2025年4月17日木曜日

2025年4月、「放浪生活回帰」前の思惑 Ⅱ

例外昨年11.12 

⚫今日、「ワークマン」で安全靴など来週からの仕事のために色々揃えた。

 安全靴を探した時、昔を思い出した。

 靴一つで、むっちゃ悩んでいた十代。

 値段、デザイン、軽さ、丈夫さ、履きやすさ、好き嫌い、エトセトラ。

 靴一つで、むっちゃ迷っていたものだ。子供は誰でも多かれ少なかれそうかもしれないが。それが、今はまるで違う。

 決めるのが、むっちゃ早い。4種類も5種類も見ず、「安全靴といえば」というイメージに合ったもの2つくらい見て、決まる。

 「頭の整理」(目の前のものを情報収集して、整理し、ベストを見極める頭の回転。)がむっちゃ早くて。

 今一度、こうなれた自分はどんな模索をすべて経てきたか、思い返してみたくなる。


例外昨年11.14 (面白いので、残しておく)

⚫(重要。僕の心構え)

 例えば、今書いている『僕にとっての作業所T』を利用者にも配りたいと思ったとき。

 「コピー代はどうする?」(かさむ)

 Tに、お願いする(甘える)?

 

 →自分が納得する答えを出すまで、頑張る。

 下手に、甘えないのだ。

 「甘え」は、借りを作るから、そうしたくないんであれば、納得できるアイデアにたどり着けるまで、考えるのだ。

 例えば:

 「コピー代をTに負担してもらうことは、僕の体験談はみんなのためになると思うんだから、悪いことではない。。。

 そんな気がするが、ちょっと待て。

 それより、自腹を切る方が、カッコよくないか?謙虚じゃないか?」

 そうやって、例えば、僕はふと浮かんだ、「甘えたい」心理を自分で克服する。

 ☆「甘え」は、「依存」をつくる。

 

例外2.5

⚫(記録)(2/5 デイケア)

 なんだか、僕の、端から見てとれる様子に、わざとかこつけて、人と話題を育むスタッフと利用者がいる気がする。

 +僕が自分の仕事(翻訳)で一息ついたまさにそのタイミングで、「せき」をする加藤正千さん。(皮肉だが、デイケアで最もお世話になった人)

 これ、生理的咳、とするのが世のルールだけれども、絶対!、そうじゃない。若い頃の俺の日本人理解は、日本人は咳を、他人の注意を引き付けるために多用する。(!)

 現に、2/3!、仕事で鉄筋をどこに運ぶか分からず、変な会話を育む関係ない連中に、鋭い視線を返した時、そばにいた年老いたガードマンが、ピンポイントで「せき払い」。

 絶対、偶然ではない!

 (*2025.4.14記 加藤さんは、悲しいことだが、僕のことはほんとは好きじゃなかったんだと思う…。)

 

例外2.13

⚫(ユーチューブでは取り上げたが、重大な気付きだったためここでも残す)『建設業』重要(Beware!)

 ≪また、人間の邪気に侵されるかも!

  「合わせる」ことで。(!!)

  (あいつらは、俺と同じようには、絶対しないんだから、合わせちゃいけないのだ。合わせれば、裏切られ、利用され、そまつに扱われ、…最悪なことになる。若い頃、散々味わったのだ。)(超貴重な教訓!)

  俺は、心がきれいだから、人に親切を施すが、それがすげなくはねつけられ、利用され、見返りが来ず… 侵される!

  (過去の自分に戻ってはならない!危険!毒には触れるな!)

 追記:(2025.4.14) 当時これほどに、危機感を抱いている自分だが、あの後間もなく仕事は終わり、何もしない2ヶ月が経ち、人に歩み寄る気持ちを持とうとする新しい自分がいる。しかし、上の印象は、そんな間違ってもいない気がする。今は、うんと、「人と仲良くしたい」(人を許したい)という自分がおり、5月に放浪生活に戻っても、おそらくそうする余裕というか、気概があるけれども、この2/13の印象はなんだったのか、その根源は是非とも探ることにしよう。#####


例外3.24

≪重要≫ 幸福の科学、『大川隆法氏』。

 あくまで参考であるが、2ヶ月くらい前、インスタグラムで興味があると言って、幸福の科学総裁、大川隆法氏の『地獄の法』(「見方を変えるとそれは、救世の法である。」(大川氏))という本を挙げた。その本は、買っただけでまだよく読んでいないのだが、氏は、東日本大震災は、

 『天照大神のお怒りである』

 というようなことを言っている。

 俺は、自分のことを天照大神なんて見立てる気はそうそうないが、もし神通力が本物だとしたら、そういうことも考えるようになるのかもしれない。(否、はるかにその「遣い」だと思うが…。)

 興味深いことに、氏は、僕と因縁ある名前を持っているだけでなく、まだ到底死ぬはずのない「66歳」という若さで、「2023年3月2日」という奇妙な日に亡くなられている…。

 その語呂合わせは、「3.11」を思わせるだけでなく、大川隆法氏は、僕の存在を嗅ぎつけていて、僕にご自分の人生の功績を託したかったのか?それとも、僕に、それを葬られたとでも感じたのか?





########以下、「4月」。##############

4.9

⚫(発掘。≪重要≫)(かつて、20代、たしかあった実感。)

 『言っても、しょうがない。』

 関連: 世間一般人の、「真理」をバカにした態度。

  

 大多数(大半)の人間は、「真理」など、おおよそ興味はない。自分の見たいこと、聞きたいことしか、興味はない。(真理は、めんどくさい。)

 その不義の姿勢が、かつて俺にこのようにして「絶望的」、且つ「怒りを覚えるような」実感を、生み出していた。

 だから俺は、黙って、引き下がったのだ。罵倒、叱咤、弾劾等に出るのではなく。(これをしたら、世間ではいわゆる「アウト」、なんだろうな。)

 つまり、世間で自分の生活の場を得たかったら、他人の不義には目をつむれと、そういうことなんだろう。そして、そういうのに触れたくないんであれば…、アレだ、早いうちから、人生「成功」させて、そういう卑怯な人間に触れなくて済むような地位、名声等を得ろ、ということだろう。なら、そういう方向に進むことを、そもそもが阻まれてしまった人達は…?

 「知ったこっちゃない。」

 それが、世間の見方だろう。そんなんだから、俺はかつて、世の人間が嫌いになったんだと思う。…



⚫(今年に入ってからの自分の「食事研究」から導き出した結論。(仮説。自分としては貴重。))

 ≪「中毒」(食事)とは、『心してかかれ。』ということである。「やってもいいが、それがやめられなくなったら(自制を失ったら)、それはあなたの責任だぞ…?」ということである。

 『食べ物』も、同じ。社会がそう捉えていないだけで、『食べ物』も、薬物と本質的に何も変わらないというのが僕の考えだ。

 だから、「酔いしれる」ような刺激をもたらすものには、たばこでも、酒でも、油でも、「中毒」になってはいけないのだ。ほどほどにしなければならない、「自制」が崩れる、ほどほどにしなければ病気する、そういうことなのだ。(現代的な、豊か過ぎる食文化に対する警告)

 結論(仮説):

 『食べ物とは、「薬物」となんら変わらない、「中毒物質」である。』

 (「薬物は、なくても人間は困らない。同様にして、食べ物も、なくても困らないのではないか…?」)≫


4.12

⚫ 僕の、かつての女性への憧れ。(一例)

 スパイス・ガールズ “2 become 1”のエンマ·バントン。

 だが、すべて捨てた。(2007年1月)

 (克服した)

 人生、やり終えている。  

 

⚫ (エホバの集会に参加して。)

 1. 瞬間掌握力によって、瞬時にして、公演の核心、人の思惑、気持ち等が読み取れてしまう自分を再確認。

 ⇨凡人を逸している。

 2. 聖書のもんごんの、霊的な意味合いにも、すぐに到達する自分がいる。おそらくそれは、人生の奥義というものを、極めようとしない世間一般人には、(さほど熱心でない信者などには)、できないことだ。

 多分、僕は昔教会などに通っていなくても、独力で人生を極めようとしてきたから、それが分かるのだ。

 

⚫ (日本無銭放浪中など。発掘。『飽くなき向上心』/『勤勉さ』。)

 僕は、《ひたむきに》自分の能力開発に取り組んでた。

 例えば、 瞑想技術の練磨による、「長文」や、「観察世界」の深堀り/構築能力。

 物事の真相を探る(突き止める)能力。等々。

 (『ある程度』、では満足せず、真面目に能力開発に取り組んだ。)

 

⚫ 『最高の仕事』、とは。

 「自分がやりたいこと。」(ワクワクすること。)から、『あなたの仕事』を構築していく。

 それを中核に、それに付随するあなたの意識に及んだ事柄を、「肉付け」として、加えていく。

 それは、あなたがやりたいことに出発点があるために、あなた独自のお城となるが、それが“偏屈”でない限りは、素晴らしい仕事になる可能性が高い。

 (やりたい!)という気持ちが持つエネルギーを用いて、沢山のことがこなせるからだ。…

 (人が、詰まらないと感じるような家事でも、僕は日々違う家事、絶対同じにはならない一日一日の家事で、成長と、改善を経験しながら、「最高の仕事」で生活を充実させることを楽しんできた。(グループホームを出てから特に。)✌️) 


⚫ 人間の能力の真の高み』

 例えば、「うどんの芯に、火が通ったか、否か」。

 感覚を磨く者は、「噛んでみる」という月並みなやりかたに陥らずに、「麺の見た目」、「感覚的時間経過」などから、これが分かるようになる。

 人間の感覚とは、ほんとは、それくらい鋭いものなのだ。

 (そういう能力が磨かれてくると、生活の創造性も格段に伸びてくる。そして、その充実ぶりによって、生活は一段と楽しくもなってくる。

 この世のあらゆるものに対して、それを、選り好みせず自分の感覚を生かしてよく研究することで、このような鋭い感覚は育つ!)

 

4.13

⚫ ≪僕の性の発達≫

 「同性愛」… かすかに、感じたことがあるかもしれない。ある種の、独特な雰囲気を持った男性に対して。しかし、性的に目覚めるのが遅かった僕は、そもそも性的欲求が育っておらず、例えば、中学で西洋の女性に魅せられていながら、落ち着いたのは「日本」、全く違う女性性の国。

 だから、ほとんど女性に目覚める前に、大人となってしまって、その頃には人生目標を救世主に設定していて、セックスや恋愛などは二の次になった。

 もっとも、カトリックだった母親の影響で、漠然と結婚前のセックスはNGだとか、コンドームなど甘えだという考えはあった。

 

4.14

⚫(いい記録。「作業所」(~2024.11.15))

 僕の精神の目覚めの過程で、こんなことがあった:

 おなじチームのA君が、僕の言った「おはようございます。」をばかにするような態度を採った。

 それに対して、目覚めた僕はつっかかった。

 すると、その行為に対して、例のO支援員が、「なんでそんなこと気にするようになっちゃったの?」と言ってきた。「前の小川さんだったら、そんなの気になんなかった。(それが正しかった。)」、と。

 しかし、僕はこのA君から、変なことをされたのはこれが初めてではなく、僕が彼に何かやなことしていた訳でもない。おそらく、彼が、俺が好かなかったのだ。だから、一方的に攻撃してきたのである。それともなく。

 それに感づいた僕が、彼が変なタイミングでゲームをやめて、顔を上げたせいで、僕を“誤解”させ、そうしてたしか言った「おはようございます。」を、無視する、みたいな卑怯な真似(そこで、Aは、他の人には挨拶して僕だけ無視である。)を、摘発したら、O支援員から注意された、という訳である。

 どっちが正しい?

 みんなにやさしくしなかった俺?

 それとも、攻撃してきたA?

 俺は、みんなに優しくしなかったとはいっても、誰も、攻撃したことなどないのな。意味もなく。だから、Aと支援員Oの方が「おかしい」と思う。

 (P.S. あ。一度、施設外から帰る車の中で、A君が変なこと言っているので、釘を差したことがあった。それを彼は根に持ったのかもしれない。いつまでも分からず、いつまでも言い訳を並べ立てる彼を、僕は“注意”していた。

 ただ、支援員も、下手くそであった。そんなAの相手が。だから、事を終わらせたのは、僕の言葉だったのだ。Aには、ちょっとショックだったかもしれないが…。)


 (後記:4.17 前にも印象で挙げたことがある、「類稀な(?)、僕特有の、《人に、言ってあげる親切》?」なかなか自覚がならない、人の犯している間違いを攻撃でなく、真実として、自覚をさせる。Aはそれを、攻撃と履き違えたのかもしれないが。)


4.14

⚫『充実の秘訣』

 「あなたが、活発な精神をお持ちで、それを生かさないなら、そこには、多分に邪念/雑念が入り込む。」

 例えば、飲み干したコーヒーカップを流しに置きに行くだけのことでも、それをしたいという気持ちに火がついていない(切に感じていない)のにやると、それをやった時に、なにげなく名残惜しさを感じたり、次のコーヒーのことを夢見たり、してしまうのだ。(活発な精神は、そんなところで裏目へと出る。)

 持っている能力は、使わなければならない。使わず、あなた自身の性質を否定するならば、それは、例えばこのようにしてしっぺ返しを食らうことになる。

 

 僕は若い時は慢性的にそうだったのと、24、絶望時の統合失調症などは、この「自己否定」/「自己嫌悪」/「自己放棄」の極限で体験した病だったという気がする…。

 『人間は、「自分」を生きるために、生きている。』

 

⚫(僕) “けたたましい探究心?!”

 僕は、子供の時分から、「何でも完璧にやりたい」、そんな子だった。だから、例えば、いやなこととか、いやな気分でも、そこに留まってその本質を探ろうとするのだった。

 自分が、変な気分になったら、どうしてそうなったのかを知りたがった。変な気分から逃げようとか、避けようとするんじゃなく、突き止めに向かったのだ。その際たる体験が、24歳絶望時の、統合失調症であったと思う。

 だから、人間の心理に関しても、自分には馴染みのない感情、感性も、それがどんなものであるか積極的に研究した。そうした無償の、純粋に自発的な人間研究が、今日の僕の、見識の深さとなった。

 

4.16

⚫≪重要≫

 「俺がかつて、親父をボコしたり、自殺したりしなかったから、今日の父(小川誠)の『稲の多年草化栽培』はあると言っていい。」    ー2025.4.16

 (父の精神的平穏を、僕が自身を犠牲にすることで守ったから、2013年?、父は多年草化現象に気付くという鋭い観察力を発揮することができたのだ。)

 

⚫『知識偏重人間が犯す、様々な理論を統合する際の、言葉の論理的欠陥。』

 (不食60日の不食者、Y.O.)

 ⇨「人は皆、神。」と言っていながら、俺に、「神は人間にとって狂人。」とか、「神に近づきすぎたなら、動物的身体に戻る、(それを目指す)」とか何とか言う。

 (「神」という言葉の意味が、矛盾的に使われている。)

 

≪重要≫ 『瞑想能力の極み』?  

 あなたが、ご自身の瞑想力(あなたの、あなただけの真理の正当性を確立…)を鍛えるなら、、、

 (例えば、あなたが到達した真理に対して、重要な箇所(言葉や言ったことなど)が、それを扱う時全く無理なく頭に浮かび、それを言う、ということができるようになる。…)

 (*要再検討)

 

≪重要≫

 『僕が何故、みだらな頭髪や、無精髭などで、公の面前(SNS)に出るか。』

 ⇨それは、身だしなみを整えるという習慣ができてないから、ではない!もっとうんと重要な意図がある。あなたにも、人間の肌の色や、整形した顎や、歯並びや、顔面の傷跡、シミなどではなく、、、物理的な美しさで人を眺めるのではなく、僕がしているような「霊視」、を身に着けてもらいたい、と、そういう目的があるのだ。(これから、霊的な目を養う方法を、伝授していく。お楽しみに!)

 

⚫(重要な考察)『整形は不純。』

 なぜなら、それは遺伝せず、あなたの本来の特性を見えなく(隠し/ごまかし)してしまうからだ。整形した人間とは、言っちゃ悪いが、好かれるためにお人形へと“退化”した人間だ。それは、人間の「中身」(精神/魂)に対する姿勢としては、誤魔化し以外の何ものでもない。「体」とは、人間の魂、心の大事な「具現」なのだ。

 与えられた体で、『自然な美しさを目指す』。『「あなた自身」を生きる。』そうでなければならない。

 (整形しても、魂や心も、良くなる訳じゃない。整形したら、自分が変わったと思うかもしれないが、おそらく、人は、その「強力な誤魔化し方」によって、長い目で見ると、「本当の自分」を失ってしまうのだ。生態としても、前の体よりも不具合を起こすものでは?それらは、魂としては、恐ろしいことかもしれないと思う。)

 (*要再検討。以上、率直に思うこと。)

      

 

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2025年4月16日水曜日

至福の日記、久々の日記。

 こんばんは。

 みなさん!! …と言っても、これを読んでくれる友達もまだろくにいないような自分ですが、今日は午後8時過ぎ、すごく嬉しいことがありました!断食の3日目、仕事もなく、あと2週間ほどで無銭放浪に戻る自分ですが、ゆったりと、ふとんで横になっている時に力強い幸福感に満たされました!その幸福感が強烈だったために、コンビニに行って食べ物を買おうとしたほどです!(結局は缶ジュース1本とたばこだけ買いました)

 率直に形容しますと、その幸福感とは、『イスタンブールの歓喜』(先日投稿)の後、20代後半にあったものです。(2014年11月に、ドイツでの『救世主宣言』に失敗してから、この間、ずっと失われていたものです。)それは、2009年~2011年中のブロふグで、ちらりとは書いていたもの(*2009年6月の投稿、『不食の「師」、山田鷹夫氏とのやりとり』など。)ですが、まず、間違いないことは、それが、『イスタンブールの歓喜』(別称「神様の承認」)から得ていたものであるということです。

 極めて個人的で、当時家族ですら満足に共有できない幸福感でしたが、簡単に言えば、先日書いているように『人生全うした』、『神様に認められた』、『天国行きは決まった』、そのような実感から生まれた幸福感でした。

 

 人生で、満足に幸せを感じられていない人、虚しさや、寂しさ、自尊心の欠如や、未練などを感じている社会の多くの人間達とは、真逆とも言える境地にあった僕でした。身分は「ホームレス」でしたが…。

 2007年12月、イスタンブールで号泣して神様の承認をもらった時思ったことは、どうすればできるか分からないけれど、この幸福感を“人と分かち合いたい”という願望だったのです。少し言い方を換えれば、「この(強力な)幸福感で、他者を幸せにしたい…!」と、そういう気持ちであります。その気持ちは、その後日本に帰国すると、過去の記憶という「暗雲」によって覆い被されてしまうのですが…。セルビア人とは、一線を画す「“冷めている”西側人間」(日本人も含める)(とその記憶)の世界では、余計「発揮」もしづらかったのですが…。(西側諸国では、感情的に、なりにくいために)

