、他人を通して自分を発見する。他人を通して、(あ。自分は違う。)とか、(そうそう、俺もそう!)とか、自分がどんな人間であるかを知る。

 (*8年間精神が眠りにつき、自分を、人間を忘れた僕が回復できたのは、「頭」が忘れても「体」が覚えていたからで、退院して、何十人、何百人と接する中で、大事な『自分』を取り戻していったのである。)


3.17

 『俺はハイエナだった。』(子供時代)

 例えば、「嫌いな人」からもらった食べ物なんて、食べたくなくても、、、 (子供の頃の僕の親の教育は、まるで子供の下僕化、ハイエナ化で) そういうものでも、感謝して食べられなければならない、というものだった。

 そうやって俺は若い頃、見事庶民以下、ハイエナ的根性を持っていた。(「人が残したもの」を、勿体ないからと言って、喜んで食べる自分を、“尊く”も思って。)

 そんな教育では、子供は世間と対等にやっていける人間にはならない。 

 〔重要〕

 

•俺が真剣なだけで、人は咳をする。(ムカッ)(気付かないとでも思ってんのか?!!)

 俺が『真剣』なのは、お前らと違って、自分だけ良ければいいって考えて生きてるんじゃなくて、世の中の問題と戦ってるからなんだよな。

 俺はなんで悩んでんだろな?世の中が、人間が、醜いから、悩んでんじゃないのかな?

 (cf. (3/15) 俺は何も悪いことしてないのに、人は俺の顔に泥を付けてくる。)

 +3.26 夜散歩中、俺が真後ろにいる時に排気ガス吹っかけてきたハーレー·ダビットソンの若者。(手をとんとんして、「うるさい。」と言ってやったんだが、口をすぼめて、道に出ていったが、それは実は素振りだけで、心は俺が思っている以上に醜い可能性。(!))

 (追記:(3.27) 普通の人は、他人の咳なんか、意識していない。自分のことで、精一杯なのだ。また、俺はやっぱり威圧感あって、威勢もいいから、余計咳をされる。威勢がいいのは、相応に高貴に生きてきた自負が、あるから。また、僕が他人の咳を意識するようになったのは、傷害欲求、拒絶、軽蔑などの人間心理を、摘発して、「抹消」したかったから。)


 

3.18

 (つくづく思う:)

 『「自分がこうしたい。」ではなく、「こうしなければならない。」で動かさせた我が親。

 (僕の人生が花開けなかった、最大の原因。最近、生活していて、時々そのかつてのモードを思い出す。)〔重要〕(以前にも似たような気付きあり。)



3.20

• (記録)『いかにして俺は、排除されたか。』

 (伍神工業、丸盛有限会社)(Youtubeでは語っていない。)

 是友さんと最後の日、「是友さんのおかしなところ、YouTubeで全部、ぶちまけてやろうかな。」と言って別れた20分後、会社に戻るや、諸星さんから「質問攻め」にされ、、、

 →おかしいのは是友なのに、仕事を失ったのは、俺。

 諸星は、「話を聞いただけではどちらが悪いか分からないけれど」とは言いつつも、『明日はやめとこか?』と切り出し、俺は易易認めてしまった。

 (記録として重要。)

 

•(プライベート記録)

 『母の、優しすぎる優しさ。』(発掘)

 否。それは悪いことではない。でも、社会では通用しないようなレベルの優しさを持っても、受け入れてもらえないのが関の山で、それでは、裏切られる時に憎しみも抱きやすい…。だから、今のこの世の中では、それは、持たないほうがよい。

 思い出したが、母には、(『子供時代』にも書いたが)『物事は(ゆとりも持たずに)とにかく頑張って、最善を尽くすのが大事なのだ』という教育があった。

 それは、母の立場、境遇ではよいことであったかもしれないが、僕には似合わなかった。(それで僕は、社会で余計に摩擦を起こしたのでもある。)

 その、母の優しすぎる優しさを、僕はある時から拒否していたかもしれない。「通用しない。」と。「私のこの優しさを理解して。」と、わがままを言ってるようにも思えたから。。。 

 〘貴重〙

  

3.21

•(重要)(僕の食習慣、体調) どうも、僕の食生活はまだ放浪時の、一日一食爆食、になっている。しかも、甘いものじゃないと、満足しないようにも。(多分に、第二ヨ無銭放浪初期の小遣いがあった時の食習慣)

 また、胃の不調も、2018年の手術が原因かと思われる町の不調も、ある。

 (最近、有り難いことに若い頃の自分の健康感覚(自分の元気の感覚)を思い出すことができたので、まだそれになれない自分に気付く。) 


•『人生の真のゲーム性』

 「トランプ大統領は、世界とゲームやってるから、楽しいだろうな…。」とか、企業のトップとかは、そういうゲームができるから楽しいだろうなとかいう奴がいるようだが、そういう奴は、権力の亡者であって、絶対、権力なんて手に入れるべきではない奴らである。

 違う。

 「今ここ」、「今日、ここであなたはどんな行動を起こすか。」そこに、すべてのゲーム性は潜んでいるのだ。

 「なんとなく仕事」、「なんとなく生活」、「なんとなく人間関係」を卒業しろ。

 それ(なんとなく…)が、変えられないのは、金や、面目や華やかさがないと、詰まらないと思ってしまう、贅沢人間なのだ。 

 人生で、初めからステージ性だとか、名声だとか、お金だとか、求めるのが卑しいのが分からないか。何も、やっちゃいないくせに。。。

 いきなりそんなステージなんて求めないで、お前の目の前、今日、ここ、この時間に、(つまらん(お前のいう))生活をどうしたらよくできるか、考えろ。

 人間、真にクリエイティブ(創造的)になったら、改善点など無限に出てくるぞ。

 それを、一つひとつ、一番やりたいことから改善していくから、人生は発展し、そこに、複数のこと手を就ければ、ゲーム性が生まれ、別に大統領にならなくたって人生が楽しくなってくるのだ。

 その、自分自身の人生に潜在する、最高のゲーム性を、掘り当てろ!####


3.22

 俺は、24の時、一般的な人生を諦めたのだ。そこから、僕の人生の軌道というものは、他の人とは大きくズレて行った。

 諦めた人間と、そうでない人間の生き方は、当然違うだろう。諦めていない人間は、嫌でもその生き方を続けるしかなす術はない。

 

3.23

 僕は7人家族だったが、まだ小学生であった一番下の妹Sを除いては、皆、心に毒を持っていた。

 俺が彼らの不当さを批判すれば、けなしたり、逃げたり、無視したり、ごまかしたり…場合によっては(兄などは)暴力に出ないとも分からない調子で僕を傷つけようとするのだった。

 そこが、俺とは違う。(!)

