2.27☆ (少し前になるが、YouTubeだけでなくブログにも残しておきたい印象。)
『精神科医の論破』
先生や、神奈川の精神科医の言っているように、俺の抱いているものが『被害妄想』だとしようか。
では、俺はそれで「何」をする人間か…。
2018年10月は、たしかに、人(おばあさん)に暴力を振るった。でも、本当に暴力と、呼べるものにはなっていなかった(現場にいた人間しか分からない)し、何より、あの時俺はずっと混乱していたのだ。ヨーロッパで行った、「救世主宣言」の失敗(猛烈な精神的探求、兼挑戦)がもたらした混乱によって。
では、さっきの話に戻ることにしよう。
「俺は、その被害妄想とやらで、何をする人間か…。」
暴力じゃないのな。つまりは、いわゆる問題行動じゃない。
よく聞け。俺が、社会の人間のせいで人生で一番苦しんだ24の時でさえ、俺は人々には『指一本触れず』ヨーロッパに消えたんだぞ?消えて、独力で絶望の淵から、這い上がってきたんだぞ…?
そんな人間が、今更暴力なんか振るうと思うか?
じゃあ、何をするか。
「念ずる」、もしくは、「呪う」、これである。
悪いけど、これはいわゆる問題行動ではない。念じたところで、呪ったところで、変わらないというのが人間の世界の理解だから、それで、何かが出来たとしても、たとえ、人を殺めることができてしまったとしても、それは、超越的な何かだから、人は、文句など言えないのだ。
(事件を診た2018年の精神科医の診断を覆す、名印象。何故“自分が”警察を呼んだか、とか、署に着いたら、騙された、とか。)
3.15
•(ジョーク。)
『30kgのバックパックを背負いながら、3万キロも歩いたら、それだけで地震が起こせるようになるのかもなっ!!』
•『小川君は、「人に言ってあげる」という優しさがあるね。』
誰だか忘れてしまったが、その、僕にある人には見えにくい優しさの一つに気付いてくれた人が、ちょっと前にいた。
3.16
•(*僕の瞑想能力の賜物。多分若かりし頃の不屈の思索·瞑想(『人生探求』)がこれをもたらした:)
『僕は、「結論」、しかもすごい究極的な結論に達するのがむちゃくちゃ早い。
僕があっという間にエベレストの頂上のような結論に達するとすれば、凡人は1500m、2000mの頂上のような結論を得ることだけで、大喜びしている。』
•『人生、もう「やり切っている」(2006年、24歳)から、悩まないのだ。(人間というものを追求しきっている。)
新しい悩みなど、出てこない。
「人間」をマスターしている。卒業している。』
•(再:)
誰も、俺のことなど信じない。
東日本大震災のことも。
イスタンブールの神様の承認も。
嘘ついている奴は、信じてもらわないと、つまり、認めてもらわないと、失望するけど、俺はそれが実感としてあるから、承認されなくてもいいのな。一人も、承認してくれなくても、別に平気だ。それは残念なことではあるけれども、たしか「人間」って、そんなもんだったと思う。俺の記憶の中の人間も。
俺がどんだけ真実を語っていても、心に、届かない。伝わらない。信じない。聴かない。
そんな人間達に、信じてもらえるまで関係作って、お付き合いする時間なんて、取れない。『実感』としてそれがある人間は、信じてもらう、ただそれだけのために、そんな労力は割けないのだ。
SNSで一通り自分のことを発信した後は、俺はSNSを降りることも考える。つまり、再び「自由」になることも考える。
人間が、やっぱし醜けりゃ、そんな人達と一緒にいる気はない。一緒にいて、やな思いしてまでして、屋根の下にいようとは思わない。
人間が、「好き」というよりも「嫌い」であるなら、無理して好きになろうとは思わない。聖書の、イエス様のようになろうとは思わない。もしそれが、俺の中の真実であるならば。
3.25
≪重要≫『俺という人間』(新たな側面)
俺は、自分が「スーパーマン」になれることを知っていた。そういう自信が、「小学2年生」くらいからあった。
生憎だが、子供時代は不遇に見舞われた。「父親との不通」、「食生活」、「ファミコンなし」、「信仰生活」、「度重なる海外生活」… それらは、「『平凡』では無かったという意味で良かった」、「世間に毒されなかった」、「海外生活は素晴らしかった」など、良い面ももちろんあったにはあったが、概して僕は、年相応に自分の能力が磨けなかった。(「学業」、「スポーツ」、「趣味」、「人格」などなど。)
それが、その、意欲はあったのに磨けなかった未熟な素質が、社会に出る時に猛烈なハンディキャップになった。自分には才能があると分かっているのに、それが人並みに開発できなかったために、学業や、就職で結果が出せないのは、苦しいことである。
