2024年12月24日火曜日

今週の思惑(2024.12.16~2024.12.21))

  こんにちは。(^_^)

 今週は、先週とはまた「一変」しました。「知多」の現場が終わったこと、そして、9月にあった運命的出会いで、「服部朋弘さん」(インスタグラムで繋がっています。)という方と初めて一緒に仕事をしたのが大きいです。

 服部さんは、僕と同じように霊感が働く人で、僕と一緒の『ともひろ』という名前であるだけでなく、僕の家族と以前から知り合いだったという点に、運命的なものを感じています。

 まだ、お互いをよく知らない気がしますが、去る9月、10月は、お互いの霊感を通じて「意気投合」する、濃厚な時間を過ごしました。でも、僕はまだまだこれからだと、今週、思いました。

  

 その朋弘さんと、月曜の夜に『介護』の仕事に入りました。そこで僕は、改めて朋弘さんから「『不食』を実現して(確かめて)欲しい。」という期待を持ち掛けられました。

 そこに、こんなことが付随しました: 

 少し遡って、12月11日、僕は、左下奥歯が痛くなりました。おそらく、建設業の仕事を始めてから、「消耗する体力を食べ物で補う」という、僕がもう久しくやっていない食生活が復活していたところに、「甘いものを多く摂る」という『偏食』が、重なり、歯には負担になったのだと思っています。

 そう、2回目のヨーロッパ無銭放浪(2011~2016)では、まともな食生活など送れなかったので、不食志向もあり、バランスの取れた食事の大切さなど、全く忘れ去っていました。(余談ですが、「バランスのよい食事」が大切になるのは、おそらく、食欲を発揮して、腹一杯食べる時です。「少食」では、きっと、偏食はあまり問題にならない…。(違う?)) 

 

 ともかく、歯痛は発生し、その次の日は朝、昼と甘い飲み物2本だけで過ごし、歯痛は引いたが、夜には元の食べ方に戻ってしまい、歯に負担を掛けて、15日頃には歯が痛くて、「減食」せざるを得なくなりました。食べれなくなりました。

 それで、今週火曜日、介護の仕事中、少食にしても歯が戻らないと、昔の不食意欲(「不食がしたい。」)が復活しました。それで、グループホームでは夜中に原因不明の「騒音」にも悩まされ(睡眠の障害)、オーナーには断食は赦されない為、騒音を理由に早くグループホームを出てしまい、『不食』をはじめることにしました。

 そんな矢先です。

 グループホームは、退去する1ヶ月前にその意思を伝えなければなりませんが、一応それをオーナーに伝えると、喧嘩になりました。

 前から上から目線で、卑怯。(一度は、上述の騒音に関して、オーナーに相談すると、ちゃんと確かめもしないで、それを主治医に報告し、統合失調症とされている僕に『幻聴』が疑われるという、危うい事態になりました。(僕は必死に主治医を前に抗議しましたが。。。))

 この日も、僕は聞かれたことを答えようとしているだけなのに、「ちがうよ!」と、意味の分からない切り出し方をして、「自分の話」に持っていこうとしたり、丸一日の肉体労働、50分の自転車帰宅で、いつも疲れているところで、退去に関するややこしい説明をおっ始めたり。

 「ごめんなさい。疲れているんで、後ででもいいですか。」

 そう僕が聞くと、はいと答えたが、結局説明はやめず、終いには『住居的欠陥』や、入居時の『オーナー自身の周知未遂』による部屋のカビ問題を、「自費で業者に掃除してもらってから出て下さい。」という全く卑怯としか言いようのない要求を、出してきたのです。(!)


 その日、僕は非常に少食にしていましたが、夜中には、グループホームの門限ルールを破ってやりたくなって、いつもは欲しないうまいものをたっぷり買いに、コンビニに行きました。そして、次の朝には、もう、『不食』を開始することに決めました。

 「もはや、オーナーが「許す」「許さない」なんて、関係ないっ!」

 

 そうして、僕は、20日金曜日、「完全断食」を開始したのです!期間は、とりあえず「30日」と決めましたが、30日経って平気ならば、不食を実証するため、「1年」でも「2年」でも続けることも、考えます。ちなみに、ギネスブックの断じき最長記録は「382日」だったと思います。

 実に、この日(20日)は、僕は夕方の2~3時間で、一気に引っ越しするアパートを決めてきます。

 オーナーとの不穏な関係、不食、仕事、アパート契約の手続き、それらが一気に同時進行したのです!(@_@;)

 

 今週は、建設業は2日だけでした。引き続き、違う現場に行かされました。土曜日は、一緒に仕事したEさんから、日本人のする他者配慮(僕がヨーロッパに行ったことで忘れてしまったそれ)に関して新たな「発掘」がありました。「西洋人と日本人は、水と油。」残念ながら、そう思った20代を思い出し、自分も、今一度在り方を変えなければならないかもしれない、それは、「日本人流」をより正確に思い出すことで、日本人の中の「邪気」(自分から見てよくないと思うもの)を探り当てるチャンスになるかもしれないとさえ思いました。

 

                    ≪以上≫

 

 以下に、今週思ったことを発表します:

 

2024.12.17より

 (若い頃。記録)

 俺は、大人の意見に歯向かう奴で。たとえば職場で、仕事を教えてくれる上司の、人間性を疑って、反発したり…。

 (服部朋弘さんに指導されて、その感覚を思い出した。)

 

2024.12.18より

 『「食べものは要らない。」と思えば、本当に、「要らなくなる。」』 (真理)

 ちがう?

 -僕の信念。≠社会の通念。

 僕らは「食べなければ死ぬ」と刷り込まれ、現に「飢え」という苦しみを体験する。だから、「要らない。」なんて、とても、思えないのだ。

 しかし、それが、まさにそれが、若き僕が抱いた『我が人生の夢』だったのだ。

 P.S. 「要らない。」って、当然ながら、「要る。」とは別次元なのな。そう思うのって、簡単ではないかもしれない。

 

2024.12.19より

 『死にもの狂いで努力するのに、馴れている。』(僕)

 そんな、ある意味で無茶苦茶な奴なのな、僕という人間は。(「人間機関車」?それとも『サイボーグ』??(笑))

 若い時、持ち前のエネルギーを、そんな生き方に傾注し、絶望し、神様の承認(イスタンブール、2007年)をもらったから、どうせ生きるんなら、『そんな生き方を続けてやろうじゃないか!』って思うところがある気がする。。。

 こんな人間、いないよな!(苦笑)

 

2024.12.20(不食開始日)より

今日感じたこと:

 •「手持ちぶさた」(コーヒーも、甘いものも、食事もない。)

 •上のことより、歌を歌っている。(後日は、体力が落ちたため、歌わなかった。12/25) 

 •「エーテル温」に”乗っかる。”エーテル温の中で駆る。受け入れて、染まる。空腹を意識するのではなく。

 (2008年10月の教訓。)

 •身体の動きが、繊細(“精妙”)になる!?(腕などで感じた)

 •pm 2:00 排便。(いつもより時間がかかった。)連日少食で、便が最後に溜まっていたんじゃないか…。

 •pm 6:00過ぎ~7:20 「バタンQ」 「寝落ち」した。 (不動産屋で2,3時間でアパートを決めてきた)

 •(記録) この日運動1h40min(けった)。(不動産屋へ行くため、仕事は休み。)

 •近くの町のとある不動産屋さんをまず訪ねたのだが、そこで引っ越ししたい地域の不動産屋に行かなければならないことを知らされ、その地域に行くと、偶然にも同じ不動産会社の別支店に辿り着き、そこで紹介された物件が、むっちゃ良かった。調査不足で、変な欠陥住宅でなければいいんだが、とりあえず、提示された条件や価格、アパートは、ものすごく理想的だった。アパートの月々の支払いは、なんと「21,500円」である!!