 俺は、人間として傷害欲求というものがなかった。(!)(物理的なものも、精神的なものも。)

 だから、喧嘩になった時、いつも『引いた』のだ。相手が不当でも、こてんぱんにするのではなく。



3.24

•旅和(甥っ子、小学2年発達障害児)の執着。→俺とそっくり。

 (発掘)昔俺は、「自分のやり方」というものに猛烈にこだわる性分があった。

 例えば、もう出掛ける時なのに、そんな時にあるものが目に留まって、これだけどうにかしたい、どうしようか、「ああしようか」、「こうしようか」、、、などと、それを考えることがやめられなかった。(大人になってもあり、ちょっと病的だった。)

 →父親を初めとして、待ってもらえなかった、ありのままの自分を十分に受入れてもらえなかった、そのためだと思う。待ってくれてたんなら、お父さん、お母さんに悪いな、という感情が芽生えて、そんなことはやめたはずなのだ。。。

 P.S. そうやって、恐らく、ピンチの時に自分の能力を引き出す、そんな練習を積みたかったんじゃないか?

 (3.26夜現在、少し考え直してみている。自分の執着は病的ではなかったか…と。それとも…、上手に活かしたらそれは、『天才』につながる素養か…?)

 

•正直を毛嫌いする衆生

•「謙遜」という名の『対人恐怖』を感じさせないと、人は受け入れない。

(どちらも、ポスティングの仕事をすげなく落とされて感じたこと(特に2つ目が痛切。))

•注。この日、社会生活を放棄することを決意する。


3.25

•(気付き) ポスティングやったところで、家庭教師やったところで、俺の本領は発揮されない。###(社会生活はできるかもしれんが。)

 

3.26

•「こんな人間だと、「就職」したら、就職した会社が迷惑だよな!」(苦笑) (補足説明:会社が、俺に合わせなければ、ならなくなるから。)


3.27

• (思惑)人生、誰しも平等にチャンスを与えられているならよい。人生を葬られた者として、制裁する。


•『昨年9月に作業所であった、リネン室調査(数カ月に及ぶ)の切っ掛けとなった老人ホーム側からの「クレーム」とは、絶対に『でっちあげ』であった。』

 (俺の邁進を阻止しようと、俺に濡れ衣を着せようとした、チーフ支援員O。) GOOD.

 

朋弘へ(去年の出会い、服部朋弘さん)

 (今では、朋弘のことを朋弘と気安く呼ぶことに、抵抗を感じる。昨年俺は、ヨーロッパ人感覚で呼び捨てにしていた。そういえば、日本人の呼び捨て感覚と、ヨーロッパ人の呼び捨て感覚は心が違ったね。。。)

 朋弘さんは、言葉が足りなかった。僕がヨーロッパ上がりで、日本人を忘れているのなら、“ヨーロッパ人的な関わりで”関わってくれないと、分からないよ。(朋弘さんは、例えば、G-Freak Factoryの「ダディー•ダーリン」を紹介してくれた時、本当は相当色んな意味(共有したいもの)を込めて、それを紹介してたんじゃないか。)

 日本人は、察する民族だから、朋弘さんは、俺が察しに出てくれると思ってたと思う。それは、いかに朋弘さんが、日本人であるかも、示してると思う。

 結局「ダディー·ダーリン」からは、僕らの間でほとんど何も話が挙がらなかった。

 (*補足。このことで、かつての俺の、失望的世界観、「西洋と東洋は水と油。」を思い出した。俺はかつて、自分の中で、この二つの世界を抱えながら、日本人とはこっち。兄や母、外国人とはこっち。って、『使い分ける』という大変なことをやっていた。

 でも、双方の世界は、細かく見ていくと、2つに分けて考えた方がいい、というのが、僕の実直な感想であった。(同じ。)と思って接すると、気付かないところで飛んだ誤解を招くことを発見していた。)

 

3.28

やることは、山ほどある。

去年2月の作業所開始からずっと、手当たり次第がむしゃらにやってきたが、「全体」を見る時だ。特に、人間を捉え直さないといけない。

 

3.29

兄へ送ったメール』

(兄について、小川家について、ツボを突いているので、公表します。)

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否定することはしない?

なにを偉そうに!(この着眼が、分かるか?)

