(こんばんわ。
YouTube動画に替えまして、思惑をこちらに発表致します。動画は、「早送り」も、「巻き戻し」もできません。それに対して活字は、読者が自分のペースで読んでいくということができます。詰まらない内容は、飛ばすことができます。なので、そうすることにしました。
今回の内容は、いつになく「充実」している気がします。面白いんじゃないか…。)
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3.13
• 『イスタンブールの歓喜』(2007.12「神様の承認」)
俺は、いかなるなぐさめも、勇気付けも、感謝も… 必要としない。
それが、イスタンブールの歓喜のすごさである。
音楽だって、要らない。(無銭の放浪で、音楽なんか聞けるわけないやろ。)
“俺の心は、永久的に、満たされているのだ。”
今は、破格の家賃、16,000円の大きくてきれいな1Kアパートに住んでいるが、この部屋に置いている≪いかなるもの≫も、俺に手放せないものはない。
(*大好きな辞書も、書籍も、変な話、ブログ上に載せた自伝や放浪記だって、なくなったって、平気だぜ…?)
それが、一度社会を、屋根を、人生を、捨てた者の強さというものだ。
人は、違う。モノや、体裁、世間体など捨てられないから、仕事を頑張る。(『身を削る』)
例えば、「体裁」を捨てる、みずぼらしい格好をするって、そうそうできんよな!!(俺は、24歳で克服♪もちろんプライドを捨てたんだけど、むしろ、別の意味のプライドがあったから、体裁など捨てられたのだ。)
• ≪重要≫かつ痛快。
『人間は適当。』/『なぜ俺が社会を捨てるか。』
人というのは、俺よりも、うんと『適当』なのだ。
分からないが、社会の、98%はそういう人間だと思う。頭のいい、僕の父親ですら、(僕から見れば)そうである。
『適当』だから、ボロが出て、それを誤魔化すこと、隠すこと、知らんぷりすることで、やり過ごしている。
そんなんでも、ボロが出た時のごまかし、「責任のがれ」が上手いから、仕事になり、その対価が発生し、家に住むことができる。
社会の98%の人間が、おそらくそうなのである。
そのボロがな、何になってるかというとな、、、人命を奪う事故だとか、何百万の修理代だとか、知らずの内に人を病にしたり、しているのだ。すべて、適当という名の人間の悪行によって、問題は生じているのである。
この世の素晴らしさに対して… 人間はそれを正しく理解しようと努めない怠慢によって、世界を体験させてくれる神様を「裏切っている」とも言える。
食べ物とか、素晴らしいものを体験して、幸せ感じていながらも、その奥義を謙虚な心で探ることは怠り、楽に、楽しいことだけ模索する。。。
俺はその『適当』が、昔からできん質で。それで、皮肉にも「建設業」とか「物流センター」とか、余計適当人間が多いところで働いてきたから、そういう人間の醜さが、どうしても鼻に付いてしまって、結果的に『人間は醜い。』という一般論を、24で出してしまったのだった。
話を戻すと、人は、「働かない奴はダメ人間だ。」とか言うかもしれないが、俺からすれば、適当に仕事をして、問題起こして、自分だけ幸せな人生送っている人間の方が、醜い。
そんな醜い人間と一緒にいたくはないと思ったから、かつて僕は、社会を捨てたのだ。
その、人間の『適当さ』…。
それは今日でも、体験すると、僕は胸糞悪くなる。また、もうそういうのが僕は一目で分かっちゃうから、なおさらである。
どうしたものか…。
僕は、一体何ができるのか。
率直には、やはり地震という神通力のことを思うが、気持ちの変化によっては、やはり病人を癒えるという奇跡も、できるかもしれない。まだ、やったことはないが、人に見えないものが見える目は、ちゃんとあるのだ。。。
終り。
結論:
『全ては、人間の手、その扱い方を間違えているからである。』
3.14
『他人は、鏡。』 〘重要〙
- 人は、他人を通して自分を発見する。他人を通して、(あ。自分は違う。)とか、(そうそう、俺もそう!)とか、自分がどんな人間であるかを知る。
(*8年間精神が眠りにつき、自分を、人間を忘れた僕が回復できたのは、「頭」が忘れても「体」が覚えていたからで、退院して、何十人、何百人と接する中で、大事な『自分』を取り戻していったのである。)
3.17
『俺はハイエナだった。』(子供時代)
例えば、「嫌いな人」からもらった食べ物なんて、食べたくなくても、、、 (子供の頃の僕の親の教育は、まるで子供の下僕化、ハイエナ化で) そういうものでも、感謝して食べられなければならない、というものだった。
そうやって俺は若い頃、見事庶民以下、ハイエナ的根性を持っていた。(「人が残したもの」を、勿体ないからと言って、喜んで食べる自分を、“尊く”も思って。)
そんな教育では、子供は世間と対等にやっていける人間にはならない。
〔重要〕
•俺が真剣なだけで、人は咳をする。(ムカッ)(気付かないとでも思ってんのか?!!)
