2010年4月9日金曜日

『こども時代』 16

四編 『青年期』(高校1年生~家出まで)

高校入学早々 ちやほや
 ドイツから日本に帰ってきてからそうだったが、高校に入ると自分はものすごく目立ち、女の子にもすごくモテることがわかった。僕は兄妹の中でも顔立ちが西洋的で、特に鼻は成長期を経て高くなった。まつげはもともと長かったし、目も西洋的な二重の明るい目だったが、小学校でもドイツでも大してモテるというわけじゃなかった。それが高校入学からえらく変わって僕は次第に自分の肉体的美を意識するようになった。
 僕はドイツの時に読んだバスケットボールマンガ『スラムダンク』に憧れて、長身も生かしてバスケ部にも入った。それで昼休みも同じクラスの仲間と体育館でバスケをするのだが、一学期は毎日のように体育館の入り口に女の子が数人、顔を出した。
 「また来てるよー、ロペ」 バスケをしながら友達がひやかした。同期にはアメリカ人のブロンドの女の子がいたり、その他にもクラスにかわいい子がいたが、僕は恋愛というには早すぎるものがあった。大人しい性格ではあっても心は実は、幼かったし、なにより日本に十分に「慣れて」いなかったのである。下手に調子に乗ってバカをしても後々が思いやられた。自分には小学校で苦い思い出があるのだ。
 ドイツからの帰国時に「慎重に。」と決してからはそれは大学まで継続され、結局高校でも彼女はできなかった。それはほとんど「申し訳ない」ほどで、後で期待を寄せてくれていた女の子には罪悪感を抱いたが、「慎重」であることが、高校生としてやるべきこと(主に勉強)を優先することが正しいと思われた。

 バスケ部では中学校で体が鍛えられている連中と「体力」、とくにスタミナの差が目立った。今思えば食生活の影響もあったかもしれないが、ドイツで地域の陸上クラブに入っていたものの、日本の学校にある部活動の活発さは比べものにならない気がした。仲間達が、必ずしもそういう活発な部にいたかはわからないが、僕はよくバテて、ウェイトトレーニングルームに引っ込む日が続いた。足に無理が生じてか、筋肉ではなく腱が痛んで走れなくなった。夏の合宿や遠征を経て体が少しずつ改造されてくると、たしかに体は変わり、あまりバテなくなった。しかし、バスケ部に集中するだけで他のことがおろそかになってしまうほどだったので、やむなく部活はやめた。


◆“やはり勉強を頑張りたい”― 
 ドイツで高校卒業資格試験を目指して一人で頑張っている兄や、自分の高校時代を振り返って一日5~6時間勉強したという父もいてか、僕は部活をやめてから「やっぱり勉強をしっかりしたい」と思った。
 入学直後の県下一斉テスト(英国数)では学年順位が21位で、一学期の成績もバスケ部で一位か二位だった。高校の偏差値自体あまり高くなかったのだが、それでも中学校の大部分の勉強が抜けている自分がそこまで得点できてしまうと、やっぱり勉強をしようと思った。
 バスケ部をやめてからは成績が伸び、バスケ部の代わりに週に二、三回10kmジョギングと腕立て伏せ(150~200回)をした。それはスポーツを諦めた自分に対してなぐさめ程度にしかならなかったが、それからは高校三年生まで安定した高校生活を送った。時にはまたマンガとかも描いて自分なりの夢の世界を探求した。それまで苦手だった読書も高校から始まり、日記はよくつけていた。
 同じく帰国子女で威勢がよく、性格がどこか似ていたKには「バンドをやらないか」と誘われ、ギターにも手を出してみた。母がギターを弾く人であったし、音楽も洋楽が好きだった僕はそいつに煽られてイギリスのロックバンドOASISのカバーをやった。「文化祭」にも出場した。

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