お前の承認なんか求めてねえんだよ。

 

 

…ちょっと、こんなメッセージするつもりなかったんだけど、開いたら黙ってられなくなったので、書きます。


  

にきの調和とは、俺からすれば「ごまかし」によるものさ。

にきが人のこと分からないのは、前から言ってるけども、変わりすぎた小川家で育っていながら、大人になるまで日本の俗世間にまともに触れることができなかったからだよ。

だから、その世界のギャップを乗り越えることができず(俺は20代、にきの事を思って(!)必死ににきを諭そうとしてたけどね。)、とにかくオプティミズムで行くことで、事を得てきた。

でもそこには、人と根本的にロジックの違いがある。(少なくとも、昔はそうだった。)にきは、不幸にも、お父さんとお母さんだけによって作られた、都合の良い「異色」人間だった。

僕も、実にそうだった。…18歳までね。

でも、悪いけど、子供ながらの直感からして、(うちの家族は変だ。)という気持ちがあったから、6年生の一年間の『日本体験』も手伝って、19で、恋愛を通して自己改革(世間への人間的な同化)を成功させることができた。

 

悪いけど、お父さんお母さんには、小川の上の兄妹(由里恵がぎりぎり含まれるか、含まれないか)が、帰国後「日本社会」にスムーズに入っていけるかどうかという配慮は、無かったよ。

あんなお父さんでは、あるはずもない。

でも、じっさいのおれたちというのは、余りにも違う人間だった。小川家だけに通用する人間だった。僕は、『危機感』を抱いた…。

 

僕は、下の妹たちが、僕らのようにならなくていいように、自分が見つけたばかりの世間の感覚や価値観を、家庭内に持ち込んだ。日本にずっといられたこと、塾生が来たこと、で、妹たちは僕らなんかより遥かに世間的な(日本人的な)人間になることができた。

 

でも、にきは違う。

にきは、お父さんお母さんに、「俺は大丈夫だよ。」って示したかった。多分、お父さんお母さんを安心させたかったのだろう。それで、「オプティミズム」という人生の一攻略法を、大々的に採用した。でも、それでロジックの違いまでカバーできる訳はなく。

だから、俺から見ると、(今日のにきはよくは知らないが、)にきは、お父さんお母さん2人だけの都合で作られた小川人間の人格、という、いわば『障害』(日本の世間一般ではそんな人間はいないから。)を抱えているから、人のことが分からない。にきは、小川家で育ったことで、そういう人間に、「成って」しまったのだ…。



俺は、かつて…、“兄を思って”、このことで、どんだけ危機感を抱いてたと思う?でも、皮肉にも、そんな僕の『兄思い』は、ことごとくはねつけられていたね。

 

これを読んで、今のにきはどこまでまともに読もうとするかは分からない。

でも、これが僕の見る兄貴、の真実です。その、本当に思っていることを、「丁寧で、長いきれいな文章にして伝える」ということが、僕の愛の形です。無視する、しないは、あくまで相手に委ねて。

  

無銭放浪に戻るので、洗濯機と冷蔵庫を取りに来てもらいたいと思ったが、上のメッセージを読んで、その気がなくなったので、「粗大ごみ」に棄てます。


(終わり)

2025年3月27日木曜日

『話の筋が見えない衆生』

≪近況報告≫


 こんばんは。

 『不食』(3/19開始)は、やめました。

 「またもや」ですが、 時間を掛けて応募したポスティングの仕事が、すげなく切られた(3/24)ので、社会生活を捨てることにしました。(それで、「予定」が狂いました。)

 「忘れてしまった人間」を、完全に思い出さないままに、再び≪無銭放浪生活≫に戻りますが、僕は、そんな生活スタイルでも、かつて世界に影響を与えることができた人間です。「不便」にはなりますが、社会に居ること、そして「そこで仕事をする」ということが自分ではなく人間のために苦となる場合、そこに居る意味を、もはや感じません。僕はもう仕事がもらえるために、人間界の、醜い「足の引っ張り合い」、「不当搾取」、「こびへつらい」、「競争」など下らないものに加担して、身を削ることなどしません。そこら辺の仕事をしていたんでは、(自分が勿体ないかもしれない。)とも思いました。冒険ですが、こういうことは、初めてでもありません。

 

 そこで…。

 今日は、最終回か最最終回として、数カ月に渡って自分が発信してきた『人間の不純さ』に関する3週間前の体験(洞察·解剖)を公開したいと思います。

 

########

  



『話の筋が見えない衆生』

事例:「元共同生活者Y」

(3月15日頃提起)


 (インスタグラム、YouTube, そしてブログでは、僕が人とどんな接し方をするかということは、見えないに等しい。先日、インスタグラムで、「もうこれ以上人の不純さについて挙げ連ねるのはやめる。」と言ったが、今回のYさんとのやりとりは、そればかりでなく、”僕自身の人間性“、”人との関わり方“についても、深い示唆に富む内容となっているので、公開することにします。)



 Y(◯◯◯)さんは、昔の実家、「寄宿生活塾」の共同生活者です。

 僕が高校生だった頃、2、3年間一緒に生活した8つほど年下の女性です。最近あったやりとりを、そのまま載せます。まず、読んでみて下さい:


 

2/25 夕方 僕 =============================

◯◯◯こんにちは!😀

 

返事がこんなに遅れてしまって、ごめんっ…!💦💦


 

不意にも深いテーマになっちゃって、10月はまだ頭も今ほどは冴えてなくて、相手できなかった…😢ごめんね。

 


お元気ですか…?

10月話してた『直感』『創造力』云々の前に、◯◯◯のいう焦りや不安に向き合うのが先だな。

「子育て」お疲れ様。♪自分自身が未熟さを抱えているのに、それでも「子孫を残そうとしている」っていうところが偉いと思います。

(僕こそそれをやらないと…。)

 

 

よかったら…、一度「電話」しない?

上に受話器マークが見えるけれど、ここでも電話ができるみたいだね。Lineとか、持ってるなら、教えてくれればそちらでもいいけど…。

今の俺なら、◯◯◯の人生課題にもお手伝いができると思う。◯◯◯の心に、「ストンッ」と落ちる答えを、言ってあげることができると思う。

今の◯◯◯がどうしているのか、聞けるのも嬉しいしね。一体、「何年ぶりか…!」っていうのもある。🤣

 

時間のある時に、お電話くれたら嬉しい。

今日でも、後日でも。もちろん、直感力の話をしてもいいよ。😊

よろしくです。

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2/25 午後7時 ◯◯◯ =======================

連絡ありがとう〜🙇


返事のことは全然気にしないでね🙏

まだまだ未熟で、親らしくないというか母親とはなんぞ?と思うばかりで日々生きていくのに精一杯💦笑


▢▢▢も引越しお疲れさま🍻色々なことにチャレンジしててすごいな〜って思う!


