2025年4月12日土曜日

2025年4月、「放浪生活回帰」前の思惑 Ⅰ

 (※注: いくつか、3月中の印象がありますが、ご了承下さい。先の投稿では、発表したい印象を優先して発表していたため、まだ残っておりました。(汗))


 


3.12

• 『(やりたい。)という気持ちの大切さ。』(生活が惰性になっている人、「ルーティーン」に陥っている人へ)


 たとえば… 中途半端な気持ちで食器洗いはしない方がいい。(まだそんなに気が進まないなら、やらなきゃならないことでも、もっと気が進むこと、自分が楽しいことをやった方がいい。) そうすると、その動機がまだ強くはないために、それをすることで喜びがあまり得られないし、なにより、(やりたい!)という気持ちがしみじみと感じられた時にやる方が、テキパキとでき、喜びも得られ、「次は何しようかな♪」と、生活に心躍らせる自分になる切っ掛け作りにも、なるのだ。(参考:『充実』は、人生の喜び。)

(*注: 3.18、4.4に関連する気付きあり。3.18のは、前投稿「2025年3月の思惑。」に入っています。) 


3.13

(記録) 今日の気付き

 (気ままにマクドナルドに行って)

 自然な、人と仲良くできる自分を発見。(店員さんを前に) 人間の、一般的な人との接し方。

 

 (後記:)

 思い出したのはいい。でも、恐らく、これだけでは済まない。人は、絶対悪さをするから。

 ただ、自分がいかに「瞬間掌握力」に依存して対人関係を持ってきたかが、分かった。

 (重要:)

 若い頃、そういうところに潜む、人間のいたずらに目を向けた自分。(それは、「被害妄想」なんて浅はかなレベルのものじゃなく、極めて「厳正」且つ「入念」な人間観察であり、その成果が、2008年の霊眼『瞬間掌握力』の獲得であったと、自分では思っている…。これから、その霊眼の真偽、世間一般人の実体というものを、放浪生活の中で確認していく…。)  

 

3.14

 (元気がない人へ)

 中途半端なもので、自分を満足させようとしていませんか?

 そんな時は、発奮して、自分を大いに喜ばせることをした方が、道が切り開けることが多い。

 そういう大きな行動が、気分の高揚が、「ひらめき」や、「グッドアイデア」を呼び込むことが多い。

 「低空飛行」は、相応に詰まらない考えしか呼び込むことはできない。

 (自分を満足させた方が、やる気も出るのです。もちろん、«贅沢な»人間は、まずはつましさ、謙虚さから学ばなければなりませんが。😅)

 (関連:昔の俺自身がやってしまってた、『自己愛不足』。)

 

3.29

•僕が今日できる真理への到達(YouTubeなどで発信しているそれ)は、普通の人は何ヶ月かに一遍、もしくは1年に一遍も到達できないような価値あるものだという確信があるから、発表している。

 それを掴むということは、価値として、数万円、数十万円にも劣らない(人間の霊的な成長にとって)という自負があるから、僕の言葉、僕の人生経験によるものではあるが、伝えたいのだ。###

 (僕は、そういう価値ある悟りに、1日でいくつも到達してしまうという、卓越した才能がある。)

 

 

≪重要≫

 -なぜ僕が、人に優しくなれないか。-

 僕がなぜ人に親切にしたくはないのかという理由が、分かってきた気がする。

 それは、僕が無差別に人というものを嫌っているのではないのだ。正当な理由があるようだ。。。

 

 (例えば、やはり、道端で咳をふっかけたり、横断歩道を歩いている時につっこんできて微妙に脅かしてきたり、不要にエンジンキーを回して人の静寂を打ち破ったり、人の親切を見て見ぬふりをしたり。)

 僕は、社会にいるだけで、「いやがらせ」を受けるのだ。

 (俺に金があって、その能力にふさわしい仕事を持っていたなら、そんなものを体験する必要はないのだ…。カッコいいスーツを来て、ビシッと決めて、高級車をのりまわしていれば、そんないやがらせは受けないのだ。)

 人々には、俺は価値のない「負け組」に見えるから、半ば「軽蔑」から、そうしてくるのだ。

 ちがう?