 

2024.12.21より

 •(僕の人生哲学)

 『自分(私欲)で選ばない。』

 自然な成り行きに、我が人生を100%任せる。自然に与えられたチャンスに有り難く飛びつく。。。

 与えられるべくして与えられるものと、そうでないものがある。そうでないものには、酔わない。なるべく手もつけない。

 

 •≪僕は心に沿って生きている。≫

 多分、そういう人は他にほとんどいない。そう思う。

 

 •「物事の考え方が、僕は『真っすぐ』だから、ゆがんだ考え方、はすぐ察知する。」

 ゆがんだ(不純な)物事の考え方、不純な心が繰り出す言葉は、私欲欲求、要求、操作、支配、意地悪、ひがみ、反発などを含んでいるから、すぐわかる。

 

 •人からなにか1つ意見を聞けば、僕の中にはその意見に付随する一通りすべての背景が思い浮かぶ。(だから、真理の追求が叶っている。)

 

 •(ふつうの人が、けっこうやらかすこと)

 世界の現象の真理を見つけようとするのではなく、“とってくっつけた理由”で相手を説得しようとする!!

 (それは全然、正しくないのにもかかわらず!)

 『挙げ足を取る』

 (12.21 デイケアの知人森本さんとの電話

    「作業所」でのO支援員)

 

 •(記録)

 左目内側の視界に変なものが見えるように。(僕の目の欠陥(不健康)の一と思われる。多分不食で改善する。)

 →1日2日後、「解消」。

 

 

  

           ≪以上、今週思ったこと≫

 

 

以下に、20日の不食開始前の食事を公開します:

(全記録ではありませんが、傾向を掴んで頂けると思います。) 


12/17(火)

歯が痛いし、「不食モード」も復活したので、午後3時までコーヒー3杯のみ。(介護仕事上がり)

夕方だか、「不食開始」(「津市街に住む」)を決断。 

12/18(水)

朝、デイケアの加藤さんにあんぱん·グングングルト·ウェハースなどをもらう。(午後には大量の飴も。(これは断った)それで、デイケアの昼飯もあり、やはり歯が痛くなる。)

12/19(木)

セブンイレブンの4つ入りあんぱんのうち2つと、酒まんじゅう1コ。それ以外はブラックコーヒー(中)1、微糖コーヒー(小)1、レッドブル1。

12/20(金)

(この日、不食を開始!)

しかし、午前0時頃は、門限破ってコンビニで「シュークリーム」「あんぱん」「どん兵衛2種類」を買い、夜食。

 

以上。

 

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2024年12月15日日曜日

今週の思惑(2024.12.10~2024.12.14))

 こんにちは。

 今週も、僕の人生はいつになく「濃厚」でした。

 今は、生きることが心底楽しい。若い時まだ未熟で、躓いたり壁にぶつかってたりしたのが、今、「スムーズ」にできる自分がいる。能力が、『開花』している!!

 

 今週も、先週に引きつづき、同じ「草刈り」の会社(現場「知多半島」)に通った。

 だが、今週は月曜は休みで(事務所に、「月曜は休みで。」と言われた。)、草刈りは「火」·「水」·「木」の3日間だった。

 僕の生活は、今年の9月頃から「波乱万丈」という言葉を使いたいくらい、めまぐるしい。日常の出来事を、満足いくまで発表しようと思えば、「週休2日」は足りないかもしれない…!

 まあ、できる限りすべてを書こう。

 

  

 先週から、「草刈り」の仕事に通うことになったことで、僕はいくつもの収穫を得ることができた。

 例えば、こんなことである:

 1. 仲間と“気を許す”ようになった。

 2. 「もう、『一人』で頑張らない。」(^_^)

 

 これは実に、今年の9月だったか、自覚した『楽しく仕事をする』という仕事のテーマ(取り組んできた課題)が、達成されたとも言える現象だった。

 

 「めまぐるしい」と言うだけ、他のことも色々と同時進行だったのだが、この達成は大きな収穫であった。

 今後はもう、それができてしまうのだ。

 同じ仲間でなくても。誰とでも。(!)

 

 だが、今週のメインテーマは、先週の投稿で最後に紹介した仕事仲間、「ブロンド長髪青年S」であった。「火」·「水」、一緒に仕事した。

 このSが、まったく仕事ができないのだが、チャンスは与えてやるが、もはや僕は、そんな奴に「仲間になる」という厚意を示すことで、つけ入られることは許さない。

 『優しい心』は、優れた美徳だが、下手な人間はそれで、他者と不当(不健康)な関係を築いてしまうのだ。下手に優しい人間は、一度関係を受け入れてしまえば、「制限なく奉仕をする」なんてことになりえる。

 

 

 -「《どうしても》この会社に入りたくて来ました。」

 (それなら、こちらは(相当頑張るつもりでいるのだろう。。。)と思うよな。)

 -「“その会社に行ってもいいが、うちと縁は切るな。”と、前の会社に言われている。」

 (つまり、それだけいい人間だということ。)

 Sは僕に、一緒になった初日にそんなことを言った。

 しかし、その後、その言葉はまるで態度に出てこない。 

 

 その他に、事務員に報告したのだが、

 1.ずるい考えをしているように見えること (彼の言う冗談や意見などから、感じ取れる。)

 2.(僕の)親切をバカにしようとしているように見えること  

 3.彼は、『悲惨な目』に遭わなければ改心できないのではないかと僕が思ったこと

 などがある。

 

  

 今、「2回目」だったということに気付いたが、11日水曜日、僕は短時間で3つ腹の立つことがあったので、先週に引き続きまた、『キレた』。(苦笑)

 「Mさん(マネジャー)に、小川がもう我慢ならんと言っている、と電話で伝えて!!」

 (僕の、「圧倒」ではないキレ方。)

 その電話でもって、「Sは、もう僕と2人では仕事しない」ということに決まったが、それは、親方に伝わっていなかった。(僕から親方に、Mさんがそういう指示を出したと伝えなければならなかった?)