 

 2011年9月から、「4年半」のヨーロッパを経、尚且つ8年間の『精神の冬眠』という試練を経た僕は、≪変わっています≫。何というか、かつての(日本での)冷めた世界観や、“酸っぱい”自分、悲観的な世の中の見方、が今はないのです。正直に言うと、そこに戻ること、はできたとしたも、「できれば戻りたくない」。日本でかつてそうなってしまったのは、僕の宿命的なものだったかもしれませんが、今は、それが塗り替えられそうなのです。そういう自信が、数時間前、昔の幸福感を思い出せたことで、付いたのです。

 

  

 後は、ふとんの中で、昔の自分は、今日より「全体整理」が上手だったことも思い出しました。喩えて言うなら、(僕は将棋は強くありませんが)、プロ棋士が、無数の将棋の駒を、全体をよく見据えながら、詰めてゆく感じです。2022年11月に目覚めてまだ日も浅い僕は、ずっと荒削り人間でありました。

 

 以上、そんな事を思い出した今夜でした。良き教訓を生かして、人生を前に進めて行きたいと思う所存です。まだまだこれからかもしれませんが、こんな僕をどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

              2025年(令和7年)4月15日(火)

             救世主を目指し、その人生教訓を

             みんなと共有したい

                   小川智裕カロルより 


 

2025年4月12日土曜日

2025年4月、「放浪生活回帰」前の思惑 Ⅰ

 (※注: いくつか、3月中の印象がありますが、ご了承下さい。先の投稿では、発表したい印象を優先して発表していたため、まだ残っておりました。(汗))


 


3.12

• 『(やりたい。)という気持ちの大切さ。』(生活が惰性になっている人、「ルーティーン」に陥っている人へ)


 たとえば… 中途半端な気持ちで食器洗いはしない方がいい。(まだそんなに気が進まないなら、やらなきゃならないことでも、もっと気が進むこと、自分が楽しいことをやった方がいい。) そうすると、その動機がまだ強くはないために、それをすることで喜びがあまり得られないし、なにより、(やりたい!)という気持ちがしみじみと感じられた時にやる方が、テキパキとでき、喜びも得られ、「次は何しようかな♪」と、生活に心躍らせる自分になる切っ掛け作りにも、なるのだ。(参考:『充実』は、人生の喜び。)

(*注: 3.18、4.4に関連する気付きあり。3.18のは、前投稿「2025年3月の思惑。」に入っています。) 


3.13

(記録) 今日の気付き

 (気ままにマクドナルドに行って)

 自然な、人と仲良くできる自分を発見。(店員さんを前に) 人間の、一般的な人との接し方。

 

 (後記:)

 思い出したのはいい。でも、恐らく、これだけでは済まない。人は、絶対悪さをするから。

 ただ、自分がいかに「瞬間掌握力」に依存して対人関係を持ってきたかが、分かった。

 (重要:)

 若い頃、そういうところに潜む、人間のいたずらに目を向けた自分。(それは、「被害妄想」なんて浅はかなレベルのものじゃなく、極めて「厳正」且つ「入念」な人間観察であり、その成果が、2008年の霊眼『瞬間掌握力』の獲得であったと、自分では思っている…。これから、その霊眼の真偽、世間一般人の実体というものを、放浪生活の中で確認していく…。)  

 

3.14

 (元気がない人へ)

 中途半端なもので、自分を満足させようとしていませんか?

 そんな時は、発奮して、自分を大いに喜ばせることをした方が、道が切り開けることが多い。

 そういう大きな行動が、気分の高揚が、「ひらめき」や、「グッドアイデア」を呼び込むことが多い。

 「低空飛行」は、相応に詰まらない考えしか呼び込むことはできない。

 (自分を満足させた方が、やる気も出るのです。もちろん、«贅沢な»人間は、まずはつましさ、謙虚さから学ばなければなりませんが。😅)

 (関連:昔の俺自身がやってしまってた、『自己愛不足』。)

 

3.29

•僕が今日できる真理への到達(YouTubeなどで発信しているそれ)は、普通の人は何ヶ月かに一遍、もしくは1年に一遍も到達できないような価値あるものだという確信があるから、発表している。

 それを掴むということは、価値として、数万円、数十万円にも劣らない(人間の霊的な成長にとって)という自負があるから、僕の言葉、僕の人生経験によるものではあるが、伝えたいのだ。###

 (僕は、そういう価値ある悟りに、1日でいくつも到達してしまうという、卓越した才能がある。)

 

 

≪重要≫

 -なぜ僕が、人に優しくなれないか。-

 僕がなぜ人に親切にしたくはないのかという理由が、分かってきた気がする。

 それは、僕が無差別に人というものを嫌っているのではないのだ。正当な理由があるようだ。。。

 

 (例えば、やはり、道端で咳をふっかけたり、横断歩道を歩いている時につっこんできて微妙に脅かしてきたり、不要にエンジンキーを回して人の静寂を打ち破ったり、人の親切を見て見ぬふりをしたり。)

 僕は、社会にいるだけで、「いやがらせ」を受けるのだ。

 (俺に金があって、その能力にふさわしい仕事を持っていたなら、そんなものを体験する必要はないのだ…。カッコいいスーツを来て、ビシッと決めて、高級車をのりまわしていれば、そんないやがらせは受けないのだ。)

 人々には、俺は価値のない「負け組」に見えるから、半ば「軽蔑」から、そうしてくるのだ。

 ちがう?

 

 +さて、これから「放浪」で、僕の顔の贅肉が落ちて、引き締まった顔になって、気を引き締めたら、、、この現象は変わるか?今は、そう、雰囲気を一変させて、様子を見るつもりである。

 

 

•(発掘)『僕の嫌いな、日本人の一側面。/「人間の所業」2例。』

 正月に、ペットボトル拾いをやった時、鍵のまだ付いている自転車の鍵を拾った。うれしかった。

 でも、昨日こんなことを思い出した。

 『日本人は、まだ使えるものでも、古いものは、“毛嫌い”する。』

 ヨーロッパ人とかはそうじゃないが、日本人は、新しいものしか使いたがらない。だから、僕が拾った鍵など、彼らにはほぼ無価値ではないだろうか。(「人が使ったものは使いたくない」、という潔癖症も、日本人にはあるよな。→「唾がついてんじゃねぇんだからよ!」って、俺は思う。)

 そうやって、ゴミを大量に廃棄して、環境を汚している。「ゴミ処理場」で、大量の排気ガス、毒物を排出させている。

 服も、家具も、車も、そうだ。使えるもの、古いものを拾うことは、「軽蔑的行動」ですらあったんじゃない?

 俺は、昔からその精神が大嫌いである。

 日本人は昔からプラスチックの利便性を愛していながら、その処分に関しては、いいかげんである。

  

 『マイクロプラスチック問題』を見ろ!

 人の脳みそにまで侵入して、取れないそうじゃないか!海を初めとして、どれほどの生き物がプラスチックで「苦しみもだえている」ことか!

 

 先日…。近所のごみ拾いにも行って、70Lゴミ袋2つ、パンパンのゴミを家に持ち帰って、風呂桶で洗い、分別をした。その時、思った:

 (ペットボトルって、むっちゃ丈夫にできているんだな…。むっちゃ、便利だよな。でもそれを、人々は中身がなくなったら、クズ同然に扱っている。平気で、ポイ捨てをする。)

 すべて、「お金」でしか世界を見ていない結果だ。ペットボトルなんぞ、お金にしたら、きっと3円にもならないのだ。だから、捨てる。

 そのツケが、回ってきている。###

 

 P.S.その1 

 ドイツを放浪中、あれはなんと言うのだろう、セックスの前などに、気分を高揚させる少量のお酒の瓶が、森に捨てられていて、そのアルコールを求めて、ナメクジが中に閉じ込められているのを見つけたことがあった。

 アルコールにつられて、瓶に突っ込んだが、後退できず、ハマってしまっているようであった。

 かわいそうになって、僕はそいつを引っ張って抜いてやろうとしたが、抵抗を示して、結局僕はそいつのはらわたを潰してしまった。

 「何やってるの?」と、通りすがりの人が様子を見に来たが、怪しまれたくはないので、「こいつを殺してしまった…。」とだけ無邪気なことを言って、僕は立ち去っていった。

 人間の無思慮というものは、こういうところで罪無き生き物たちを無数に苦しめ続けている。

 

 →「新しいもの」を常に使いたいんなら、古いものの処分も、しっかりとやれ!!(古いものの処分にも、しっかりと金を回せ!)

 

 P.S.その2 

 選日「Book·Off」に行くと、確かにマーキングの入ったものだか、定価4,700円もしたセルビア語の辞書が、1円にもならなかった。

 マーキングの量は、大したものじゃない。でも、ブック·オフの店員は、その価値を見出さなかった。

 おかしいだろ。

 『道徳的腐敗』、そう思った。 

 俺には噓を付いて、その辞書を高価で売るつもりなのかもしれないが。分からない。 

 

 

3.30(…ネガティブな印象の連続で申し訳ないが。(汗)💦)


 『人間にありえる悪魔。』

 (記録)(『建設業』、12月)

 一度、木なども密集している大変なやぶの伐採をやったことがある。

 その最後に、親方がこう言っている:

 『あれは、「罰ゲーム」やったな。』

 日本語の、「罰ゲーム」の意味を、忘れていた僕は、その意味がその時はよく分からなかった。 

 

 今は、ちょっとこう思う:

 →「俺のエネルギーを、うまく利用した発注であったかな…」と。

 どういうことか。

 『バリバリやる奴がいるから、今なら、あそこもできる。あいつのエネルギーで、仲間も「疲弊」しないんじゃないか。今が、チャンスだ。』😈😈

 俺のエネルギー自体には一銭も支払わず、仕事力は評価もせず、それを私的利用した派遣先の会社と請け負いの『策略』であったかもな…、と。

 

 建設業では、他にも、全然動けない奴と組まされて、派遣されたことも何度かある。同じような目的で?

 会社の上部の人間がしうる、そういう、汚い部下の搾取、というものを、今は想定する。 #####

 

3.31

 テーマ:『「鍛錬」と、「自己愛」。』

 (記憶)(若い頃)

 例えば、目に飛び込んできたお菓子の空袋を見て、瞬時にして(食べたい!)と思った。それが、見事に自分の潜在意識を掴んで、後々食べずにはおれなくなった。

 常に自分を“駆って”いて、自分を愛することもできないから、心は常に飢えていた。(子供時代からの根本的な飢えも手伝い…。)小川家では、「ゆとりを持つ」ということを教わらなかった。

 僕にはただそれが必要だったのだが、ほんとにそれが自分には(自分でも)与えることができなかった。

 例えば、僕の友達とかは、そういうゆとりを持つことを知っていた。でも、彼らに恐らくなかったのは、僕のような、メラメラ燃える、向上心な。

 人間を極めるためには、「向上心」と「ゆとり」、両方必要だ。自分に甘いのもいけないし、自分に厳しすぎるのも、いけない。そのバランスだ。僕は29で、家族と絶縁してヨーロッパに行ったことで、『自分を駆り立てる鬼』から解放され、ちゃんと自分のゆとりを確保するようになった。

 今は、お菓子の空袋を見て、飢えることはない。だから、例えば断食で、(もう食べない。)と意識を切り替えると、その切り換えがうんとうまくできる(つまり断食に入れる)自分がいる。… ###

 

 P.S. おれは若い頃、実に、自分自身に対して正真正銘の「鬼教師」であった。### 

 


•(発覚。)『佐藤さん、田中さん、加藤さん、大崎さん、小山さんには、≪変われない≫。』(普通の人間には変われない。「俺」はともかく。)

 (*彼らには、これまで通りの生き方を続ける以外に、能はない…?)

 


4.1 

 『シンクロ、…また1つ?』

 「地震」以外にも、「水」が関連するシンクロニシティー、「雪」、「天候」などのそれを体験してきた自分だが、数日前、「津市市議会議員」の活動報告チラシがポストに入っていて、そこに、確かに気になっていた2月半ばにあった近所の「水道管修復工事」の記事が載っていた。

 なんと、上下水道事業局80名、給水車7台、広報車6台、給水を求めた住民は3500人に及ぶ、一大惨事であったのだが、当時の水道工事の通知書を見ると、その日付が2/14となっている。

 2/14とは、1ヶ月半一緒に仕事した親方に卑怯な真似をされて反抗し、その現場に行けなくなって“怒りが込み上げた”、次の日である。

 もうほんと150mもないくらい近所の工事で、工事施工業者の名前がまた「鳴川工業」。

 …これが、偶然か?#####


 

4.2

 (今思う。)(朋弘のジョークに潜んでいた「邪気」?)

 朋弘のジョーク:

 「不食になったら、自分は不食しながら、他人に『うな重』おごってやるっていうシーンを、動画に撮らない?」

 →それは、バカのすることだろう。

 なんで価値あるお金を、そんな高価なもので他人のために使わなならんのだ?俺は、賤民でも、下僕でもないぞ?このジョークにある『異常行動』は、行き過ぎであり、不食者による、食者の挑発行為にも思える。そんなことする必要はないのだ。

 思えば、朋弘には、他にも敵を挑発するような文句を使うのを目の当たりにしたことがあった気がする。ちょっと、毒々しい。そんな事をする必要は、ない。#####

 

『「大衆心理」を忘れている。』#####

 (しかも、あれから(僕の知っていた時から)それは、「14年」経った…。😳)

 

•(生活を活発、且つスムーズに回していく大事な習慣。)

 『意に留まったら、すぐやれ。』

 若い頃僕が長い間陥っていた日常的「苦」。見た時に、すぐやらなかったから、後からそれが負担となって自分にのしかかって、そういう家事だけで、だいぶエネルギーを浪費してしまう自分がいた。 

 →常に、ゴミや、要らなくなったものは少しずつでもいいから、生活に支障は出ないように、片付けていく大切さ。

 例えば、空になったお菓子の袋は、いつまでも机の上に放置しておくと、それだけでそれは、あなたの士気を腐敗させる。「俺はだらしがない。」というレッテルを、自分で自分に貼ることになる。

 (今日、確認。✌️(少しダラけて、断食もあって部屋が乱れて初めて気付く。) 

 『人間の生のいろは』。(人間として、生があなたに要求すること。))

 


 

4.3

• 日本を思い出している。

 まだまだ、忘れている!

 (例えば、今日、下手したら20年ぶりくらいに、食パン『ダブルソフト』を買った。その昔僕は、これが好きだった。(バターをたっぷりつけて、食べた。) 

 それで…、自分の中の日本をまた一つ発掘した。

 他には、庶民の、『食事』を大いに楽しむ潮流、…も、思い出した。

 いいことだ。これで、より庶民に、心理的に近づける。)

 

4.4

• 『家族と“絶縁”し、日本を捨ててヨーロッパに行ったことで、僕が得た宝物』

 いかに今、40過ぎが「ピースフル」か。

 文字通り心置きなく自分のやりたいように、好きなように、食べたり、家事したり、できる。そうできるようになったことが、僕の創造的高みや生活の充実をどれほど『保証』してくれたか。

 これには、凄まじいものがある。(重要)

 (僕と同じような抑圧的な人生を送ってきた人達に、『こうしていいんだよっ!』と、解放のまじないを掛けてあげたいwww。)

 

朋弘(昨年、「運命的」と早合点した出会い)は、忘れよう。

 

4.5?

 (重要) 『感情の極み。(ピンポイント)

 (*昔から、僕が大切にしてきたこと。「新テーマ」。)

 人は、これを突き止めない。いいかげんな感情、曖昧な自己認識で突っ切ろうとする。それ自体が不純である。

 無責任、適当、ということであり、「世界」を、「人」を、誤解する始まりである。

 感情… それを把握するということ。そしてそもそもがそれを気兼ねなく開く、ということ。

 それは、足し算や引き算のようにはいかない。多分に、『従事』することなのだ。

 

 世界に対して、気兼ねなくそれを開くものならば、それはあなたを大きく深遠な世界へといざなってくれるだろう。あなたの世界を拡張してくれるだろう。

 しかし、それこそが、本来の世界体験というものである。この世界は、なんとも大きく、深遠なのだ。人々は、上に述べた不純さから、これを体験しない/できない/しようとしない。

 …あなたは、あなたが感じているものが何か、どれほど分かっている??

 (…)  

  


4.9

(発掘)

 『人間の中の邪気は、てごわかった。』(日本を去る29迄の思惑) 

            ー2025.4.9


4.12

 -士気低迷、鬱、落ち込み、無気力の人へ-

      ≪僕自身の、人生の教訓(“奥義”、“王道”)!≫(3.12, 14, 18. 4.2(3つ目), 4など、最近つくづく思わされているテーマに関係する思惑)


 ≪やりたいことを、やりな。

  物事を、自分がやりたいように、自分が、いいと思うそのままに、処理しな。

  生活を、機械的に、もしくは、規則的に営むべきではない。特にあなた方は。。。

  自分に、「平和」を許し、気の向くままにやるのさ。すると、同じ、必要なことを処理するのでも、処理する順番がいつもと違っていても、「喜び」(楽しさ)を覚え、義務感からやるのとはぜんぜん違うエネルギー消費になるのを体験するだろう。

  

  「自分がやりたいようにやる」ということが、いかに人生を楽しくするか…!!創造的に、充実、発展、能力開発等させる『力』となるか…!

