2025年4月5日土曜日

「精神病院」に入れさせられる切っ掛けとなった事件 〈2018年10月〉

 こんにちは。(^_^)

 

 今日は、『なぜ僕が精神病院に入らなければならなかったか』について、公開したいと思います。

 以下に、2023年(令和5年)3月、退院2ヶ月前に書いて、主治医に渡した入院することになった『事件』の、弁明を公開致します。

 当時は、救世主宣言失敗の混乱(「8年間」)からは目覚めていたものの、まだ入院中であり、精神の目覚めの程度も、日本語もまだまだでした。

 でも、「事件全体」を捉えることはでき、それは、十分に本質を突いていると思います。ここには、当時の担当の看護師が聞いて、びっくりした事実も含まれています。

 重要な発表です。(^^)

 

 

 


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 『平成30年10月21日のこと』 -入院することになった事件の弁明兼考察-

                  令和5年3月19日

 

 平成30年10月21日、私は泊まっていた産婦人科の廃墟を朝7時頃眼鏡屋さんに向けて出発した。数キロ歩いて自分が通っていた小学校の正面にあるコンビニに、コーヒーを飲みに入った。そこにはイートイン席に一人のおじいさんがいて、正面の小学校には子供会の催しで大勢の人が集まっていた。(何があるのだろう?)という疑問をおじいさんと共有したかった自分は、「何があるのでしょうね。」とおじいさんに声を掛けた。

 それにおじいさんが「子供会の運動会がある」ということを教えてくれた。その他にも一言二言言葉を交わした気がするが、よく覚えていない。ともかく短かったがそこには自分とおじいさんの間に和やかな交流があった。

 その後、自分は眼鏡屋の開店時間まで時間を潰す為、学校近くの公園で休憩した。まただったか、今度は缶のコーヒーを買いに近くの売店に出た時である。コーヒーを買って交差点に着くと、さっきのおじいさんが現れた。(あ、さっきの人だ。)と思って「僕はあの小学校に通っていたんです。」とおじいさんに言った。話がしたかったのである。

 ところが、そのおじいさんはさっきは話したにも関わらず僕のことを無視した。納得できないので言葉を掛け続けると、信号が青に変わるやそのおじいさんは逃げるように横断歩道を渡っていった。そしておじいさんが僕をかわそうとした直後に交差点の反対側から大きなせき払いが聞こえた。そのせきをした女性2人組(せきをしたのはそのうちの1人)とすれ違ってしばらくすると、そのせき払いの意味に意識が向いた。

 自分の中で、ヨーロッパに行って久しく忘れていた日本人の“締め出し文化”に意識が及んだのである。人は、その場にいる望ましくない人物に対して「せき払い」によって警告というか、不快な思いを当人に対して伝えるということをする。「見ているぞ。」とか「やめろ。」という言外のメッセージである。

 無視されてもおじいさんと絡もうとした自分の行動の訳を、女性は知らない。知らない女性は、そんな自分の行動をはたから見て不快に思ってせき払いしたのかもしれない…。そう予感したのである。

 女性とすれ違って20秒ほど行くや、そのこと(締め出し行為)に意識が及んで、女性らを追いかけて行った。

 「さっきのせきはなんだ!!!

 女性らが行く先方に道路を渡って回り、ガードレールを飛び越えると、怒りを女性らにぶつけた。

 しかし、女性たちは反応しない。こちらが明らかに怒っているにもかかわらず、女性達は訳を説明せず自分のことを無視した。

 「2000円を出せ!

 慰謝料として金銭を要求した。しかし、これにも女性は無視し、僕から逃げようとした。そんな瞬間、私は年配の女性を蹴った。でも、女性は逃げていたのでまともに当たらなかった。女性は散れぢれになって逃げた。追いかけて更に暴力を振るう気はせず、だが、私は、

 「警察を呼べ!!!

 と大声で言った。近くにあった団地の一ドアをたたいて通報をお願いした。そんなことをしているうちに女性は二人ともどこかへ隠れてしまい、私だけが現場に残り、警察の到着を待った。

 

 警察が来るや、警官たちはパトカーを飛び出して僕の前と後ろからはさむようにしてやってきた。

 私は状況を説明した。繰り返し繰り返し、今思えば心もとない(にぶった)日本語で警察の説得を試みた。

 警察は女性らの言い分も聞き出して、僕に、

 「蹴ったんだろ?