 結果として、その午後、僕は親方の指示でまたSと組まされた。(苦笑)

 キレた後、僕は、自分には見えているが、仲間をあんま巻き込みたくないので、Sに関する真実を吐くことをもうやめる!と仲間に伝えた。

 『もう、言わない…!』

 

  

 そんなことがあって、僕は、午後はSと仕事しても、もう何も言わなかった。Sは、高速道路脇の天盤を、40cmさらうだけで、隅の草や残りの2m50cmの斜面を僕がすべてさらって、仕事を仕上げた。

 その夜、会社に帰ると、僕は主任に、「もうSの相手はできない」という実感を告げた。

 主任は、理解を示してくれ、それから2日間僕は彼と一緒に仕事していない。

 僕は、「水」。「水」は、いかようにも形を変えられるから、その気にさえなれば、僕はSの相手もまたできるのだが、まあ、僕はもう十分関わっただろう。何も、「関わること」でお金をもらっているわけでもないのだ。

 

 

 12日木曜日は、知多半島最後の現場であったが、この日も内容は濃かった。

 この日は、もうSがいなかった分、仕事がはかどった。(仕事ではやな気分もあまりなかった。)新しい仕事仲間藤原君(19)とも知り合えた。

 しかし、別の嫌なことを体験した。

 先週から、「知多半島」の現場が続くようになってから、僕は、常滑に住む、なかなか会えない妹のところにお泊りして、仕事に通うという生活(「一週間」とか)をイメージするようになった。それで、これまで2泊、妹のところに泊まりに行った。

 しかし、草刈りの会社に聞くと、知多の現場は続くとか続かないとか、はっきりしたことが聞けなかった。初めは『ずっとある。』と聞き、次に『2日ある。』、その後に『しばらくある。』と、予定が二転三転するのだ。(!)

 それだから、思ったように妹のところに行けなかったのだが、この日(12日)僕はまた大いに妹のところに泊まるのを楽しみにしていた。「現場はしばらくある。」と事前に聞いていたので、3回目、妹を訪ねることができると思ったのである。

 

 それで、昼頃、これまでやったように親方に、「明日もこの現場ありますか。」「あって、会社の許可が下りれば、また妹のところに泊まりたいのですが。。。」とお願いすると、

 「社長(近くの別の現場にいる)に聞いてみるね。」

 と優しく応えてくれた。

 そうして3時の休憩で、チャンスを掴んで親方に、社長に聞いてくれたか聞いてみた。すると、その場で親方は社長に電話して聞いてくれたのだが…。

 親方は丁寧に、「G工業の小川くんが…」と、社長の現場に入ることもかんがみて聞いてくれたが、次の瞬間、「明日はG工業はない。」という冷たい返事が返ってきた。

 そして、そこに。

 『今日、この現場終わらすから、残り“頑張ってね”。』

 と、注文がついた。

 

 僕は、失望した。30分か1時間くらい、そのことで失望した。理由はこうである:

 親方は、僕が妹のところに泊まるのを楽しみにしていることは、「知っている」。その期待を、平気で裏切って、寄り添いもしてくれなかったのが、一つ。

 そこに、『頑張ってね。』と、普段から人一倍頑張っている自分に拍車を掛けてきたこと。

 それを聞いた時、思わず、

 (この会社は、これまでの俺の懸命な仕事を評価しないで、利用したかっただけか…?)

 という思惑が、脳裏をよぎった。

 

  

 その夜、事務所に帰社すると、あろうことか、「知多の現場は明日もある。」と聞かされた。

 僕は、2週間続いた現場がなくなったので、体が疲れていたこともあって次の日は休むことにしたのだが、(なんだよそれ…!)と、だいぶん呆れた。

 でも、もう『おかしすぎる』ので、「明日ある」という報告は、実際は、気にも障らないほどだった。

 今度もしまた「知多」に行くことがあって、同じような冷遇を受ければ、その時ははっきり言ってやろう。そう思った。(それか、全然違う、新たな自分で臨む!!)

 

 現に、「明日はG工業はない。」と言われた日、「2つ」、やると言っていた仕事がなされていなかった。高速道路の天盤の残りのスパンと、その日伐採したやぶの、仕上げである。

 現場が続く続かないにしても、このことにしても、予定がコロコロコロコロ変わるのは、一体全体どうして?

 「頭悪い」んちゃうか…?

 

 

 真っすぐ生きていると、曲がったものに出食わす。自分も曲がっていれば、曲がったものに出食わしても、自分も同類項だから、気付かないのだが。

 そこが、例えば、僕が感じる世間と自分の違いである。(昔から!)

 

 どういうことか。

 それを、これから社会で揉まれる中で突き止めたい。俺は、本当に周りと違うか、否か。違うなら、どう違う?

 そこに、僕という人間の『本性』がある。

 それをこれから、発掘していく。

  

 

 「曲がったこと」に出食わしても、4、5回くらいまでは僕も、見て見ぬ振りをする。「許す」。

 しかし、あまりに連続する時、僕は黙ってはいない。

 「不正」は、この世では生かしてはおけないからだ。

  

 「正義の確立」のために、僕は生きている。昔っから。

 その自分は、今後も続くのではなかろうか。それとも…?

 楽しみである。

 

 

 余談だが、僕が親方に「明日はG工業はない。」と言われた日、帰り道で、2週間共に仕事をした若手社員「水流さん」が、『今日でこの会社辞める!』と言うという、ビックリ発言もあった。高速を移動中、ずっと彼の相談に乗った僕がいた。

 一体、この会社裏で何がすべて動いているのか、不可解な限りである…。

 

                    《以上》

 

 

⚫以下は、前投稿分と今週思ったことです:

 

(前投稿分)(12/6より)

≪最近たびたび意識する、人生を創造的にするコツ。(僕の習慣)≫

 大事なのは、やりたいという気持ちを『先鋭化』させることです。(やりたい気持ちがうずうず-ひしひしと感じられるまで-してくるまで(火が付くまで)、安易に手は着けず、待つことです。「軽いやりたい」ではやらない、それをすると、時間の価値を『ドブに捨てる』ことになります。あまたの時間がチープになる。

 「優先順位」をつけて、「テトリス」をやるように、やりたい気持ちがひしひしと感じられるようになるまで、別のことを詰めていくんです。

  

 『テトリス』は、あの20列くらいの枠の中で、お望みのピースが落ちてくるまで、辛抱強く待たなならんよね。その感じです。

 それを、例えて言うなら、50列の、より変な形のブロックで、やっていく感じです。イメージでは、「テトリス」で求められる優先順位より、更に多くを抱えながら、生活を回していく。そして、「今だ!」と思う瞬間に欲求を、行動に移す。そうすると、その欲求が“切”な分、そこから最大限の充足、達成、結果等が得られる。また、安易に手を出さないからこそ、色んなことを同時平行で進められて、人生は創造的になってゆく。