最近思い出しているのは、父親が自分を懐疑視するあまり、僕自身が『自分を生かす』ことができなかった、人間の能力開発にとって大の敵である、親の承認不足というものである。
でも、俺は負けなかった。
19、20で、大学1年の「自己改革」に成功した時、人生でイエス·キリストを目指すことにするのである。
親の愛、関わり、支援に恵まれていたなら、僕は31歳ではなく、もっと早く救世主宣言をしたかもしれないが、24歳の絶望体験とは、僕を人間的に鍛えてくれたのは、否定のしようがない。親の愛に恵まれていたのなら、それは、友人関係や、学歴なども反映された可能性は高く、そうしたら、人間関係にも、社会にも愛されて、より愛溢れる救世主に早くなれたかもしれないが、逆に言えば、もしそうであったなら、「人生のどん底」で鍛えられるとか、神様の承認をもらうということもなかったのではないか。
人生のどん底体験というものは、救世主のような存在には、欠かせない体験だという気もする。2000年前のイエス様も、そういう体験をしたのかどうか、僕は知らないが…。そんな体験しなくても、それが分かってしまうような神がかった方だったのだろうか。
ともかく、話を戻すと、19、20で抱いたその人生目標が、僕を徹底的に磨くことになる。「悪」を、「苦しみ」を、知りつくして、それを乗り越えようと、そんな目標ができてしまうのだ。普通の人間は、敢えて踏み出すことなどしないことである。
「善」や、「楽しさ」を知るのは簡単だ。心を開けばいいだけだからだ。少なくとも僕は、それを楽しめないような歪んだ人間ではなかった。だから、若い時僕は、進んで問題を探していった。自分の、家族の、社会の、人間の、世界の。。。
そしてそれをどうやって解決したらいいか、それらの問題の根源は何か、誰に求められるともなく、学問を履修するのでもなく、自分で研究していったのだ。特に、人間の問題を。。。
終。
3.26
(記録)≪重要≫『僕の精神病院体験』
神奈川の病院の西川医師は、俺はもう一生精神病院にいた方がいいんじゃないか、と思っていたかもしれないと思う。
入院当初から、暴れたことなど一度もなかった俺を、一向に出そうとしてくれなかった。
病人(人の心)を扱うのも、あんまりうまくない人だったと思う。
小柄で、細身の女性医師が、僕のような西洋人の血を引いた強い人間を前に精神科医として、また日本人として、心に寄り添う一歩(言葉掛け、など)が踏み出せないのは、想像に難くない。
病院に閉じ込められて、刺激すら断たれてしまった人間に、救いの手を差し伸べてあげられるのは、医師と看護師くらいしかいないのに、その医師がこれであったために、俺は3年以上をこの病院で過ごした。
精神病者を生かす、殺すも精神科医次第である。
患者の問題が、掘り当てられない精神科医は、(まぁ、それは普通の人には簡単じゃないと思うが)、患者の人生を葬ることもできるのだ。(!) 何も、咎められることもなく。
(傷ついた子供を抱えた患者もいる。それが悪魔のようになってしまって、手に負えず、やむなく“放置的”関わりを採ることもあるだろう。
手を縛ったり、隔離したり…。
本当に必要なのは、子供なのだから、たっぷりの愛情、それだけだったりするのだが、なかなか、一般人に、そのような愛を施せる人間はいない。)
•(重要)『世間一般人に関する、記憶回復!』
「世間では、変な奴は居るもんだから、そういうのは避けなさい。」
それが、世間一般人の処世訓だろう。自分が、できる限りそういう人間達に巡り合わないように注意して、(自分を守って)、かといってそういう人間達を排除はしない、、、 だから、もっとずっと自分自身が、いい暮らし向きができるように、仕事で、自分の人間関係で、頑張って、そういう人間どもに触れなくて済む人生(例えば、「東京一級地のスーパーには、そういう人間はやって来ないから、そういう所に住むことを目指す」、とか、「高級車に乗り、夜は外出しない」とか)を築こうとする…。
俺は、24でそういう生存競争(幸福の追求)に乗っかるのはやめた。
むしろ、道ですれ違う悪者を前に、平気で正義を突き付ける、「悪を摘発する」、そんな能力まで磨き上げた。
俺の人生は、不遇により、そういう大衆的な趣向に参加をして、そこで成功するには余りに不利な逆境というものを突き付けられ、「なら、どうする…?」という『難問』を突き付けられた、そんな若者時代だった。
そこで選んだ孤高の人生に舵を切ることが、どれだけ勇気がいることだったか、あなたに想像できるだろうか?