  僕と同じように、人生抑圧的に生きてきた人達には、是非、こういう「自己愛」を持って頂きたい。なぜなら、自分を愛せない人は、この世では、うまくやっていくことも、できないからだ。

  キリスト教では、『神様はあなたを愛しています。』と言う。そう、神様は、姿を見せてくれなくても、苦しむあなたを助けに来てくれなくても、≪あなたを愛している≫。≫


 

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2025年4月11日金曜日

『イスタンブールの歓喜』(「神様の承認」 2007.12)

 まえがき

 

 こんにちは。

 2011年まではここで伏せていた、僕の人生で最も重大な出来事である『イスタンブールの歓喜』(2007.12)と『3.11と僕の呪』だが、後者はこれまで幾度か語ってきたのに対して、前者はFacebook(2015年秋?)を除いて、ほとんど語ったことがない。だから、“精神的に”一体どんな体験であったのかを振り返るのは、これが初めての試みと言ってもいいかもしれない。2015年秋、ベルリンで、救世主宣言の失敗によって、体も頭も文字通り「パンク」してしまっていた自分には、まともな話などできなかった気がする。

 

 しかし、一つ言っておかなければならないことがある:

 僕はドイツのUlmで発表した『救世主宣言2013』(Facebook)に失敗した時、自分や人間のことを丸々忘れてしまうというハプニングにも見舞われた。多分に、「日本の家族」、祖国「日本」、はたまた「日本人であること」も捨ててヨーロッパに行っていたからだ。救世主宣言という猛烈な探求だけでなく、そこには、様々な要因が重なって、一度“全崩壊”し、8年間という間、精神が眠りに就いたのだった。

 つまり、今日の僕には、SNSなどでも言っているが、20代の記憶や、日本人に関する知識が、失われているのだ。(不思議なもので、頭が、完全に忘却してしまっても、病室でもない「社会」で生活していくことで、『体が』憶えているようで、そのお陰で僕は精神病院から退院してからの2年間、『自分』を取り戻すことに、ずっと成功してきている。)

 だから、生憎、『イスタンブールの歓喜』という重大な人生体験においても、当時の自分というものをもう鮮明には覚えていない、そんな自分がいる。更に悪いことには、僕は、『救世主宣言』に失敗して、罪悪感に見舞われた時、自分を絶望から救い、それまで8年間かそれくらい自分を鼓舞し続けたこの霊的な体験自体を、一度“否定”している。

 

 しかし、今日の結論から言うと、「神様の承認」をもらったと思ったほどの、相応な「バックグラウンド」を経ての僕のこの霊的体験は、そう簡単には取り下げられない。いくら、当時の自分を、今は忘れてしまっているとしても。

 例えば、退院から2年間、「自分」を取り戻してきた中で、人で、嫌な思いをするとする。それが、“自分は絶対にやらない”、他人だけ、つまり昔自分が絶望したほどに嫌いになった「世間一般人」の所業として、それを再体験する時、僕は、自分にとっての過去の絶望体験の正当性を感じさせられるのだ。それは、詰まるところ、『イスタンブールの歓喜』の正当性ということにつながってゆく。。。

 つまり、これから僕が再び無銭放浪者として積んでいく世界体験が、まだまだこれから、「本当の自分」を掘り当てる足がかりとなると思うのだ。そして…、もし、人間の世界の質が僕がそこを去った18年前とさして変わらないようなら、僕はもう、そんな“下らない世界”には負けていられない。堂々と、ありのままの自分を突き出していく、そういうことに、なる気がしている。

 

 


 さて、そんな訳で、うろ覚えではあるが、「神様の承認」を得たと思ったほどの僕の霊的体験を、発表したいと思う。

 

 子供時代、「人にあるもの」がなくて、「人にないもの」がある境涯に生まれて、概して苦労の多かった子供時代だが、そんな中でも僕は『人生、なんかでっけえことやってやるぞ…!!』という野心は失わなかった。

 人一倍「純粋」で、「エネルギッシュ」で、「世間に毒されなかった」という意味で幸福な子供時代を送った僕は、大学1年の初恋による自己改革の後、『人生で、イエス・キリストのような聖者を目指したい。』という人生目標をかかげることによって、人生との格闘を始めることになる。(単純に言って、そりゃそうだ…、「世間一般の人間の在り方」に倣わないのだから、格闘することになるのは、考えてみれば当然である。)(*詳しくは、こちらをご覧頂きたい: 1.『今できる不食総括』 4~13番 2.(今できる不食総括の後の)『自称卒業論』 3.『こども時代』 20~22、33~36(精神的苦悩)、23~32(僕の個人的·人間的体験))

 

 生憎、そのような壮大な人生目標を掲げた中で、大学時代など僕が何を考えていたかということは、記録にほとんど残っていない。当時日記帳は付けていたが、確かそれは格闘の中で過去と決別するために捨ててしまったし、第一、僕は25歳で絶望から復活する迄、「自分の人生の記録など残さない。」という潔さがあった。だから、恐らく、当時の僕の思惑というのは、僕の中にしか残っていない。今日僕が、他人の話や、人生体験を聞くものなら、「かつての自分だったらどうした」、とか、「自分ならどうするか」、ということが掘り起こされるだろう。

 「劣情を、むやみに吐露はしたくない」という趣向もある。だから、その記録が全く残っていないから、「絶望した。」と言っても、その辛ささえ再現することはできない。

 否…、もしその辛さを文字やブログなどで残そうとするほどそれに力を与えてしまっていたなら、僕は当時『自制』を見失っていたかもしれない。自殺、もしくは、父親を病院送りなど、していたかもしれない。

 確かなことは、(2015年はこれ自体否定しようとしたが)、2007年12月には、(トルコ·イスタンブールで)まがいものではない神様の承認を得たと、「確認」したことである。それは、言い換えれば、自分の経験した絶望も、「浅はかなものではなかった(本物だった)」、ということだ。

 

 物事が、「偏見」や「私感」、「感情」などを交えずに真実を見極めているという厳正な確認は、当時の自分も絶対に大切にしていたことである。そのような姿勢を持って、「神様の承認」をもらったと確認したことは、確かなのだ。その確認の記憶だけは、心にしかととどめているために、絶望体験や、当時の幸福をしっかりと思い出せなくても、人生の布石として、大事にするのだ。。。

 




     ✵    ✵    ✵

 

『イスタンブールの歓喜』

(「神様の承認」 2007年12月、日本人宿ツリー・オブ・ライフにて。)

 


 ここでは、2007年10月下旬、運命的な出会いがあったセルビア・ヴォイヴォディナの農村、「ギバラツ」を去るところから話したい。(詳しい背景を知りたい方は、やはり先述の『今できる不食総括』(~13)をご覧下さい。)

 

 農村「ギバラツ」との出会いは、24で(もう、人生何もない…。)と思っていたところで不意にも起きた、「感動的な出会い」だった。この農村では、実に3ヶ月間足を止めるし、なにより、この出会いによって僕の放浪者として致命的であった「パスポート問題」は解決しているのだ。それだけでなく、内戦という戦禍を経て間もないセルビアの人が持っていた「純粋さ」、「熱さ」、そして「抱擁力」(僕という純外国人を、『同胞』のように受け入れる愛。)は、(人生がここでやり直せるかも…!)と思うほどのものだった。

 すべてが素晴らしく、未知の自然、風土、人々が、荒廃しきっていた僕の精神に滋養を与え、温もりを感じさせ、「25歳」でありながら、子供に戻ったかのようにセルビアを体験する自分がいたが、そこで放浪を終わりにするという選択肢(つまり、「定住する」。)は、自分には「想定外」だった。普通の生活をしたんでは、「不食思想」を探求できないという不利益もあった。

 思えば、この時の自分はまだ、「自分はこうしたい。」ではなく、「自分はこうしなければならない。」で動く、不自由な人間であった。僕は、自分の家族に、そのような人間に仕立て上げられていた…。

 

 ギバラツとの出会いが素晴らしいから、僕は、自分の気持ちをあまり顧みずに、かくまってくれた農家の主の信じがたい厚意に正しく答えることもできず、不本意にも「居座る」ことにした、そうして過ごしたギバラツでの3ヶ月だった。

 「ここ(ギバラツ)で人生やり直さないで、どこでやり直すのだ…?!」

 などと、昔ながらの「自分を鞭打つ自分」がいた。

 そのツケが、3ヶ月ほどで回ってきた。

 

 ある朝、僕は無断で農村を抜け出した。「放浪」を、続けるためである。

 不本意に村に居座ることに決めた自分は、時間の経過で、“不活発”になっていた。ギバラツに居座るだけの動機が、自分にはなかった。そして、そんな自分を主に見せることもできず、「やっぱり放浪を続けたい」と申し出る勇気も、自分にはなかった。残念がられたり、理解してもらえないことを、恐れて。。。

 

 

 そうして、放浪を再開した自分であったが、この時の気分は、実に暗かった。

 こう思っていた:

 (今度こそ、神様は許さないかもしれない…。あんなに素晴らしいギバラツとの出会いを、ほごにして…!)

 天罰が下ることも、覚悟した。

 変な連中が現れて、連れ去られることなども覚悟した。

 秋の深まるバルカン半島は、実にわびしく、冷たく、暗かった。

 

  

 放浪再開から1ヶ月くらいだろうか、暗い気持ちの放浪に一筋の光が差した。

 世界一周自転車ツーリスト、古川道則さんに出会い、イスタンブールの日本人宿「ツリー・オブ・ライフ」のことを聞くのだ。『日本人宿が、「管理人」を募集している。』、という!

 そして…、実際にイスタンブールで宿を訪ねてみると、管理人の見習いをさせてもらえることになる。(!!)

  

 セルビアの農村ギバラツとの出会いが素晴らしかったのは確かだが、あの時はまだ、沈み切った自分の心が持ち返すには足らなかった。ギバラツとの出会いは、(…ん?!まだ僕の人生に何かが起きているぞ…?!)と、不思議な思いにはなったが、絶望の感覚を払拭するほどのパワーはなかった。

 しかし…、この時は違う。(ここからが、2011年までのブログ(『今できる不食総括』)では控えている物語である。)

  

 日本人宿の管理人の見習いをさせてもらえることになり、アジア方面からイスタンブールにやってきたとあるバイカーのお兄さんと、狭く汚い宿のサロンでおしゃべりしている時である。

 たしか、僕はまだその宿の利用客(15~18名くらい)と打ち解けていない頃だった。

 (もう、日本と会うことはない。日本語を話すことも、ないかもしれない…。)そう思って、日本を出ていた自分にとって、この「日本人宿」という思わぬ日本との再会は、その言語能力的高みもあって、極めて刺激的だったのは疑いようがない。

 そのバイカーお兄さんが、身の上話をしてくれた時だった。その人は、お兄さんが自殺?してしまったか、縁が切れてしまったかで、ご家族とも連絡はなく、一人さびしく、何かを探し求めてアジアをはるばる渡ってきた人だった。

 

 にわかに、その人の辛さを僕は感じすぎて、(辛さが、心のひだに触れて)、僕は自分の感情が抑えきれなくなり、『号泣』した。

 大の大人が、見知らぬ旅人たちの前で、力強い声を上げて、泣いた。(この後日、一人パソコン室に座っていた時も、また涙した。)

 

 ≪「セルビア」という貴重な出会いを捨てた自分に、(まだ!)「イスタンブールの日本人宿」という出会いが、恵まれたっ!!!≫

 

 その事実が、僕にとっては、あまりにも大きなメッセージ性をはらんでいた。

 率直に、『神様の愛。』

 しかもそれは、自分が想定していたものと、まるで対局のものだった。自分は、セルビアを去った時、自分の行為は「神様に対する挑戦」だと、「許しがたいワガママ」だと、そう想定していた。だから、「天罰」をも覚悟していたのである。

 ところが、実際はその真逆であった。神様は、そんな自分にもまだ、人生で「GO!」サインをくれたのである!!(このようなチャンスを、恵んでくれるという形で。僕は、自分の人生に起きる展開が、「理解」できなかった…)

 

 その意味合いというものは、20歳頃からの人生のための決死の格闘、絶望、そして精神病を経ていた自分にとっては、更に深いところに達していた。日本人宿との出会いを恵んでくれた神様は、もはやこう言っていると僕は思った:


 『人生、何をやってもよい!何でもできる!最悪、遊んで暮らしてもよい!「天国行き」は決まりだ…!』 

              -「神様の承認」。2007年12月、享年25歳。


 余生は、誰に縛られるともなく、好きなことをやっていい。何でもできる。(…)

 「絶望」の果てに祖国を捨て、自分の知り得た諸外国も捨て、あてもなく未知の世界、外国へと、徒歩、この身一つで漕ぎ出していく…、という体験が、どんな劇的な精神·霊的体験へとつながり得るか、あなたに想像できるだろうか?

 「よいお給料」、「きれいで快適なオフィス」、「一般的な海外旅行」、「レジャー」、「美食」、「ライブ・コンサート」などを易々人生だと決め込んでいるような人間には、おそらくこの価値は見えないであろう。

 

 

                    ≪おわり≫


 

 


2025年4月10日木曜日

僕の『東日本大震災』。

(編集日: 2025年(令和7年)4月9日)



 こんにちは。

 (Facebookやインスタグラムでは以前から少し発表していたが)昨年(2024年)10月に、ここで『3.11と僕の呪』ということに言及してから、月日は延びて、今日になってしまった。僕はあと20日ほどで、6年6ヶ月ぶりに「放浪生活」へと戻るが、(最近の生活については詳しくはインスタグラムやYouTubeをご覧頂きたい)、携帯や、電気が使える内にできる限り「自己発信」をしておきたいと思う。

 

 さて、『3.11(東日本大震災)と僕の呪。』ということだが、実に、ブログでは何も大したことはなかったかのように終わっている22ヶ月間の『日本無銭放浪』は、最後に、人生で1番か2番目にインパクト(印象)の強い出来事を体験している。共に、2011年までのブログでは隠していたこれ、と、2007年12月の『イスタンブールの歓喜』である。

 

 『東日本大震災』(2011年3月11日)は、長年の正義の探求の末に僕が放った『呪』と、重なった。長年の沈黙を破って、「ありのままの自分を出そう!」と決意した10日かそれくらい後に、不純な青年を前に放った『怒りの呪』(「恐怖はやってくる」)が、2週間後の母の誕生日(3月11日)にまさに実現した。

 その出来事の全貌を、ここで公開する:

 

  

 絶望し、命からがらヨーロッパに渡って始まった『無銭放浪』だったが、2年間のヨーロッパを経て始まった日本の放浪は、実に詰まらないものだった。「日本」は、知っている国だし、パスポートだけでは他国に行けないし、冒険心も掻き立てられない。だけど、先述の『イスタンブールの歓喜』(後日発表します)で絶望を克服し、元気になっていた自分は、その「余生はどう生きてもいい。」というメッセージもあって、家族と触れ合うために、日本で時間を取ったのだった。一つ、「これがやりたかった」ということがこの放浪であるとすれば、それは、コンビニの、『ゴミ漁り』だった。子供の頃に、普通のものが食べられなかった飢餓を抱えていた僕にとって、罪深くも食べ物を大量廃棄しているコンビニエンスストアは、格好の獲物だったのだ。

 しかし、自分は、日本で絶望した身。

 「絶望の理由は100%他者。」と言いたいくらいかつて世間一般人に憎しみを溜めていた僕は、日本の放浪ではほとんど出会いを期待しなかった。増して、自分には『イスタンブールの歓喜』直後に開いていた霊的な目(瞬間掌握力)で、人間の「邪気」や「闇」が、人目で分かっちゃうのであった。それがない自分は、そんな人間どもには触れたくもなかった。

 

 ところが、『日本無銭放浪』も「15ヶ月」と時間が経ち、深まってくると、放浪自体にある虚無感をどうにかしなければと、思うようになった。2011年が明けたか、それくらいの頃である。(ドイツバイエルン州での不食9日間に次ぐ、更なる不食体験か?)…などと思っていたが、否、それから僕のしたことは、きっと正しかった。

 

 ここにも揚げているが、2011年2月17日、愛媛県大洲市で、池田さんという女性会社員が僕に、5000円という大きなカンパをくれる。それで、僕は動き出すことにする。 

 (もう、人を避けてなんかいてはダメだ!!ありのままの自分を打ち出していこう!)

 

 そのカンパで僕は、久しくインターネット·カフェに入り、メールなどチェックした。

 その中で、一昨年岐阜辺りで出会い、お蕎麦をおごってもらい、その後確か彼の地元でも会った三重県津市の「堀友則さん」(1コ上)から連絡が入っていた。

 「僕と一緒に、旅をしたい」という。

 早速僕はそれに応じ、僕らは「岡山県倉敷」で落ち合うことになった。

 しかし、僕が本当の意味で自分を打ち出すのは、この堀君の前でではなかった…。

 

 推定の2月27日、僕は「しまなみ海道」因島、大橋記念公園というところで寝支度を整えた。

 そこに、日も落ちてから一人の青年が現れた。川村達哉(21)、理数系大学の3年生である。大学の休みを使って、一人で、自転車旅をしていた…。

 僕がテントを張っている公園に、ひっそりと現れたので、新しい意識でいる僕は、打って変わってこの青年に積極的になった。

 親切に、自分から、

 「キャンプ?良かったら君もこちらを使いなよ。こちらが一番風雨に守られるよ。」

 と、自分がテントを構えている屋根付きのイベントステージを勧めてあげた。

 

 そうして始まった僕と川村青年の交流だったが、この青年が、どんな施しであったかもう覚えていないが、僕の施した親切に対して、一向に心を開かなかった。

 臆病な彼は、親切な「ホームレス」がついていてくれるから安心な夜だが、「ホームレス」にも、僕がしてあげた「絶望の挙げ句歩んだトルコ・イスタンブールまでの2500km」にも興味はなく、ややもすると僕のことを基本的に見下していないかと思われる節すらあった。

 これに対して僕は、「怒り」を覚えた。

 

 翌朝、別れ際に僕は、彼には言っていないが、見抜いていた彼の『臆病心』に関して、それを克服できるスピリチュアルなメッセージを書いてあげようと思い立ち、5分だけ時間をもらった。

 即興の、パワフルな手紙、である。

 

 即興なので、悩んでいる時間がないが、手紙の内容はともかく、僕は、題に迷った。

 「臆病心」には、必ず、怖いことがつきまとってくる。その、怖いことがやってくるということを、まず明示しなければならなかったが、それが、いいものが見つからなかった。

 怖いものはやって来る?

 それとも、

 恐怖はやって来る?

 

 前者なら、手紙は、丁重に川村青年に寄り添ったものとなる。しかし、僕はそうしなかった。後者を、選んだ。なぜか。

 僕の中に、川村青年に対して「怒り」があったからだ。

 

 それから約2週間後、僕の母の誕生日に、『東日本大震災』は起きた。

 まさに、『恐怖はやって来た』。(!)

 

 僕と、この震災のリンクを示す、他の客観的事実:

 (*「恐怖はやってくる。」という題名の手紙を、「川村達哉」という名前の人間に、確かな動機付けによって書いていることもそうだが、他にも、以下の2つの客観的事実がある。)

 

 1. 呪の手紙を書いた場所の名前:

    → しまなみ海道 島 大橋記念公園。

      (*下線部に、特にこの震災とのつながりを感じさせられる。以下のようにも捉えられる:

      『(海)が動(道)いて、福島(しま)に波(なみ)が押し寄せる。その、原因(因)となった島。念を記した(記念)公園。』)

 

 2. 2011年2月27日当時、僕が旅でやろうとしていたことは?:

    → 三重県 市 出身の、 友則 さん と、倉敷 で落ち合う。

      (*3.11は、言ってみたら3と1が重なっている。(三重)や、津市は津波の「津」。。。などから、こんな文章を作ることができる。(2024年発覚)

      『三重(3.11)に、津波(津)が、海溝(堀)で、智裕(友)に(則)する、テントを敷いた場所(倉敷)で。』)

 

 

 ≪以上。≫

2025年4月9日水曜日

≪重要≫2025年3月の思惑。〈第3弾〉(インスタグラムより。)

 こんにちは。

 

 今日は、「インスタグラム」には揚げていて(先月24日)、YouTubeや、ここでは揚げられていなかった重大な印象を公開します。

 今年に入ってから、まず一番訴えたい内容であることは間違いありません。『2025年3月の思惑。』(一本目)の最初の2~3の印象も大事ですが、これは、その上をゆく印象です。

 


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(3/12、SGフィルダーの面接予約で、ヤな思いをした次の日の出来事。) 

『重大な、過去の発掘』




3.13 

 俺はかつて、神様とだけ話をしていた…。

 親や兄妹や、社会全体に離されても、恨み一つ、晴らさなかった。

 彼らを赦し、憎しみを乗り越える為、自らを日本から追放した。自分の憎しみや、格闘の足跡すら、残そうとしなかった。(!!!)