 (衝動が、欲求を最も満足させる。欲求の醍醐味を体験させる。) 

 

2024.12.8より

 食の体になくて、不食の体にあるもの:

 『爽快感。』

 僕は一度6日間ほど不食の体を体験したことがあるので、分かるが、腹十分目食べた次の朝などに、しばしば、これが阻害されているのに気づく。

 不食の体と比べると、「体が重い」、「だるい」、そういう感覚。

 どうも、血液の中を処理しきれていない栄養素(?)(不要なもの)が体をめぐっている感じ。 

 

2024.12.10頃より

1. 『あなたは、あなたが考えてきた何かになる。』

 (人生で考えてきたことの大きさで「あなたの器量」は決定される。例えば、僕が思考力の極みで獲得した『透視能力』や『Multispiritedness』が本物なら、それはちゃんと、生きてくる。)

 たとえば、金·セックス·遊び… この世界でこれしか興味のない人間は相応に単細胞にしかならない。卑しい人間で終わる。

 

2. 『正確な言葉を見つけること』

 自分の気持ちを表現する、ピンポイントの言葉。色んな単語がある中で、的確な単語を選ぶ重要性。(伝わる気持ちが繊細になり、3倍も4倍も強く、なんとなく思いついた曖昧な単語よりはっきりと、相手に伝わるようになる。だから、自分の感情を、表す、ふさわしい表現力(言語能力)を身につけることは、すごく大事。 )(ところが、そんな(必要最低限の!!)言語能力も育っていない人が社会には五万と居る。違うか?

 そういう人達は、自分のことが適当に表現できないから、それで仕事や人間関係、勉強などで躓く。

 人生で躓く。) 

 

3. 僕はもはや、飢えというものを覚えない。肉体的にも、(これはまだ実証していないが)、精神的にも(食べ物も、物も(食欲、物欲のこと))。

 (『神様の承認』2007.12 による絶対的充足。)

 *まあこれは、「妄想」と言われても仕方ないので、僕が不食実験に乗り出すまでお待ち下さい!

 

4. 「やらなければならないから、やる」か、「やりたいから、やる」か。ここで消耗するエネルギーはだいぶ差がある。

 もちろん、前者も時には来るだろう。

 だけど、理想は限りなく後者で動くことなのだ。

 

2024.12.11より

1. (草刈り会社の水流さんへ)

 『ストレス』から動くんではなく、『やりたい』から動く、に変えていかなければならない。

 (「白髪が出なくなる方法」?)

 →「仕事力」を向上させて、上司に文句を言われない仕事をしなければならない。且つ、「仕事を楽しむ自分」になる。「仕事の楽しさ」を見つける。

 そういう趣向の開発(養成。)

 (高度な趣向)

 

2. (記録: グループホームのオーナー)

 先週の土曜日、昼頃まで寝る。(前日疲れていたのに加えて、20時から「朋弘」と会う。)

 母屋に出ると、「朝ごはん食べた?」とオーナー。察しの悪さに、

 「寝てました。」とだけ返した。すると、

 「アカンよ。…(規則正しい生活がどうのこうの)…。」

 「は?仕事で疲れて、週末に寝坊することのどこが悪い??」

 「そんな疲れないように仕事しなきゃダメってことさ。」

 

 (偉そうにっ…!!!)

 それは、あんたの哲学でしょ。

 仕事をガンバッて何が悪い!!!

 この言い方が腹が立つ。

 「自分はお前よりよく知ってるぜ。」みたいな物言い。

 

2024.12.12より

 (記録)

 (その1)

 日本人の「フォーク·さらい」など道具の置き方。

 (ヨーロッパ人などは、それを適当に放っぽる。乱雑に。

 対して日本人は、ものをきれいにそろえる。「見た目」(整理)を大事にする。)

 (僕はまだ、日本人に比べると、ヨーロッパ人ほどではないんだが、雑だった。合わせなければ。)

 

 (その2)

 『ヘルメは、親方たちが脱いでから脱ぐ。』(G工業 Oさん) (自分は守れていない…(汗))

 

2024.12.13より

1. (同僚、藤原君(19)へ)

 若い時分から、人生の「全体感」を捉える努力をしたいものだ。

 特に若者とかは、「早とちり」するのな。(いい!)と思えば、その場所がどんなところかよくも見ないで、飛びついてしまうのな。

 これが、この「無思慮」が失敗の原因になる。

 

2. 「贅沢」をしている人間は、自分の要求レベルが高いから、身動きが取れない。

 (時給1000円でよい。)と思えず、時給の高い仕事に執着する。その仕事のため、つまり、豊かな生活のためには、自分を犠牲にできないのだ。

 つまり、より「自分自身が大事だ」と思う連中なのだ。

 

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2024年12月8日日曜日

今週「後半」の思惑(2024.12.5~2024.12.6)

  こんにちは。(^_^)

 (今回は、少し「文調」が変わってしまいましたが、大切なことを言えたと思うので、そのまま発表致します。)

  

 また、前の投稿に入れたかった内容から始めます。(^_^;)ゞ:

 『知恵を絞る能力の養い方』 -腱鞘炎と、指切りを克服したテクニック-


 12月2日(月)、この日は知多半島の内海というところまで行き、入社以来初めての「草刈り」の仕事で、これまた「違う体」を使わされた。

 県道脇の刈られた草を、「さらう」仕事を、丸一日やった。ハードだった。

 夜は常滑に住む妹の家に泊まり、次の日も「内海」の現場が入っていた。

 しかし、慣れない運動で、右手の甲が軽く「腱鞘炎」になった。

 「アラーム」。

 明日も同じ仕事をしたら、まず間違いなく手が、使えなくなる。仕事ができなくなる。

 そう、予感した。

 自分の体調によく耳を傾けられない人、子供の時に十分に運動能力を磨かなかった人は、こういう予感を感じにくい。(いや、十分運動はしたような人でも、「体の声」を聞きそびれる人は少なくない。)そういう人は、体とのコミュニケーションが下手だから、体の発する「警告」を聞きそびれるのだ。結果的に、「頑張る」とか「早る」気持ちが、ついつい『体の酷使』へとつながってしまう。(『いち「動物」としての未熟さ』-おそらく野生動物は皆、こういう感覚に長けている。)

 また、いかに「今」、この瞬間を生きるかということが、心や体の発する声に、敏感になる秘訣でもある。

 真にクリエイティブな人というのは、限りなく意識を、今、「目の前のこと」に傾注している。「活動的な人」、「できる人」になる秘訣はそれだ。今、目の前にあることを、どんどんどんどん、一杯当たって、こなしていく先に、人はそういう人になっていく。