 と言って手錠を掛けたがった。何度言っても分かってもらえないので、私はこう切り出した。

 「ここで話すのも疲れるから、署に行って話しましょう。

 これに対してどこからか

 「(それで)いいんじゃないですか。」 という声がした。

 つまり、署に行って事情を聞くということで了解してもらったのだが、手錠を掛けたがるので、(仕方がないなぁ。)と思って私は自分の手を差し出した。

 

 署に着くや、始まったのは担当の者による「弁護士がどうのこうの…」という話だった。話が違う。猛反発をして、説得を試みたが、一時は10人位警官が集まったが通じない為、私はとうとう折れた。留置場に入る際の身体の取り調べに移った。

 

 これが、拘束された経緯である。

 聴聞に当たった検察官も僕の言い分は理解せず、

 「精神科医に会ってもらえますか?

 と言った。そうして、11月の8日、神奈川県寒川町にある「K病院」に連れていかれた。精神科医は私に精神疾患を疑った。

 

 

 K病院の担当医によれば、私は女性のせき払いの際、統合失調症の“被害妄想”なるものを抱いたと診断している。

 しかし、それは違う。

 私は若い頃日本で、よく“締め出し文化”を体験していた締め出し文化とは、ある場所にいる望ましくない人物や弱者を排除する文化である。

 公の人間の他者を見る目はおおよそ「温かい」とは言えない。温かくないどころか、そこには軽蔑·嘲笑·嫉妬·敵意などあまたの低俗な心理が蔓延している。公の場に対する人の目は冷徹で遺憾を禁じえない。公の場での人の振る舞いは冷酷に監視されているのである。

 “空気を読む”精神文化を持つ日本人は、他者の目に気を配り自分の行動にも細心の注意を払っている。特に場を支配している空気というものを日本人は敏感に感じ取る。「言葉」ではない、言外のコミュニケーションだ。

 そんな日本人にとって「せき払い」は不快を表す最も手っ取り早い手段だ。生理的にせきを催すのではなく、注意を喚起するために「せき」をするのだ。

 また、せきは場から望ましくない人間、弱者などを排除する(締め出す)目的でも使われる。空気を読むことを仕込まれている日本人は、せきをされると勝手なことはできなくなる。せきによって彼らに「社会の目の冷たさ」を戒めるのだ。せきは人間をその場から追い出す。

 

 

 人間社会を、理想の共存共栄の観点から見た時、締め出し文化は「悪」である。いかに締め出し文化が人を陥れるか。なぜ社会には「ひきこもり」がなくならないのか。私は老女のせきの際、この締め出し文化を疑ったのだった。老女もせきくらいでは反撃されないと思っていたかもしれない。

 聞いた話では、老女は「因縁をつけられ、蹴られた」と説明したという。ではなぜ私がはじめ怒りを込めて問い詰めたにも関わらず「無視」をしたのだ?老女が「無視をした」から私は彼女を蹴ったのです。私は、誰よりも先に自分が警察を呼んでいるのだが、警察は私の道理を理解すると思っていた。締め出し文化が悪である、ということと、“自分が”警察を呼んだ理由と。

 ところが、警察は「蹴った」という一事実だけを見てそれを「暴行」と見なし、私を逮捕した。私の説明を理解しなかった検察官は、私の精神を疑い、精神科医に精神鑑定を依頼し、それが統合失調症の被害妄想という診断結果を持ち出してきた。

 私は老女のせきの際、被害の妄想を抱いたのではなく、上述したように「締め出し文化」という“具体的な事象”を取り上げ問い正そうとしたのである。(警察の力を借りて。)妄想とは、国語辞典によれば、「根拠のない不合理なことを事実と確信し、いくら訂正しても承知しない状態」である。私には、せきに目を向けた明確な理由(根拠)があった。

 妄想ではないのだ。

  

 また、余談だが、根本的な疑問として、警察は、いかなる理由があろうとも手を出した時点で本人を犯罪者とするほど「無能」なのか?