 

 +さて、これから「放浪」で、僕の顔の贅肉が落ちて、引き締まった顔になって、気を引き締めたら、、、この現象は変わるか?今は、そう、雰囲気を一変させて、様子を見るつもりである。

 

 

•(発掘)『僕の嫌いな、日本人の一側面。/「人間の所業」2例。』

 正月に、ペットボトル拾いをやった時、鍵のまだ付いている自転車の鍵を拾った。うれしかった。

 でも、昨日こんなことを思い出した。

 『日本人は、まだ使えるものでも、古いものは、“毛嫌い”する。』

 ヨーロッパ人とかはそうじゃないが、日本人は、新しいものしか使いたがらない。だから、僕が拾った鍵など、彼らにはほぼ無価値ではないだろうか。(「人が使ったものは使いたくない」、という潔癖症も、日本人にはあるよな。→「唾がついてんじゃねぇんだからよ!」って、俺は思う。)

 そうやって、ゴミを大量に廃棄して、環境を汚している。「ゴミ処理場」で、大量の排気ガス、毒物を排出させている。

 服も、家具も、車も、そうだ。使えるもの、古いものを拾うことは、「軽蔑的行動」ですらあったんじゃない?

 俺は、昔からその精神が大嫌いである。

 日本人は昔からプラスチックの利便性を愛していながら、その処分に関しては、いいかげんである。

  

 『マイクロプラスチック問題』を見ろ!

 人の脳みそにまで侵入して、取れないそうじゃないか!海を初めとして、どれほどの生き物がプラスチックで「苦しみもだえている」ことか!

 

 先日…。近所のごみ拾いにも行って、70Lゴミ袋2つ、パンパンのゴミを家に持ち帰って、風呂桶で洗い、分別をした。その時、思った:

 (ペットボトルって、むっちゃ丈夫にできているんだな…。むっちゃ、便利だよな。でもそれを、人々は中身がなくなったら、クズ同然に扱っている。平気で、ポイ捨てをする。)

 すべて、「お金」でしか世界を見ていない結果だ。ペットボトルなんぞ、お金にしたら、きっと3円にもならないのだ。だから、捨てる。

 そのツケが、回ってきている。###

 

 P.S.その1 

 ドイツを放浪中、あれはなんと言うのだろう、セックスの前などに、気分を高揚させる少量のお酒の瓶が、森に捨てられていて、そのアルコールを求めて、ナメクジが中に閉じ込められているのを見つけたことがあった。

 アルコールにつられて、瓶に突っ込んだが、後退できず、ハマってしまっているようであった。

 かわいそうになって、僕はそいつを引っ張って抜いてやろうとしたが、抵抗を示して、結局僕はそいつのはらわたを潰してしまった。

 「何やってるの?」と、通りすがりの人が様子を見に来たが、怪しまれたくはないので、「こいつを殺してしまった…。」とだけ無邪気なことを言って、僕は立ち去っていった。

 人間の無思慮というものは、こういうところで罪無き生き物たちを無数に苦しめ続けている。

 

 →「新しいもの」を常に使いたいんなら、古いものの処分も、しっかりとやれ!!(古いものの処分にも、しっかりと金を回せ!)

 

 P.S.その2 

 選日「Book·Off」に行くと、確かにマーキングの入ったものだか、定価4,700円もしたセルビア語の辞書が、1円にもならなかった。

 マーキングの量は、大したものじゃない。でも、ブック·オフの店員は、その価値を見出さなかった。

 おかしいだろ。

 『道徳的腐敗』、そう思った。 

 俺には噓を付いて、その辞書を高価で売るつもりなのかもしれないが。分からない。 

 

 

3.30(…ネガティブな印象の連続で申し訳ないが。(汗)💦)


 『人間にありえる悪魔。』

 (記録)(『建設業』、12月)

 一度、木なども密集している大変なやぶの伐採をやったことがある。

 その最後に、親方がこう言っている:

 『あれは、「罰ゲーム」やったな。』

 日本語の、「罰ゲーム」の意味を、忘れていた僕は、その意味がその時はよく分からなかった。 

 

 今は、ちょっとこう思う:

 →「俺のエネルギーを、うまく利用した発注であったかな…」と。

 どういうことか。

 『バリバリやる奴がいるから、今なら、あそこもできる。あいつのエネルギーで、仲間も「疲弊」しないんじゃないか。今が、チャンスだ。』😈😈

 俺のエネルギー自体には一銭も支払わず、仕事力は評価もせず、それを私的利用した派遣先の会社と請け負いの『策略』であったかもな…、と。

 

 建設業では、他にも、全然動けない奴と組まされて、派遣されたことも何度かある。同じような目的で?