 「今」を生きるようになると、今の「心の状態」、「体の状態」を感じ取る感性も磨かれて、それが、言ってみたら「予感力」を高めてくれる。

 僕にはそういう予感力がある。

 

 人生はますます活発になり、仕事ははかどり、人生は楽しくなり、充実する。そこでは人は、自分の能力を存分に発揮もするから、「生き生き」としてくる。

 それが、みんなの、本来あるべき姿(生き様)なのだ。

 『予感力』の話をしたら、ちょっと脱線してしまった。。。(汗)

 

 「腱鞘炎を起こした」

 初めてやる仕事で、体もまだできていないのだから、そう言って次の日役割を変えてもらうことは、世間では普通のことと人は言うかもしれない/認めるかもしれない。

 でも『僕は、安易にそうしなかった』。

 「常識的」に動けば、「常識的な人間」にしかならない。(凡人にしかならない。)

 僕は、問題や試練が生じた時、いつも『挑む』ようにしている。「自分にできることはないか」、「どう対処するのがベストか」挑む中で、考えるようにしている。

 すると、「必ず」といっていいほど、解決策が見つかり、その過程が新しい能力、教訓、発見等、成長につながるのだ。(それをしなければ、僕はいつまでも凡人だっただろう。)


 例えば、その日は、「ブロワー」という草を吹き飛ばすだけの仕事もあった。昨日それをやった仲間が、自分と代わってもよかった。でも、僕はそうしなかったのだ。

 

 (熊手を持つ手を、逆にしたらどうか。)

 「賭け」だが、それでやってみたかったので、「さらいを代わって下さい。」とは言わなかった。

 結果として、僕は仕事ができた。

 腱鞘炎を起こした手を労って、上手に使いながら、普通はできても今は無理そうな動きは“瞬時に察して“別のやり方で、対応して、腱鞘炎を悪化させることなく、1日を終えた。

 次の日は、「診察」で仕事は休みだった。

  

 「挑む」とは、闘志のことであり、人間は闘志を抱くからこそ、非凡な能力を発揮できるのだ。『火事場の馬鹿力』、である。

 

 腕を持ち換えた時に、利き手じゃないから、どんな動きになって、それにはどういう位置に立つべきかとか、どんな熊手の振り方ならできるのかとか(例えば、引っ張るのではなく、打つようにしてやるとやりやすい、とか、発見していく。)、試しながら、研究をして、なんとか仕事ができないか模索する。

 チームの仕事では無理だが、たとえば、それが1人の仕事なら、できる仕事を先にやってしまって、その間に手を休めて、治ってきたら、手を使う仕事でも「痛めにくく」なり、より安全に仕事ができる。完治するまで待てるなら、その時一気に利き手で片付けられる、そういう知恵もある。

 仕事の工期、順番、優先順位、従業員、天候、気分、向き不向き、など、視野を広げれば、結構いいやり方が見つかる。(!)

 (これまでにないような)「いいやり方」/「よりよいやり方」を発見するのは、楽しい。それによって時間やお金や、労力を割け、頭のいい自分に「喜び」さえ抱く。

 人のため、自分のため、社会のために役だった自分に、自尊心が芽生える。。。

 

 腱鞘炎を負った日は、こんなこともあった:

 この仕事のために買った厚手の軍手は、指に擦れて、痛くなったので、その日僕は、左手を素手でやっていた。

 よりにもよってそんな時に、鎌で、左手の小指を切った。鎌の扱いに慣れていなかったし、手袋を付けていないから気を付けなければならないという意識がなかった。

 切った時は、血が出なかったが、動かしているうちに、どんどん出てきた。

 (これは、まずい。)(汗)、そう思った。

 この業界では、人によっては、聞きにくくて、親方に「助けを求める」などできない人もおおいのではないか。

 迷惑する/面倒臭がられる等を恐れて。

 人間も“荒い”ことが多いから、(この現場はそうではなかったが)気を付けないときらわれ兼ねない。嫌われたら、「もうあいついらん。」などと事務所に言われてしまう。違う?

 だから、言えない人が多いと思う。

 

 でも、それは、「人間的」ではないのな。

 危険の伴う仕事なんだから、怪我やアクシデントは付きものなのだ。まして、未経験の派遣作業員を扱っているのだから、なおさら。

 上方にも、仕事の性格上、そして、そういう人材を扱っている以上、怪我にはちゃんと対応するという義務がある。

 その義務を、威圧感を使って、横着しようとするのな。

 

 僕は、たまたまその現場が荒くない人だったから助けを求めたんではなく、“最悪助けてもらえないことも覚悟して”(指を、動かさないようにして仕事して、血を止める)親方に助けを求めに行った。

 すると、親方は応じてくれ、絆創膏はなかったが、テープがあり、それでとりあえず開いた傷口をふさぐことができた。(養生テープだったので、あとでバイ菌が入ったが、肝心の止血はできた。)

 

 「腱鞘炎」だけでなく、指も切ってしまったのだが、その試練は、こうやって乗り越えた。

 

 「失敗」や、「怪我」や、過失などをやってしまった時は、怒られることを覚悟して、正直に告白することだ。

 それでも、場合によって上司は、あなたを「けなす」かもしれない。そのけなしが不当でも、許すようにしよう!許して、「毅然」としよう!自分の過失が本当に悪くて、けなされるなら、それは仕方ない、受け入れるしかない。受け入れて、今後の精神的な糧にしよう。でも、そのけなしが不当なら、そのネガティブエネルギーには侵されないように!!染まらないように!

  

 怒られることを覚悟(想定)しないで、行ってしまうと、自分に免疫がないから、怒られた時「ショック」を受けてしまう。

 だから、「うまくいく」も「いかない」も、どっちも想定して、そこに自分の「期待感」は差し挟まず、中立(どちらに転んでも平気でいられるように自律(自立)する)の自分で、向かっていこう。

 

              

                =以上、前投稿分=

 

 

 それでは、今週「後半」(2024.12.5~2024.12.6)の話をします。

 

 今週から、日本人的な『集団行動』、そして「楽しく」仕事する(日本人のハーモニー)ということができるようになりました。

 そして今週は、「4日間」だけど、同じ現場に通いました。

 そこで、一番「印象的」だったのは、28歳の新入作業員との出会いでした。

 ずんぐりした、ブロンド長髪、全身真っ黒の作業着を身にまとった「ヘビースモーカー」。悪そうな奴ではないが、ちょっとヤバい感じはします。

 悪いが、あまり仕事ができそうには見えません。たしか月·木·金一緒に仕事したが、案の定、動きがノロかった。 


 12月6日金曜日、僕は始めてその青年と手を組みました。2時間以上かかる移動時間には、僕は色んな知恵(青年の問題を克服するアドバイス、絶対正しいと思うもの)を説いてあげ、仕事が一緒になると、いっぱい声を掛けて、フォローしてあげた。

