2025年4月17日木曜日

2025年4月、「放浪生活回帰」前の思惑 Ⅱ

例外昨年11.12 

⚫今日、「ワークマン」で安全靴など来週からの仕事のために色々揃えた。

 安全靴を探した時、昔を思い出した。

 靴一つで、むっちゃ悩んでいた十代。

 値段、デザイン、軽さ、丈夫さ、履きやすさ、好き嫌い、エトセトラ。

 靴一つで、むっちゃ迷っていたものだ。子供は誰でも多かれ少なかれそうかもしれないが。それが、今はまるで違う。

 決めるのが、むっちゃ早い。4種類も5種類も見ず、「安全靴といえば」というイメージに合ったもの2つくらい見て、決まる。

 「頭の整理」(目の前のものを情報収集して、整理し、ベストを見極める頭の回転。)がむっちゃ早くて。

 今一度、こうなれた自分はどんな模索をすべて経てきたか、思い返してみたくなる。


例外昨年11.14 (面白いので、残しておく)

⚫(重要。僕の心構え)

 例えば、今書いている『僕にとっての作業所T』を利用者にも配りたいと思ったとき。

 「コピー代はどうする?」(かさむ)

 Tに、お願いする(甘える)?

 

 →自分が納得する答えを出すまで、頑張る。

 下手に、甘えないのだ。

 「甘え」は、借りを作るから、そうしたくないんであれば、納得できるアイデアにたどり着けるまで、考えるのだ。

 例えば:

 「コピー代をTに負担してもらうことは、僕の体験談はみんなのためになると思うんだから、悪いことではない。。。

 そんな気がするが、ちょっと待て。

 それより、自腹を切る方が、カッコよくないか?謙虚じゃないか?」

 そうやって、例えば、僕はふと浮かんだ、「甘えたい」心理を自分で克服する。

 ☆「甘え」は、「依存」をつくる。

 

例外2.5

⚫(記録)(2/5 デイケア)

 なんだか、僕の、端から見てとれる様子に、わざとかこつけて、人と話題を育むスタッフと利用者がいる気がする。

 +僕が自分の仕事(翻訳)で一息ついたまさにそのタイミングで、「せき」をする加藤正千さん。(皮肉だが、デイケアで最もお世話になった人)

 これ、生理的咳、とするのが世のルールだけれども、絶対!、そうじゃない。若い頃の俺の日本人理解は、日本人は咳を、他人の注意を引き付けるために多用する。(!)

 現に、2/3!、仕事で鉄筋をどこに運ぶか分からず、変な会話を育む関係ない連中に、鋭い視線を返した時、そばにいた年老いたガードマンが、ピンポイントで「せき払い」。

 絶対、偶然ではない!

 (*2025.4.14記 加藤さんは、悲しいことだが、僕のことはほんとは好きじゃなかったんだと思う…。)

 

例外2.13

⚫(ユーチューブでは取り上げたが、重大な気付きだったためここでも残す)『建設業』重要(Beware!)

 ≪また、人間の邪気に侵されるかも!

  「合わせる」ことで。(!!)

  (あいつらは、俺と同じようには、絶対しないんだから、合わせちゃいけないのだ。合わせれば、裏切られ、利用され、そまつに扱われ、…最悪なことになる。若い頃、散々味わったのだ。)(超貴重な教訓!)

  俺は、心がきれいだから、人に親切を施すが、それがすげなくはねつけられ、利用され、見返りが来ず… 侵される!

  (過去の自分に戻ってはならない!危険!毒には触れるな!)

 追記:(2025.4.14) 当時これほどに、危機感を抱いている自分だが、あの後間もなく仕事は終わり、何もしない2ヶ月が経ち、人に歩み寄る気持ちを持とうとする新しい自分がいる。しかし、上の印象は、そんな間違ってもいない気がする。今は、うんと、「人と仲良くしたい」(人を許したい)という自分がおり、5月に放浪生活に戻っても、おそらくそうする余裕というか、気概があるけれども、この2/13の印象はなんだったのか、その根源は是非とも探ることにしよう。#####


例外3.24

≪重要≫ 幸福の科学、『大川隆法氏』。

 あくまで参考であるが、2ヶ月くらい前、インスタグラムで興味があると言って、幸福の科学総裁、大川隆法氏の『地獄の法』(「見方を変えるとそれは、救世の法である。」(大川氏))という本を挙げた。その本は、買っただけでまだよく読んでいないのだが、氏は、東日本大震災は、