 僕は2007年1月、文字通り「跡形もなく」、「霧のように」日本を去っている。

 文字通り、『人生を捨てた』のだ。


 …心の誠を、『純潔』を、全うするために。

 そのためには、自分の普通に考えて(普通の感覚からして)吐いても全然いいような「文句」、「罵詈雑言」、「攻撃」も、吐かずに、世界に消えたのである。

 

 『目には目を。歯には歯を。』の原理でいけば、当然返してよい報復を、俺は、一切せずに消えたのである。(参考: イエスの言葉『汝の敵を愛せ。』)

 それが一度、できてしまったような人間が、またできないとでも思う?逆に、そんなことができてしまった人間だからこそ、神様は、僕に「地震」という神通力を授けてくれたのかもしれない。

  

 ≪生気盛んな、有望な若者が、24歳で『人生を諦める』という苦しみが、あなたに分かるか?

 俺は、それを苦しみ抜いて、『生き返った』、『生まれ変わった』、そんな人間なのである。≫

 


 再確認:

 「俺は昔も、“怒りを吐かずに”、世界から消えていった男。」(2007.1)(その先に、「東日本大震災」がある。)

 そうするのが、人間とのそういう向き合い方が、俺という人間の「スタイル」なのかもしれない。。。

 

 

3.16

 複雑な世の中の事象の中(人間界)で、自分の中で「イエス様」を貫こうと思えば、俺は、『一人』になっていくしかなかった。(2006年)

 

3.17

『僕は、「結論」、しかも、すごい究極的な結論に到達するのが、むちゃくちゃ早い。

 僕があっという間にエベレストの頂上のような結論に達するとすれば、凡人は1500m、2000mの頂上のような結論を得るだけで、大喜びしている。』#####

 (僕の瞑想能力の賜物。精神世界の大きさ。多分、若かりし頃の不屈の思索·瞑想(「人生探求」)がこれをもたらした。)

 

≪最重要≫ (痛快な気付き)

 『誰も、俺のことなど信じない。信じられない。

 - 「発掘」。たしか、かつてこんな悟りがあった。でも俺は、だからって信念は諦めなかった。一人、「突き進んで」いった。

 cf. 『みんな、俺の純真さが、「真心」が、「優しさ」が、分からない、見えない!』

 イスタンブールの歓喜という霊的体験の価値と、それがもたらした僕の人間的な力。実力。

 

 

『俺のような純潔人間は、世の中にいない。』

 - 24歳、絶望時、たしかこんな結論を僕は出している。

 いるのかもしれないけど、絶望までに出会えた人の中でそういう人は、一人もいなかった。

 

 

                  〈終わり〉

2025年4月5日土曜日

「精神病院」に入れさせられる切っ掛けとなった事件 〈2018年10月〉

 こんにちは。(^_^)

 

 今日は、『なぜ僕が精神病院に入らなければならなかったか』について、公開したいと思います。

 以下に、2023年(令和5年)3月、退院2ヶ月前に書いて、主治医に渡した入院することになった『事件』の、弁明を公開致します。

 当時は、救世主宣言失敗の混乱(「8年間」)からは目覚めていたものの、まだ入院中であり、精神の目覚めの程度も、日本語もまだまだでした。

 でも、「事件全体」を捉えることはでき、それは、十分に本質を突いていると思います。ここには、当時の担当の看護師が聞いて、びっくりした事実も含まれています。

 重要な発表です。(^^)

 

 

 


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 『平成30年10月21日のこと』 -入院することになった事件の弁明兼考察-

                  令和5年3月19日

 

 平成30年10月21日、私は泊まっていた産婦人科の廃墟を朝7時頃眼鏡屋さんに向けて出発した。数キロ歩いて自分が通っていた小学校の正面にあるコンビニに、コーヒーを飲みに入った。そこにはイートイン席に一人のおじいさんがいて、正面の小学校には子供会の催しで大勢の人が集まっていた。(何があるのだろう?)という疑問をおじいさんと共有したかった自分は、「何があるのでしょうね。」とおじいさんに声を掛けた。

 それにおじいさんが「子供会の運動会がある」ということを教えてくれた。その他にも一言二言言葉を交わした気がするが、よく覚えていない。ともかく短かったがそこには自分とおじいさんの間に和やかな交流があった。

 その後、自分は眼鏡屋の開店時間まで時間を潰す為、学校近くの公園で休憩した。まただったか、今度は缶のコーヒーを買いに近くの売店に出た時である。コーヒーを買って交差点に着くと、さっきのおじいさんが現れた。(あ、さっきの人だ。)と思って「僕はあの小学校に通っていたんです。」とおじいさんに言った。話がしたかったのである。

 ところが、そのおじいさんはさっきは話したにも関わらず僕のことを無視した。納得できないので言葉を掛け続けると、信号が青に変わるやそのおじいさんは逃げるように横断歩道を渡っていった。そしておじいさんが僕をかわそうとした直後に交差点の反対側から大きなせき払いが聞こえた。そのせきをした女性2人組(せきをしたのはそのうちの1人)とすれ違ってしばらくすると、そのせき払いの意味に意識が向いた。

 自分の中で、ヨーロッパに行って久しく忘れていた日本人の“締め出し文化”に意識が及んだのである。人は、その場にいる望ましくない人物に対して「せき払い」によって警告というか、不快な思いを当人に対して伝えるということをする。「見ているぞ。」とか「やめろ。」という言外のメッセージである。

 無視されてもおじいさんと絡もうとした自分の行動の訳を、女性は知らない。知らない女性は、そんな自分の行動をはたから見て不快に思ってせき払いしたのかもしれない…。そう予感したのである。

 女性とすれ違って20秒ほど行くや、そのこと(締め出し行為)に意識が及んで、女性らを追いかけて行った。

 「さっきのせきはなんだ!!!

 女性らが行く先方に道路を渡って回り、ガードレールを飛び越えると、怒りを女性らにぶつけた。

 しかし、女性たちは反応しない。こちらが明らかに怒っているにもかかわらず、女性達は訳を説明せず自分のことを無視した。

 「2000円を出せ!

 慰謝料として金銭を要求した。しかし、これにも女性は無視し、僕から逃げようとした。そんな瞬間、私は年配の女性を蹴った。でも、女性は逃げていたのでまともに当たらなかった。女性は散れぢれになって逃げた。追いかけて更に暴力を振るう気はせず、だが、私は、

 「警察を呼べ!!!

 と大声で言った。近くにあった団地の一ドアをたたいて通報をお願いした。そんなことをしているうちに女性は二人ともどこかへ隠れてしまい、私だけが現場に残り、警察の到着を待った。

 

 警察が来るや、警官たちはパトカーを飛び出して僕の前と後ろからはさむようにしてやってきた。

 私は状況を説明した。繰り返し繰り返し、今思えば心もとない(にぶった)日本語で警察の説得を試みた。

 警察は女性らの言い分も聞き出して、僕に、

 「蹴ったんだろ?

 と言って手錠を掛けたがった。何度言っても分かってもらえないので、私はこう切り出した。

 「ここで話すのも疲れるから、署に行って話しましょう。

 これに対してどこからか

 「(それで)いいんじゃないですか。」 という声がした。

 つまり、署に行って事情を聞くということで了解してもらったのだが、手錠を掛けたがるので、(仕方がないなぁ。)と思って私は自分の手を差し出した。

 

 署に着くや、始まったのは担当の者による「弁護士がどうのこうの…」という話だった。話が違う。猛反発をして、説得を試みたが、一時は10人位警官が集まったが通じない為、私はとうとう折れた。留置場に入る際の身体の取り調べに移った。

 

 これが、拘束された経緯である。

 聴聞に当たった検察官も僕の言い分は理解せず、

 「精神科医に会ってもらえますか?

 と言った。そうして、11月の8日、神奈川県寒川町にある「K病院」に連れていかれた。精神科医は私に精神疾患を疑った。

 

 

 K病院の担当医によれば、私は女性のせき払いの際、統合失調症の“被害妄想”なるものを抱いたと診断している。

 しかし、それは違う。

 私は若い頃日本で、よく“締め出し文化”を体験していた締め出し文化とは、ある場所にいる望ましくない人物や弱者を排除する文化である。

 公の人間の他者を見る目はおおよそ「温かい」とは言えない。温かくないどころか、そこには軽蔑·嘲笑·嫉妬·敵意などあまたの低俗な心理が蔓延している。公の場に対する人の目は冷徹で遺憾を禁じえない。公の場での人の振る舞いは冷酷に監視されているのである。

 “空気を読む”精神文化を持つ日本人は、他者の目に気を配り自分の行動にも細心の注意を払っている。特に場を支配している空気というものを日本人は敏感に感じ取る。「言葉」ではない、言外のコミュニケーションだ。

 そんな日本人にとって「せき払い」は不快を表す最も手っ取り早い手段だ。生理的にせきを催すのではなく、注意を喚起するために「せき」をするのだ。

 また、せきは場から望ましくない人間、弱者などを排除する(締め出す)目的でも使われる。空気を読むことを仕込まれている日本人は、せきをされると勝手なことはできなくなる。せきによって彼らに「社会の目の冷たさ」を戒めるのだ。せきは人間をその場から追い出す。

 

 

 人間社会を、理想の共存共栄の観点から見た時、締め出し文化は「悪」である。いかに締め出し文化が人を陥れるか。なぜ社会には「ひきこもり」がなくならないのか。私は老女のせきの際、この締め出し文化を疑ったのだった。老女もせきくらいでは反撃されないと思っていたかもしれない。

 聞いた話では、老女は「因縁をつけられ、蹴られた」と説明したという。ではなぜ私がはじめ怒りを込めて問い詰めたにも関わらず「無視」をしたのだ?老女が「無視をした」から私は彼女を蹴ったのです。私は、誰よりも先に自分が警察を呼んでいるのだが、警察は私の道理を理解すると思っていた。締め出し文化が悪である、ということと、“自分が”警察を呼んだ理由と。

 ところが、警察は「蹴った」という一事実だけを見てそれを「暴行」と見なし、私を逮捕した。私の説明を理解しなかった検察官は、私の精神を疑い、精神科医に精神鑑定を依頼し、それが統合失調症の被害妄想という診断結果を持ち出してきた。

 私は老女のせきの際、被害の妄想を抱いたのではなく、上述したように「締め出し文化」という“具体的な事象”を取り上げ問い正そうとしたのである。(警察の力を借りて。)妄想とは、国語辞典によれば、「根拠のない不合理なことを事実と確信し、いくら訂正しても承知しない状態」である。私には、せきに目を向けた明確な理由(根拠)があった。

 妄想ではないのだ。

  

 また、余談だが、根本的な疑問として、警察は、いかなる理由があろうとも手を出した時点で本人を犯罪者とするほど「無能」なのか?

 「暴行」とは一般に、まぶたに青あざができるほど殴るとか、あばら骨が折れるほど人を何かでたたくということである。私は、老女の後部を足がかすめたくらいで手を止め、警察を呼んだ。そして、正義の判断を警察に委ねたのである。これは、“手を出したら、それがいかに軽くても負け”という正義の判断の際の法律の『死角』を浮き彫りにしている。

 もしそういう事情を酌量することができないのであれば、警察が犯罪者にあざむかれるという現実はまぬがれることはできない。なぜなら、警察が正義ではないからである。思うのは、警察は変なタイミングでせきをした女性に「謝らせる」という対応はできなかったのか?ということだ。警察に正義を期待した自分がバカを見たのである。

 

 

 話を元に戻す。

 こういう私にも今回の事件に対する非がまったくないとは言えない。1つ目の非は、事件当時私の日本語はヨーロッパ上がりでにぶっていた、ということである。日本語のにぶりのせいで、警察、そして検察を前に「締め出し文化」や状況の正確な説明が十分にできなかった可能性がある。4年半ヨーロッパに専心したことで、日本のことも忘れていた。そしてもう一つの非は、それ自体事件の自分の正当性を削ぐことにはならないが、事件当時「自分の精神が慢性的に混乱していた」ということである。事件の数年前、ヨーロッパで『救世主』を目指したのだが、それに失敗した時にたいへんな混乱に見舞われた。その時、いくら考えても解決できない何かの問題に遭遇し、そのことに完全に頭が奪われて、回りのことさえ見えなくなっていた…。父に連れられてドイツを去るまで、来る日も来る日もその問題の解決策(だけ)を探して考え込む1年数カ月を過ごした。それは、ごく最近、2022年11月に元の元気で活発な精神状態を思い出す迄の、実に8年間の精神の「混乱」というか「もうろう状態」である。

 なぜそうなってしまったのかということは今日でも思案するがよく分かっていない。ともかく、世界に向けて救世主を名乗り、「神」を目指した中で、人間的な限界というものにぶつかって、それまで築いてきたものが崩れ去り、根本的な自己否定に見舞われた、という気がする。この混乱に見舞われていなければ、たとえば、「せき」くらいで警察を呼ぶということはしなかったかもしれない…。また、去る「K病院」では、この混乱のせいで主治医に事件の弁明ということもできなかった。

 以上述べた2つの非が事件当時警察や検察を前に“精神を疑わせる”何かを醸し出していたかもしれない。ここで言っておきたいのは、2つ目の非、精神的混乱は「統合失調症」ではないということである。目指したテーマの大きさがもたらした混乱だったと思う。私は病院に入院したその日から、4年5ヶ月、一度も荒れたことはない。幻聴や幻覚、妄想などもない。

 

 


                  (おわり)

########################



≪今日の考察≫

 文字一つひとつをタイピングして思ったことは、思っていたより「自分の悔しさがちゃんと、しっかり打ち出されている」、ということである。(「物事の道理」というものを忘れてしまっていた自分は、書いていた2年前は自分の正当性に確固たる自信が持てなかったのだが…🙂)

 特に、交差点でおじいさんに無視された時は。

 …しかし、『子供会』が母校で運動会を催すなんていう見当は、ヨーロッパに行った僕は、おおよそ付くものではなかった。その無知は、おじいさんを前に怪しく映ったかもしれない。

 自分の格好も、どことなくうす汚かったと思うし。

 『僕はあの小学校に通っていたんです。』という、おじいさんを前にした『カミング·アウト』も、皮肉にもおじいさんには「大嘘」だと聞こえていたかもしれない…。😭

  

 当時僕に必要だったのは、「日本語」や、完全と言ってもいいほど忘れてしまった日本人に関する「知識」を取り戻すために、日本の人々に触れることだったのだが、不幸なことにその前年、「仕事」が続けられなくなったことで、実家にもおれなくなり、「身内」という、最も接触しやすい人々も、自分の生活環境から奪われてしまったのだった。

 なにげに、「精神の混乱」も続いていた…。

 しかし、ヨーロッパでなんとか『鎮静化』に成功した、救世主としての強烈なプライドも、自分を易易と引っ込ませはしなかった…。

 もう、『トラブル』と、それによる学習というプロセスは、当時既に“不可避”であったのかもしれない。

 もっとも、それによってまったく刺激のない病院で、相手も上手とは言えない日本人女性の精神科医の元で、「3年数カ月」を送ることになるのだが…。

 もう、言ってしまうが、『救世主宣言2013』の失敗の感覚(と、それにつきまとった罪悪感等)は、恐らく、一旦『忘れる』しかなかった。“忘れて”、新しい意識を生きることで、僕は生まれ変わるしかなかった。

 

 そうして《新しい意識》を生きる中で、「人」(日本人)と接し、その場数をこなすことで僕は、『自分』を取り戻していった。あれから「2年」は経ち、まだ完全ではないが、どこかでは、2011年に日本を捨てた自分に舞い戻るのではなく、「救世主宣言」と「混乱」を経た自分は、「更に強くなっている」、そんな気がしている。 

 

                 (おわり)

2025年3月30日日曜日

2025年3月の思惑 〈第2弾〉

2.27☆ (少し前になるが、YouTubeだけでなくブログにも残しておきたい印象。)

 『精神科医の論破』

 先生や、神奈川の精神科医の言っているように、俺の抱いているものが『被害妄想』だとしようか。

 では、俺はそれで「何」をする人間か…。

 2018年10月は、たしかに、人(おばあさん)に暴力を振るった。でも、本当に暴力と、呼べるものにはなっていなかった(現場にいた人間しか分からない)し、何より、あの時俺はずっと混乱していたのだ。ヨーロッパで行った、「救世主宣言」の失敗(猛烈な精神的探求、兼挑戦)がもたらした混乱によって。

 では、さっきの話に戻ることにしよう。

 「俺は、その被害妄想とやらで、何をする人間か…。」

 暴力じゃないのな。つまりは、いわゆる問題行動じゃない。

 よく聞け。俺が、社会の人間のせいで人生で一番苦しんだ24の時でさえ、俺は人々には『指一本触れず』ヨーロッパに消えたんだぞ?消えて、独力で絶望の淵から、這い上がってきたんだぞ…?

 そんな人間が、今更暴力なんか振るうと思うか?

