2024年12月15日日曜日

今週の思惑(2024.12.10~2024.12.14))

 こんにちは。

 今週も、僕の人生はいつになく「濃厚」でした。

 今は、生きることが心底楽しい。若い時まだ未熟で、躓いたり壁にぶつかってたりしたのが、今、「スムーズ」にできる自分がいる。能力が、『開花』している!!

 

 今週も、先週に引きつづき、同じ「草刈り」の会社(現場「知多半島」)に通った。

 だが、今週は月曜は休みで(事務所に、「月曜は休みで。」と言われた。)、草刈りは「火」·「水」·「木」の3日間だった。

 僕の生活は、今年の9月頃から「波乱万丈」という言葉を使いたいくらい、めまぐるしい。日常の出来事を、満足いくまで発表しようと思えば、「週休2日」は足りないかもしれない…!

 まあ、できる限りすべてを書こう。

 

  

 先週から、「草刈り」の仕事に通うことになったことで、僕はいくつもの収穫を得ることができた。

 例えば、こんなことである:

 1. 仲間と“気を許す”ようになった。

 2. 「もう、『一人』で頑張らない。」(^_^)

 

 これは実に、今年の9月だったか、自覚した『楽しく仕事をする』という仕事のテーマ(取り組んできた課題)が、達成されたとも言える現象だった。

 

 「めまぐるしい」と言うだけ、他のことも色々と同時進行だったのだが、この達成は大きな収穫であった。

 今後はもう、それができてしまうのだ。

 同じ仲間でなくても。誰とでも。(!)

 

 だが、今週のメインテーマは、先週の投稿で最後に紹介した仕事仲間、「ブロンド長髪青年S」であった。「火」·「水」、一緒に仕事した。

 このSが、まったく仕事ができないのだが、チャンスは与えてやるが、もはや僕は、そんな奴に「仲間になる」という厚意を示すことで、つけ入られることは許さない。

 『優しい心』は、優れた美徳だが、下手な人間はそれで、他者と不当(不健康)な関係を築いてしまうのだ。下手に優しい人間は、一度関係を受け入れてしまえば、「制限なく奉仕をする」なんてことになりえる。

 

 

 -「《どうしても》この会社に入りたくて来ました。」

 (それなら、こちらは(相当頑張るつもりでいるのだろう。。。)と思うよな。)

 -「“その会社に行ってもいいが、うちと縁は切るな。”と、前の会社に言われている。」

 (つまり、それだけいい人間だということ。)

 Sは僕に、一緒になった初日にそんなことを言った。

 しかし、その後、その言葉はまるで態度に出てこない。 

 

 その他に、事務員に報告したのだが、

 1.ずるい考えをしているように見えること (彼の言う冗談や意見などから、感じ取れる。)

 2.(僕の)親切をバカにしようとしているように見えること  

 3.彼は、『悲惨な目』に遭わなければ改心できないのではないかと僕が思ったこと

 などがある。

 

  

 今、「2回目」だったということに気付いたが、11日水曜日、僕は短時間で3つ腹の立つことがあったので、先週に引き続きまた、『キレた』。(苦笑)

 「Mさん(マネジャー)に、小川がもう我慢ならんと言っている、と電話で伝えて!!」

 (僕の、「圧倒」ではないキレ方。)

 その電話でもって、「Sは、もう僕と2人では仕事しない」ということに決まったが、それは、親方に伝わっていなかった。(僕から親方に、Mさんがそういう指示を出したと伝えなければならなかった?)

 結果として、その午後、僕は親方の指示でまたSと組まされた。(苦笑)

 キレた後、僕は、自分には見えているが、仲間をあんま巻き込みたくないので、Sに関する真実を吐くことをもうやめる!と仲間に伝えた。

 『もう、言わない…!』

 

  

 そんなことがあって、僕は、午後はSと仕事しても、もう何も言わなかった。Sは、高速道路脇の天盤を、40cmさらうだけで、隅の草や残りの2m50cmの斜面を僕がすべてさらって、仕事を仕上げた。

 その夜、会社に帰ると、僕は主任に、「もうSの相手はできない」という実感を告げた。

 主任は、理解を示してくれ、それから2日間僕は彼と一緒に仕事していない。

 僕は、「水」。「水」は、いかようにも形を変えられるから、その気にさえなれば、僕はSの相手もまたできるのだが、まあ、僕はもう十分関わっただろう。何も、「関わること」でお金をもらっているわけでもないのだ。

 

 

 12日木曜日は、知多半島最後の現場であったが、この日も内容は濃かった。

 この日は、もうSがいなかった分、仕事がはかどった。(仕事ではやな気分もあまりなかった。)新しい仕事仲間藤原君(19)とも知り合えた。

 しかし、別の嫌なことを体験した。

 先週から、「知多半島」の現場が続くようになってから、僕は、常滑に住む、なかなか会えない妹のところにお泊りして、仕事に通うという生活(「一週間」とか)をイメージするようになった。それで、これまで2泊、妹のところに泊まりに行った。

 しかし、草刈りの会社に聞くと、知多の現場は続くとか続かないとか、はっきりしたことが聞けなかった。初めは『ずっとある。』と聞き、次に『2日ある。』、その後に『しばらくある。』と、予定が二転三転するのだ。(!)