平日はバタついてて

土日とかなら大丈夫なんだけど

どうかな?

インスタの電話機能は使ったことなくてLINEID伝えるね🤗


+(LINEのID)

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2/25 僕 ==================================

◯◯◯が、別に相談することなければ、いいよ。

親とは、人類が滅亡せんように、一生懸命育ててくれた親らご先祖様に恥ずかしくないように、逞しく良い子孫を残す、という「使命」があります。今の親は、そんなことも忘れて、まともな教育もできず、関わりも持てず、子供なんてめんどくさいから、そもそも「作らない」…。そんな大人達が、『少子化』という大変な問題を引き起こしています。問題は、少子化にとどまらない!

それくらいのことは、分かっておいた方がいいよ。

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2/25 午後9時半 ◯◯◯ =====================

返事を読んで、逞しく良い子孫を残す「 使命」か…なるほど

少子化問題は経済的な部分も大きいよね。


 子どもを授かるのは奇跡的なのもあるし、独身の友達はパートナー探しが難しいと悩んでたりして結婚も諦めてる人もいるね。


自身の考えが、まとまらなくて相談ってより色んなモヤモヤした悩みの話を聞いてもらうことになっちゃうと思う😅💦


相談となると、雑談とは違って相手の貴重な時間をつかってしまうからもう少し自分の頭の中を整理してからお願いするかもです🙇

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2/25 僕 ===================================

「経済的理由」なんかで、子孫が途絶えていいのか?つまり…、子供作りが、『お金の問題』に成り下がってしまった、ということです。

 

奇跡なんかではない。

健康な男女には、ちゃんと(当たり前のように)子供ができる。それとも、例の、現代人が不健康なあまり生じた、「不妊症」のことか?


 

…人類は、『問題だらけ』なんです。

でも、「なんとかなるでしょ!」って楽観で、乗り切ろうとしている。

 

わかった。相談はいいってことね。

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 (*このメールの後、僕はこの頃積んでいた「人間」に関する嫌な体験15例ほどを、インスタグラムで公開し、その中で◯◯◯について、『薄情者。』、とこぼしている。)



2/27 午後6時 ◯◯◯ =======================

経済的理由もあるのが今の現状だよね…残念ながら


私は

妊娠出産を経験して奇跡だと思ったよ。

タイミングや人それぞれの身体の体調もあると思うけど、健康的な人でもなかなか赤ちゃんが授からないと聞くとやはり当たり前ではないと思う…


ごめんね、薄情者で

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2/27 午後7時 僕 ===========================

『教育費』出せんから、産まん。

じゃあ、みんなで滅びましょうか!!

 

子供を授かるのは奇跡さ。

でも、上で◯◯◯は、そういう意味で使ってないよね。

「希少」って意味だよね。

 

『健康だとされてるのに、授からない。』

それ、『今特有』の現象だよね。昔はなかったよね。

つまり、健康ではないのさ。医学(健康診断など)が捉えきれない『多面的健康問題』を現代人は抱えているのさ。

そういうことすべてが、人類の問題なんです。

 

もっと、『根源』から、考えないと、僕らの問題は、後世(『子孫』)に残すことになる。後世に、押し付けることになる。

『根源』とは…

人間として、「どう生きるべきか」。

「どういう生き方が、正しい」か。

「どういう生き方が、間違っている」か。

そういうことを真剣に考えていかないと、マジで人類は滅びます。

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3/6 午後7時半 ◯◯◯ ======================

奇跡的な意味で私は言ってるよ🌈妊娠も出産も命がけだし神秘的な体験だったよ


本当に多面的健康問題だね…

環境もだし、食も、様々なことから精神的な面も…


▢▢▢も素敵なパートナーが見つかるといいね🍀

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3/6 午後9時半 僕 ==========================

「少子化」の話をしてたんだよ…?

なんでそこで、全然関係ない意味で奇跡的、なんて言うの?

「奇跡的」って、「希少」って意味にもなるから、そのテーマでそう言ったら、そう受け取るでしょ。

 

もし神秘的って意味で言ってたんなら、◯◯◯、そうとうとんちんかんなこと言ってるぜ…?!

 

◯◯◯は、世の中の出来事の本質を探そうとするのではなく、表層的な意見しか見てないと思うよ。

後、相手の心を見たほうがいい。表層(外面)ではなく…。簡単なことではないけれども。

 


世の中の人、ほとんどは、「本質を見よう。」ってしてないんさ。

先日切られた建設業の親方も、そうだった。

(おかしいのは親方だったけれど、仕事を切られたのは、俺だった。😭理不尽な世の中だよね。。。😮‍💨でももう建設業やめて、よかったけどね。僕のYouTube動画、『…親方との仕事、終わる。』って題名の動画で発表しています。🙂)

 

 

本質(「真理」)から逸れると、問題が生じるんさ。人間間のトラブルは、大体そこにあると言っていい。大きく逸れると、「繕う」という対策も打てなくなり、思わぬトラブルに発展する。

 

恐らく、ほとんどの人はなんらかの判断ミスを常日頃からやっていて、それが隠せるから、また、バレないから、問題が表面化してないだけです。(!)

でも…、そういう「ずぼらさ」が、人生の局面局面で、ボロとして出てしまうんです。だから、『大きな問題』(例えば、離婚の理由とか)になるんだよ。

だから、「本質を見ようとする」って、勉強を要するけど、人生スムーズに、問題なく進めたいなら、避けては通れないことだよ。厳しいけど、人間は「堕落」している(本来あるべき生き方の、半分も達成していない)から、苦労して、人生で学ばされるんだよ。人間とは、すごく高度な能力備わってるのに、人々はそれを磨こうとしないのさ。「邪気」や、「怠慢」、「不遇」(たとえば◯◯◯なんかだったら、両親と早くに死別してしまった不幸)、「欲得」などに邪魔をされて。。。

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3/7 午前9時半 再び僕 ======================

このメールをもらって、なぜ昨日中にも返さんだ?「忙しかった」?