 じゃあ、何をするか。

 「念ずる」、もしくは、「呪う」、これである。

 悪いけど、これはいわゆる問題行動ではない。念じたところで、呪ったところで、変わらないというのが人間の世界の理解だから、それで、何かが出来たとしても、たとえ、人を殺めることができてしまったとしても、それは、超越的な何かだから、人は、文句など言えないのだ。

 (事件を診た2018年の精神科医の診断を覆す、名印象。何故“自分が”警察を呼んだか、とか、署に着いたら、騙された、とか。)

 

3.15

•(ジョーク。)

 『30kgのバックパックを背負いながら、3万キロも歩いたら、それだけで地震が起こせるようになるのかもなっ!!』

 

•『小川君は、「人に言ってあげる」という優しさがあるね。』

 誰だか忘れてしまったが、その、僕にある人には見えにくい優しさの一つに気付いてくれた人が、ちょっと前にいた。


3.16 

•(*僕の瞑想能力の賜物。多分若かりし頃の不屈の思索·瞑想(『人生探求』)がこれをもたらした:)

『僕は、「結論」、しかもすごい究極的な結論に達するのがむちゃくちゃ早い。

 僕があっという間にエベレストの頂上のような結論に達するとすれば、凡人は1500m、2000mの頂上のような結論を得ることだけで、大喜びしている。』


•『人生、もう「やり切っている」(2006年、24歳)から、悩まないのだ。(人間というものを追求しきっている。)

 新しい悩みなど、出てこない。

 「人間」をマスターしている。卒業している。』

 

•(再:)

 誰も、俺のことなど信じない。

 東日本大震災のことも。

 イスタンブールの神様の承認も。

 嘘ついている奴は、信じてもらわないと、つまり、認めてもらわないと、失望するけど、俺はそれが実感としてあるから、承認されなくてもいいのな。一人も、承認してくれなくても、別に平気だ。それは残念なことではあるけれども、たしか「人間」って、そんなもんだったと思う。俺の記憶の中の人間も。

 俺がどんだけ真実を語っていても、心に、届かない。伝わらない。信じない。聴かない。

 そんな人間達に、信じてもらえるまで関係作って、お付き合いする時間なんて、取れない。『実感』としてそれがある人間は、信じてもらう、ただそれだけのために、そんな労力は割けないのだ。

 SNSで一通り自分のことを発信した後は、俺はSNSを降りることも考える。つまり、再び「自由」になることも考える。 

  

 人間が、やっぱし醜けりゃ、そんな人達と一緒にいる気はない。一緒にいて、やな思いしてまでして、屋根の下にいようとは思わない。

 人間が、「好き」というよりも「嫌い」であるなら、無理して好きになろうとは思わない。聖書の、イエス様のようになろうとは思わない。もしそれが、俺の中の真実であるならば。


3.25

 ≪重要≫『俺という人間』(新たな側面)

 俺は、自分が「スーパーマン」になれることを知っていた。そういう自信が、「小学2年生」くらいからあった。

 

 生憎だが、子供時代は不遇に見舞われた。「父親との不通」、「食生活」、「ファミコンなし」、「信仰生活」、「度重なる海外生活」… それらは、「『平凡』では無かったという意味で良かった」、「世間に毒されなかった」、「海外生活は素晴らしかった」など、良い面ももちろんあったにはあったが、概して僕は、年相応に自分の能力が磨けなかった。(「学業」、「スポーツ」、「趣味」、「人格」などなど。)

 それが、その、意欲はあったのに磨けなかった未熟な素質が、社会に出る時に猛烈なハンディキャップになった。自分には才能があると分かっているのに、それが人並みに開発できなかったために、学業や、就職で結果が出せないのは、苦しいことである。

 

 最近思い出しているのは、父親が自分を懐疑視するあまり、僕自身が『自分を生かす』ことができなかった、人間の能力開発にとって大の敵である、親の承認不足というものである。

 

 でも、俺は負けなかった。

 19、20で、大学1年の「自己改革」に成功した時、人生でイエス·キリストを目指すことにするのである。

  親の愛、関わり、支援に恵まれていたなら、僕は31歳ではなく、もっと早く救世主宣言をしたかもしれないが、24歳の絶望体験とは、僕を人間的に鍛えてくれたのは、否定のしようがない。親の愛に恵まれていたのなら、それは、友人関係や、学歴なども反映された可能性は高く、そうしたら、人間関係にも、社会にも愛されて、より愛溢れる救世主に早くなれたかもしれないが、逆に言えば、もしそうであったなら、「人生のどん底」で鍛えられるとか、神様の承認をもらうということもなかったのではないか。

 人生のどん底体験というものは、救世主のような存在には、欠かせない体験だという気もする。2000年前のイエス様も、そういう体験をしたのかどうか、僕は知らないが…。そんな体験しなくても、それが分かってしまうような神がかった方だったのだろうか。

 

 ともかく、話を戻すと、19、20で抱いたその人生目標が、僕を徹底的に磨くことになる。「悪」を、「苦しみ」を、知りつくして、それを乗り越えようと、そんな目標ができてしまうのだ。普通の人間は、敢えて踏み出すことなどしないことである。

 

 「善」や、「楽しさ」を知るのは簡単だ。心を開けばいいだけだからだ。少なくとも僕は、それを楽しめないような歪んだ人間ではなかった。だから、若い時僕は、進んで問題を探していった。自分の、家族の、社会の、人間の、世界の。。。

 そしてそれをどうやって解決したらいいか、それらの問題の根源は何か、誰に求められるともなく、学問を履修するのでもなく、自分で研究していったのだ。特に、人間の問題を。。。

 終。

 

3.26

 (記録)≪重要≫『僕の精神病院体験』

 神奈川の病院の西川医師は、俺はもう一生精神病院にいた方がいいんじゃないか、と思っていたかもしれないと思う。

 入院当初から、暴れたことなど一度もなかった俺を、一向に出そうとしてくれなかった。

 病人(人の心)を扱うのも、あんまりうまくない人だったと思う。

 小柄で、細身の女性医師が、僕のような西洋人の血を引いた強い人間を前に精神科医として、また日本人として、心に寄り添う一歩(言葉掛け、など)が踏み出せないのは、想像に難くない。

 病院に閉じ込められて、刺激すら断たれてしまった人間に、救いの手を差し伸べてあげられるのは、医師と看護師くらいしかいないのに、その医師がこれであったために、俺は3年以上をこの病院で過ごした。

  

 精神病者を生かす、殺すも精神科医次第である。

 患者の問題が、掘り当てられない精神科医は、(まぁ、それは普通の人には簡単じゃないと思うが)、患者の人生を葬ることもできるのだ。(!) 何も、咎められることもなく。

 (傷ついた子供を抱えた患者もいる。それが悪魔のようになってしまって、手に負えず、やむなく“放置的”関わりを採ることもあるだろう。

 手を縛ったり、隔離したり…。

 本当に必要なのは、子供なのだから、たっぷりの愛情、それだけだったりするのだが、なかなか、一般人に、そのような愛を施せる人間はいない。)

  

(重要)『世間一般人に関する、記憶回復!』

 「世間では、変な奴は居るもんだから、そういうのは避けなさい。」

 それが、世間一般人の処世訓だろう。自分が、できる限りそういう人間達に巡り合わないように注意して、(自分を守って)、かといってそういう人間達を排除はしない、、、 だから、もっとずっと自分自身が、いい暮らし向きができるように、仕事で、自分の人間関係で、頑張って、そういう人間どもに触れなくて済む人生(例えば、「東京一級地のスーパーには、そういう人間はやって来ないから、そういう所に住むことを目指す」、とか、「高級車に乗り、夜は外出しない」とか)を築こうとする…。

 俺は、24でそういう生存競争(幸福の追求)に乗っかるのはやめた。

 むしろ、道ですれ違う悪者を前に、平気で正義を突き付ける、「悪を摘発する」、そんな能力まで磨き上げた。

 

 俺の人生は、不遇により、そういう大衆的な趣向に参加をして、そこで成功するには余りに不利な逆境というものを突き付けられ、「なら、どうする…?」という『難問』を突き付けられた、そんな若者時代だった。

 そこで選んだ孤高の人生に舵を切ることが、どれだけ勇気がいることだったか、あなたに想像できるだろうか?

 GOOD.


『人は、変われない。』

 (それを変えられるとしたら、「俺」か?)

 

•(若い頃の僕の世界観)

 『若い時、ヒットする曲の歌詞が突き詰めた「真理」、「悟り」、「気付き」等のレベルに、僕は満足しなかった。』

 僕は、もっともっと高い真理、天国的世界、美、そういうものがあると思った。「年収一億とか稼ぐスーパースターは、そういう世界を表現するべきではないのか?」と思ったりした。人間界の霊的なレベルの低さに、気付いていた。

 

•(僕の、真理への到達能力)

 これは、できる人も多いかもしれないが、好きな曲が聞きたいと思って、聞くとする。

 「想像力」や、「感度」が未発達な人間は、曲を一通り聞かないと、心が満たせない。(心を満たす箇所に出会えない。)

 僕は10秒、15秒聞けば、心が満たせる。求めていた物が手に入る。

 感じ入って、曲の先や、自分が求めていた情感、世界を10秒で掘り当てられる。


2025.3.27

(記録) (発表するか迷った印象)

松阪イオンタウン工事現場

米山智典だかいう、一ヶ月くらい通った松阪の工事現場で、ダンブがこぼした石ころを、監督と一緒に拾いに行ったことがある。

今、あれは、作業者、しかも自分の班の者が…

           わざと落としたものだという気がする。

 わからないが、監督と俺が、言葉交わすチャンスを作るために、そんなことをしたんじゃないか。(人間の持つ、「人間不信」(≠俺)) そういう、労働者を探るための、「予定変更」や、「仕事作り」。。。そんな、人間の仕事、世間ではありふれてるんじゃないか。

 

•(素朴な思い)

 人生に相応にチャンスを与えられ、自己実現し、『成功』した人は、人を愛しやすいというのはある。そういう人は、自分のポジティブさが、人々から賞賛されるから、「幸せ」であるのだ。

 俺は、自分は神様の承認をもらっただとか、大地震を起こしたとか言っても、賞賛されないから、人間の人生としてはなんも達成していないかのようだ。

 俺はかつて、極めて有望であったにも関わらず、人生を捨てて、ホームレスにならなければならなかった、不幸者でもある。これから、放浪者として、人々にバカにされたり、承認されなければ、また怒りを募らせる可能性は、十分ある。

 

3.28

(僕の、真理への到達能力-その2)

 『「一言」から、結論が出てくる。』

 (問題を聞いて、自分がかぎつけた何かに、ほんと一言、(もしくは2言3言)でそれを突き止めることができる。そのテーマに関して、僕なりにマスターした人生の真理へと、到達するのである。) 

 

•(僕の性格)

 『俺は人生で、清く正しい「心」·「行い」を、徹底したい人間で。

 「一秒一秒」、「24時間」、「365日」、である!』

 (*「一秒一秒」それをするというのは、僕も訓練が必要だった。)


3.29

(母へ)

(ドイツ語)≪Du kannst dankbar sein, dass ich mit 24 nicht gestorben bin.

 Im Jahr 2016 konntet ihr von zwei meiner groessesten Lebensgeheimnissen erfahren, etwa «die Gottesanerkennung in Istanbul 2007», und «das Fukushimaerlebnis 3.11». 

 Und ab 2023 konntet ihr euch mit mir unterhalten, und von “mir” weiter kennenlernen.≫

(補足: 2011年末から4年間「ドイツ語圏」に没頭したことで、日本帰国から9年がたった今日でも、ほぼ支障なくドイツ語が出てくる、…そんな自分がいる。30を超えても、知力が伸びている自分がいる。)

 

•(辛かった、僕の親の真実。)

 先日偶然見つけた、すごいYouTube動画(スピリチュアル系メッセージ、→自分の過去を、掘り起こしてくれた!)から、抜粋:

 ①『“十分なことをしていない”、“十分な時間を割いていない”、“十分な犠牲を払っていない”。そういう罪悪感を持たせた。』

 ②『彼らは、あなたがどうしているか、何が必要かなど、決して尋ねなかった。』(彼らにとっては、僕が元気なのは当たり前で、放っといても平気だと、彼らは思っていた。) 

 (30分ほどの動画だったが、その最も痛快であった2つだけ、紹介する。〘重要〙)

 

•(俺のこれからの、人間の見極めポイント)

 『それは純粋な親切?

  それとも、「貸し」作り?』

 (*前に、妹の一人が採った行動からの推察。更には、日本には、『安いもの』を与えて、俺が下手に有り難くしてみせれば(それが本当に有り難かったとしても!)、『見下してくる』人間も確かいたよな!お金の崇拝者。≠妹。…世の中とは、厄介な場所だな!)


3.30

•去年精神が回復してきてから、体験した人のいくつかの関わりの中に、自分は気付かなかったが、“とんでもなく嫌な心“が潜んでいた可能性を思う。それがほんとかどうか、これから突き止める!!

 (作業所で知り合った、LINEをやってた若者など。これとは別に、たしか…、こんな記憶もある:

 ※「日本人」は、僕を前にとかく嫉妬深くはなかったか。外人だし、強いし、かっこいいし、能力も高い…。だから、しょっぱなから、心的に距離を置くのだ。顔を作る、卑屈に出る、思ってもいないことを、俺を試すために、言う、等々。もちろん、心を開いてくれた人も、いたにはいた。でも…、生憎、(悲しいことだが)その日本人的な『素』(「心の開き方」、また「心」)は、俺には“馴染みが足らず”、そんな貴重な人の関わりも、僕はうまく生かせない人間だった気がする。子供の時に、日本人の心に、十分歩み寄れなかったのである。(苦)(『こども時代』参照。親の施した教育の責任。)

 今は…、時代も進んで、日本人も変わったかもしれない。日本の認知度も上がり、“卑屈”になる人間はもういないかもしれない。

 民族の違いによって起こる、『不通』。人類はこれを、どうやって乗り越えたらいいのだろうか。(…))

 

•(今日の僕の一日)

 夜になって、初めて散歩に外出した時、ふと明るい自分(明るい気分)になることができた。これまでの自分を反省した。

 そんな自分で歩いていると、コンビニにいた二人の若いきれいな女性たちが、僕に好意を示しているような気がした。(こういう自分にならなきゃいけないんだな。)、と思った…。

 しかし、その後、スーパーに買い物に行った時、商品を眺める俺を急かすような若者(店員)が現れ、そいつがむっちゃ気の抜けた顔をしていた。嫌な感じがしたが、そいつが、俺が会計をしている時に、別の会計にいるアルバイトに近寄ってきて、卑しい笑顔で何かを会話。

 そういう、卑しい笑いを浮かべる元気はあるのだ。

 なんだか俺は、それが俺をからかういじわるのように思えた。客である俺に対して、実に感じが悪い。

 僕の30歳までの日本でも、たしかそういう人間がいた。

 コンビニで、(明るくなろう。)と思った矢先の、不意打ちだ。どうも、この世界では、「明るくすること」は、場所を選ばなければならないようだ。例えば、自分の好きな人といる時だけ、明るくする。それ以外は、要警戒。「接客業」ですら、あなたにちょっかいを出してくる!

 (下らない世界だ。)と、思わないか? 

 

•『能力高めたかったら、“自分”、“自分の感覚”に集中する時間をもて。』

 『能力』は、“自分”に集中する時間が、人生でどれだけ取れるかで、決まってくる。俺は、仕事も、結婚も、子供もならなかったが、学生時代は大したことなかった知力が、ホームレス生活で自分を磨いたことで、べらぼうに伸びた。

 僕ほどに自分の時間を取るということは、普通の人には無理だろうが(やりたいこと·やらなければならないことが多くて)、子供の時にどれだけそういう時間が持てるかで能力の高さは決まる。東大まで行けるか、それとも中卒で終わるか。(例えば僕の父は、僕と違って子供の時にそういう時間が持てた。だから、「一流大学」に行けた。)

 若者は、町に遊びに行くとか、高いブーツを買うためにバイトを頑張るとか、友達と遊ぶとかに人生の時間を浪費してしまい、こういう『能力を高める』とか、真に価値あることに人生を費やす機会を逸する。結果として、未熟なまま40、50になり、それから自分を磨く気力は、残っていない人も多い。結果として、仕事力も、低い。ミスや、横着も多く、それでも、最低限のことをやればお金はもらえるから、そういう社会だから(「ミス」や「横着」の代償は、自然界や見知らぬ他人が負っている。)、食っていくということができる。

 

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2025年3月29日土曜日

2025年3月の思惑。

 (こんばんわ。

 YouTube動画に替えまして、思惑をこちらに発表致します。動画は、「早送り」も、「巻き戻し」もできません。それに対して活字は、読者が自分のペースで読んでいくということができます。詰まらない内容は、飛ばすことができます。なので、そうすることにしました。

 今回の内容は、いつになく「充実」している気がします。面白いんじゃないか…。)


 

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3.13

• 『イスタンブールの歓喜』(2007.12「神様の承認」)

 俺は、いかなるなぐさめも、勇気付けも、感謝も… 必要としない。

 それが、イスタンブールの歓喜のすごさである。

 音楽だって、要らない。(無銭の放浪で、音楽なんか聞けるわけないやろ。)

 “俺の心は、永久的に、満たされているのだ。”


 今は、破格の家賃、16,000円の大きくてきれいな1Kアパートに住んでいるが、この部屋に置いている≪いかなるもの≫も、俺に手放せないものはない。

 (*大好きな辞書も、書籍も、変な話、ブログ上に載せた自伝や放浪記だって、なくなったって、平気だぜ…?)

 それが、一度社会を、屋根を、人生を、捨てた者の強さというものだ。

 人は、違う。モノや、体裁、世間体など捨てられないから、仕事を頑張る。(『身を削る』)

 例えば、「体裁」を捨てる、みずぼらしい格好をするって、そうそうできんよな!!(俺は、24歳で克服♪もちろんプライドを捨てたんだけど、むしろ、別の意味のプライドがあったから、体裁など捨てられたのだ。)


• ≪重要≫かつ痛快。

 『人間は適当。』/『なぜ俺が社会を捨てるか。』

  人というのは、俺よりも、うんと『適当』なのだ。

 分からないが、社会の、98%はそういう人間だと思う。頭のいい、僕の父親ですら、(僕から見れば)そうである。

 『適当』だから、ボロが出て、それを誤魔化すこと、隠すこと、知らんぷりすることで、やり過ごしている。

 そんなんでも、ボロが出た時のごまかし、「責任のがれ」が上手いから、仕事になり、その対価が発生し、家に住むことができる。

 

 社会の98%の人間が、おそらくそうなのである。

 そのボロがな、何になってるかというとな、、、人命を奪う事故だとか、何百万の修理代だとか、知らずの内に人を病にしたり、しているのだ。すべて、適当という名の人間の悪行によって、問題は生じているのである。

 この世の素晴らしさに対して… 人間はそれを正しく理解しようと努めない怠慢によって、世界を体験させてくれる神様を「裏切っている」とも言える。

 食べ物とか、素晴らしいものを体験して、幸せ感じていながらも、その奥義を謙虚な心で探ることは怠り、楽に、楽しいことだけ模索する。。。


 俺はその『適当』が、昔からできん質で。それで、皮肉にも「建設業」とか「物流センター」とか、余計適当人間が多いところで働いてきたから、そういう人間の醜さが、どうしても鼻に付いてしまって、結果的に『人間は醜い。』という一般論を、24で出してしまったのだった。 

 

 話を戻すと、人は、「働かない奴はダメ人間だ。」とか言うかもしれないが、俺からすれば、適当に仕事をして、問題起こして、自分だけ幸せな人生送っている人間の方が、醜い。

 そんな醜い人間と一緒にいたくはないと思ったから、かつて僕は、社会を捨てたのだ。

 その、人間の『適当さ』…。

 それは今日でも、体験すると、僕は胸糞悪くなる。また、もうそういうのが僕は一目で分かっちゃうから、なおさらである。

 どうしたものか…。

 僕は、一体何ができるのか。

 率直には、やはり地震という神通力のことを思うが、気持ちの変化によっては、やはり病人を癒えるという奇跡も、できるかもしれない。まだ、やったことはないが、人に見えないものが見える目は、ちゃんとあるのだ。。。

 終り。

 結論: 

 『全ては、人間の手、その扱い方を間違えているからである。』



3.14

 『他人は、鏡。』 〘重要〙

  - 人は、他人を通して自分を発見する。他人を通して、(あ。自分は違う。)とか、(そうそう、俺もそう!)とか、自分がどんな人間であるかを知る。

 (*8年間精神が眠りにつき、自分を、人間を忘れた僕が回復できたのは、「頭」が忘れても「体」が覚えていたからで、退院して、何十人、何百人と接する中で、大事な『自分』を取り戻していったのである。)


3.17

 『俺はハイエナだった。』(子供時代)

 例えば、「嫌いな人」からもらった食べ物なんて、食べたくなくても、、、 (子供の頃の僕の親の教育は、まるで子供の下僕化、ハイエナ化で) そういうものでも、感謝して食べられなければならない、というものだった。

 そうやって俺は若い頃、見事庶民以下、ハイエナ的根性を持っていた。(「人が残したもの」を、勿体ないからと言って、喜んで食べる自分を、“尊く”も思って。)

 そんな教育では、子供は世間と対等にやっていける人間にはならない。 

 〔重要〕

 

•俺が真剣なだけで、人は咳をする。(ムカッ)(気付かないとでも思ってんのか?!!)

