◆なんだか分からない原動力
恋愛に持ちうるすべてを賭けていた僕は、学費のための奨学金も恋愛や大学生活のために使っていた。「学費は一年目だけ出せる」と親に言われていた自分は、恋愛にかかるお金もたいへんだった。バイトをすると言ったって、そう簡単なことではなかった。
お金の心配をして、大学生協に応募した家庭教師の仕事が、夏休みに始まった。そして後期も始まるが、彼女と別れた自分は、「果たしてそれでよかったのか」と、「もっとねばるべきだったんじゃないか」とか、しきりに考え悩んでいた。大学の友人関係だって「適当に」ならざるをえなかった。
たとえば大学で食べる食堂のごはんにしたって、本当は僕にとって「ただならない」魅力だった。巨大な食堂には中華、イタリアン、和食、マクドナルド、何から何まであった。しかも外とは比べものにならない安さであった。おいしかった。昼はほぼ毎日食堂だった。さすがにもう親には、とやかく言われない。食べたいだけ食べられた。
でもそんな「食べもの天国」一つをとっても、忙しい自分には十分に楽しむことはできなかった。昼休みに1時間時間があったとしても、頭は「次はこれをしなければ」と始終考えているので、食事はみんなと同じテンポで済まし、次のことをやりに学部棟へ戻った。はっきり言って、「ゆとり」を奪われた人間だった。そんな自分に気付くのもだいぶあとになってからだが…。
そんな無謀な生活状況でも、恋愛を経た自分には内なる炎が燃えていた。その新しい「炎」を自分は正当に扱うことができないだけで、決して無気力なのではなく、むしろ何でも当たっていくような気概があった。
一年の後期には2人分の家庭教師と大学の勉強のだいたい2つに絞って生活していた。サークルも少しはやっていたが、てきとうだった。空手部に入るとか、ドイツ語を勉強するとか、海外旅行とかはいつのまにか無いに等しくなっていた。自分の生活の全体感がつかめない、そんな時期だった。
この年のおおみそかの夜には一人軽装で雪をかぶる丹沢山に登った。どう扱ってよいのか分からないエネルギーを、そんな奇抜な行動で発散した。
◆家出
そんな経緯では自然なことだったかもしれない。後期も終わって春休みに入ると「家を出る」と決することになる父との喧嘩が起きた。
その夜は、父が早々と一人でお鍋を食べ始め、残った魚の骨を鍋のふたに置いたのが、僕は気になった。「そこに置くべきではないと思う。」と、僕は辛口で指摘した。それでも相手にしない感じなので、しょうがなく自分が専用にお皿を取ってきた。父は「ありがとう。」と言ったが、僕は自分がいいように使われているとしか思えなくて、「そんな『ありがとう』ぶっとばしたいくらいだ。」と言った。「なんだと!?…」父は箸を止め、おわんを置いた。
父を前には子供の時から不器用にしかしゃべれない自分があったが、この時もとっさに浮かんだ「ぶっとばす」という言葉が、適切かどうかも考えられないまま、口を突いていた。「そんな『ありがとう』いらない。」と言っていれば、まだ話の余地が残っていたかもしれない。
父は立ち上がって「ちょっとこい」と明らかな怒りを見せた。ところが、僕にはその、今思えば日本の「男」の、怒りの表し方が通じなかった。僕が父に対して怖いと感じることは理由がわからない「沈黙」や、「認められていない」ことで、怒りではなかった。その頃には体力的にも負けない自信があった。
今度は僕が父を相手にしない感じで、ただ佇んでいると、父はこたつの横から僕を蹴ってきた。すぐに火はつかない自分だったが、父と向き合っているうちにそれなりに本気になった。憎しみというほどの強烈さはなかったが、それまで、こどもの頃から溜まっていたいろんなものをこの機に出してしまいたいと思った。取っ組み合った時、父の腕には力が入っていなかった、という記憶があるが、僕は父を玄関に放り投げた。それで父は動かなくなった。おなかの辺りを打ったようで、あえぐ声を出していたが、僕にはそれが本当なのか疑わしかった。父ははうようにして階段を登って自分の部屋へひっこんだ。
しばらくして、僕も落ちつかないので、「これで自分は気が済むんだろうか?まだし足りないんじゃないか?」と思った。そして階段を登って、暗闇の中に横たわる父に向かって、「ぶっ殺してやろうか?」と冷静に言った。父は、「やれ!」と力強い声で即答したが、そこまでする気は僕にもなく、僕は何も言わずに階段を降りた。
(いけないことをしてしまっただろうか…!?)
(とりかえしのつかないことを、僕はしてしまっただろうか…!?)
不安にかられ、当惑しながら荷物をまとめて、家を飛び出した。「もう家にはいられない。」そう思った。
僕と父とのコミュニケーションの悪さは、どうにもならなかった。この時も少し状況が変われば、家を出ていなかった可能性は高い。一歩間違えると、「天と地の差」…。そんな父との関係的難しさが、僕をいつまでも悩ませた。
家出をして一人暮らしになっても、僕の頭からは父を含めた、家族のことが離れなかった。僕は自分の恋愛とか、人生を、半ばあきらめた。友人がしているような、夢見るような大学生活を捨てて、僕は内に籠もり、細々と大学を続けた。
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