GOOD.
•『人は、変われない。』
(それを変えられるとしたら、「俺」か?)
•(若い頃の僕の世界観)
『若い時、ヒットする曲の歌詞が突き詰めた「真理」、「悟り」、「気付き」等のレベルに、僕は満足しなかった。』
僕は、もっともっと高い真理、天国的世界、美、そういうものがあると思った。「年収一億とか稼ぐスーパースターは、そういう世界を表現するべきではないのか?」と思ったりした。人間界の霊的なレベルの低さに、気付いていた。
•(僕の、真理への到達能力)
これは、できる人も多いかもしれないが、好きな曲が聞きたいと思って、聞くとする。
「想像力」や、「感度」が未発達な人間は、曲を一通り聞かないと、心が満たせない。(心を満たす箇所に出会えない。)
僕は10秒、15秒聞けば、心が満たせる。求めていた物が手に入る。
感じ入って、曲の先や、自分が求めていた情感、世界を10秒で掘り当てられる。
2025.3.27
(記録) (発表するか迷った印象)
松阪イオンタウン工事現場
米山智典だかいう、一ヶ月くらい通った松阪の工事現場で、ダンブがこぼした石ころを、監督と一緒に拾いに行ったことがある。
今、あれは、作業者、しかも自分の班の者が…
わざと落としたものだという気がする。
わからないが、監督と俺が、言葉交わすチャンスを作るために、そんなことをしたんじゃないか。(人間の持つ、「人間不信」(≠俺)) そういう、労働者を探るための、「予定変更」や、「仕事作り」。。。そんな、人間の仕事、世間ではありふれてるんじゃないか。
•(素朴な思い)
人生に相応にチャンスを与えられ、自己実現し、『成功』した人は、人を愛しやすいというのはある。そういう人は、自分のポジティブさが、人々から賞賛されるから、「幸せ」であるのだ。
俺は、自分は神様の承認をもらっただとか、大地震を起こしたとか言っても、賞賛されないから、人間の人生としてはなんも達成していないかのようだ。
俺はかつて、極めて有望であったにも関わらず、人生を捨てて、ホームレスにならなければならなかった、不幸者でもある。これから、放浪者として、人々にバカにされたり、承認されなければ、また怒りを募らせる可能性は、十分ある。
3.28
(僕の、真理への到達能力-その2)
『「一言」から、結論が出てくる。』
(問題を聞いて、自分がかぎつけた何かに、ほんと一言、(もしくは2言3言)でそれを突き止めることができる。そのテーマに関して、僕なりにマスターした人生の真理へと、到達するのである。)
•(僕の性格)
『俺は人生で、清く正しい「心」·「行い」を、徹底したい人間で。
「一秒一秒」、「24時間」、「365日」、である!』
(*「一秒一秒」それをするというのは、僕も訓練が必要だった。)
3.29
(母へ)
(ドイツ語)≪Du kannst dankbar sein, dass ich mit 24 nicht gestorben bin.
Im Jahr 2016 konntet ihr von zwei meiner groessesten Lebensgeheimnissen erfahren, etwa «die Gottesanerkennung in Istanbul 2007», und «das Fukushimaerlebnis 3.11».
Und ab 2023 konntet ihr euch mit mir unterhalten, und von “mir” weiter kennenlernen.≫
(補足: 2011年末から4年間「ドイツ語圏」に没頭したことで、日本帰国から9年がたった今日でも、ほぼ支障なくドイツ語が出てくる、…そんな自分がいる。30を超えても、知力が伸びている自分がいる。)
•(辛かった、僕の親の真実。)
先日偶然見つけた、すごいYouTube動画(スピリチュアル系メッセージ、→自分の過去を、掘り起こしてくれた!)から、抜粋:
①『“十分なことをしていない”、“十分な時間を割いていない”、“十分な犠牲を払っていない”。そういう罪悪感を持たせた。』
②『彼らは、あなたがどうしているか、何が必要かなど、決して尋ねなかった。』(彼らにとっては、僕が元気なのは当たり前で、放っといても平気だと、彼らは思っていた。)
(30分ほどの動画だったが、その最も痛快であった2つだけ、紹介する。〘重要〙)
•(俺のこれからの、人間の見極めポイント)
『それは純粋な親切?