俺が『真剣』なのは、お前らと違って、自分だけ良ければいいって考えて生きてるんじゃなくて、世の中の問題と戦ってるからなんだよな。
俺はなんで悩んでんだろな?世の中が、人間が、醜いから、悩んでんじゃないのかな?
(cf. (3/15) 俺は何も悪いことしてないのに、人は俺の顔に泥を付けてくる。)
+3.26 夜散歩中、俺が真後ろにいる時に排気ガス吹っかけてきたハーレー·ダビットソンの若者。(手をとんとんして、「うるさい。」と言ってやったんだが、口をすぼめて、道に出ていったが、それは実は素振りだけで、心は俺が思っている以上に醜い可能性。(!))
(追記:(3.27) 普通の人は、他人の咳なんか、意識していない。自分のことで、精一杯なのだ。また、俺はやっぱり威圧感あって、威勢もいいから、余計咳をされる。威勢がいいのは、相応に高貴に生きてきた自負が、あるから。また、僕が他人の咳を意識するようになったのは、傷害欲求、拒絶、軽蔑などの人間心理を、摘発して、「抹消」したかったから。)
3.18
(つくづく思う:)
『「自分がこうしたい。」ではなく、「こうしなければならない。」で動かさせた我が親。』
(僕の人生が花開けなかった、最大の原因。最近、生活していて、時々そのかつてのモードを思い出す。)〔重要〕(以前にも似たような気付きあり。)
3.20
• (記録)『いかにして俺は、排除されたか。』
(伍神工業、丸盛有限会社)(Youtubeでは語っていない。)
是友さんと最後の日、「是友さんのおかしなところ、YouTubeで全部、ぶちまけてやろうかな。」と言って別れた20分後、会社に戻るや、諸星さんから「質問攻め」にされ、、、
→おかしいのは是友なのに、仕事を失ったのは、俺。
諸星は、「話を聞いただけではどちらが悪いか分からないけれど」とは言いつつも、『明日はやめとこか?』と切り出し、俺は易易認めてしまった。
(記録として重要。)
•(プライベート記録)
『母の、優しすぎる優しさ。』(発掘)
否。それは悪いことではない。でも、社会では通用しないようなレベルの優しさを持っても、受け入れてもらえないのが関の山で、それでは、裏切られる時に憎しみも抱きやすい…。だから、今のこの世の中では、それは、持たないほうがよい。
思い出したが、母には、(『子供時代』にも書いたが)『物事は(ゆとりも持たずに)とにかく頑張って、最善を尽くすのが大事なのだ』という教育があった。
それは、母の立場、境遇ではよいことであったかもしれないが、僕には似合わなかった。(それで僕は、社会で余計に摩擦を起こしたのでもある。)
その、母の優しすぎる優しさを、僕はある時から拒否していたかもしれない。「通用しない。」と。「私のこの優しさを理解して。」と、わがままを言ってるようにも思えたから。。。
〘貴重〙
3.21
•(重要)(僕の食習慣、体調) どうも、僕の食生活はまだ放浪時の、一日一食爆食、になっている。しかも、甘いものじゃないと、満足しないようにも。(多分に、第二ヨ無銭放浪初期の小遣いがあった時の食習慣)
また、胃の不調も、2018年の手術が原因かと思われる町の不調も、ある。
(最近、有り難いことに若い頃の自分の健康感覚(自分の元気の感覚)を思い出すことができたので、まだそれになれない自分に気付く。)
•『人生の真のゲーム性』
「トランプ大統領は、世界とゲームやってるから、楽しいだろうな…。」とか、企業のトップとかは、そういうゲームができるから楽しいだろうなとかいう奴がいるようだが、そういう奴は、権力の亡者であって、絶対、権力なんて手に入れるべきではない奴らである。
違う。
「今ここ」、「今日、ここであなたはどんな行動を起こすか。」そこに、すべてのゲーム性は潜んでいるのだ。