 俺が『真剣』なのは、お前らと違って、自分だけ良ければいいって考えて生きてるんじゃなくて、世の中の問題と戦ってるからなんだよな。

 俺はなんで悩んでんだろな?世の中が、人間が、醜いから、悩んでんじゃないのかな?

 (cf. (3/15) 俺は何も悪いことしてないのに、人は俺の顔に泥を付けてくる。)

 +3.26 夜散歩中、俺が真後ろにいる時に排気ガス吹っかけてきたハーレー·ダビットソンの若者。(手をとんとんして、「うるさい。」と言ってやったんだが、口をすぼめて、道に出ていったが、それは実は素振りだけで、心は俺が思っている以上に醜い可能性。(!))

 (追記:(3.27) 普通の人は、他人の咳なんか、意識していない。自分のことで、精一杯なのだ。また、俺はやっぱり威圧感あって、威勢もいいから、余計咳をされる。威勢がいいのは、相応に高貴に生きてきた自負が、あるから。また、僕が他人の咳を意識するようになったのは、傷害欲求、拒絶、軽蔑などの人間心理を、摘発して、「抹消」したかったから。)


 

3.18

 (つくづく思う:)

 『「自分がこうしたい。」ではなく、「こうしなければならない。」で動かさせた我が親。

 (僕の人生が花開けなかった、最大の原因。最近、生活していて、時々そのかつてのモードを思い出す。)〔重要〕(以前にも似たような気付きあり。)



3.20

• (記録)『いかにして俺は、排除されたか。』

 (伍神工業、丸盛有限会社)(Youtubeでは語っていない。)

 是友さんと最後の日、「是友さんのおかしなところ、YouTubeで全部、ぶちまけてやろうかな。」と言って別れた20分後、会社に戻るや、諸星さんから「質問攻め」にされ、、、

 →おかしいのは是友なのに、仕事を失ったのは、俺。

 諸星は、「話を聞いただけではどちらが悪いか分からないけれど」とは言いつつも、『明日はやめとこか?』と切り出し、俺は易易認めてしまった。

 (記録として重要。)

 

•(プライベート記録)

 『母の、優しすぎる優しさ。』(発掘)

 否。それは悪いことではない。でも、社会では通用しないようなレベルの優しさを持っても、受け入れてもらえないのが関の山で、それでは、裏切られる時に憎しみも抱きやすい…。だから、今のこの世の中では、それは、持たないほうがよい。

 思い出したが、母には、(『子供時代』にも書いたが)『物事は(ゆとりも持たずに)とにかく頑張って、最善を尽くすのが大事なのだ』という教育があった。

 それは、母の立場、境遇ではよいことであったかもしれないが、僕には似合わなかった。(それで僕は、社会で余計に摩擦を起こしたのでもある。)

 その、母の優しすぎる優しさを、僕はある時から拒否していたかもしれない。「通用しない。」と。「私のこの優しさを理解して。」と、わがままを言ってるようにも思えたから。。。 

 〘貴重〙

  

3.21

•(重要)(僕の食習慣、体調) どうも、僕の食生活はまだ放浪時の、一日一食爆食、になっている。しかも、甘いものじゃないと、満足しないようにも。(多分に、第二ヨ無銭放浪初期の小遣いがあった時の食習慣)

 また、胃の不調も、2018年の手術が原因かと思われる町の不調も、ある。

 (最近、有り難いことに若い頃の自分の健康感覚(自分の元気の感覚)を思い出すことができたので、まだそれになれない自分に気付く。) 


•『人生の真のゲーム性』

 「トランプ大統領は、世界とゲームやってるから、楽しいだろうな…。」とか、企業のトップとかは、そういうゲームができるから楽しいだろうなとかいう奴がいるようだが、そういう奴は、権力の亡者であって、絶対、権力なんて手に入れるべきではない奴らである。

 違う。

 「今ここ」、「今日、ここであなたはどんな行動を起こすか。」そこに、すべてのゲーム性は潜んでいるのだ。

 「なんとなく仕事」、「なんとなく生活」、「なんとなく人間関係」を卒業しろ。

 それ(なんとなく…)が、変えられないのは、金や、面目や華やかさがないと、詰まらないと思ってしまう、贅沢人間なのだ。 

 人生で、初めからステージ性だとか、名声だとか、お金だとか、求めるのが卑しいのが分からないか。何も、やっちゃいないくせに。。。

 いきなりそんなステージなんて求めないで、お前の目の前、今日、ここ、この時間に、(つまらん(お前のいう))生活をどうしたらよくできるか、考えろ。

 人間、真にクリエイティブ(創造的)になったら、改善点など無限に出てくるぞ。

 それを、一つひとつ、一番やりたいことから改善していくから、人生は発展し、そこに、複数のこと手を就ければ、ゲーム性が生まれ、別に大統領にならなくたって人生が楽しくなってくるのだ。

 その、自分自身の人生に潜在する、最高のゲーム性を、掘り当てろ!####


3.22

 俺は、24の時、一般的な人生を諦めたのだ。そこから、僕の人生の軌道というものは、他の人とは大きくズレて行った。

 諦めた人間と、そうでない人間の生き方は、当然違うだろう。諦めていない人間は、嫌でもその生き方を続けるしかなす術はない。

 

3.23

 僕は7人家族だったが、まだ小学生であった一番下の妹Sを除いては、皆、心に毒を持っていた。

 俺が彼らの不当さを批判すれば、けなしたり、逃げたり、無視したり、ごまかしたり…場合によっては(兄などは)暴力に出ないとも分からない調子で僕を傷つけようとするのだった。

 そこが、俺とは違う。(!)

 俺は、人間として傷害欲求というものがなかった。(!)(物理的なものも、精神的なものも。)

 だから、喧嘩になった時、いつも『引いた』のだ。相手が不当でも、こてんぱんにするのではなく。



3.24

•旅和(甥っ子、小学2年発達障害児)の執着。→俺とそっくり。

 (発掘)昔俺は、「自分のやり方」というものに猛烈にこだわる性分があった。

 例えば、もう出掛ける時なのに、そんな時にあるものが目に留まって、これだけどうにかしたい、どうしようか、「ああしようか」、「こうしようか」、、、などと、それを考えることがやめられなかった。(大人になってもあり、ちょっと病的だった。)

 →父親を初めとして、待ってもらえなかった、ありのままの自分を十分に受入れてもらえなかった、そのためだと思う。待ってくれてたんなら、お父さん、お母さんに悪いな、という感情が芽生えて、そんなことはやめたはずなのだ。。。

 P.S. そうやって、恐らく、ピンチの時に自分の能力を引き出す、そんな練習を積みたかったんじゃないか?

 (3.26夜現在、少し考え直してみている。自分の執着は病的ではなかったか…と。それとも…、上手に活かしたらそれは、『天才』につながる素養か…?)

 

•正直を毛嫌いする衆生

•「謙遜」という名の『対人恐怖』を感じさせないと、人は受け入れない。

(どちらも、ポスティングの仕事をすげなく落とされて感じたこと(特に2つ目が痛切。))

•注。この日、社会生活を放棄することを決意する。


3.25

•(気付き) ポスティングやったところで、家庭教師やったところで、俺の本領は発揮されない。###(社会生活はできるかもしれんが。)

 

3.26

•「こんな人間だと、「就職」したら、就職した会社が迷惑だよな!」(苦笑) (補足説明:会社が、俺に合わせなければ、ならなくなるから。)


3.27

• (思惑)人生、誰しも平等にチャンスを与えられているならよい。人生を葬られた者として、制裁する。


•『昨年9月に作業所であった、リネン室調査(数カ月に及ぶ)の切っ掛けとなった老人ホーム側からの「クレーム」とは、絶対に『でっちあげ』であった。』

 (俺の邁進を阻止しようと、俺に濡れ衣を着せようとした、チーフ支援員O。) GOOD.

 

朋弘へ(去年の出会い、服部朋弘さん)

 (今では、朋弘のことを朋弘と気安く呼ぶことに、抵抗を感じる。昨年俺は、ヨーロッパ人感覚で呼び捨てにしていた。そういえば、日本人の呼び捨て感覚と、ヨーロッパ人の呼び捨て感覚は心が違ったね。。。)

 朋弘さんは、言葉が足りなかった。僕がヨーロッパ上がりで、日本人を忘れているのなら、“ヨーロッパ人的な関わりで”関わってくれないと、分からないよ。(朋弘さんは、例えば、G-Freak Factoryの「ダディー•ダーリン」を紹介してくれた時、本当は相当色んな意味(共有したいもの)を込めて、それを紹介してたんじゃないか。)

 日本人は、察する民族だから、朋弘さんは、俺が察しに出てくれると思ってたと思う。それは、いかに朋弘さんが、日本人であるかも、示してると思う。

 結局「ダディー·ダーリン」からは、僕らの間でほとんど何も話が挙がらなかった。

 (*補足。このことで、かつての俺の、失望的世界観、「西洋と東洋は水と油。」を思い出した。俺はかつて、自分の中で、この二つの世界を抱えながら、日本人とはこっち。兄や母、外国人とはこっち。って、『使い分ける』という大変なことをやっていた。

 でも、双方の世界は、細かく見ていくと、2つに分けて考えた方がいい、というのが、僕の実直な感想であった。(同じ。)と思って接すると、気付かないところで飛んだ誤解を招くことを発見していた。)

 

3.28

やることは、山ほどある。

去年2月の作業所開始からずっと、手当たり次第がむしゃらにやってきたが、「全体」を見る時だ。特に、人間を捉え直さないといけない。

 

3.29

兄へ送ったメール』

(兄について、小川家について、ツボを突いているので、公表します。)

##########


否定することはしない?

なにを偉そうに!(この着眼が、分かるか?)

お前の承認なんか求めてねえんだよ。

 

 

…ちょっと、こんなメッセージするつもりなかったんだけど、開いたら黙ってられなくなったので、書きます。


  

にきの調和とは、俺からすれば「ごまかし」によるものさ。

にきが人のこと分からないのは、前から言ってるけども、変わりすぎた小川家で育っていながら、大人になるまで日本の俗世間にまともに触れることができなかったからだよ。

だから、その世界のギャップを乗り越えることができず(俺は20代、にきの事を思って(!)必死ににきを諭そうとしてたけどね。)、とにかくオプティミズムで行くことで、事を得てきた。

でもそこには、人と根本的にロジックの違いがある。(少なくとも、昔はそうだった。)にきは、不幸にも、お父さんとお母さんだけによって作られた、都合の良い「異色」人間だった。

僕も、実にそうだった。…18歳までね。

でも、悪いけど、子供ながらの直感からして、(うちの家族は変だ。)という気持ちがあったから、6年生の一年間の『日本体験』も手伝って、19で、恋愛を通して自己改革(世間への人間的な同化)を成功させることができた。

 

悪いけど、お父さんお母さんには、小川の上の兄妹(由里恵がぎりぎり含まれるか、含まれないか)が、帰国後「日本社会」にスムーズに入っていけるかどうかという配慮は、無かったよ。

あんなお父さんでは、あるはずもない。

でも、じっさいのおれたちというのは、余りにも違う人間だった。小川家だけに通用する人間だった。僕は、『危機感』を抱いた…。

 

僕は、下の妹たちが、僕らのようにならなくていいように、自分が見つけたばかりの世間の感覚や価値観を、家庭内に持ち込んだ。日本にずっといられたこと、塾生が来たこと、で、妹たちは僕らなんかより遥かに世間的な(日本人的な)人間になることができた。

 

でも、にきは違う。

にきは、お父さんお母さんに、「俺は大丈夫だよ。」って示したかった。多分、お父さんお母さんを安心させたかったのだろう。それで、「オプティミズム」という人生の一攻略法を、大々的に採用した。でも、それでロジックの違いまでカバーできる訳はなく。

だから、俺から見ると、(今日のにきはよくは知らないが、)にきは、お父さんお母さん2人だけの都合で作られた小川人間の人格、という、いわば『障害』(日本の世間一般ではそんな人間はいないから。)を抱えているから、人のことが分からない。にきは、小川家で育ったことで、そういう人間に、「成って」しまったのだ…。



俺は、かつて…、“兄を思って”、このことで、どんだけ危機感を抱いてたと思う?でも、皮肉にも、そんな僕の『兄思い』は、ことごとくはねつけられていたね。

 

これを読んで、今のにきはどこまでまともに読もうとするかは分からない。

でも、これが僕の見る兄貴、の真実です。その、本当に思っていることを、「丁寧で、長いきれいな文章にして伝える」ということが、僕の愛の形です。無視する、しないは、あくまで相手に委ねて。

  

無銭放浪に戻るので、洗濯機と冷蔵庫を取りに来てもらいたいと思ったが、上のメッセージを読んで、その気がなくなったので、「粗大ごみ」に棄てます。


(終わり)

2025年3月27日木曜日

『話の筋が見えない衆生』

≪近況報告≫


 こんばんは。

 『不食』(3/19開始)は、やめました。

 「またもや」ですが、 時間を掛けて応募したポスティングの仕事が、すげなく切られた(3/24)ので、社会生活を捨てることにしました。(それで、「予定」が狂いました。)

 「忘れてしまった人間」を、完全に思い出さないままに、再び≪無銭放浪生活≫に戻りますが、僕は、そんな生活スタイルでも、かつて世界に影響を与えることができた人間です。「不便」にはなりますが、社会に居ること、そして「そこで仕事をする」ということが自分ではなく人間のために苦となる場合、そこに居る意味を、もはや感じません。僕はもう仕事がもらえるために、人間界の、醜い「足の引っ張り合い」、「不当搾取」、「こびへつらい」、「競争」など下らないものに加担して、身を削ることなどしません。そこら辺の仕事をしていたんでは、(自分が勿体ないかもしれない。)とも思いました。冒険ですが、こういうことは、初めてでもありません。

 

 そこで…。

 今日は、最終回か最最終回として、数カ月に渡って自分が発信してきた『人間の不純さ』に関する3週間前の体験(洞察·解剖)を公開したいと思います。

 

########

  



『話の筋が見えない衆生』

事例:「元共同生活者Y」

(3月15日頃提起)


 (インスタグラム、YouTube, そしてブログでは、僕が人とどんな接し方をするかということは、見えないに等しい。先日、インスタグラムで、「もうこれ以上人の不純さについて挙げ連ねるのはやめる。」と言ったが、今回のYさんとのやりとりは、そればかりでなく、”僕自身の人間性“、”人との関わり方“についても、深い示唆に富む内容となっているので、公開することにします。)



 Y(◯◯◯)さんは、昔の実家、「寄宿生活塾」の共同生活者です。

 僕が高校生だった頃、2、3年間一緒に生活した8つほど年下の女性です。最近あったやりとりを、そのまま載せます。まず、読んでみて下さい:


 

2/25 夕方 僕 =============================

◯◯◯こんにちは!😀

 

返事がこんなに遅れてしまって、ごめんっ…!💦💦


 

不意にも深いテーマになっちゃって、10月はまだ頭も今ほどは冴えてなくて、相手できなかった…😢ごめんね。

 


お元気ですか…?

10月話してた『直感』『創造力』云々の前に、◯◯◯のいう焦りや不安に向き合うのが先だな。

「子育て」お疲れ様。♪自分自身が未熟さを抱えているのに、それでも「子孫を残そうとしている」っていうところが偉いと思います。

(僕こそそれをやらないと…。)

 

 

よかったら…、一度「電話」しない?

上に受話器マークが見えるけれど、ここでも電話ができるみたいだね。Lineとか、持ってるなら、教えてくれればそちらでもいいけど…。

今の俺なら、◯◯◯の人生課題にもお手伝いができると思う。◯◯◯の心に、「ストンッ」と落ちる答えを、言ってあげることができると思う。

今の◯◯◯がどうしているのか、聞けるのも嬉しいしね。一体、「何年ぶりか…!」っていうのもある。🤣

 

時間のある時に、お電話くれたら嬉しい。

今日でも、後日でも。もちろん、直感力の話をしてもいいよ。😊

よろしくです。

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2/25 午後7時 ◯◯◯ =======================

連絡ありがとう〜🙇


返事のことは全然気にしないでね🙏

まだまだ未熟で、親らしくないというか母親とはなんぞ?と思うばかりで日々生きていくのに精一杯💦笑


▢▢▢も引越しお疲れさま🍻色々なことにチャレンジしててすごいな〜って思う!


平日はバタついてて

土日とかなら大丈夫なんだけど

どうかな?

インスタの電話機能は使ったことなくてLINEID伝えるね🤗


+(LINEのID)

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2/25 僕 ==================================

◯◯◯が、別に相談することなければ、いいよ。

親とは、人類が滅亡せんように、一生懸命育ててくれた親らご先祖様に恥ずかしくないように、逞しく良い子孫を残す、という「使命」があります。今の親は、そんなことも忘れて、まともな教育もできず、関わりも持てず、子供なんてめんどくさいから、そもそも「作らない」…。そんな大人達が、『少子化』という大変な問題を引き起こしています。問題は、少子化にとどまらない!