 『天照大神のお怒りである』

 というようなことを言っている。

 俺は、自分のことを天照大神なんて見立てる気はそうそうないが、もし神通力が本物だとしたら、そういうことも考えるようになるのかもしれない。(否、はるかにその「遣い」だと思うが…。)

 興味深いことに、氏は、僕と因縁ある名前を持っているだけでなく、まだ到底死ぬはずのない「66歳」という若さで、「2023年3月2日」という奇妙な日に亡くなられている…。

 その語呂合わせは、「3.11」を思わせるだけでなく、大川隆法氏は、僕の存在を嗅ぎつけていて、僕にご自分の人生の功績を託したかったのか?それとも、僕に、それを葬られたとでも感じたのか?





########以下、「4月」。##############

4.9

⚫(発掘。≪重要≫)(かつて、20代、たしかあった実感。)

 『言っても、しょうがない。』

 関連: 世間一般人の、「真理」をバカにした態度。

  

 大多数(大半)の人間は、「真理」など、おおよそ興味はない。自分の見たいこと、聞きたいことしか、興味はない。(真理は、めんどくさい。)

 その不義の姿勢が、かつて俺にこのようにして「絶望的」、且つ「怒りを覚えるような」実感を、生み出していた。

 だから俺は、黙って、引き下がったのだ。罵倒、叱咤、弾劾等に出るのではなく。(これをしたら、世間ではいわゆる「アウト」、なんだろうな。)

 つまり、世間で自分の生活の場を得たかったら、他人の不義には目をつむれと、そういうことなんだろう。そして、そういうのに触れたくないんであれば…、アレだ、早いうちから、人生「成功」させて、そういう卑怯な人間に触れなくて済むような地位、名声等を得ろ、ということだろう。なら、そういう方向に進むことを、そもそもが阻まれてしまった人達は…?

 「知ったこっちゃない。」

 それが、世間の見方だろう。そんなんだから、俺はかつて、世の人間が嫌いになったんだと思う。…



⚫(今年に入ってからの自分の「食事研究」から導き出した結論。(仮説。自分としては貴重。))

 ≪「中毒」(食事)とは、『心してかかれ。』ということである。「やってもいいが、それがやめられなくなったら(自制を失ったら)、それはあなたの責任だぞ…?」ということである。

 『食べ物』も、同じ。社会がそう捉えていないだけで、『食べ物』も、薬物と本質的に何も変わらないというのが僕の考えだ。

 だから、「酔いしれる」ような刺激をもたらすものには、たばこでも、酒でも、油でも、「中毒」になってはいけないのだ。ほどほどにしなければならない、「自制」が崩れる、ほどほどにしなければ病気する、そういうことなのだ。(現代的な、豊か過ぎる食文化に対する警告)

 結論(仮説):

 『食べ物とは、「薬物」となんら変わらない、「中毒物質」である。』

 (「薬物は、なくても人間は困らない。同様にして、食べ物も、なくても困らないのではないか…?」)≫


4.12

⚫ 僕の、かつての女性への憧れ。(一例)

 スパイス・ガールズ “2 become 1”のエンマ·バントン。

 だが、すべて捨てた。(2007年1月)

 (克服した)

 人生、やり終えている。  

 

⚫ (エホバの集会に参加して。)

 1. 瞬間掌握力によって、瞬時にして、公演の核心、人の思惑、気持ち等が読み取れてしまう自分を再確認。

 ⇨凡人を逸している。

 2. 聖書のもんごんの、霊的な意味合いにも、すぐに到達する自分がいる。おそらくそれは、人生の奥義というものを、極めようとしない世間一般人には、(さほど熱心でない信者などには)、できないことだ。

 多分、僕は昔教会などに通っていなくても、独力で人生を極めようとしてきたから、それが分かるのだ。

 

⚫ (日本無銭放浪中など。発掘。『飽くなき向上心』/『勤勉さ』。)

 僕は、《ひたむきに》自分の能力開発に取り組んでた。

 例えば、 瞑想技術の練磨による、「長文」や、「観察世界」の深堀り/構築能力。

 物事の真相を探る(突き止める)能力。等々。

 (『ある程度』、では満足せず、真面目に能力開発に取り組んだ。)

