◆大学受験
学校の成績はよかったが、自分の実力では国公立大学の受験は厳しいということがわかると、推薦入試から検討をし直した。その始めの一歩が指定校推薦だったが、これはおしくも成績上位者にとられてしまった。それでもその学部を諦める理由はないと思ったので同じく推薦入試として同じ学部や、他大学の同系統の学部などを調べた。慶応大学なども見たが、時間的な余裕がなかったため、指定校と同じである中大総合政策学部を受験することにした。受験書類の作成には時間がかかり、受験自体に少し自信がなかったため、いちかばちかという感じだった。
ちょうどその頃、一緒に農業大学を志望していた友達から、小学校で級友だったKが交通事故で重態だということを知らされた。キャンパス見学か何かでばったり会っていたK君は、それほど仲がいいという訳ではなかったが、僕は「これは…。」と何かに気付いたように思った。
病院を訪ねると、通学中にはねられたというKは、ぼんやりとした意識でほとんど身動きがとれない状態だった。
僕はM教の手かざし、「お浄め」をした。人前で、M教でない一般人を前に手をかざすことはそれまでほとんどしたことがなかった。マレーシアでガキ大将だった時や、ドイツで虚弱だった友達に手をかざしたことがあったが、大人を前に信仰告白をして、「手かざしをさせてもらってもいいですか」と願い出たのは初めてだった。
毎日のように通い、50分から1時間のお浄めをするうちに、Kの容態はどんどん軽快していった。ある日は突然、見違えるように一気に元気になったりもした。命に別状はないということが分かる頃になると僕は受験に集中し、それからはほとんど会うこともなかったのだが、勇んで直感に従ったという経験が僕の生活に新鮮な空気を届けてくれていた。「上昇気流」という感じで、大学推薦入試も調子よく受験することができた。12月には合格通知が届いた。
中大に合格すると、それで、中大に入ることにした。父には「慶応大学受けてみないのか」と言われたが、僕は受験料のことを気にして、また、一般受験で受かる自信もなかったので、「いい」と返事した。
進路が決まると、とうとう気が緩んで、学校の試験勉強には手がつかなくなった。「これでなんとか高校も、卒業だ…ふぅ。」 学校の試験の度に2週間前から試験勉強に打ち込むことに「疲れて」いた。休みが、必要だった。
それでも春休み前には東京のとある「モデル」の事務所に応募しに行った。高校でのモテるという体験から「モデル」になることができるかもしれないと思ったのである。若者ファッション雑誌の代表である「メンズノンノ」には多数のハーフのモデル達が出演していた。モデルになったら、これまでの「金欠」ともおさらばできるかもしれない…と思った。子供の頃からの金品に恵まれない生活がひもじかったのは確かだ。そうしてファッション雑誌を買って、服というよりモデルをチェックするようになったのだが、大学が始まると、それどころではなくなった。事務所に支払った10万円(登録料)はそのままに、それ以上何かすることはなかった。
◆大学 迷いと初恋
大学に入学すると、やはり世界の違いを感じた。高校は「ひどく平凡だったんだなぁ」と思った。英語が得意な学生が多かったため、世界に開けている感じもあった。それまで触れたこともなかったIT関係も力の入った学部で、キーボードの打ち方から、一から学んだ。もし将来世界に羽ばたきたいと思ったらやることはたくさんあったんだと気付かされ、少し焦った。でもそこには「やるべき」と思われることがありすぎてどれを採ったらいいのかさっぱり分からなかった。たとえば「スポーツ」も捨てきれていなかった。小学校の時にやった「空手」とか、ドイツで熱中した「陸上」も本格的な環境でやってみたい気がした。もちろんバイトもして海外旅行とか、懐かしのマレーシアを訪ねるとか、願わくばドイツへの留学なども興味があった。
しかし… どれに的を定めてよいのか、わからない。目の前にあることに向き合うだけで精一杯なのだ。
入学早々、一応のクラス分けがあったが、その交流会で一人、気になる子がいた。なんだか分からない未知の魅力を彼女は持っていた。1つ上の先輩がアレンジしたその交流会では「みんなと1分間トーク」だかなんだかいう親交ゲームがあり、早速僕は自分の関心を彼女を前に表した。高校では間違ってもやらなかったことを僕はやった。
それからぎこちなくも、3ヶ月間の長い前戯(? を経て、僕らは付き合うことになった。後で分かったが僕が彼女に感じた魅力とは、磨かれた「女性らしさ」、もっといえば色気であった。彼女は僕の前に付き合っていた男性が僕より10歳も年上で、なるほど大人っぽいわけだった。その落ちつきとか、大人な感性に、僕は憧れも抱いていたかもしれない。大学入学から2日目か3日目だったその親交イベントで彼女に目をつけてからは、僕の大学生活は自動的に方向づけられた。周りを顧みる余裕はなかった。
毎日は、彼女のことに最大限神経を張ることで過ぎていった。週に3回あって、もっとも友達のできやすい英語のクラスも、僕はてきとうにつきあって、それで前期は終わった。
この、「好きな異性」というものが僕をどれだけ刺激して、魅了して、僕の人間自体を変えてしまったか、今思い返してもすごい。夜も眠れない日々だった。対して自分の高校生活はひどい不完全燃焼だったと思うようになった。そして、しだいに僕は内面の、大きな変化に耐えきれなくなって、後期には彼女から「離れていった」。彼女はその訳を知りたそうではあったが、説明しても無理があった僕は、自然と距離を置くようになった。
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