2024.11.22より
(解体業従事者について)
「即答」を求めすぎ。まあ、その世界の人間では、しょうがないかもしれないけど。でも、そこにいると、この僕でさえ、言葉が出なくなるよ。(苦笑)
人間の会話には、「ゆとり」は必要なんだよな。
ところが、この人達はそれを持たない。与えもしない…。
-『思考(「沈思」、「考察」)の排除』
2024.11.23より
1.
日本人の「思いやり」と、西洋人の「思いやり」。その違いのせいで、日本人のそれが自分にはしっくりこなくて、人間関係が育まれなかった、子供·若者時代。
2.
『自分だけ頑張って、見せつけてやる!!』(僕の仕事の癖。特に若い頃の。)
-父親から「承認」されなかった息子が到達してしまったスタイル。やけくそ。(この日も再発。汗)
2024.11.23頃
「悪魔」はね、見られたら、引っ込むんよ。見られないでいると、どんどん悪さを働く。
だが、普通の人には、悪魔がなかなか見えない。悪魔は賢くて、天使を「装う」からね。見極める力のない者をえじきにするのだ。
だが、闇は光には勝てない。
「見る」ということは、光を当てること。だから、引っ込む。
2024.11.26
僕は、我慢強いから、その忍耐力で、若い時『人間の闇』を、猛研究したのさ。🙂
だから、それをもはや『撥ねつける』能力を持っている。
(普通の人は、それに対する「免疫」がないから、それが、いちいち気に障るんじゃないか。もしくは、気にするんじゃないか。)
2024.11.27(?)
∼∼『僕の自制法』 (いかに自分自身を「マスター」するか)∼∼
例えば、コーヒー豆をポットに入れすぎた!
「後悔」する?「忘」れる?
それとも…?
とても大事だと僕が思うのは、後悔するんでも、忘れるんでもなく、『なぜ今自分は、コーヒー豆を入れ過ぎてしまったのか』、その「ミス」をもたらした、自分の精神状態をちゃんと自覚する(認識して、受け止める)ことです。
そういう、自分の心の小さな『逸脱』に気づかないでいると、小さな脱線が、大きな脱線を招く可能性がある。「自己修正」を怠ってしまうから。
そういうのが、「生活」や「健康」に不調をきたす原因となる。
2024.11.28(?)
『怪我』は、そこを“意識して過ごす“から、治る。
多分、意識をすると、よりよく血を巡らせたり、治癒を促進する、なんらかの「力」が働く。「メカニズム」は知らないが。
怪我しても、「意識しない人」、「ただただ治癒を待っている人」、多いのではないか。
更には、『痛み』は、我慢する(抗う)のではなく、ありのままに、素直に、「感じ取る」/「受け入れる」ことも、大事。これも、メカニズムは知らないが。(苦笑)絶対そうだ。
(治療には、そういう、「心」からのアプローチがある!!)
2024.11.30
1.
人間、自分の能力の出し惜しみなんかしないで、発揮するからこそ、“生き生き“としてくるのだ。
持っている「能力」を生かさない、くすぶらせる、出し惜しみ等する人間は、その「怠慢」さから、『低波動』に犯される。「邪念」「邪気」「雑念」などに侵されやすくなる。一日一日が、安っぽくもなる。「自分」も、安くなる…。
2.
ウソを付く人間はかわいそうなやつです。なぜなら、そういう人間は、他人ばかりでなく、自分自身にもウソを付こうとするから。(他人にも自分にも「ごまかし。」をする) 自分自身を正しく認識しない人間は、苦労ばかり積むのです。その間違った心の使い方に、気付いて、修正するまで、苦労し続けます。
2024.11.30
(人間として、「諸能力」を開発する大切さ)
例えば、「言語能力」。
言い方一つで、相手に伝わる印象は「ガラリ」と変わります。あなたは、自分の抱いている考えや気持ちを適切に表現できますか?自分の思惑や感情を適切な言葉にできない人間は、心の貧しさとして現れて、人間関係が育めません。人と心を通じさせられない。
人間とは、相応の言語能力を磨かないと、まっとうには生きられない、本当は高度な生き物なのです。言い方一つで、天と地の差を生んでしまうほど、『言葉』とは奥深い世界なんです。だから、自分の心をとらえ、それを言葉に換える能力というのは大事なんです。
ところが、そういう最低限の言語能力も育っていない、かわいそうな人間達が、社会には沢山いる気がする。。。
でも、社会では、『言語能力』が育っていない人も、容赦なく高度な言語能力に出くわします。そんな時、それがない人は、応じることができず、恐怖を抱きます。でも、何もできなかったりする。
高度な言語能力を「支配的に」使う悪どい人間の、えじきになったりする。「詐欺」に騙されるのも、それだ。
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