こんばんは。
みなさん!! …と言っても、これを読んでくれる友達もまだろくにいないような自分ですが、今日は午後8時過ぎ、すごく嬉しいことがありました!断食の3日目、仕事もなく、あと2週間ほどで無銭放浪に戻る自分ですが、ゆったりと、ふとんで横になっている時に力強い幸福感に満たされました!その幸福感が強烈だったために、コンビニに行って食べ物を買おうとしたほどです!(結局は缶ジュース1本とたばこだけ買いました)
率直に形容しますと、その幸福感とは、『イスタンブールの歓喜』(先日投稿)の後、20代後半にあったものです。(2014年11月に、ドイツでの『救世主宣言』に失敗してから、この間、ずっと失われていたものです。)それは、2009年~2011年中のブロふグで、ちらりとは書いていたもの(*2009年6月の投稿、『不食の「師」、山田鷹夫氏とのやりとり』など。)ですが、まず、間違いないことは、それが、『イスタンブールの歓喜』(別称「神様の承認」)から得ていたものであるということです。
極めて個人的で、当時家族ですら満足に共有できない幸福感でしたが、簡単に言えば、先日書いているように『人生全うした』、『神様に認められた』、『天国行きは決まった』、そのような実感から生まれた幸福感でした。
人生で、満足に幸せを感じられていない人、虚しさや、寂しさ、自尊心の欠如や、未練などを感じている社会の多くの人間達とは、真逆とも言える境地にあった僕でした。身分は「ホームレス」でしたが…。
2007年12月、イスタンブールで号泣して神様の承認をもらった時思ったことは、どうすればできるか分からないけれど、この幸福感を“人と分かち合いたい”という願望だったのです。少し言い方を換えれば、「この(強力な)幸福感で、他者を幸せにしたい…!」と、そういう気持ちであります。その気持ちは、その後日本に帰国すると、過去の記憶という「暗雲」によって覆い被されてしまうのですが…。セルビア人とは、一線を画す「“冷めている”西側人間」(日本人も含める)(とその記憶)の世界では、余計「発揮」もしづらかったのですが…。(西側諸国では、感情的に、なりにくいために)
2011年9月から、「4年半」のヨーロッパを経、尚且つ8年間の『精神の冬眠』という試練を経た僕は、≪変わっています≫。何というか、かつての(日本での)冷めた世界観や、“酸っぱい”自分、悲観的な世の中の見方、が今はないのです。正直に言うと、そこに戻ること、はできたとしたも、「できれば戻りたくない」。日本でかつてそうなってしまったのは、僕の宿命的なものだったかもしれませんが、今は、それが塗り替えられそうなのです。そういう自信が、数時間前、昔の幸福感を思い出せたことで、付いたのです。
後は、ふとんの中で、昔の自分は、今日より「全体整理」が上手だったことも思い出しました。喩えて言うなら、(僕は将棋は強くありませんが)、プロ棋士が、無数の将棋の駒を、全体をよく見据えながら、詰めてゆく感じです。2022年11月に目覚めてまだ日も浅い僕は、ずっと荒削り人間でありました。
以上、そんな事を思い出した今夜でした。良き教訓を生かして、人生を前に進めて行きたいと思う所存です。まだまだこれからかもしれませんが、こんな僕をどうぞ宜しくお願い致します。
2025年(令和7年)4月15日(火)
救世主を目指し、その人生教訓を
みんなと共有したい
小川智裕カロルより
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