 会社の上部の人間がしうる、そういう、汚い部下の搾取、というものを、今は想定する。 #####

 

3.31

 テーマ:『「鍛錬」と、「自己愛」。』

 (記憶)(若い頃)

 例えば、目に飛び込んできたお菓子の空袋を見て、瞬時にして(食べたい!)と思った。それが、見事に自分の潜在意識を掴んで、後々食べずにはおれなくなった。

 常に自分を“駆って”いて、自分を愛することもできないから、心は常に飢えていた。(子供時代からの根本的な飢えも手伝い…。)小川家では、「ゆとりを持つ」ということを教わらなかった。

 僕にはただそれが必要だったのだが、ほんとにそれが自分には(自分でも)与えることができなかった。

 例えば、僕の友達とかは、そういうゆとりを持つことを知っていた。でも、彼らに恐らくなかったのは、僕のような、メラメラ燃える、向上心な。

 人間を極めるためには、「向上心」と「ゆとり」、両方必要だ。自分に甘いのもいけないし、自分に厳しすぎるのも、いけない。そのバランスだ。僕は29で、家族と絶縁してヨーロッパに行ったことで、『自分を駆り立てる鬼』から解放され、ちゃんと自分のゆとりを確保するようになった。

 今は、お菓子の空袋を見て、飢えることはない。だから、例えば断食で、(もう食べない。)と意識を切り替えると、その切り換えがうんとうまくできる(つまり断食に入れる)自分がいる。… ###

 

 P.S. おれは若い頃、実に、自分自身に対して正真正銘の「鬼教師」であった。### 

 


•(発覚。)『佐藤さん、田中さん、加藤さん、大崎さん、小山さんには、≪変われない≫。』(普通の人間には変われない。「俺」はともかく。)

 (*彼らには、これまで通りの生き方を続ける以外に、能はない…?)

 


4.1 

 『シンクロ、…また1つ?』

 「地震」以外にも、「水」が関連するシンクロニシティー、「雪」、「天候」などのそれを体験してきた自分だが、数日前、「津市市議会議員」の活動報告チラシがポストに入っていて、そこに、確かに気になっていた2月半ばにあった近所の「水道管修復工事」の記事が載っていた。

 なんと、上下水道事業局80名、給水車7台、広報車6台、給水を求めた住民は3500人に及ぶ、一大惨事であったのだが、当時の水道工事の通知書を見ると、その日付が2/14となっている。

 2/14とは、1ヶ月半一緒に仕事した親方に卑怯な真似をされて反抗し、その現場に行けなくなって“怒りが込み上げた”、次の日である。

 もうほんと150mもないくらい近所の工事で、工事施工業者の名前がまた「鳴川工業」。

 …これが、偶然か?#####


 

4.2

 (今思う。)(朋弘のジョークに潜んでいた「邪気」?)

 朋弘のジョーク:

 「不食になったら、自分は不食しながら、他人に『うな重』おごってやるっていうシーンを、動画に撮らない?」

 →それは、バカのすることだろう。

 なんで価値あるお金を、そんな高価なもので他人のために使わなならんのだ?俺は、賤民でも、下僕でもないぞ?このジョークにある『異常行動』は、行き過ぎであり、不食者による、食者の挑発行為にも思える。そんなことする必要はないのだ。

 思えば、朋弘には、他にも敵を挑発するような文句を使うのを目の当たりにしたことがあった気がする。ちょっと、毒々しい。そんな事をする必要は、ない。#####

 

『「大衆心理」を忘れている。』#####

 (しかも、あれから(僕の知っていた時から)それは、「14年」経った…。😳)

 

•(生活を活発、且つスムーズに回していく大事な習慣。)

 『意に留まったら、すぐやれ。』

 若い頃僕が長い間陥っていた日常的「苦」。見た時に、すぐやらなかったから、後からそれが負担となって自分にのしかかって、そういう家事だけで、だいぶエネルギーを浪費してしまう自分がいた。 