 

へんな、短いメール送ってきて、それにしっかり答えたのに、返さないとなると、やはり、◯◯◯に「不純さ」を感じる。

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3/7 午後9時 ◯◯◯ ========================

ごめんね。

読解力や理解力に欠けてて嫌な思いをさせてしまったね…



既読から即返信は難しい。

4歳、5歳の子育て、ワンオペも多く家事と仕事の両立、私は下手でね。


▢▢▢が色々考えてくれての返信に私は短文で返して申し訳なかった。

不快な思いをさせてしまいました。

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3/7 午後10時半 僕 =========================

ちがう。

読解力、理解力ではない。言い訳するな。俺の言ってることを、考えようとしてないだけだ。こんだけ、昔から、相手してあげてるのに。「障害者」じゃないだろお前は。

 

話には『筋』ってものがある。

それを◯◯◯は無視してる。

 

メール開いたんなら、そして、そこに、強いメッセージ乗ってたんなら、そんなに時間掛けたらいけないのさ。掛かっちゃうなら、一言、「ごめん、返事遅れるね…」だ!

 

僕がいつも長く書いてんのに、◯◯◯が短いから文句言ってんじゃないよ??

短いだけじゃない。あそこには、『中身』もない。

 

ほら、そうやって、上の「奇跡的」の話もまた、流そうとする!

イイカゲンにも程がある!

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直後 僕 ===================================

俺をナメるなよ

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続いて 僕 =================================

俺のした絶望、

人生の本気さ、

目標の高さ、

能力的高み、

純粋さ、

…そんじょそこらのもんじゃないよ。

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◯◯◯ =====================================

▢▢▢のことナメてない。


ショックだな…

生い立ちは知っての通り…

家庭内暴力から両親との死別。

兄のひでは自閉症スペクトラム。

私は愛着障害にADHD傾向強めの強迫性障害がある。


文章だけだと受け取り方が変わってくるのもあるよね。

▢▢▢が伝えたいこと

私はきちんと理解できてなかった。

少子化の話と子どもを授かるのも同じ話じゃないのとも思った。

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3/8 午前0時 僕 ============================

「少子化の話と子供授かるのは同じ話」

そうだよ?

じゃあ◯◯◯が、2/25夜9時、「子供を授かるのは奇跡的」と言って、言いたかったことは何さ。

自分が出産で感動したっていうこと?

それ、話と全然関係ないよな?『少子化』、なんだから、「子供が授かりにくい」、それは、子供の出産が親にとって感動的だから奇跡的なんじゃなくて、時代的に、なかなか授からないから奇跡的、と言ったんだろ?

話の『筋』が見えるか?

もう、面倒くさいけど。こんなこと説明するの。

 

僕はね、顔なんか見なくたって、…見れば、もっとだけれども、文字のやりとりだけで「人の心」が読めちゃうのよ。

「一言一句」が、話者の中でどううごめいているかが、見える。それくらい、知覚力が鋭い。

 

◯◯◯の過去はよく知らない。

でも、少なくとも、連日やりとりして僕が◯◯◯に与えたものに対して、◯◯◯は«そっけなかった»。

そっけないか、俺のことはなんとも思ってないか、どちらかふたつに一つ。(後者だから、俺の書いてること、ちゃんと読もうとなんかしなくて、分からなかったんだろう。)

それは、過去がどう(上の生い立ち)とか、関係ない。今の◯◯◯にある、問題です。

 

もう、フォローはやめるね。

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最終 僕 ===================================

 (最後に)

◯◯◯に、「俺が東日本大震災をやった。」と、世間を前に発言することが、どういう意味を持つか、わかるか。

 

そこで生じる反感、反発、嫌悪感、うんぬん、想像付くか。

 

俺、小川智裕という人間は、そんなこともものともせず、去年9月から前に進んでいるという点で、もはや「凡人」ではないのさ。

 

その凄さが、◯◯◯には見えるかな。見えないかもな。

 

(おわり)

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≪解説≫

 

 何故僕は途中で◯◯◯(Yさん)を『薄情者』と断罪したか。

 それは、僕が高校生の頃の2、3年間◯◯◯と同じ屋根の下で生活し、その後も◯◯◯を、まるで妹のように接してあげており、この時も、一際近い距離感で◯◯◯に接してあげてたのだが、一昨年は色々と聞きたがっていたにも関わらず、この時は、「平日はバタついてて無理。土日なら大丈夫そうだけど、どうかな?」と、まるで◯◯◯は(俺が◯◯◯に関わりたい。)と思っているかのような言い方(…これは生憎、僕の実の兄妹が、僕に対して思っていたことでもある気がする)をするので、僕は牽制したのだ。

 

 すると、案の定?、◯◯◯の人間的適当さが露呈する:

 『奇跡的』という言葉の使い方を巡って、口論が始まる。『話の筋が見えない衆生』という問題が発生する。

 そこで僕は、人類の問題が、そのような適当さに始まっているということを論じた。

 しかし、そこから彼女から出てくるものは、もう「ボロ」でしかない。。。僕はそこでいくつも、彼女が人間的に犯してしまっている過ちを自覚させた。

 最後に、いまいちど丁寧な説明で、人間の会話における『話の筋』という大事なテーマを◯◯◯に理解させた。そして、この時のやりとりで、過去や能力の有無に関係なく、◯◯◯が僕に対して犯した過ちを明るみに出した。

 

 ◯◯◯は、僕のことを『何とも思っていなかった』、だから、僕の言うことを「考えてみよう」とも、しなかったのである。(!)

 すべては、お見通しなのだ。

 

 

P.S. 