 それだから、思ったように妹のところに行けなかったのだが、この日(12日)僕はまた大いに妹のところに泊まるのを楽しみにしていた。「現場はしばらくある。」と事前に聞いていたので、3回目、妹を訪ねることができると思ったのである。

 

 それで、昼頃、これまでやったように親方に、「明日もこの現場ありますか。」「あって、会社の許可が下りれば、また妹のところに泊まりたいのですが。。。」とお願いすると、

 「社長(近くの別の現場にいる)に聞いてみるね。」

 と優しく応えてくれた。

 そうして3時の休憩で、チャンスを掴んで親方に、社長に聞いてくれたか聞いてみた。すると、その場で親方は社長に電話して聞いてくれたのだが…。

 親方は丁寧に、「G工業の小川くんが…」と、社長の現場に入ることもかんがみて聞いてくれたが、次の瞬間、「明日はG工業はない。」という冷たい返事が返ってきた。

 そして、そこに。

 『今日、この現場終わらすから、残り“頑張ってね”。』

 と、注文がついた。

 

 僕は、失望した。30分か1時間くらい、そのことで失望した。理由はこうである:

 親方は、僕が妹のところに泊まるのを楽しみにしていることは、「知っている」。その期待を、平気で裏切って、寄り添いもしてくれなかったのが、一つ。

 そこに、『頑張ってね。』と、普段から人一倍頑張っている自分に拍車を掛けてきたこと。

 それを聞いた時、思わず、

 (この会社は、これまでの俺の懸命な仕事を評価しないで、利用したかっただけか…?)

 という思惑が、脳裏をよぎった。

 

  

 その夜、事務所に帰社すると、あろうことか、「知多の現場は明日もある。」と聞かされた。

 僕は、2週間続いた現場がなくなったので、体が疲れていたこともあって次の日は休むことにしたのだが、(なんだよそれ…!)と、だいぶん呆れた。

 でも、もう『おかしすぎる』ので、「明日ある」という報告は、実際は、気にも障らないほどだった。

 今度もしまた「知多」に行くことがあって、同じような冷遇を受ければ、その時ははっきり言ってやろう。そう思った。(それか、全然違う、新たな自分で臨む!!)

 

 現に、「明日はG工業はない。」と言われた日、「2つ」、やると言っていた仕事がなされていなかった。高速道路の天盤の残りのスパンと、その日伐採したやぶの、仕上げである。

 現場が続く続かないにしても、このことにしても、予定がコロコロコロコロ変わるのは、一体全体どうして?

 「頭悪い」んちゃうか…?

 

 

 真っすぐ生きていると、曲がったものに出食わす。自分も曲がっていれば、曲がったものに出食わしても、自分も同類項だから、気付かないのだが。

 そこが、例えば、僕が感じる世間と自分の違いである。(昔から!)

 

 どういうことか。

 それを、これから社会で揉まれる中で突き止めたい。俺は、本当に周りと違うか、否か。違うなら、どう違う?

 そこに、僕という人間の『本性』がある。

 それをこれから、発掘していく。

  

 

 「曲がったこと」に出食わしても、4、5回くらいまでは僕も、見て見ぬ振りをする。「許す」。

 しかし、あまりに連続する時、僕は黙ってはいない。

 「不正」は、この世では生かしてはおけないからだ。

  

 「正義の確立」のために、僕は生きている。昔っから。

 その自分は、今後も続くのではなかろうか。それとも…?

 楽しみである。

 

 

 余談だが、僕が親方に「明日はG工業はない。」と言われた日、帰り道で、2週間共に仕事をした若手社員「水流さん」が、『今日でこの会社辞める!』と言うという、ビックリ発言もあった。高速を移動中、ずっと彼の相談に乗った僕がいた。

 一体、この会社裏で何がすべて動いているのか、不可解な限りである…。

 

                    《以上》

 

 

⚫以下は、前投稿分と今週思ったことです:

 

(前投稿分)(12/6より)

≪最近たびたび意識する、人生を創造的にするコツ。(僕の習慣)≫

 大事なのは、やりたいという気持ちを『先鋭化』させることです。(やりたい気持ちがうずうず-ひしひしと感じられるまで-してくるまで(火が付くまで)、安易に手は着けず、待つことです。「軽いやりたい」ではやらない、それをすると、時間の価値を『ドブに捨てる』ことになります。あまたの時間がチープになる。

 「優先順位」をつけて、「テトリス」をやるように、やりたい気持ちがひしひしと感じられるようになるまで、別のことを詰めていくんです。

  