 「暴行」とは一般に、まぶたに青あざができるほど殴るとか、あばら骨が折れるほど人を何かでたたくということである。私は、老女の後部を足がかすめたくらいで手を止め、警察を呼んだ。そして、正義の判断を警察に委ねたのである。これは、“手を出したら、それがいかに軽くても負け”という正義の判断の際の法律の『死角』を浮き彫りにしている。

 もしそういう事情を酌量することができないのであれば、警察が犯罪者にあざむかれるという現実はまぬがれることはできない。なぜなら、警察が正義ではないからである。思うのは、警察は変なタイミングでせきをした女性に「謝らせる」という対応はできなかったのか?ということだ。警察に正義を期待した自分がバカを見たのである。

 

 

 話を元に戻す。

 こういう私にも今回の事件に対する非がまったくないとは言えない。1つ目の非は、事件当時私の日本語はヨーロッパ上がりでにぶっていた、ということである。日本語のにぶりのせいで、警察、そして検察を前に「締め出し文化」や状況の正確な説明が十分にできなかった可能性がある。4年半ヨーロッパに専心したことで、日本のことも忘れていた。そしてもう一つの非は、それ自体事件の自分の正当性を削ぐことにはならないが、事件当時「自分の精神が慢性的に混乱していた」ということである。事件の数年前、ヨーロッパで『救世主』を目指したのだが、それに失敗した時にたいへんな混乱に見舞われた。その時、いくら考えても解決できない何かの問題に遭遇し、そのことに完全に頭が奪われて、回りのことさえ見えなくなっていた…。父に連れられてドイツを去るまで、来る日も来る日もその問題の解決策(だけ)を探して考え込む1年数カ月を過ごした。それは、ごく最近、2022年11月に元の元気で活発な精神状態を思い出す迄の、実に8年間の精神の「混乱」というか「もうろう状態」である。

 なぜそうなってしまったのかということは今日でも思案するがよく分かっていない。ともかく、世界に向けて救世主を名乗り、「神」を目指した中で、人間的な限界というものにぶつかって、それまで築いてきたものが崩れ去り、根本的な自己否定に見舞われた、という気がする。この混乱に見舞われていなければ、たとえば、「せき」くらいで警察を呼ぶということはしなかったかもしれない…。また、去る「K病院」では、この混乱のせいで主治医に事件の弁明ということもできなかった。

 以上述べた2つの非が事件当時警察や検察を前に“精神を疑わせる”何かを醸し出していたかもしれない。ここで言っておきたいのは、2つ目の非、精神的混乱は「統合失調症」ではないということである。目指したテーマの大きさがもたらした混乱だったと思う。私は病院に入院したその日から、4年5ヶ月、一度も荒れたことはない。幻聴や幻覚、妄想などもない。

 

 


                  (おわり)

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≪今日の考察≫

 文字一つひとつをタイピングして思ったことは、思っていたより「自分の悔しさがちゃんと、しっかり打ち出されている」、ということである。(「物事の道理」というものを忘れてしまっていた自分は、書いていた2年前は自分の正当性に確固たる自信が持てなかったのだが…🙂)

 特に、交差点でおじいさんに無視された時は。

 …しかし、『子供会』が母校で運動会を催すなんていう見当は、ヨーロッパに行った僕は、おおよそ付くものではなかった。その無知は、おじいさんを前に怪しく映ったかもしれない。

 自分の格好も、どことなくうす汚かったと思うし。

 『僕はあの小学校に通っていたんです。』という、おじいさんを前にした『カミング·アウト』も、皮肉にもおじいさんには「大嘘」だと聞こえていたかもしれない…。😭

  

 当時僕に必要だったのは、「日本語」や、完全と言ってもいいほど忘れてしまった日本人に関する「知識」を取り戻すために、日本の人々に触れることだったのだが、不幸なことにその前年、「仕事」が続けられなくなったことで、実家にもおれなくなり、「身内」という、最も接触しやすい人々も、自分の生活環境から奪われてしまったのだった。

 なにげに、「精神の混乱」も続いていた…。

 しかし、ヨーロッパでなんとか『鎮静化』に成功した、救世主としての強烈なプライドも、自分を易易と引っ込ませはしなかった…。

 もう、『トラブル』と、それによる学習というプロセスは、当時既に“不可避”であったのかもしれない。

 もっとも、それによってまったく刺激のない病院で、相手も上手とは言えない日本人女性の精神科医の元で、「3年数カ月」を送ることになるのだが…。

 もう、言ってしまうが、『救世主宣言2013』の失敗の感覚(と、それにつきまとった罪悪感等)は、恐らく、一旦『忘れる』しかなかった。“忘れて”、新しい意識を生きることで、僕は生まれ変わるしかなかった。

 

 そうして《新しい意識》を生きる中で、「人」(日本人)と接し、その場数をこなすことで僕は、『自分』を取り戻していった。あれから「2年」は経ち、まだ完全ではないが、どこかでは、2011年に日本を捨てた自分に舞い戻るのではなく、「救世主宣言」と「混乱」を経た自分は、「更に強くなっている」、そんな気がしている。 

 

                 (おわり)

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