 →常に、ゴミや、要らなくなったものは少しずつでもいいから、生活に支障は出ないように、片付けていく大切さ。

 例えば、空になったお菓子の袋は、いつまでも机の上に放置しておくと、それだけでそれは、あなたの士気を腐敗させる。「俺はだらしがない。」というレッテルを、自分で自分に貼ることになる。

 (今日、確認。✌️(少しダラけて、断食もあって部屋が乱れて初めて気付く。) 

 『人間の生のいろは』。(人間として、生があなたに要求すること。))

 


 

4.3

• 日本を思い出している。

 まだまだ、忘れている!

 (例えば、今日、下手したら20年ぶりくらいに、食パン『ダブルソフト』を買った。その昔僕は、これが好きだった。(バターをたっぷりつけて、食べた。) 

 それで…、自分の中の日本をまた一つ発掘した。

 他には、庶民の、『食事』を大いに楽しむ潮流、…も、思い出した。

 いいことだ。これで、より庶民に、心理的に近づける。)

 

4.4

• 『家族と“絶縁”し、日本を捨ててヨーロッパに行ったことで、僕が得た宝物』

 いかに今、40過ぎが「ピースフル」か。

 文字通り心置きなく自分のやりたいように、好きなように、食べたり、家事したり、できる。そうできるようになったことが、僕の創造的高みや生活の充実をどれほど『保証』してくれたか。

 これには、凄まじいものがある。(重要)

 (僕と同じような抑圧的な人生を送ってきた人達に、『こうしていいんだよっ!』と、解放のまじないを掛けてあげたいwww。)

 

朋弘(昨年、「運命的」と早合点した出会い)は、忘れよう。

 

4.5?

 (重要) 『感情の極み。(ピンポイント)

 (*昔から、僕が大切にしてきたこと。「新テーマ」。)

 人は、これを突き止めない。いいかげんな感情、曖昧な自己認識で突っ切ろうとする。それ自体が不純である。

 無責任、適当、ということであり、「世界」を、「人」を、誤解する始まりである。

 感情… それを把握するということ。そしてそもそもがそれを気兼ねなく開く、ということ。

 それは、足し算や引き算のようにはいかない。多分に、『従事』することなのだ。

 

 世界に対して、気兼ねなくそれを開くものならば、それはあなたを大きく深遠な世界へといざなってくれるだろう。あなたの世界を拡張してくれるだろう。

 しかし、それこそが、本来の世界体験というものである。この世界は、なんとも大きく、深遠なのだ。人々は、上に述べた不純さから、これを体験しない/できない/しようとしない。

 …あなたは、あなたが感じているものが何か、どれほど分かっている??

 (…)  

  


4.9

(発掘)

 『人間の中の邪気は、てごわかった。』(日本を去る29迄の思惑) 

            ー2025.4.9


4.12

 -士気低迷、鬱、落ち込み、無気力の人へ-

      ≪僕自身の、人生の教訓(“奥義”、“王道”)!≫(3.12, 14, 18. 4.2(3つ目), 4など、最近つくづく思わされているテーマに関係する思惑)


 ≪やりたいことを、やりな。

  物事を、自分がやりたいように、自分が、いいと思うそのままに、処理しな。

  生活を、機械的に、もしくは、規則的に営むべきではない。特にあなた方は。。。

  自分に、「平和」を許し、気の向くままにやるのさ。すると、同じ、必要なことを処理するのでも、処理する順番がいつもと違っていても、「喜び」(楽しさ)を覚え、義務感からやるのとはぜんぜん違うエネルギー消費になるのを体験するだろう。

  

  「自分がやりたいようにやる」ということが、いかに人生を楽しくするか…!!創造的に、充実、発展、能力開発等させる『力』となるか…!

  僕と同じように、人生抑圧的に生きてきた人達には、是非、こういう「自己愛」を持って頂きたい。なぜなら、自分を愛せない人は、この世では、うまくやっていくことも、できないからだ。

  キリスト教では、『神様はあなたを愛しています。』と言う。そう、神様は、姿を見せてくれなくても、苦しむあなたを助けに来てくれなくても、≪あなたを愛している≫。≫


 

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