それとも、「貸し」作り?』
(*前に、妹の一人が採った行動からの推察。更には、日本には、『安いもの』を与えて、俺が下手に有り難くしてみせれば(それが本当に有り難かったとしても!)、『見下してくる』人間も確かいたよな!お金の崇拝者。≠妹。…世の中とは、厄介な場所だな!)
3.30
•去年精神が回復してきてから、体験した人のいくつかの関わりの中に、自分は気付かなかったが、“とんでもなく嫌な心“が潜んでいた可能性を思う。それがほんとかどうか、これから突き止める!!
(作業所で知り合った、LINEをやってた若者など。これとは別に、たしか…、こんな記憶もある:
※「日本人」は、僕を前にとかく嫉妬深くはなかったか。外人だし、強いし、かっこいいし、能力も高い…。だから、しょっぱなから、心的に距離を置くのだ。顔を作る、卑屈に出る、思ってもいないことを、俺を試すために、言う、等々。もちろん、心を開いてくれた人も、いたにはいた。でも…、生憎、(悲しいことだが)その日本人的な『素』(「心の開き方」、また「心」)は、俺には“馴染みが足らず”、そんな貴重な人の関わりも、僕はうまく生かせない人間だった気がする。子供の時に、日本人の心に、十分歩み寄れなかったのである。(苦)(『こども時代』参照。親の施した教育の責任。)
今は…、時代も進んで、日本人も変わったかもしれない。日本の認知度も上がり、“卑屈”になる人間はもういないかもしれない。
民族の違いによって起こる、『不通』。人類はこれを、どうやって乗り越えたらいいのだろうか。(…))
•(今日の僕の一日)
夜になって、初めて散歩に外出した時、ふと明るい自分(明るい気分)になることができた。これまでの自分を反省した。
そんな自分で歩いていると、コンビニにいた二人の若いきれいな女性たちが、僕に好意を示しているような気がした。(こういう自分にならなきゃいけないんだな。)、と思った…。
しかし、その後、スーパーに買い物に行った時、商品を眺める俺を急かすような若者(店員)が現れ、そいつがむっちゃ気の抜けた顔をしていた。嫌な感じがしたが、そいつが、俺が会計をしている時に、別の会計にいるアルバイトに近寄ってきて、卑しい笑顔で何かを会話。
そういう、卑しい笑いを浮かべる元気はあるのだ。
なんだか俺は、それが俺をからかういじわるのように思えた。客である俺に対して、実に感じが悪い。
僕の30歳までの日本でも、たしかそういう人間がいた。
コンビニで、(明るくなろう。)と思った矢先の、不意打ちだ。どうも、この世界では、「明るくすること」は、場所を選ばなければならないようだ。例えば、自分の好きな人といる時だけ、明るくする。それ以外は、要警戒。「接客業」ですら、あなたにちょっかいを出してくる!
(下らない世界だ。)と、思わないか?
•『能力高めたかったら、“自分”、“自分の感覚”に集中する時間をもて。』
『能力』は、“自分”に集中する時間が、人生でどれだけ取れるかで、決まってくる。俺は、仕事も、結婚も、子供もならなかったが、学生時代は大したことなかった知力が、ホームレス生活で自分を磨いたことで、べらぼうに伸びた。
僕ほどに自分の時間を取るということは、普通の人には無理だろうが(やりたいこと·やらなければならないことが多くて)、子供の時にどれだけそういう時間が持てるかで能力の高さは決まる。東大まで行けるか、それとも中卒で終わるか。(例えば僕の父は、僕と違って子供の時にそういう時間が持てた。だから、「一流大学」に行けた。)
若者は、町に遊びに行くとか、高いブーツを買うためにバイトを頑張るとか、友達と遊ぶとかに人生の時間を浪費してしまい、こういう『能力を高める』とか、真に価値あることに人生を費やす機会を逸する。結果として、未熟なまま40、50になり、それから自分を磨く気力は、残っていない人も多い。結果として、仕事力も、低い。ミスや、横着も多く、それでも、最低限のことをやればお金はもらえるから、そういう社会だから(「ミス」や「横着」の代償は、自然界や見知らぬ他人が負っている。)、食っていくということができる。
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