 おそらく、彼女のような適当さを、社会では『五万』の人間が抱えながら、生きていると言っていいだろう。

 言ってみたらそれは、食事で、テーブルに、テーブルの下に、そしてあわよくばひざの上にまで、ご飯をこぼしながら食べている、幼児のようである。文字通り、そこいらを”汚しながら“生きている、ふしだらさと言っていいのである。(そうやって環境を、生態系を、動物達を、社会的弱者を、傷つけている。)

 すべては、自分達がイイカゲンに物事に処するために!!!

2025年3月19日水曜日

3月19日、不食開始!

 ≪☆「不食開始」と久々の「近況報告」。≫

 

 

 こんにちは!またまたやって参りました。皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 突如、発信の場をインスタグラム(@tomohirokogawa)からブログに移すことに致しました。その理由は、仕事がなく、一日中インスタグラムを覗いていますと、目がおかしくなってしまったからです。(多分に、先日の「マーク·パンサー事件」で、のめりこんでしまったからです。)

 ここなら、自由に投稿することができます。他人を気遣う必要がありません。

 そこで……😊

 今日からアップして参りますのは、僕の『不食マニュアル』です!『第三次世界大戦』や、『食糧危機』が危ぶまれる中、『不食』さえ知っていれば、生き延びる可能性は劇的に上がります。変な話、戦争が来たら、山奥に家族とテントを持って入ればいいからです。『食糧危機』が生き延びられるのは、言うまでもありません。

 

 『第三次世界大戦』など、来ないことを祈ります。しかし、もし僕がこれから、僕の神通力「地震」が本当だとして、世界に働きかけて行った場合… 気が狂った人間が暴動を起こし、それが、国や社会の秩序を乱す可能性は十分あります。それが、最悪の場合、国と国の戦闘に発展することもあるかもしれません。。。

 

 インスタグラム、YouTubeチャンネルで言ってきましたが、8割5分という確信レベルに達している僕の神通力は、人間の悪しき所業から来るものです。一緒に仕事をしていて、俺の嫌なことをする、狡いことや、 …(中断。)

               やめましょう。縁起でもない。こういうネガティブな気持ちは、断食には不向きです。でも、おそらく消える問題ではないので、ここまで話して、不食が進んで、平気になった頃か、そんな時に、この話は続けることにしたいと思います。今は、そういう、人間で嫌な体験をほとんど積まないので、この平和な雰囲気を大事にしたいと思います。

 

 

 少し…近況報告を入れますと、早ければ今月中に「個人事業主」としての、ポスティング(チラシ配布)の仕事が始まります。契約締結は明後日の電話での質疑応答の後です。

 社会復帰初めての「建設業」の仕事は、2月16日をもって切り上げました。やめた方がいい理由が、うっ積していました。(YouTube動画『社会復帰最初の仕事「建設業」が終わる』等、参照。)

 

 やめてからは、仕事を探す気はありましたが、建設業では、必要以上に入っていたこともあったりして、経済的に余裕もあり、結局今日までのらりくらりしております。その代わり、「インスタグラム」をやる時間が増え、そこで「マーク·パンサー事件」(3/6)を始め、3つ刺激的な出来事がありました。忘れてしまった人間に関する記憶発掘を、更に進める良き契機になりました。

 簡単に言いますと、「マーク·パンサー事件」の前には、壊れた腕時計を直しに時計屋に行くと、時計は直らず、3,800 円をドブに捨てるような事が起こりました。その事の裏に僕は、時計屋が目論んだかもしれない、そして、かつての僕の人間理解では十分にあり得る、人間の狡猾さの一形態に、思いが及びました。そして、「マーク·パンサー事件」の後は、これまたアプローチした仕事の面接手配で、大きくはありませんが、キタナイ真似をされたのです。。。

 

 (もう、人の下に就いて働くのは無理だな…。)

 建設業をやめた時、かなり強くこう思いました。上司は絶対に僕より不純であり、能力も、低いからです。それで、今の個人事業主の仕事が見つかったのは幸運です。 

 正直には、また無銭放浪に戻ることすら考えた(3件目の事件の後)のですが、まだ、経済的に余裕があるので、『できることは、すべてやろう。』という覚悟で、気持ちを切り換えて、ポスティングの仕事をしながらの社会生活にチャレンジしようとしている訳です。

 ゆくゆくは、自分の、『家庭教師』のビラも作って、一緒に配布して、自分の生徒を見つけていくことも考えています。そうやって、できる限り社会に居て、『人間』を思い出して、もしそれで、(やっぱ社会はイヤだ!)ってなるんだったら、それが運命(定め)ならば、その時社会を去ればいいと、そう考えている訳です。

 ひょっとしたら、(仕事の見つけようによっては、世間一般人が醜くても、それに触れずに社会で生活することもできるんじゃん!?)、などと考えてみています。そこに落ち着けるかどうかは、保証はありませんが…。(無理かもしれないですね。(苦笑))

 

 

 

        ✵  ✵  ✵

 

 

 「『ポスティング』はまだ先。」、「インスタグラムは目のせいでできない。」となれば、やることは限られている。もう、呑気に食べてはいられない。

 年末に、『不食』に挑戦し、断念し、今日まで2回、「不食に入る。」と言って取りやめた。(1回は、年末の8日半に続く4日間の断食(3/2~3/5)になった。この4日間の体験は、年末よりうんとゆったりできたので、貴重な教訓が得られた。それも、発表できたらと思う。)

 

 3月に入ってから、(もう食べるのは十分だろう?)と何度も自分に言い聞かせてきた。それでも、なかなか決心が固まらず、今日になってしまった。今年、もう何年ぶりか分からないほど久しぶりに「食を楽しむ」趣向というものを思い出してから、16年間満足に楽しむことはできなかったスーパーの食べ物を、こんにちの食べ物を、楽しんだ。なかなか、『さよなら』ができなかった。

 

 …というわけで!