 『テトリス』は、あの20列くらいの枠の中で、お望みのピースが落ちてくるまで、辛抱強く待たなならんよね。その感じです。

 それを、例えて言うなら、50列の、より変な形のブロックで、やっていく感じです。イメージでは、「テトリス」で求められる優先順位より、更に多くを抱えながら、生活を回していく。そして、「今だ!」と思う瞬間に欲求を、行動に移す。そうすると、その欲求が“切”な分、そこから最大限の充足、達成、結果等が得られる。また、安易に手を出さないからこそ、色んなことを同時平行で進められて、人生は創造的になってゆく。

 (衝動が、欲求を最も満足させる。欲求の醍醐味を体験させる。) 

 

2024.12.8より

 食の体になくて、不食の体にあるもの:

 『爽快感。』

 僕は一度6日間ほど不食の体を体験したことがあるので、分かるが、腹十分目食べた次の朝などに、しばしば、これが阻害されているのに気づく。

 不食の体と比べると、「体が重い」、「だるい」、そういう感覚。

 どうも、血液の中を処理しきれていない栄養素(?)(不要なもの)が体をめぐっている感じ。 

 

2024.12.10頃より

1. 『あなたは、あなたが考えてきた何かになる。』

 (人生で考えてきたことの大きさで「あなたの器量」は決定される。例えば、僕が思考力の極みで獲得した『透視能力』や『Multispiritedness』が本物なら、それはちゃんと、生きてくる。)

 たとえば、金·セックス·遊び… この世界でこれしか興味のない人間は相応に単細胞にしかならない。卑しい人間で終わる。

 

2. 『正確な言葉を見つけること』

 自分の気持ちを表現する、ピンポイントの言葉。色んな単語がある中で、的確な単語を選ぶ重要性。(伝わる気持ちが繊細になり、3倍も4倍も強く、なんとなく思いついた曖昧な単語よりはっきりと、相手に伝わるようになる。だから、自分の感情を、表す、ふさわしい表現力(言語能力)を身につけることは、すごく大事。 )(ところが、そんな(必要最低限の!!)言語能力も育っていない人が社会には五万と居る。違うか?

 そういう人達は、自分のことが適当に表現できないから、それで仕事や人間関係、勉強などで躓く。

 人生で躓く。) 

 

3. 僕はもはや、飢えというものを覚えない。肉体的にも、(これはまだ実証していないが)、精神的にも(食べ物も、物も(食欲、物欲のこと))。

 (『神様の承認』2007.12 による絶対的充足。)

 *まあこれは、「妄想」と言われても仕方ないので、僕が不食実験に乗り出すまでお待ち下さい!

 

4. 「やらなければならないから、やる」か、「やりたいから、やる」か。ここで消耗するエネルギーはだいぶ差がある。

 もちろん、前者も時には来るだろう。

 だけど、理想は限りなく後者で動くことなのだ。

 

2024.12.11より

1. (草刈り会社の水流さんへ)

 『ストレス』から動くんではなく、『やりたい』から動く、に変えていかなければならない。

 (「白髪が出なくなる方法」?)

 →「仕事力」を向上させて、上司に文句を言われない仕事をしなければならない。且つ、「仕事を楽しむ自分」になる。「仕事の楽しさ」を見つける。

 そういう趣向の開発(養成。)

 (高度な趣向)

 

2. (記録: グループホームのオーナー)

 先週の土曜日、昼頃まで寝る。(前日疲れていたのに加えて、20時から「朋弘」と会う。)

 母屋に出ると、「朝ごはん食べた?」とオーナー。察しの悪さに、

 「寝てました。」とだけ返した。すると、

 「アカンよ。…(規則正しい生活がどうのこうの)…。」

 「は?仕事で疲れて、週末に寝坊することのどこが悪い??」

 「そんな疲れないように仕事しなきゃダメってことさ。」

 

 (偉そうにっ…!!!)

 それは、あんたの哲学でしょ。

 仕事をガンバッて何が悪い!!!

 この言い方が腹が立つ。

 「自分はお前よりよく知ってるぜ。」みたいな物言い。

 

2024.12.12より

 (記録)

 (その1)

 日本人の「フォーク·さらい」など道具の置き方。

 (ヨーロッパ人などは、それを適当に放っぽる。乱雑に。

 対して日本人は、ものをきれいにそろえる。「見た目」(整理)を大事にする。)

 (僕はまだ、日本人に比べると、ヨーロッパ人ほどではないんだが、雑だった。合わせなければ。)

 

 (その2)

 『ヘルメは、親方たちが脱いでから脱ぐ。』(G工業 Oさん) (自分は守れていない…(汗))

 

2024.12.13より

1. (同僚、藤原君(19)へ)

 若い時分から、人生の「全体感」を捉える努力をしたいものだ。

 特に若者とかは、「早とちり」するのな。(いい!)と思えば、その場所がどんなところかよくも見ないで、飛びついてしまうのな。

 これが、この「無思慮」が失敗の原因になる。

 

2. 「贅沢」をしている人間は、自分の要求レベルが高いから、身動きが取れない。

 (時給1000円でよい。)と思えず、時給の高い仕事に執着する。その仕事のため、つまり、豊かな生活のためには、自分を犠牲にできないのだ。

 つまり、より「自分自身が大事だ」と思う連中なのだ。

 

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