 

⚫ 『最高の仕事』、とは。

 「自分がやりたいこと。」(ワクワクすること。)から、『あなたの仕事』を構築していく。

 それを中核に、それに付随するあなたの意識に及んだ事柄を、「肉付け」として、加えていく。

 それは、あなたがやりたいことに出発点があるために、あなた独自のお城となるが、それが“偏屈”でない限りは、素晴らしい仕事になる可能性が高い。

 (やりたい!)という気持ちが持つエネルギーを用いて、沢山のことがこなせるからだ。…

 (人が、詰まらないと感じるような家事でも、僕は日々違う家事、絶対同じにはならない一日一日の家事で、成長と、改善を経験しながら、「最高の仕事」で生活を充実させることを楽しんできた。(グループホームを出てから特に。)✌️) 


⚫ 人間の能力の真の高み』

 例えば、「うどんの芯に、火が通ったか、否か」。

 感覚を磨く者は、「噛んでみる」という月並みなやりかたに陥らずに、「麺の見た目」、「感覚的時間経過」などから、これが分かるようになる。

 人間の感覚とは、ほんとは、それくらい鋭いものなのだ。

 (そういう能力が磨かれてくると、生活の創造性も格段に伸びてくる。そして、その充実ぶりによって、生活は一段と楽しくもなってくる。

 この世のあらゆるものに対して、それを、選り好みせず自分の感覚を生かしてよく研究することで、このような鋭い感覚は育つ!)

 

4.13

⚫ ≪僕の性の発達≫

 「同性愛」… かすかに、感じたことがあるかもしれない。ある種の、独特な雰囲気を持った男性に対して。しかし、性的に目覚めるのが遅かった僕は、そもそも性的欲求が育っておらず、例えば、中学で西洋の女性に魅せられていながら、落ち着いたのは「日本」、全く違う女性性の国。

 だから、ほとんど女性に目覚める前に、大人となってしまって、その頃には人生目標を救世主に設定していて、セックスや恋愛などは二の次になった。

 もっとも、カトリックだった母親の影響で、漠然と結婚前のセックスはNGだとか、コンドームなど甘えだという考えはあった。

 

4.14

⚫(いい記録。「作業所」(~2024.11.15))

 僕の精神の目覚めの過程で、こんなことがあった:

 おなじチームのA君が、僕の言った「おはようございます。」をばかにするような態度を採った。

 それに対して、目覚めた僕はつっかかった。

 すると、その行為に対して、例のO支援員が、「なんでそんなこと気にするようになっちゃったの?」と言ってきた。「前の小川さんだったら、そんなの気になんなかった。(それが正しかった。)」、と。

 しかし、僕はこのA君から、変なことをされたのはこれが初めてではなく、僕が彼に何かやなことしていた訳でもない。おそらく、彼が、俺が好かなかったのだ。だから、一方的に攻撃してきたのである。それともなく。

 それに感づいた僕が、彼が変なタイミングでゲームをやめて、顔を上げたせいで、僕を“誤解”させ、そうしてたしか言った「おはようございます。」を、無視する、みたいな卑怯な真似(そこで、Aは、他の人には挨拶して僕だけ無視である。)を、摘発したら、O支援員から注意された、という訳である。

 どっちが正しい?

 みんなにやさしくしなかった俺?

 それとも、攻撃してきたA?

 俺は、みんなに優しくしなかったとはいっても、誰も、攻撃したことなどないのな。意味もなく。だから、Aと支援員Oの方が「おかしい」と思う。

 (P.S. あ。一度、施設外から帰る車の中で、A君が変なこと言っているので、釘を差したことがあった。それを彼は根に持ったのかもしれない。いつまでも分からず、いつまでも言い訳を並べ立てる彼を、僕は“注意”していた。

 ただ、支援員も、下手くそであった。そんなAの相手が。だから、事を終わらせたのは、僕の言葉だったのだ。Aには、ちょっとショックだったかもしれないが…。)


 (後記:4.17 前にも印象で挙げたことがある、「類稀な(?)、僕特有の、《人に、言ってあげる親切》?」なかなか自覚がならない、人の犯している間違いを攻撃でなく、真実として、自覚をさせる。Aはそれを、攻撃と履き違えたのかもしれないが。)