それくらいのことは、分かっておいた方がいいよ。

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2/25 午後9時半 ◯◯◯ =====================

返事を読んで、逞しく良い子孫を残す「 使命」か…なるほど

少子化問題は経済的な部分も大きいよね。


 子どもを授かるのは奇跡的なのもあるし、独身の友達はパートナー探しが難しいと悩んでたりして結婚も諦めてる人もいるね。


自身の考えが、まとまらなくて相談ってより色んなモヤモヤした悩みの話を聞いてもらうことになっちゃうと思う😅💦


相談となると、雑談とは違って相手の貴重な時間をつかってしまうからもう少し自分の頭の中を整理してからお願いするかもです🙇

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2/25 僕 ===================================

「経済的理由」なんかで、子孫が途絶えていいのか?つまり…、子供作りが、『お金の問題』に成り下がってしまった、ということです。

 

奇跡なんかではない。

健康な男女には、ちゃんと(当たり前のように)子供ができる。それとも、例の、現代人が不健康なあまり生じた、「不妊症」のことか?


 

…人類は、『問題だらけ』なんです。

でも、「なんとかなるでしょ!」って楽観で、乗り切ろうとしている。

 

わかった。相談はいいってことね。

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 (*このメールの後、僕はこの頃積んでいた「人間」に関する嫌な体験15例ほどを、インスタグラムで公開し、その中で◯◯◯について、『薄情者。』、とこぼしている。)



2/27 午後6時 ◯◯◯ =======================

経済的理由もあるのが今の現状だよね…残念ながら


私は

妊娠出産を経験して奇跡だと思ったよ。

タイミングや人それぞれの身体の体調もあると思うけど、健康的な人でもなかなか赤ちゃんが授からないと聞くとやはり当たり前ではないと思う…


ごめんね、薄情者で

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2/27 午後7時 僕 ===========================

『教育費』出せんから、産まん。

じゃあ、みんなで滅びましょうか!!

 

子供を授かるのは奇跡さ。

でも、上で◯◯◯は、そういう意味で使ってないよね。

「希少」って意味だよね。

 

『健康だとされてるのに、授からない。』

それ、『今特有』の現象だよね。昔はなかったよね。

つまり、健康ではないのさ。医学(健康診断など)が捉えきれない『多面的健康問題』を現代人は抱えているのさ。

そういうことすべてが、人類の問題なんです。

 

もっと、『根源』から、考えないと、僕らの問題は、後世(『子孫』)に残すことになる。後世に、押し付けることになる。

『根源』とは…

人間として、「どう生きるべきか」。

「どういう生き方が、正しい」か。

「どういう生き方が、間違っている」か。

そういうことを真剣に考えていかないと、マジで人類は滅びます。

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3/6 午後7時半 ◯◯◯ ======================

奇跡的な意味で私は言ってるよ🌈妊娠も出産も命がけだし神秘的な体験だったよ


本当に多面的健康問題だね…

環境もだし、食も、様々なことから精神的な面も…


▢▢▢も素敵なパートナーが見つかるといいね🍀

============================================

 

3/6 午後9時半 僕 ==========================

「少子化」の話をしてたんだよ…?

なんでそこで、全然関係ない意味で奇跡的、なんて言うの?

「奇跡的」って、「希少」って意味にもなるから、そのテーマでそう言ったら、そう受け取るでしょ。

 

もし神秘的って意味で言ってたんなら、◯◯◯、そうとうとんちんかんなこと言ってるぜ…?!

 

◯◯◯は、世の中の出来事の本質を探そうとするのではなく、表層的な意見しか見てないと思うよ。

後、相手の心を見たほうがいい。表層(外面)ではなく…。簡単なことではないけれども。

 


世の中の人、ほとんどは、「本質を見よう。」ってしてないんさ。

先日切られた建設業の親方も、そうだった。

(おかしいのは親方だったけれど、仕事を切られたのは、俺だった。😭理不尽な世の中だよね。。。😮‍💨でももう建設業やめて、よかったけどね。僕のYouTube動画、『…親方との仕事、終わる。』って題名の動画で発表しています。🙂)

 

 

本質(「真理」)から逸れると、問題が生じるんさ。人間間のトラブルは、大体そこにあると言っていい。大きく逸れると、「繕う」という対策も打てなくなり、思わぬトラブルに発展する。

 

恐らく、ほとんどの人はなんらかの判断ミスを常日頃からやっていて、それが隠せるから、また、バレないから、問題が表面化してないだけです。(!)

でも…、そういう「ずぼらさ」が、人生の局面局面で、ボロとして出てしまうんです。だから、『大きな問題』(例えば、離婚の理由とか)になるんだよ。

だから、「本質を見ようとする」って、勉強を要するけど、人生スムーズに、問題なく進めたいなら、避けては通れないことだよ。厳しいけど、人間は「堕落」している(本来あるべき生き方の、半分も達成していない)から、苦労して、人生で学ばされるんだよ。人間とは、すごく高度な能力備わってるのに、人々はそれを磨こうとしないのさ。「邪気」や、「怠慢」、「不遇」(たとえば◯◯◯なんかだったら、両親と早くに死別してしまった不幸)、「欲得」などに邪魔をされて。。。

============================================

 

3/7 午前9時半 再び僕 ======================

このメールをもらって、なぜ昨日中にも返さんだ?「忙しかった」?

 

へんな、短いメール送ってきて、それにしっかり答えたのに、返さないとなると、やはり、◯◯◯に「不純さ」を感じる。

============================================

 

3/7 午後9時 ◯◯◯ ========================

ごめんね。

読解力や理解力に欠けてて嫌な思いをさせてしまったね…



既読から即返信は難しい。

4歳、5歳の子育て、ワンオペも多く家事と仕事の両立、私は下手でね。


▢▢▢が色々考えてくれての返信に私は短文で返して申し訳なかった。

不快な思いをさせてしまいました。

============================================


3/7 午後10時半 僕 =========================

ちがう。

読解力、理解力ではない。言い訳するな。俺の言ってることを、考えようとしてないだけだ。こんだけ、昔から、相手してあげてるのに。「障害者」じゃないだろお前は。

 

話には『筋』ってものがある。

それを◯◯◯は無視してる。

 

メール開いたんなら、そして、そこに、強いメッセージ乗ってたんなら、そんなに時間掛けたらいけないのさ。掛かっちゃうなら、一言、「ごめん、返事遅れるね…」だ!

 

僕がいつも長く書いてんのに、◯◯◯が短いから文句言ってんじゃないよ??

短いだけじゃない。あそこには、『中身』もない。

 

ほら、そうやって、上の「奇跡的」の話もまた、流そうとする!

イイカゲンにも程がある!

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直後 僕 ===================================

俺をナメるなよ

============================================

 

続いて 僕 =================================

俺のした絶望、

人生の本気さ、

目標の高さ、

能力的高み、

純粋さ、

…そんじょそこらのもんじゃないよ。

============================================


◯◯◯ =====================================

▢▢▢のことナメてない。


ショックだな…

生い立ちは知っての通り…

家庭内暴力から両親との死別。

兄のひでは自閉症スペクトラム。

私は愛着障害にADHD傾向強めの強迫性障害がある。


文章だけだと受け取り方が変わってくるのもあるよね。

▢▢▢が伝えたいこと

私はきちんと理解できてなかった。

少子化の話と子どもを授かるのも同じ話じゃないのとも思った。

============================================

 

3/8 午前0時 僕 ============================

「少子化の話と子供授かるのは同じ話」

そうだよ?

じゃあ◯◯◯が、2/25夜9時、「子供を授かるのは奇跡的」と言って、言いたかったことは何さ。

自分が出産で感動したっていうこと?

それ、話と全然関係ないよな?『少子化』、なんだから、「子供が授かりにくい」、それは、子供の出産が親にとって感動的だから奇跡的なんじゃなくて、時代的に、なかなか授からないから奇跡的、と言ったんだろ?

話の『筋』が見えるか?

もう、面倒くさいけど。こんなこと説明するの。

 

僕はね、顔なんか見なくたって、…見れば、もっとだけれども、文字のやりとりだけで「人の心」が読めちゃうのよ。

「一言一句」が、話者の中でどううごめいているかが、見える。それくらい、知覚力が鋭い。

 

◯◯◯の過去はよく知らない。

でも、少なくとも、連日やりとりして僕が◯◯◯に与えたものに対して、◯◯◯は«そっけなかった»。

そっけないか、俺のことはなんとも思ってないか、どちらかふたつに一つ。(後者だから、俺の書いてること、ちゃんと読もうとなんかしなくて、分からなかったんだろう。)

それは、過去がどう(上の生い立ち)とか、関係ない。今の◯◯◯にある、問題です。

 

もう、フォローはやめるね。

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最終 僕 ===================================

 (最後に)

◯◯◯に、「俺が東日本大震災をやった。」と、世間を前に発言することが、どういう意味を持つか、わかるか。

 

そこで生じる反感、反発、嫌悪感、うんぬん、想像付くか。

 

俺、小川智裕という人間は、そんなこともものともせず、去年9月から前に進んでいるという点で、もはや「凡人」ではないのさ。

 

その凄さが、◯◯◯には見えるかな。見えないかもな。

 

(おわり)

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≪解説≫

 

 何故僕は途中で◯◯◯(Yさん)を『薄情者』と断罪したか。

 それは、僕が高校生の頃の2、3年間◯◯◯と同じ屋根の下で生活し、その後も◯◯◯を、まるで妹のように接してあげており、この時も、一際近い距離感で◯◯◯に接してあげてたのだが、一昨年は色々と聞きたがっていたにも関わらず、この時は、「平日はバタついてて無理。土日なら大丈夫そうだけど、どうかな?」と、まるで◯◯◯は(俺が◯◯◯に関わりたい。)と思っているかのような言い方(…これは生憎、僕の実の兄妹が、僕に対して思っていたことでもある気がする)をするので、僕は牽制したのだ。

 

 すると、案の定?、◯◯◯の人間的適当さが露呈する:

 『奇跡的』という言葉の使い方を巡って、口論が始まる。『話の筋が見えない衆生』という問題が発生する。

 そこで僕は、人類の問題が、そのような適当さに始まっているということを論じた。

 しかし、そこから彼女から出てくるものは、もう「ボロ」でしかない。。。僕はそこでいくつも、彼女が人間的に犯してしまっている過ちを自覚させた。

 最後に、いまいちど丁寧な説明で、人間の会話における『話の筋』という大事なテーマを◯◯◯に理解させた。そして、この時のやりとりで、過去や能力の有無に関係なく、◯◯◯が僕に対して犯した過ちを明るみに出した。

 

 ◯◯◯は、僕のことを『何とも思っていなかった』、だから、僕の言うことを「考えてみよう」とも、しなかったのである。(!)

 すべては、お見通しなのだ。

 

 

P.S. 

 おそらく、彼女のような適当さを、社会では『五万』の人間が抱えながら、生きていると言っていいだろう。

 言ってみたらそれは、食事で、テーブルに、テーブルの下に、そしてあわよくばひざの上にまで、ご飯をこぼしながら食べている、幼児のようである。文字通り、そこいらを”汚しながら“生きている、ふしだらさと言っていいのである。(そうやって環境を、生態系を、動物達を、社会的弱者を、傷つけている。)

 すべては、自分達がイイカゲンに物事に処するために!!!

2025年3月19日水曜日

3月19日、不食開始!

 ≪☆「不食開始」と久々の「近況報告」。≫

 

 

 こんにちは!またまたやって参りました。皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 突如、発信の場をインスタグラム(@tomohirokogawa)からブログに移すことに致しました。その理由は、仕事がなく、一日中インスタグラムを覗いていますと、目がおかしくなってしまったからです。(多分に、先日の「マーク·パンサー事件」で、のめりこんでしまったからです。)

 ここなら、自由に投稿することができます。他人を気遣う必要がありません。

 そこで……😊

 今日からアップして参りますのは、僕の『不食マニュアル』です!『第三次世界大戦』や、『食糧危機』が危ぶまれる中、『不食』さえ知っていれば、生き延びる可能性は劇的に上がります。変な話、戦争が来たら、山奥に家族とテントを持って入ればいいからです。『食糧危機』が生き延びられるのは、言うまでもありません。

 

 『第三次世界大戦』など、来ないことを祈ります。しかし、もし僕がこれから、僕の神通力「地震」が本当だとして、世界に働きかけて行った場合… 気が狂った人間が暴動を起こし、それが、国や社会の秩序を乱す可能性は十分あります。それが、最悪の場合、国と国の戦闘に発展することもあるかもしれません。。。

 

 インスタグラム、YouTubeチャンネルで言ってきましたが、8割5分という確信レベルに達している僕の神通力は、人間の悪しき所業から来るものです。一緒に仕事をしていて、俺の嫌なことをする、狡いことや、 …(中断。)

               やめましょう。縁起でもない。こういうネガティブな気持ちは、断食には不向きです。でも、おそらく消える問題ではないので、ここまで話して、不食が進んで、平気になった頃か、そんな時に、この話は続けることにしたいと思います。今は、そういう、人間で嫌な体験をほとんど積まないので、この平和な雰囲気を大事にしたいと思います。

 

 

 少し…近況報告を入れますと、早ければ今月中に「個人事業主」としての、ポスティング(チラシ配布)の仕事が始まります。契約締結は明後日の電話での質疑応答の後です。

 社会復帰初めての「建設業」の仕事は、2月16日をもって切り上げました。やめた方がいい理由が、うっ積していました。(YouTube動画『社会復帰最初の仕事「建設業」が終わる』等、参照。)

 

 やめてからは、仕事を探す気はありましたが、建設業では、必要以上に入っていたこともあったりして、経済的に余裕もあり、結局今日までのらりくらりしております。その代わり、「インスタグラム」をやる時間が増え、そこで「マーク·パンサー事件」(3/6)を始め、3つ刺激的な出来事がありました。忘れてしまった人間に関する記憶発掘を、更に進める良き契機になりました。

 簡単に言いますと、「マーク·パンサー事件」の前には、壊れた腕時計を直しに時計屋に行くと、時計は直らず、3,800 円をドブに捨てるような事が起こりました。その事の裏に僕は、時計屋が目論んだかもしれない、そして、かつての僕の人間理解では十分にあり得る、人間の狡猾さの一形態に、思いが及びました。そして、「マーク·パンサー事件」の後は、これまたアプローチした仕事の面接手配で、大きくはありませんが、キタナイ真似をされたのです。。。

 

 (もう、人の下に就いて働くのは無理だな…。)

 建設業をやめた時、かなり強くこう思いました。上司は絶対に僕より不純であり、能力も、低いからです。それで、今の個人事業主の仕事が見つかったのは幸運です。 

 正直には、また無銭放浪に戻ることすら考えた(3件目の事件の後)のですが、まだ、経済的に余裕があるので、『できることは、すべてやろう。』という覚悟で、気持ちを切り換えて、ポスティングの仕事をしながらの社会生活にチャレンジしようとしている訳です。

 ゆくゆくは、自分の、『家庭教師』のビラも作って、一緒に配布して、自分の生徒を見つけていくことも考えています。そうやって、できる限り社会に居て、『人間』を思い出して、もしそれで、(やっぱ社会はイヤだ!)ってなるんだったら、それが運命(定め)ならば、その時社会を去ればいいと、そう考えている訳です。

 ひょっとしたら、(仕事の見つけようによっては、世間一般人が醜くても、それに触れずに社会で生活することもできるんじゃん!?)、などと考えてみています。そこに落ち着けるかどうかは、保証はありませんが…。(無理かもしれないですね。(苦笑))

 

 

 

        ✵  ✵  ✵

 

 

 「『ポスティング』はまだ先。」、「インスタグラムは目のせいでできない。」となれば、やることは限られている。もう、呑気に食べてはいられない。

 年末に、『不食』に挑戦し、断念し、今日まで2回、「不食に入る。」と言って取りやめた。(1回は、年末の8日半に続く4日間の断食(3/2~3/5)になった。この4日間の体験は、年末よりうんとゆったりできたので、貴重な教訓が得られた。それも、発表できたらと思う。)

 

 3月に入ってから、(もう食べるのは十分だろう?)と何度も自分に言い聞かせてきた。それでも、なかなか決心が固まらず、今日になってしまった。今年、もう何年ぶりか分からないほど久しぶりに「食を楽しむ」趣向というものを思い出してから、16年間満足に楽しむことはできなかったスーパーの食べ物を、こんにちの食べ物を、楽しんだ。なかなか、『さよなら』ができなかった。

 

 …というわけで!

 ここから、僕自身が『不食』に入りながら、『不食マニュアル』(不食のなり方、そこに役立つ知恵、全公開!)を作成していきます。

 乞うご期待!!!

 

           

              令和7年3月19日(水) 白塚

                  小川智裕(カロル)

2025年3月16日日曜日

『僕の「マーク•パンサー事件」3/6で問題となった、@takagakishow氏との議論内容』

 こんにちは。

 先日揚げた、元globeラッパー、マーク•パンサーをめぐる事件は、僕にとって一大事件であったので、そこで卑怯にも“抹消”されて、なかったことにされた議論の内容を、日記のメモを元に、大筋を公開致します。

 

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 前にも言いましたが、議論をした相手、(ピンクが掛かったプロフィール写真だった)@takagakishow氏は、議論から逃走しただけでなく、それを抹消し、アカウントまでも消しました。。。

 

 @takagakishow(以下「タカガキ」とする。)は、マーク•パンサー氏に迎合する意見、提起された問題の偏った見方で「ベストコメント!」の表彰を受けていましたが、元々のマーク•パンサー氏の投稿『コーヒーに砂糖入れる?入れない?』(3月5日)も、偏見的な内容でした。かいつまんで言うと、マーク·パンサー氏は、「コーヒーに砂糖やミルクを入れる理由が、全く分からない。それは、コーヒーの味を損ねるだけだ。なんだって砂糖やミルクを入れるのだ!一体なぜそれらを入れるのか、誰か教えて~!」という、子供のような質問でした。

 そんな意見に対して、タカガキは彼を尚持ち上げたのですが、それは、大体こんな内容でした。

 

 『コーヒー自体には、甘さはないが、甘さを感じやすい質感とフレーバーというものがあり、それを「プロデュース」する必要がある。それが、うまくできないと、砂糖やミルクで補わなければならなくなる。』

 

 と、そんなことでした。

 それに対して、僕は突っ込みを入れました。

 

 『「プロデュース」というのを僕はよく知りませんが、それで、従来の砂糖入り、ミルク入りコーヒーの味にできるわけではないでしょう?質感やフレーバーは、あくまで味の基礎であって、それをいくら変えたところで、伝統的なコーヒー文化の味には到達しないのではないか。つまり、砂糖やミルクは、欲しい人には不可欠なのでは…?