 ここから、僕自身が『不食』に入りながら、『不食マニュアル』(不食のなり方、そこに役立つ知恵、全公開!)を作成していきます。

 乞うご期待!!!

 

           

              令和7年3月19日(水) 白塚

                  小川智裕(カロル)

2025年3月16日日曜日

『僕の「マーク•パンサー事件」3/6で問題となった、@takagakishow氏との議論内容』

 こんにちは。

 先日揚げた、元globeラッパー、マーク•パンサーをめぐる事件は、僕にとって一大事件であったので、そこで卑怯にも“抹消”されて、なかったことにされた議論の内容を、日記のメモを元に、大筋を公開致します。

 

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 前にも言いましたが、議論をした相手、(ピンクが掛かったプロフィール写真だった)@takagakishow氏は、議論から逃走しただけでなく、それを抹消し、アカウントまでも消しました。。。

 

 @takagakishow(以下「タカガキ」とする。)は、マーク•パンサー氏に迎合する意見、提起された問題の偏った見方で「ベストコメント!」の表彰を受けていましたが、元々のマーク•パンサー氏の投稿『コーヒーに砂糖入れる?入れない?』(3月5日)も、偏見的な内容でした。かいつまんで言うと、マーク·パンサー氏は、「コーヒーに砂糖やミルクを入れる理由が、全く分からない。それは、コーヒーの味を損ねるだけだ。なんだって砂糖やミルクを入れるのだ!一体なぜそれらを入れるのか、誰か教えて~!」という、子供のような質問でした。

 そんな意見に対して、タカガキは彼を尚持ち上げたのですが、それは、大体こんな内容でした。

 

 『コーヒー自体には、甘さはないが、甘さを感じやすい質感とフレーバーというものがあり、それを「プロデュース」する必要がある。それが、うまくできないと、砂糖やミルクで補わなければならなくなる。』

 

 と、そんなことでした。

 それに対して、僕は突っ込みを入れました。

 

 『「プロデュース」というのを僕はよく知りませんが、それで、従来の砂糖入り、ミルク入りコーヒーの味にできるわけではないでしょう?質感やフレーバーは、あくまで味の基礎であって、それをいくら変えたところで、伝統的なコーヒー文化の味には到達しないのではないか。つまり、砂糖やミルクは、欲しい人には不可欠なのでは…?

 「プロデュース」という話だけでは、マーク·パンサー氏の掲げた問題に対する、まともな答えにはなっていないと思います。。。』

 

 つまり、偏重的、マーク·パンサー氏に対する、迎合的意見、であった訳です。

 それで送った僕の反論には、前に自分が断言している意見に、補足を加えてきたり(つまり、僕の指摘を受けて、まずいとでも思ったんでしょう)、妙なことも言っているのですが、最後は、『あなたとの意見交換を歓迎します。』という言葉で、締めくくられていました。

 

 そのタカガキが、僕が自分の見解を送った途端に、とんずらしたのです。

  

 「歓迎します」と加えられた言葉の後には、『身分はなんですか。』と、ちょっと、僕のプロフィールに載っている以前のホームレス人生を揶揄するかのような言葉もありました。それに僕は、1つ目の返信で丁寧に答えていました。

 

 前日記でも言いましたが、この後、夜12時頃だったと思いますが、マーク·パンサー氏のストーリーズをチェックしてみると、タカガキを称えるストーリーズはもちろん、他の一切のストーリーズも見れなくなっていました。僕は、マーク·パンサー氏がタカガキの側について、タカガキのコメントの存在を人に知られないよう、一切消そうとしたんじゃないかと思いました。なぜストーリーズが消えたのかという疑問に対して、マーク·パンサー氏の『マネジャー』はまるで応えようともしませんでした。。。(マーク·パンサー氏自身も、黙秘を貫きました。)

 

                ≪おわり

 



 この事件を経て思った痛快な発見:

 『“もっともらしい”!、“響きのいい”!、“かっこいい”!(タカガキの、【メッキ】のような言葉)に、酔うバカども。 』(「世の人間」、人間という代物、実体。)

 

2025年3月8日土曜日

インスタグラマー『マーク•パンサー』氏、弾劾。

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 お久しぶりです。先日、著名人インスタグラマー、『マーク•パンサー』(元globe、ラッパー。)さんに大変嫌な真似をされました。

 その、記録(実録)です。

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 おととい(3月6日(木))夜9時頃からそれは起こった。

 僕はこの日の朝、インスタグラムの『健康生活研究家』マーク•パンサーさんの投稿にコメントしていた。(応援したい。)という気持ちから、率直な意見をまとめて送っていた。

 その夕方、マークさんの「ストーリーズ」を見ると、マークさんが、「ベストコメント!」として同じ投稿の別のコメントを賞賛していた。気になった僕は、それを見てみた。

 

 すると、よく見れば、それはマークさんがその投稿動画で取りあげているテーマに対する答えに、なってなかった。『質感』とか、『フレイバー』、『プロデュース』といった専門用語が登場し、一見かっこいいことを書いているのだが、マークさんの取り上げたテーマ全体を、見ていない。それに気が付いた僕は、そのコメンテイター、(この人が、最後にとんずらするのだが)「@takagakishow」(もう存在しません)さんに、“ジャブコメント”を入れてみた。

 

 すると、20,30分して返事が返ってきたのだが、そこには、上でかっこよく締めている意見に、「やっぱりこれも!」みたいな追加事項を加えていたり、言っていることも、やはりちょっと変であった。でも、「ご意見歓迎です」、「身分は何ですか」、「有意義な交流になると思います」などと言ってくれて、僕を、快く迎え入れてくれたように見えた。

 

 僕は、2回に分けて、まず「自己紹介」と、その後に僕の見解を、用意した。ところが、2回目の見解を送った途端、@takagakishowのコメントは、すべて削除された。(僕の入れた返信も、一緒に)これを追っていた視聴者は、(マークさんも含めて)、他にもいらっしゃると思う。@takagakishowさんの、プロフィールを僕は覗いていないが、この人は、ここで自分のアカウントまで「削除」している。(!)