 しかし…。

 『頑張ること』が大事と何遍も言っているのに、それをまるで見せませんでした。

 明らかに、猫を被っていました。

 それで、僕はキレました。

 キレた僕を見て、仕事仲間がペアを代わってくれ、僕は解放されましたが、「キレて」しまったことで、心は波立って、集中力が途絶えました。体だけ、なんとなく仕事を続けました。

  

 帰りの車の中でも、僕は、自分に見えることをバンバン伝えていきました。青年のために。

 「自分が霊能者であること」、「人の顔を見るだけで、人に見えないものが見えること」、それもみんなの前で堂々と告白しました。他の仕事仲間2人は、そんな僕を見て、なんと思ったことでしょう…。

  

 職場というのは、「教育機関」ではないので、教育に割ける労力は限られています。

 『チャンス』は、いつまでも与えることはできません。

 青年は、「今やるか」、「やらないか」、それだけです。

 

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2024年12月6日金曜日

今週「前半」の思惑(2024.12.2~12.4))

(12月4日(水)記す)


  こんにちは。

 今日は2週間に一遍の診察&デイケアの日です。半分、「休日」です。昼休みは仲間達と「麻雀」を楽しんでいます。

 

 前投稿では、11/21~12/1の間の「体調の変化」に関しても発表したかったのですが、できなかったので今日はそれからお話させてもらいます。

 

 新しい、しかも体造りという課題がある仕事で、この期間は試練になっても不思議はありませんが、僕には以下の4点の体調の気付きがありました。

  

 1. 『前歯がいたい』

 去る11月3日、神戸で「Eita&Dai」さんのイベントのお手伝いに行ったとき、ペットボトルが必要になって、ペットボトルの形をそろえたかった僕は、12本甘いジュースを買いました。それを、全部自分で消費したのですが、そのことから、前歯が少し痛くなりました。(やっぱり甘いものは欲に任せて飲食するべきではない。)

 それが、一般就労開始時も続いていたのですが、そこで、夏頃「バテないためには「塩分」も必要だから、飲み物はただの水よりポカリなどの方がよい。」と誰かに忠告されていたので、実行に移しました。

 ところが、たぶんそのせいで歯痛は続いた。

 糖分を控えて歯を治さなければならない!

 

 2. 『生活スタイル(食生活)』

 仕事が肉体労働になってから、しっかりした食事を摂ろうと思いました。

 普段の野菜炒めに、お肉を入れるようになりました。

 そして、2週間弱、昼は「コンビニ弁当」(のり弁)を食べました。

 就業3日ぐらいは、すこぶる体調良かったのが、次第にだるくなりました。その原因は定かではないけれど、やはりコンビニ弁当の「添加物」ではないかと疑っています。12月2日から、簡単な弁当を作ることにしました。(野菜炒め·ごはん·たくあん(うめぼし)だけの。)

 

 3.『足のまめ』

 新しい安全靴が足に合わず、左足かかとにまめが。それでも気にしないで2日間くらい履き続けたら、まめが炎症を起こした。(ちなみに絆創膏などの手当もしなかった。)靴が足の形に順応して、危機を乗り越えられるかもと思ったから、放っといた。

 それで、左足はどうしても安全靴が履けない事態になってしまったのだが、幸い、それから何日かは安全靴がどうしても必要な現場ではなかった。

 救われた!!

 神様のお計らいだったかもしれない。

  

 4.『目の疲れ、飛蚊症』

 出勤時間片道『自転車』50分は、これだけでも「挑戦」だ。ただでさえ疲れる1日に、1日「1時間40分」の通勤時間。。。

 朝はよいが、問題は帰りに起きた。疲れた体で、無理して50分冷たい空気を切って走ると、「左目」が痛くなった。

 自転車は、何げに注意しながら走るから、目を良く使う。それが、「疲労」に加え「自転車50分」という挑戦が重なると、無理が生じる。

 週末の休息で、これは治癒した。

 

 更には、若い時から持っている『飛蚊症』のちょっとした悪化も体験。「疲れ」が溜まって、飛蚊症にも現れた。そう思っている。

 良き、「教訓」である。

 (人間の体は、そう簡単には、「壊れない」。しかし、不調とは、「警告」である。それは、「やり方」を変えなければなりませんよ、という、体からのサインである。

 無視してはいけない。

 ちゃんと、手を打たなければならない。「こじらせ」たくないんであれば。。。)

 

                =以上=

 

 

 ここから、今週の話をします。

 先週、金曜日に会社の「重要人物?」と『口論』になってしまってから、(あまり自分を出すのはやめよう。)(特に、「自分を知ってもらおう」という試みはやめよう)と思うようになった。毎日違う人と仕事させられたこともある。

 確かに、個人的な話なんて、しなくても仕事はできるのだ。誰も、「お前は誰だ?」なんて聞いてくる親方なんかいないのだ。

  

 それで、月曜日(12/2)は聞かれなければ話さないことにした。そして、あろうことか、午後になっても、仕事チーム全体に沈黙が続いたので、いいかげん、(おかしいでしょ…!あんたたち、普段からこんな「沈黙」して仕事してないでしょ。)って思って、結局僕は、1日の終りに自分から少し「自分の話」をした。心を、通わせようと思って。9年間、ヨーロッパと日本を無銭放浪したことを打ち明けた。(他にはほんと、だーれも自分話はしなかった。。。)

 

 そこで、こんなことを思わされた:

 そういえば、「日本人」は、若い頃も、この『ガイジン』、180cm超えで日本語も達者の自分に「話しかけて来る人が、そもそも少なかったな」、と。

 そこに、僕は『人間を鋭く見抜いてしまうような、怖さ』も漂う。日本人は、その雰囲気に、「びっくり」してしまうのな。

 

 火曜日(12/3)、一緒に仕事した若者が始終「沈黙」していると、僕は、そんな、かつての人間知識が思い当たった。

 そこで、僕は、更に考えを進めた。

 (僕は、もはや、むっちゃ肉体作業をする助手などにとどまっていてはいけないんじゃないか?)と。

 火曜日の夕方、仕事が早く終わったので、親方は若い従業員と監督と3人で、離れたところで話し合いをしていたのだが、僕は、そこに入ってはいかず、同じ会社の仲間達とくっちゃべっていた。

 

 僕には、『才覚』がある。

 変な話、ベテランも気付かないようなことに、気付けるかもしれない。

 だから、僕は、もはや人々を“引率“していかなければならないんじゃないか。持ち前の洞察力で、専門知識なんかなくても、課題、問題の「本質」を嗅ぎつける。そついう仕事を《頼まれなくても》やっていくべきなんじゃないか。

 そんなことを思ったのだ。親方や、より実務経験のある従業員の意見を尊重しながら。。。

2024年12月1日日曜日

一般就労開始から湧いた思惑(2024.11.21~2024.12.1)

 2024.11.22より

(解体業従事者について)

「即答」を求めすぎ。まあ、その世界の人間では、しょうがないかもしれないけど。でも、そこにいると、この僕でさえ、言葉が出なくなるよ。(苦笑)

人間の会話には、「ゆとり」は必要なんだよな。

ところが、この人達はそれを持たない。与えもしない…。

-『思考(「沈思」、「考察」)の排除』

 

2024.11.23より 

1.