「なんとなく仕事」、「なんとなく生活」、「なんとなく人間関係」を卒業しろ。
それ(なんとなく…)が、変えられないのは、金や、面目や華やかさがないと、詰まらないと思ってしまう、贅沢人間なのだ。
人生で、初めからステージ性だとか、名声だとか、お金だとか、求めるのが卑しいのが分からないか。何も、やっちゃいないくせに。。。
いきなりそんなステージなんて求めないで、お前の目の前、今日、ここ、この時間に、(つまらん(お前のいう))生活をどうしたらよくできるか、考えろ。
人間、真にクリエイティブ(創造的)になったら、改善点など無限に出てくるぞ。
それを、一つひとつ、一番やりたいことから改善していくから、人生は発展し、そこに、複数のこと手を就ければ、ゲーム性が生まれ、別に大統領にならなくたって人生が楽しくなってくるのだ。
その、自分自身の人生に潜在する、最高のゲーム性を、掘り当てろ!####
3.22
俺は、24の時、一般的な人生を諦めたのだ。そこから、僕の人生の軌道というものは、他の人とは大きくズレて行った。
諦めた人間と、そうでない人間の生き方は、当然違うだろう。諦めていない人間は、嫌でもその生き方を続けるしかなす術はない。
3.23
僕は7人家族だったが、まだ小学生であった一番下の妹Sを除いては、皆、心に毒を持っていた。
俺が彼らの不当さを批判すれば、けなしたり、逃げたり、無視したり、ごまかしたり…場合によっては(兄などは)暴力に出ないとも分からない調子で僕を傷つけようとするのだった。
そこが、俺とは違う。(!)
俺は、人間として傷害欲求というものがなかった。(!)(物理的なものも、精神的なものも。)
だから、喧嘩になった時、いつも『引いた』のだ。相手が不当でも、こてんぱんにするのではなく。
3.24
•旅和(甥っ子、小学2年発達障害児)の執着。→俺とそっくり。
(発掘)昔俺は、「自分のやり方」というものに猛烈にこだわる性分があった。
例えば、もう出掛ける時なのに、そんな時にあるものが目に留まって、これだけどうにかしたい、どうしようか、「ああしようか」、「こうしようか」、、、などと、それを考えることがやめられなかった。(大人になってもあり、ちょっと病的だった。)
→父親を初めとして、待ってもらえなかった、ありのままの自分を十分に受入れてもらえなかった、そのためだと思う。待ってくれてたんなら、お父さん、お母さんに悪いな、という感情が芽生えて、そんなことはやめたはずなのだ。。。
P.S. そうやって、恐らく、ピンチの時に自分の能力を引き出す、そんな練習を積みたかったんじゃないか?
(3.26夜現在、少し考え直してみている。自分の執着は病的ではなかったか…と。それとも…、上手に活かしたらそれは、『天才』につながる素養か…?)
•正直を毛嫌いする衆生
•「謙遜」という名の『対人恐怖』を感じさせないと、人は受け入れない。
(どちらも、ポスティングの仕事をすげなく落とされて感じたこと(特に2つ目が痛切。))
•注。この日、社会生活を放棄することを決意する。
3.25
•(気付き) ポスティングやったところで、家庭教師やったところで、俺の本領は発揮されない。###(社会生活はできるかもしれんが。)
3.26
•「こんな人間だと、「就職」したら、就職した会社が迷惑だよな!」(苦笑) (補足説明:会社が、俺に合わせなければ、ならなくなるから。)
3.27
• (思惑)人生、誰しも平等にチャンスを与えられているならよい。人生を葬られた者として、制裁する。
•『昨年9月に作業所であった、リネン室調査(数カ月に及ぶ)の切っ掛けとなった老人ホーム側からの「クレーム」とは、絶対に『でっちあげ』であった。』
(俺の邁進を阻止しようと、俺に濡れ衣を着せようとした、チーフ支援員O。) GOOD.