 

 人に、「歓迎」の言葉を送っていながら、とんずらをするとは、どういうことか。

 

 

 腑に落ちないのは、「この時マークさんは、何をやっていたのか。」ということだ。私用で、席でも外していたのか?(マークさんが、僕の質問に答えてくれないので、分からない。見てたけれど、関わりたくなくて、無視をしていたのかもしれない…。)

 

 アカウント、『健康生活研究家|マーク』の運営目的が、曲がりなりにも健康生活の研究であるならば、マークさんが取り上げた問題を、ごまかしなく、総合的に考えるということが、視聴者の仕事じゃないだろうか?

 マークさんは、@takagakishow氏のコメントに、感心したのかもしれない。でも、悪いけど、そのコメントは、僕には、マークさんに迎合した、偏重的意見、であった。それでは、マークさんが取り上げたテーマを、ちゃんと扱っているとは言えない。そのことに、僕は気が付いたから、ディベートを目論んだのだったが…。😭

 

 マークさんは、少なくとも、@takagakishow氏のコメントを賞賛している。何をいいと思ったかについて、説明する義務も、求められればあると思う。一研究家として。ところが、マークさんは、@takagakishow氏がとんずらしたことも、僕が体験した嫌なことも、まったく気に掛けない。

 マークさん、マネージャーさんらが、もし本当に研究意欲があるのなら、自分らの投稿上で生じた議論や、トラブルに関して、少しくらい気に掛けるべきではないでしょうか?もし、参加して、アカウントを盛り上げてくれる視聴者の意見を、尊重するならば。

 ところが、@takagakishow氏と、グルにでもなっているのか、(と僕は思ってしまいますが)、おととい夜に起きていたことは、「なかったことにしよう。」と、そういうことになっている。 

 それが“まともな”、アカウント運営者(『インスタグラマー』)だろうか。

 みんなの意見あればこそ、アカウントが盛り上がるのではないだろうか。

 その意見を、自分が好かないとか、そういう理由で、しりぞけようとする(今、あなたとマネジャーがしようとしていることです。)それが、本当の研究者の、することだろうか。



 「マークさん、あなたのやっていることは、僕には、『健康問題』を生かじりした中学生と、あんま変わらないと、そんな気がしますよ。」

 


 表彰された@takagakishow氏の意見は、議題に対して、全く不完全な解答でした。(その議論内容が知りたければ、出せます。)

 その、不完全性を≪洗い出す≫…、つまり、本当の意味で研究する、そうする僕を“踏みにじった”のが、あなたと、@takagakishowなのです。

 

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※以下は、(参考までに)、僕がこの事件を通して抱いた思惑(心の内)です。

 


 俺は、「救世主を目指した」とか、「東日本大震災は俺がやった」なんてことを、公言している奇人だ。

 その着眼がまた鋭いから、おとといの@takagakishow氏のように、びっくりして、逃げようとする人間が出てきても、おかしくはないと思っている。

 でも、だからって、奇人はどう扱ってもいいのか?

 尊厳を、踏みにじってもいいのか?もしかしたら、本当の救世主であるかもしれないのに?

 第一、人間なら、一度人に言ったことは、責任持てよな。もし俺に、「歓迎する態度」なんて示したくなかったんなら、「俺を試す」なんて卑怯な真似しないで、最初から拒否しろよな。

 僕が昨日、ここに述べた不満を要約してマークさんに送っても、遅くになって「マネージャー」が出てきて、その人の対応の、まあそっけないことそっけないこと。それで、マークさんからも一言ももらえないとなると、あながち、マークさんと@takagakishowは、あの晩、手を組んで僕という人間を排除しようとしていたという構図が、頭から離れない。

 @takagakishow氏は、コメントも、アカウントも削除するという大胆な行動を起こすことによって、“何も悪いことはしていない”この俺の、「正当な行動」と、それがもつ社会的影響力を阻止しようと思ったのかもしれない。

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 でももし、東日本大震災をやったのが、本当に俺の手紙(2011年2月)だったのなら、どうする?

 お前たちのした俺の排除の目論見は、次なる「巨大地震」の力くらいにしかならないぞ…?

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 「隠蔽できないか。」なんて思うなよ…。

 俺は、頭がいいから、コメント消されても、肝要なことはすべて押さえてるよ。そして、正しい人間ならしないことを、@takagakishow氏はもちろん、マークも、そしてそのマネージャーも、している(逃走の目論見、黙秘行為。)から、俺は黙っちゃいないのだ。

 



                  ≪終わり≫ 


 (最後に、一言:)

 俺は、人間全般にまつわる、こういう『イヤな体験』がかつて積りに積もって、呪を放つという形で「爆発」し、その呪が乗っかった手紙が、かの東日本大震災とリンクする、という体験を、積んだんだよ!(2011年2月末)

 ちなみに、昨今の地震では、手紙にするまでもなく、僕の精神活動が「地震に直結している」という体験をしている。(YouTube、インスタグラム参照。)

 また巨大地震が来るか、来ないか、は、人間が僕をどう扱うかに掛かっていると言っても、過言ではない気がする。ま、俺は見た目は普通の人間だから、俺に失礼をしないなんて、普通に考えて「無理」だけどな!

 

 

P.S. 

おまけ

言っておくと、こういうことが、一夜にして、すべて頭にインプットされるというのが、僕という人間の、すごいところだ。

 勘違いするな。

 考えて、文章を作っているのではない。

 “心で”すべてを捉えているから、言葉はすべて、後からついてくるのだ!

 「心を制するものは、人生を制する。」

 

追記(2025.3.16):

 上で触れている、『@takagakishow氏との議論内容』、次の投稿で公開しました!