日本人の「思いやり」と、西洋人の「思いやり」。その違いのせいで、日本人のそれが自分にはしっくりこなくて、人間関係が育まれなかった、子供·若者時代。

2.

『自分だけ頑張って、見せつけてやる!!』(僕の仕事の癖。特に若い頃の。)

-父親から「承認」されなかった息子が到達してしまったスタイル。やけくそ。(この日も再発。汗)


2024.11.23頃

「悪魔」はね、見られたら、引っ込むんよ。見られないでいると、どんどん悪さを働く。

だが、普通の人には、悪魔がなかなか見えない。悪魔は賢くて、天使を「装う」からね。見極める力のない者をえじきにするのだ。

だが、闇は光には勝てない。

「見る」ということは、光を当てること。だから、引っ込む。

 

2024.11.26

僕は、我慢強いから、その忍耐力で、若い時『人間の闇』を、猛研究したのさ。🙂

だから、それをもはや『撥ねつける』能力を持っている。

(普通の人は、それに対する「免疫」がないから、それが、いちいち気に障るんじゃないか。もしくは、気にするんじゃないか。)

 

2024.11.27(?)

∼∼『僕の自制法』 (いかに自分自身を「マスター」するか)∼∼

 

例えば、コーヒー豆をポットに入れすぎた!

「後悔」する?「忘」れる?

それとも…?

とても大事だと僕が思うのは、後悔するんでも、忘れるんでもなく、『なぜ今自分は、コーヒー豆を入れ過ぎてしまったのか』、その「ミス」をもたらした、自分の精神状態をちゃんと自覚する(認識して、受け止める)ことです。

そういう、自分の心の小さな『逸脱』に気づかないでいると、小さな脱線が、大きな脱線を招く可能性がある。「自己修正」を怠ってしまうから。

そういうのが、「生活」や「健康」に不調をきたす原因となる。

 

2024.11.28(?)

『怪我』は、そこを“意識して過ごす“から、治る。

多分、意識をすると、よりよく血を巡らせたり、治癒を促進する、なんらかの「力」が働く。「メカニズム」は知らないが。

怪我しても、「意識しない人」、「ただただ治癒を待っている人」、多いのではないか。

更には、『痛み』は、我慢する(抗う)のではなく、ありのままに、素直に、「感じ取る」/「受け入れる」ことも、大事。これも、メカニズムは知らないが。(苦笑)絶対そうだ。

(治療には、そういう、「心」からのアプローチがある!!)

 

2024.11.30

1.

人間、自分の能力の出し惜しみなんかしないで、発揮するからこそ、“生き生き“としてくるのだ。

持っている「能力」を生かさない、くすぶらせる、出し惜しみ等する人間は、その「怠慢」さから、『低波動』に犯される。「邪念」「邪気」「雑念」などに侵されやすくなる。一日一日が、安っぽくもなる。「自分」も、安くなる…。


2.

ウソを付く人間はかわいそうなやつです。なぜなら、そういう人間は、他人ばかりでなく、自分自身にもウソを付こうとするから。(他人にも自分にも「ごまかし。」をする) 自分自身を正しく認識しない人間は、苦労ばかり積むのです。その間違った心の使い方に、気付いて、修正するまで、苦労し続けます。

 

2024.11.30

(人間として、「諸能力」を開発する大切さ)

例えば、「言語能力」。

言い方一つで、相手に伝わる印象は「ガラリ」と変わります。あなたは、自分の抱いている考えや気持ちを適切に表現できますか?自分の思惑や感情を適切な言葉にできない人間は、心の貧しさとして現れて、人間関係が育めません。人と心を通じさせられない。

人間とは、相応の言語能力を磨かないと、まっとうには生きられない、本当は高度な生き物なのです。言い方一つで、天と地の差を生んでしまうほど、『言葉』とは奥深い世界なんです。だから、自分の心をとらえ、それを言葉に換える能力というのは大事なんです。

ところが、そういう最低限の言語能力も育っていない、かわいそうな人間達が、社会には沢山いる気がする。。。

でも、社会では、『言語能力』が育っていない人も、容赦なく高度な言語能力に出くわします。そんな時、それがない人は、応じることができず、恐怖を抱きます。でも、何もできなかったりする。

高度な言語能力を「支配的に」使う悪どい人間の、えじきになったりする。「詐欺」に騙されるのも、それだ。


『近況報告の開始。』

 こんにちは。(^_^)

 ブログの更新(10月1日)から、丸2ヶ月が経ちました。更新を決意した時は、3日に一遍くらいのペースで書くつもりだったんですが、日常がめまぐるしく、それどころではなくなりました。

 続きを待ちわびて下さった方も多いのではないかと思っています。すみません、後回しになってしまいました。

 あれから、僕はインスタグラム(@tomohirokogawa)で近況報告を入れていましたが、発表できる文字数が限られていたり、インスタグラムをやっていない人には発信できないなどの難点から、この度、活動の場をブログに移したいと思うようになりました。ここなら、文字に制限なく話を進めることができます。誰でも見れます。僕には、どうしても写真は必要なく、文字という表現力が上回っていることもあります。写真や動画には心は写りませんが、言葉には、それを込めることができます。

 赤ららに話すことで。

 

 しかし、10/1の話は、一旦中止させて頂きます。予定変更で申し訳ありませんが、どのみち僕は自分のことを話さなければなりません。自分の深めてきた広大な世界を、語っていかなければなりません。過去の出来事だけでなく!!(10月1日の話をするタイミングは、来るはずです。)

 

 去る15日、僕は無事、「作業所」を卒業しました。21日から津市のとある建設業の会社で「日雇い」で働いています。まだ「7日」足らずですが。

 

 僕は、2007年1月、24の時「社会生活」を手放しましたが、それから何度か社会復帰を目論見ましたが、成功したことはありませんでした。ですから、今回成功すれば、実に「18年振り」くらいの快挙となる訳です。大変な岐路です。

 僕は30代半ば(2014年、ドイツで)『自分』や『人間』のことを”完全に忘れる“という出来事に見舞われるのですが、それがまさに劇的に回復したのが「今年」、2024年でした。特に9月からの目覚めはすさまじく、もう「3ヶ月」になろうとしていますが、ずっと、めまぐるしい日々を送っております。

 「エネルギー」の限り、体や心を壊さない限り、猛進している感じです。「余裕」を感じれば、僕は、すかさず何か新しいことに手を出し、それが「経験値」「教訓」「達成」等になり、自分に還ってきます。大変ですが、人生の発展という意味では、「最速」かもしれません。

 

 新しい仕事、しかも肉体労働という、適応(体造り)も必要な仕事に就いて7日間ですが、なんとか一週間をクリアしました。能力が開花しているお陰で、3日間で(仕事が軌道に乗った。)と思い、それだけでなく、実に7日間で15人ほどの新しい出会い(仕事仲間)を経験し、新たな人に出会ったことで忘れてしまった日本人や人間のことも思い出すという精神的な糧も得ることができました。

 それにしても、7日間で15人もの出会いを経験するというのは、あって然りの試練だと思っています。ほぼ毎日、違う現場で、違う人(新しい人)と仕事するのですから。新人であるにもかかわらず!!!

