(12月4日(水)記す)
こんにちは。
今日は2週間に一遍の診察&デイケアの日です。半分、「休日」です。昼休みは仲間達と「麻雀」を楽しんでいます。
前投稿では、11/21~12/1の間の「体調の変化」に関しても発表したかったのですが、できなかったので今日はそれからお話させてもらいます。
新しい、しかも体造りという課題がある仕事で、この期間は試練になっても不思議はありませんが、僕には以下の4点の体調の気付きがありました。
1. 『前歯がいたい』
去る11月3日、神戸で「Eita&Dai」さんのイベントのお手伝いに行ったとき、ペットボトルが必要になって、ペットボトルの形をそろえたかった僕は、12本甘いジュースを買いました。それを、全部自分で消費したのですが、そのことから、前歯が少し痛くなりました。(やっぱり甘いものは欲に任せて飲食するべきではない。)
それが、一般就労開始時も続いていたのですが、そこで、夏頃「バテないためには「塩分」も必要だから、飲み物はただの水よりポカリなどの方がよい。」と誰かに忠告されていたので、実行に移しました。
ところが、たぶんそのせいで歯痛は続いた。
糖分を控えて歯を治さなければならない!
2. 『生活スタイル(食生活)』
仕事が肉体労働になってから、しっかりした食事を摂ろうと思いました。
普段の野菜炒めに、お肉を入れるようになりました。
そして、2週間弱、昼は「コンビニ弁当」(のり弁)を食べました。
就業3日ぐらいは、すこぶる体調良かったのが、次第にだるくなりました。その原因は定かではないけれど、やはりコンビニ弁当の「添加物」ではないかと疑っています。12月2日から、簡単な弁当を作ることにしました。(野菜炒め·ごはん·たくあん(うめぼし)だけの。)
3.『足のまめ』
新しい安全靴が足に合わず、左足かかとにまめが。それでも気にしないで2日間くらい履き続けたら、まめが炎症を起こした。(ちなみに絆創膏などの手当もしなかった。)靴が足の形に順応して、危機を乗り越えられるかもと思ったから、放っといた。
それで、左足はどうしても安全靴が履けない事態になってしまったのだが、幸い、それから何日かは安全靴がどうしても必要な現場ではなかった。
救われた!!
神様のお計らいだったかもしれない。
4.『目の疲れ、飛蚊症』
出勤時間片道『自転車』50分は、これだけでも「挑戦」だ。ただでさえ疲れる1日に、1日「1時間40分」の通勤時間。。。
朝はよいが、問題は帰りに起きた。疲れた体で、無理して50分冷たい空気を切って走ると、「左目」が痛くなった。
自転車は、何げに注意しながら走るから、目を良く使う。それが、「疲労」に加え「自転車50分」という挑戦が重なると、無理が生じる。
週末の休息で、これは治癒した。
更には、若い時から持っている『飛蚊症』のちょっとした悪化も体験。「疲れ」が溜まって、飛蚊症にも現れた。そう思っている。
良き、「教訓」である。
(人間の体は、そう簡単には、「壊れない」。しかし、不調とは、「警告」である。それは、「やり方」を変えなければなりませんよ、という、体からのサインである。
無視してはいけない。
ちゃんと、手を打たなければならない。「こじらせ」たくないんであれば。。。)
=以上=
ここから、今週の話をします。
先週、金曜日に会社の「重要人物?」と『口論』になってしまってから、(あまり自分を出すのはやめよう。)(特に、「自分を知ってもらおう」という試みはやめよう)と思うようになった。毎日違う人と仕事させられたこともある。
確かに、個人的な話なんて、しなくても仕事はできるのだ。誰も、「お前は誰だ?」なんて聞いてくる親方なんかいないのだ。
それで、月曜日(12/2)は聞かれなければ話さないことにした。そして、あろうことか、午後になっても、仕事チーム全体に沈黙が続いたので、いいかげん、(おかしいでしょ…!あんたたち、普段からこんな「沈黙」して仕事してないでしょ。)って思って、結局僕は、1日の終りに自分から少し「自分の話」をした。心を、通わせようと思って。9年間、ヨーロッパと日本を無銭放浪したことを打ち明けた。(他にはほんと、だーれも自分話はしなかった。。。)
そこで、こんなことを思わされた:
そういえば、「日本人」は、若い頃も、この『ガイジン』、180cm超えで日本語も達者の自分に「話しかけて来る人が、そもそも少なかったな」、と。
そこに、僕は『人間を鋭く見抜いてしまうような、怖さ』も漂う。日本人は、その雰囲気に、「びっくり」してしまうのな。
火曜日(12/3)、一緒に仕事した若者が始終「沈黙」していると、僕は、そんな、かつての人間知識が思い当たった。
そこで、僕は、更に考えを進めた。
(僕は、もはや、むっちゃ肉体作業をする助手などにとどまっていてはいけないんじゃないか?)と。
火曜日の夕方、仕事が早く終わったので、親方は若い従業員と監督と3人で、離れたところで話し合いをしていたのだが、僕は、そこに入ってはいかず、同じ会社の仲間達とくっちゃべっていた。
僕には、『才覚』がある。
変な話、ベテランも気付かないようなことに、気付けるかもしれない。
だから、僕は、もはや人々を“引率“していかなければならないんじゃないか。持ち前の洞察力で、専門知識なんかなくても、課題、問題の「本質」を嗅ぎつける。そついう仕事を《頼まれなくても》やっていくべきなんじゃないか。
そんなことを思ったのだ。親方や、より実務経験のある従業員の意見を尊重しながら。。。
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