•朋弘へ(去年の出会い、服部朋弘さん)
(今では、朋弘のことを朋弘と気安く呼ぶことに、抵抗を感じる。昨年俺は、ヨーロッパ人感覚で呼び捨てにしていた。そういえば、日本人の呼び捨て感覚と、ヨーロッパ人の呼び捨て感覚は心が違ったね。。。)
朋弘さんは、言葉が足りなかった。僕がヨーロッパ上がりで、日本人を忘れているのなら、“ヨーロッパ人的な関わりで”関わってくれないと、分からないよ。(朋弘さんは、例えば、G-Freak Factoryの「ダディー•ダーリン」を紹介してくれた時、本当は相当色んな意味(共有したいもの)を込めて、それを紹介してたんじゃないか。)
日本人は、察する民族だから、朋弘さんは、俺が察しに出てくれると思ってたと思う。それは、いかに朋弘さんが、日本人であるかも、示してると思う。
結局「ダディー·ダーリン」からは、僕らの間でほとんど何も話が挙がらなかった。
(*補足。このことで、かつての俺の、失望的世界観、「西洋と東洋は水と油。」を思い出した。俺はかつて、自分の中で、この二つの世界を抱えながら、日本人とはこっち。兄や母、外国人とはこっち。って、『使い分ける』という大変なことをやっていた。
でも、双方の世界は、細かく見ていくと、2つに分けて考えた方がいい、というのが、僕の実直な感想であった。(同じ。)と思って接すると、気付かないところで飛んだ誤解を招くことを発見していた。)
3.28
やることは、山ほどある。
去年2月の作業所開始からずっと、手当たり次第がむしゃらにやってきたが、「全体」を見る時だ。特に、人間を捉え直さないといけない。
3.29
『兄へ送ったメール』
(兄について、小川家について、ツボを突いているので、公表します。)
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否定することはしない?
なにを偉そうに!(この着眼が、分かるか?)
お前の承認なんか求めてねえんだよ。
…ちょっと、こんなメッセージするつもりなかったんだけど、開いたら黙ってられなくなったので、書きます。
にきの調和とは、俺からすれば「ごまかし」によるものさ。
にきが人のこと分からないのは、前から言ってるけども、変わりすぎた小川家で育っていながら、大人になるまで日本の俗世間にまともに触れることができなかったからだよ。
だから、その世界のギャップを乗り越えることができず(俺は20代、にきの事を思って(!)必死ににきを諭そうとしてたけどね。)、とにかくオプティミズムで行くことで、事を得てきた。
でもそこには、人と根本的にロジックの違いがある。(少なくとも、昔はそうだった。)にきは、不幸にも、お父さんとお母さんだけによって作られた、都合の良い「異色」人間だった。
僕も、実にそうだった。…18歳までね。
でも、悪いけど、子供ながらの直感からして、(うちの家族は変だ。)という気持ちがあったから、6年生の一年間の『日本体験』も手伝って、19で、恋愛を通して自己改革(世間への人間的な同化)を成功させることができた。
悪いけど、お父さんお母さんには、小川の上の兄妹(由里恵がぎりぎり含まれるか、含まれないか)が、帰国後「日本社会」にスムーズに入っていけるかどうかという配慮は、無かったよ。
あんなお父さんでは、あるはずもない。
でも、じっさいのおれたちというのは、余りにも違う人間だった。小川家だけに通用する人間だった。僕は、『危機感』を抱いた…。
僕は、下の妹たちが、僕らのようにならなくていいように、自分が見つけたばかりの世間の感覚や価値観を、家庭内に持ち込んだ。日本にずっといられたこと、塾生が来たこと、で、妹たちは僕らなんかより遥かに世間的な(日本人的な)人間になることができた。
でも、にきは違う。
にきは、お父さんお母さんに、「俺は大丈夫だよ。」って示したかった。多分、お父さんお母さんを安心させたかったのだろう。それで、「オプティミズム」という人生の一攻略法を、大々的に採用した。でも、それでロジックの違いまでカバーできる訳はなく。
だから、俺から見ると、(今日のにきはよくは知らないが、)にきは、お父さんお母さん2人だけの都合で作られた小川人間の人格、という、いわば『障害』(日本の世間一般ではそんな人間はいないから。)を抱えているから、人のことが分からない。にきは、小川家で育ったことで、そういう人間に、「成って」しまったのだ…。
俺は、かつて…、“兄を思って”、このことで、どんだけ危機感を抱いてたと思う?でも、皮肉にも、そんな僕の『兄思い』は、ことごとくはねつけられていたね。
これを読んで、今のにきはどこまでまともに読もうとするかは分からない。
でも、これが僕の見る兄貴、の真実です。その、本当に思っていることを、「丁寧で、長いきれいな文章にして伝える」ということが、僕の愛の形です。無視する、しないは、あくまで相手に委ねて。
無銭放浪に戻るので、洗濯機と冷蔵庫を取りに来てもらいたいと思ったが、上のメッセージを読んで、その気がなくなったので、「粗大ごみ」に棄てます。
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