 でも、そんな試練ですら、今後も続くようなら、「どうしたらよいか」、「どう、楽をするか」(例えば、最悪、仕事だけして、帰る)切り札を考えてあります。

 対人関係も、日本人を思い出したりもしたので、来週からは、やろうと思えば、人が変わったように日本人流(それを求める仕事仲間とは)に合わせることもできます。

 もはや、一つの性格にとどまらない、、、20代後半、ヨーロッパを放浪中身につけた能力ですが、自分は、「誰にでもなれる」、初対面の人でも、どんな人かすぐ分かってしまい、それに自分の性格を合わせることができる、、、そんな自分がいるのです。

 人を見るだけで、「真実が見えてしまう」から、どう接したらよいか分かり、問題にならない。

 僕は、小川、小川とは、「水」であり、水は、変幻自在、いかようにも形(自分)を変えることができるのだ。

 『俺は水だ。』- そう再確認した、この9月だった。

 

 

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仕事1日目(11月21日(木)):

強力なキャラをした1コ上の人と一緒に瓦落としの現場へ。「体力配分」も分からず、すごく頑張ったが、行き帰りのダンプの中でも熱烈におしゃべり。精神的にも肉体的にも大変な1日だった。

 

仕事2日目:

現場は一緒だが、昨日の人ではなく、新しい人と行く。ムードが変わってしまい、昨日と比べて陽気さを失っていると、癖でつい仕事に没頭してしまい、いい仕事をしたに違いないが、気に入られなかったのか、社長からいじめられた。でも、2回ほど、社長が変なことを言ったので、「反発」した。

 間違ったことは、間違っていると言う。

 そう「言ってしまう」自分がいた。

 これ、日本人の場合、いくら本当であったとしても、「その場を乱した」ということの方が重く見られて、嫌われる、危険行為なんだけどね。俺は、若い頃から、1人ででも、不当なことは、不当だと反抗する勇気·正義感を持っていた。日本人なのに、日本人らしからぬ、物事の本質を見抜いては、平気で社会や人間を酷評するような父の息子だったこともあって。あと、「論理的観測」に長けたドイツ人の精神を受け継いでいたこともある。

 

仕事3日目:

団地の内装解体。3人の仲間と知り合う。この時はまだ、今週末よりは「集団」で動けず、自分で勝手に色々動く。他人の動きをよく観察する日本人は、そんな、常に動き回っている僕のことが気になったかも分からない。

僕は、自分なりの最大限の仕事力を追求しているだけなんだが、それで、結果的に「いい仕事ができる」「仕事が進む」と知っているから、だからやってたんだが、、、(苦笑)

  

仕事4日目:

また新たな3人と一緒に仕事に行く。このチームとだけ、2日間一緒に仕事した。

リーダー(女の子、28)のタイプが読めず、(忘れており)2日目になって警戒信号。(その結果、少なくとも「13年間」は忘れてしまっていた、日本人の他者配慮の重視·親切を思い出す。)『そういうのが要らなくても、合わせることはできるようにならないといけない』という教訓になる。

次一緒になったら、頑張ろう。

 

仕事5日目:

一昨日と同じメンバー、同じ現場。

 

仕事6日目:

7日間で2回、決まっていた現場が朝になって変更される。仕事が3日目一緒になる仲間とより深く知り合ってくのが楽しみだったが、ちょっと失望した。

連日、全然違う筋肉を使わされた。

(1、2日目は民家の解体、3日目は団地の「階段」昇り降り(引っ越し業者のよう)、6日目はガラ一杯の一輪車でスロープを登る。)

連日違う現場なので、もう「人と知り合う」という努力を省いた。仲間の17歳の子だけ相手した。

  

仕事7日目:

会社のある自治区の、自治会幹事もやっているという、頭もいい「重要人物」?(と思われる、笑)と伊勢のパチンコ店の清掃業務。仕事自体はきつくなかったんだが、この人とはこの1日で2回、口論に。これまでとは違い、よくしゃべれる人なので、一見、馬が合うのだが、突然、互いの歯車が狂うのだ。僕としては、「おかしい」のはそのおじさんだったのだが。(詳しい話は避けよう。)

『優しい人になる』とか、『平和に行く』という目標を掲げている自分にとって、口論は避けたい現象だが、この時は譲れなかった。

それで、思った:

『人に邪気が働くなら、その時は、なにも平和を貫かなくても、自分のピースフルネスを破っても、いいんじゃないか?』

と。

なぜなら、例えば、「平和に。」「平和に。」と言って、人に親切を尽くすと、それを利用しようとする人間が現れるんだから。そういう時、悪いのは誰さ。だって、自分は何も悪いことしてないのに、鼻から敬遠したり、挑戦とか、欺瞞とか企む人間、許せないよな。

嫉妬してんのか、イジメたいんだか、鬱憤でも溜まってんだか、知らないが、そんなはけ口にされたくないよな。

俺はそういうの、許さんのな。だから、そういう標的にならないような「オーラ」を身にまとっているつもり。表情な。

 

一つには、仲間と「仲良く」していれば、人は悪さをしないというのはある。だけど、そう単純じゃないのな。チームが仲良く、頑張っていても、上が卑しい場合、挑戦してくる。文字通り、「こき使おう」としてくる。違う?(*下、『検証』参照。)

そんな、人にある『邪気』を、これから突き止めてやるつもりだ。場合によっては、「怒り」も抱くだろう。その時僕は、自分の人生のある重大なテーマを確認する契機を得るのかもしれない。

 

 


∼∼『検証』∼∼

失礼。(上)これは、若い頃の僕の体験に近い人間観、若い頃『人間嫌い』になってしまった自分の人間観に、すごく近い。

紹介までに、残しておく。

 

僕は、ハーフで、海外育ちもあって、大人になった時、日本人の心に十二分に歩み寄れない所があった。

強かったのだ。僕は。

だから、優しさを必要としなかった。対して世間は大いにそれを必要としていた。僕は要らないから、そこに付き合うことができなかった。結果的に僕は、日本人の中に、日本社会に、溶け込めなかった。

僕には、そんな過去がある。

 

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