◆本当の勉強を、知らない
高校1年生の秋にバスケ部をやめてから、学校の成績はほぼトップになった。一部先生に好かれないような経験もしたが、5段階評価で4.6~4.7だった。しかし「実力」という点から見ると、大したことはなかった。僕は学校の定期試験に重きを置きすぎていたのだ。数学ができる、と思った自分は、生物専攻で理数クラスに入ったが、全国模試でも受けると大して得点はできなかった。
ただし生物と英語には力が入った。生物は受験科目では使わなかったが、三年生の一学期には国公立の入試問題を解くことができた。ぶ厚い問題集をそっくりそのまま、ノートに転写したのだ。英語は、自分が外人肌であるだけに、できなきゃおかしいという思いもあって、実用語としての学習に取り組んだ。試験問題はミスも出たが、ドイツでドイツ語を学んだ感覚で発音やスピーキング能力を意識して勉強した。
しかしそれでも僕は本当の勉強というものを知らなかった。全国大会に出場するサッカー部が、暗くなっても血汗流して練習に打ち込むように勉強も「熾烈な戦いである」という認識が欠けていたのだ。学校自体が競争や緊張感の薄い学校でもあった。僕はそういう点で本当の受験勉強を知らなかった。
M教の信仰生活は下火だった。家に外部の人の出入りも増えたため、手をかざすこともうんと減った。親も昔ほど説教することはなくなった。もう高校生だったからとやかく言わなくなっていたというのもある。時々「道場」にも行ったが、昔からM教は好きじゃなかったため、信仰からは離れていった。
◆実はまだ確認できていなくて‥
高校3年生になった頃、少し精神的な異変を感じた。不本意な、自分を縛るような生活に心が疲弊していた。思うと、そのころは全然楽しくなかった。生活の全体感が、マレーシアやドイツと比べるとみみっちくて、中身がなかった。自分では生活が充実するように、最大限のことをやっているつもりだったが、思いを寄せてくる異性を拒み続けることや、これといった趣味や希望が見出せない年月がつづくと、さすがに精神的に限界となった。
一つには、その頃、射精体験が済んでいなかった、ということがある。体は健康体で、夢精は経験しても、世間が言うような男性としての能動的な営み(自慰)がなかった。肉を摂らない、家の食事の影響という可能性も高い。
高校3年生の夏に、家に自分一人となった時があって、その時初めて、アダルトビデオを借りてきて、挑戦した3回目に射精ができた。好奇心から、その場で持っていた顕微鏡に精液を乗せて、自分の目で確認するとそこには無数の活発な精子があった。それを経ると、精神的にガラッと変わるものがあって、農学系志望だった自分は突如挑戦に出た。3年生の2学期に、進路を変更して学校に来ていた指定校推薦に応募した。
射精体験を済ます前だっただろう。一度ベッドに寝ていて奇妙なところに意識がシフトするというような体験をした。なにかそこでは、感じるものが人間的ではなくて、体験した後でも、言葉にならない。それから定期的に、頻度の差はあるが、その「かなしばり」のような体験をするようになった。「かなしばり」というと「何かにとりつかれて体の制御が奪われ、動けなくなる」というイメージがあるが、自分のは少し違って、動くことはできるが、そのシフトした状態はすごく気持ちが悪いため、自分に還ることに必死になる、という感じだった。しかし数を重ねるにつれ、時にはその状態を、あえて観察するということもできる様になった。それは今日でも、時に体験している。しかし観察してもそれが我に還った時に「言葉にできない。」体験した感触も我に還ると急激に忘れていく。だからある時、それは「人間の認知系統ではないのではないか」ということを思った。なんなのだろう、いまだ謎の現象である。
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