4.14

⚫『充実の秘訣』

 「あなたが、活発な精神をお持ちで、それを生かさないなら、そこには、多分に邪念/雑念が入り込む。」

 例えば、飲み干したコーヒーカップを流しに置きに行くだけのことでも、それをしたいという気持ちに火がついていない(切に感じていない)のにやると、それをやった時に、なにげなく名残惜しさを感じたり、次のコーヒーのことを夢見たり、してしまうのだ。(活発な精神は、そんなところで裏目へと出る。)

 持っている能力は、使わなければならない。使わず、あなた自身の性質を否定するならば、それは、例えばこのようにしてしっぺ返しを食らうことになる。

 

 僕は若い時は慢性的にそうだったのと、24、絶望時の統合失調症などは、この「自己否定」/「自己嫌悪」/「自己放棄」の極限で体験した病だったという気がする…。

 『人間は、「自分」を生きるために、生きている。』

 

⚫(僕) “けたたましい探究心?!”

 僕は、子供の時分から、「何でも完璧にやりたい」、そんな子だった。だから、例えば、いやなこととか、いやな気分でも、そこに留まってその本質を探ろうとするのだった。

 自分が、変な気分になったら、どうしてそうなったのかを知りたがった。変な気分から逃げようとか、避けようとするんじゃなく、突き止めに向かったのだ。その際たる体験が、24歳絶望時の、統合失調症であったと思う。

 だから、人間の心理に関しても、自分には馴染みのない感情、感性も、それがどんなものであるか積極的に研究した。そうした無償の、純粋に自発的な人間研究が、今日の僕の、見識の深さとなった。

 

4.16

⚫≪重要≫

 「俺がかつて、親父をボコしたり、自殺したりしなかったから、今日の父(小川誠)の『稲の多年草化栽培』はあると言っていい。」    ー2025.4.16

 (父の精神的平穏を、僕が自身を犠牲にすることで守ったから、2013年?、父は多年草化現象に気付くという鋭い観察力を発揮することができたのだ。)

 

⚫『知識偏重人間が犯す、様々な理論を統合する際の、言葉の論理的欠陥。』

 (不食60日の不食者、Y.O.)

 ⇨「人は皆、神。」と言っていながら、俺に、「神は人間にとって狂人。」とか、「神に近づきすぎたなら、動物的身体に戻る、(それを目指す)」とか何とか言う。

 (「神」という言葉の意味が、矛盾的に使われている。)

 

≪重要≫ 『瞑想能力の極み』?  

 あなたが、ご自身の瞑想力(あなたの、あなただけの真理の正当性を確立…)を鍛えるなら、、、

 (例えば、あなたが到達した真理に対して、重要な箇所(言葉や言ったことなど)が、それを扱う時全く無理なく頭に浮かび、それを言う、ということができるようになる。…)

 (*要再検討)

 

≪重要≫

 『僕が何故、みだらな頭髪や、無精髭などで、公の面前(SNS)に出るか。』

 ⇨それは、身だしなみを整えるという習慣ができてないから、ではない!もっとうんと重要な意図がある。あなたにも、人間の肌の色や、整形した顎や、歯並びや、顔面の傷跡、シミなどではなく、、、物理的な美しさで人を眺めるのではなく、僕がしているような「霊視」、を身に着けてもらいたい、と、そういう目的があるのだ。(これから、霊的な目を養う方法を、伝授していく。お楽しみに!)

 

⚫(重要な考察)『整形は不純。』

 なぜなら、それは遺伝せず、あなたの本来の特性を見えなく(隠し/ごまかし)してしまうからだ。整形した人間とは、言っちゃ悪いが、好かれるためにお人形へと“退化”した人間だ。それは、人間の「中身」(精神/魂)に対する姿勢としては、誤魔化し以外の何ものでもない。「体」とは、人間の魂、心の大事な「具現」なのだ。

 与えられた体で、『自然な美しさを目指す』。『「あなた自身」を生きる。』そうでなければならない。

 (整形しても、魂や心も、良くなる訳じゃない。整形したら、自分が変わったと思うかもしれないが、おそらく、人は、その「強力な誤魔化し方」によって、長い目で見ると、「本当の自分」を失ってしまうのだ。生態としても、前の体よりも不具合を起こすものでは?それらは、魂としては、恐ろしいことかもしれないと思う。)

 (*要再検討。以上、率直に思うこと。)

      

 

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