 「プロデュース」という話だけでは、マーク·パンサー氏の掲げた問題に対する、まともな答えにはなっていないと思います。。。』

 

 つまり、偏重的、マーク·パンサー氏に対する、迎合的意見、であった訳です。

 それで送った僕の反論には、前に自分が断言している意見に、補足を加えてきたり(つまり、僕の指摘を受けて、まずいとでも思ったんでしょう)、妙なことも言っているのですが、最後は、『あなたとの意見交換を歓迎します。』という言葉で、締めくくられていました。

 

 そのタカガキが、僕が自分の見解を送った途端に、とんずらしたのです。

  

 「歓迎します」と加えられた言葉の後には、『身分はなんですか。』と、ちょっと、僕のプロフィールに載っている以前のホームレス人生を揶揄するかのような言葉もありました。それに僕は、1つ目の返信で丁寧に答えていました。

 

 前日記でも言いましたが、この後、夜12時頃だったと思いますが、マーク·パンサー氏のストーリーズをチェックしてみると、タカガキを称えるストーリーズはもちろん、他の一切のストーリーズも見れなくなっていました。僕は、マーク·パンサー氏がタカガキの側について、タカガキのコメントの存在を人に知られないよう、一切消そうとしたんじゃないかと思いました。なぜストーリーズが消えたのかという疑問に対して、マーク·パンサー氏の『マネジャー』はまるで応えようともしませんでした。。。(マーク·パンサー氏自身も、黙秘を貫きました。)

 

                ≪おわり

 



 この事件を経て思った痛快な発見:

 『“もっともらしい”!、“響きのいい”!、“かっこいい”!(タカガキの、【メッキ】のような言葉)に、酔うバカども。 』(「世の人間」、人間という代物、実体。)

 

2025年3月8日土曜日

インスタグラマー『マーク•パンサー』氏、弾劾。

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 お久しぶりです。先日、著名人インスタグラマー、『マーク•パンサー』(元globe、ラッパー。)さんに大変嫌な真似をされました。

 その、記録(実録)です。

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 おととい(3月6日(木))夜9時頃からそれは起こった。

 僕はこの日の朝、インスタグラムの『健康生活研究家』マーク•パンサーさんの投稿にコメントしていた。(応援したい。)という気持ちから、率直な意見をまとめて送っていた。

 その夕方、マークさんの「ストーリーズ」を見ると、マークさんが、「ベストコメント!」として同じ投稿の別のコメントを賞賛していた。気になった僕は、それを見てみた。

 

 すると、よく見れば、それはマークさんがその投稿動画で取りあげているテーマに対する答えに、なってなかった。『質感』とか、『フレイバー』、『プロデュース』といった専門用語が登場し、一見かっこいいことを書いているのだが、マークさんの取り上げたテーマ全体を、見ていない。それに気が付いた僕は、そのコメンテイター、(この人が、最後にとんずらするのだが)「@takagakishow」(もう存在しません)さんに、“ジャブコメント”を入れてみた。

 

 すると、20,30分して返事が返ってきたのだが、そこには、上でかっこよく締めている意見に、「やっぱりこれも!」みたいな追加事項を加えていたり、言っていることも、やはりちょっと変であった。でも、「ご意見歓迎です」、「身分は何ですか」、「有意義な交流になると思います」などと言ってくれて、僕を、快く迎え入れてくれたように見えた。

 

 僕は、2回に分けて、まず「自己紹介」と、その後に僕の見解を、用意した。ところが、2回目の見解を送った途端、@takagakishowのコメントは、すべて削除された。(僕の入れた返信も、一緒に)これを追っていた視聴者は、(マークさんも含めて)、他にもいらっしゃると思う。@takagakishowさんの、プロフィールを僕は覗いていないが、この人は、ここで自分のアカウントまで「削除」している。(!)

 

 人に、「歓迎」の言葉を送っていながら、とんずらをするとは、どういうことか。

 

 

 腑に落ちないのは、「この時マークさんは、何をやっていたのか。」ということだ。私用で、席でも外していたのか?(マークさんが、僕の質問に答えてくれないので、分からない。見てたけれど、関わりたくなくて、無視をしていたのかもしれない…。)

 

 アカウント、『健康生活研究家|マーク』の運営目的が、曲がりなりにも健康生活の研究であるならば、マークさんが取り上げた問題を、ごまかしなく、総合的に考えるということが、視聴者の仕事じゃないだろうか?

 マークさんは、@takagakishow氏のコメントに、感心したのかもしれない。でも、悪いけど、そのコメントは、僕には、マークさんに迎合した、偏重的意見、であった。それでは、マークさんが取り上げたテーマを、ちゃんと扱っているとは言えない。そのことに、僕は気が付いたから、ディベートを目論んだのだったが…。😭

 

 マークさんは、少なくとも、@takagakishow氏のコメントを賞賛している。何をいいと思ったかについて、説明する義務も、求められればあると思う。一研究家として。ところが、マークさんは、@takagakishow氏がとんずらしたことも、僕が体験した嫌なことも、まったく気に掛けない。

 マークさん、マネージャーさんらが、もし本当に研究意欲があるのなら、自分らの投稿上で生じた議論や、トラブルに関して、少しくらい気に掛けるべきではないでしょうか?もし、参加して、アカウントを盛り上げてくれる視聴者の意見を、尊重するならば。

 ところが、@takagakishow氏と、グルにでもなっているのか、(と僕は思ってしまいますが)、おととい夜に起きていたことは、「なかったことにしよう。」と、そういうことになっている。 

 それが“まともな”、アカウント運営者(『インスタグラマー』)だろうか。

 みんなの意見あればこそ、アカウントが盛り上がるのではないだろうか。

 その意見を、自分が好かないとか、そういう理由で、しりぞけようとする(今、あなたとマネジャーがしようとしていることです。)それが、本当の研究者の、することだろうか。



 「マークさん、あなたのやっていることは、僕には、『健康問題』を生かじりした中学生と、あんま変わらないと、そんな気がしますよ。」

 


 表彰された@takagakishow氏の意見は、議題に対して、全く不完全な解答でした。(その議論内容が知りたければ、出せます。)

 その、不完全性を≪洗い出す≫…、つまり、本当の意味で研究する、そうする僕を“踏みにじった”のが、あなたと、@takagakishowなのです。

 

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※以下は、(参考までに)、僕がこの事件を通して抱いた思惑(心の内)です。

 


 俺は、「救世主を目指した」とか、「東日本大震災は俺がやった」なんてことを、公言している奇人だ。

 その着眼がまた鋭いから、おとといの@takagakishow氏のように、びっくりして、逃げようとする人間が出てきても、おかしくはないと思っている。

 でも、だからって、奇人はどう扱ってもいいのか?

 尊厳を、踏みにじってもいいのか?もしかしたら、本当の救世主であるかもしれないのに?

 第一、人間なら、一度人に言ったことは、責任持てよな。もし俺に、「歓迎する態度」なんて示したくなかったんなら、「俺を試す」なんて卑怯な真似しないで、最初から拒否しろよな。

 僕が昨日、ここに述べた不満を要約してマークさんに送っても、遅くになって「マネージャー」が出てきて、その人の対応の、まあそっけないことそっけないこと。それで、マークさんからも一言ももらえないとなると、あながち、マークさんと@takagakishowは、あの晩、手を組んで僕という人間を排除しようとしていたという構図が、頭から離れない。

 @takagakishow氏は、コメントも、アカウントも削除するという大胆な行動を起こすことによって、“何も悪いことはしていない”この俺の、「正当な行動」と、それがもつ社会的影響力を阻止しようと思ったのかもしれない。

 ■■■■■

 でももし、東日本大震災をやったのが、本当に俺の手紙(2011年2月)だったのなら、どうする?

 お前たちのした俺の排除の目論見は、次なる「巨大地震」の力くらいにしかならないぞ…?

 ■■■■■

 

 「隠蔽できないか。」なんて思うなよ…。

 俺は、頭がいいから、コメント消されても、肝要なことはすべて押さえてるよ。そして、正しい人間ならしないことを、@takagakishow氏はもちろん、マークも、そしてそのマネージャーも、している(逃走の目論見、黙秘行為。)から、俺は黙っちゃいないのだ。

 



                  ≪終わり≫ 


 (最後に、一言:)

 俺は、人間全般にまつわる、こういう『イヤな体験』がかつて積りに積もって、呪を放つという形で「爆発」し、その呪が乗っかった手紙が、かの東日本大震災とリンクする、という体験を、積んだんだよ!(2011年2月末)

 ちなみに、昨今の地震では、手紙にするまでもなく、僕の精神活動が「地震に直結している」という体験をしている。(YouTube、インスタグラム参照。)

 また巨大地震が来るか、来ないか、は、人間が僕をどう扱うかに掛かっていると言っても、過言ではない気がする。ま、俺は見た目は普通の人間だから、俺に失礼をしないなんて、普通に考えて「無理」だけどな!

 

 

P.S. 

おまけ

言っておくと、こういうことが、一夜にして、すべて頭にインプットされるというのが、僕という人間の、すごいところだ。

 勘違いするな。

 考えて、文章を作っているのではない。

 “心で”すべてを捉えているから、言葉はすべて、後からついてくるのだ!

 「心を制するものは、人生を制する。」

 

追記(2025.3.16):

 上で触れている、『@takagakishow氏との議論内容』、次の投稿で公開しました!

 

2025年2月20日木曜日

『活動の場、インスタグラム(@tomohirokogawa)に替えて』 2025.2.20

 (こんにちは。(^_^)

 僕は今、「とものきせき」、インスタグラム、YouTubeの3個所で活動していますが、いつもではありませんが、視聴者の方々のお時間を節約するために、≪活字発表の場≫として、ここ「とものきせき」を用いていくことにしたいと思います。

 よろしくお願い致します。)




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『インスタグラムに替えて』 2025.2.20



 『食べる』って、あまりに当たり前のことなのな。

 僕はそれを忘れていたよ。

 12月30日に断食をやめて、不意に三賀日に「爆食」してから、僕はそのことを思い出した。

 「食事が悦びだ。」っていう一般の人々の感覚を、僕は今年に入ってから、思い出した。最後にそれを知っていたのは、もういつだか分からない。(2013年(ドイツ国内放浪中)くらいかな?)

 

 人間は、(他の数多の動物同様)腸を持ってる訳だし。自然界の生き物は、ごくごくわずかな例外を除いて、皆、食事をする。

 人間がいつか「死ぬ」のも、当たり前。それと同じくらいに、食べるということは当たり前のことだ。

 


 僕が、『不食』という名の夢に、とりこになっていたのな。僕は昔から、「発想」とか「行動」がずば抜けていたから、夢見る余り、地に足がついてないような、そんなところが、あった気がする。

 家庭からして、『夢想家』なのだ。最も、それこそ現代の子供には足りないと、思えてならないけど。(苦笑)

 

 ともかく…、僕の『不食』の夢は、消えることはないけど、とりあえずは食べて、『心の穏やかさ』や、『温もり』、を探し、人間としての険しさを削いでいく、ということにしたい。不食に入るとすれば、少なくとも一週間くらいの時間が無為の時間(非生産的、灰色)になる。

 

 僕はまだ、人間(今は、「日本人」)の知識が足らない。(かつてあった知識を、ちゃんと取り戻していない。)

 『金欠』という不安もある。

 社会生活が続けられるかという保障(自信)も、無い。

 やらなければいけないことは、沢山ある。

 (猛烈なスピードで、成長している自分だけどね。✌️)

 

 そんな訳で、やっぱり、“食べて”、早く仕事を探すことにします。

 

 建設業は、切り上げることにします。色々、ありまして。(※詳しくは、YouTubeチャンネル(@小川智裕-x7n)で、『2025年の仕事内容動画3本目』(題名はまだ未定)で語るつもりです。)

 宜しくお願い致します。

 


                 ≪おわり≫

今週の思惑(2025.1.6~2025.1.11))

 こんにちは。(^_^)

 急遽、『自己発信』の場を変えました。2025年1月19日(日)、YouTube(“@小川智裕-x7n”)を開始しました!

 この期間(今年1/6~1/11)の原稿は、出来上がっていませんが、タイプしていたものだけ、公開します。ふつつかながら、宜しくお願い致します。




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 先週載せきれなかった印象から発表します:

 

(1/4(土)あった、「兄との不和」について、一言)

 なんで僕は、人間を極めたと思っているくらいの自分が、この日はまだ兄のいけないところを「ズバッ」と言ったのか。


 その攻撃的とも見える僕の対人関係は、恐らく、親や兄妹を初めとした家族が、僕の『本気さ』を相手せず、放置した恨みから、なんとしても自分は人間的高みに到達して、人間のことを「マスター」し、その英知で兄や親の未熟なところを、「矢を射る」かのごとく突き止め、自覚させてやろう(ふふふ。。。それは、人間をマスターしたなら、「本物の欠点」となるから、強烈なインパクトを残すことができる…!)(そんなことを、若き日に思い付いたんだと思う。)

 

 


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以下、今週の思惑です:

  

(先週分)2025.1.4より

(記録)(グループホームの自炊のために作った調理用の台が、ここ(新居)では使えないという『不便』(悔しさ)を感じた時に、沸き起こった思惑。)

 『僕の原点:≪無銭。

 利便性とか、快適さとか、そんなものには心を委ねないし、依存もしない。

 なぜか?

 それをすると、それが失われた時に脆いからだ。例えば地震。例えば大病。例えば破産。例えば死別による被扶養関係の終焉。

 人生で起こりうるあらゆる危機に対して、想定して心構えを決めておくこと。決めておくから、変な話、「天変地異」が来ても、生き残る可能性がある。甘ったれた人類が尽き果てる中で、生き残ることができる、命になる。

 そんな時に平気なのは、これが原点にある人間だけだ。

 僕は一生、この原点を忘れない。』

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2025.1.5より

• 『食事による、食べたものの栄養素が血液中を回ること』

 -快感?、それとも不快?

 先日、これを「不快」と捉える感覚があることを紹介したが、おそらくこの2つの真逆の捉え方があると言っていいだろう。「不食」を知っている人は、「不快」という新感覚を発見する。食べることしか知らない人は、快感だとしか思えない。

 

 

• (兄にしても、杉本さん、森本さんらにしても)(直近の僕がしたケンカで思ったこと)

 「真実は何か」ということを探すことを怠りすぎる。

 怠るから、「変なこと」をし、それが人を傷つけたり、不快にさせたり、迷わせたり、する。それが、積もってくれば問題となり、人生を狂わせる。彼らは、まさにこれを怠る心のせいで、”知らずと“苦労を積んでいるのだ。

 神様が造ってくれたこの、「素晴らしき世界」の、「深み」を見つめること、つまり、私達に「素晴らしさ」となって現れている根本原因·法則·原理、を十分に理解しようと、していないのである。

 それは、神様に対して失礼なことだと思わないか?

 (例えば、清く正しい心を持とうとしないことなど。)

 

 

• 「情報革命」の恩恵。。。

 この、生活の快適さ!

 その有り難み、ちゃんと分かっている!?!(当たり前だとか傲慢になっていないか?!?)

 

 

• 『新しい土地に移り住むのに、居心地のよさを感じるまで、幾日もかからない。』 -2025.1.4

 人は、「住めば都。」と言っても、居心地のよさを覚えるまで1年2年かけるのは普通ではないか。

 

 

• 「節約」には、2タイプある。

 自分を虐げる節約(神様に好かれるために、自分は虐げる)と、

 心を満たす節約である。

 (母の節約は前者(化学合成洗剤はゼッタイ使わないという執着、融通のなさ。意地っ張り。)や、あるものでカバーしようとばかりする哲学(ハイエナ的根性·貧乏神に取り憑かれている))

  

 

• (1月4日)

 (最近も、シンクロニシティーは頻発しているが、その一つ。)

 僕のけったと全く同じ色の車が、僕らの引っ越しの車の前に付く。背後には「carol」の文字。

 

 

• (記録)

 3日ほど前、『神智学』というものがあることを知った:

 『神または超越的なものは、「叡智」という性質を持つ…。』

 ヘビ(今年の干支)の紋章に、Nothing is stronger than the truth.(真実より強いものはない。)の文句が。。。

 

 

• (記録) (今日)

 午後、新居周辺を初散歩。

 自分が、この地に根を張りそうなのが、庄田町とは大違い。行ってみたい「レストラン」、「お店」、出てきたし、「耕作放棄地で畑をやりたい。」とか、建設業やめて、「英語教えますか。」と思った直後に、たまたま歩いていった方面に熟が連立!

 その他、近所のお店、神社、お隣さんの名前なども、自分とリンクするのはものがいくつもある。

 

 

2025.1.6より

•(記録) 昨日、建設業で仕事がもらえず、発憤して不食再開決断。

 今日は、昨日最後にバク食したため、なんと午後4時までふとん…(汗)

 

 

≪以上、用意(タイプ)していたもののみ公開。「不完全」。≫

2025年1月13日月曜日

今週の思惑(2024.12.30~2025.1.4))

 こんにちは。(^_^)

 


 12/29、不意に『不食』を中断すると、30日朝に特筆すべきことが起こりました。なんと、グループホームの入居者さん1人とスタッフを交えて、居間で1時間以上ゆったりとおしゃべりをしました。こんなこと、これまでやったことがなかった。僕は、常に「走って」いて、人生を進めること、創造性•英知の獲得、に夢中であった。若い時は、人間研究•自己研鑽を深めるために、仕事は半日だけにして、1人アパートで思索に没頭し、人間関係はほとんど持たなかった。「人間関係がめんどくさい。」そう感じてさえいた気がする。自分が惹かれるような人間は、ちまたでは余り会えなかったような気もする。そしてなにより当時は一人「思索」することが、社会や、人間や、生き方(身の処し方)に関して膨大な知恵を恵んでくれていた。

 

 「人と、ゆったりと時間を過ごす。」

 -そんな、少なくとも13年間はやってなかったことがこの日(30日)復活しました。

 

 それから、なんとなく、自分をせかす気がなくなって、食事を続けました。

 そして、実に、庶民的な、「食事を楽しむ」趣向(現代人的な食文化)を、これまた何年ぶりかというくらいに、久しぶりに思い出します。例えば、僕は去年退院してから、ソーセージパン、コーンマヨネーズパンなどの「しょっぱい菓子パン」や、コーラ以外の様々な炭酸飲料や紅茶など、若い時は割と普通に手を出していたものも食べていなかった。実に、不食的感覚、「食事を楽しもうと思わない」感覚が基本的にずっとあったためです。

 それが、実に20代以来かと思えるような趣向が、食事を続けたことで思い出されてきました。

 しかし、皮肉にもそれで思い出したのは、かつての僕の人間観、「人間は、こんなにも恵まれているのに(幸せを与えられているのに)それが当たり前だと思っているような傲慢な人間が、世には大勢いて、そんな人間がなおかつ利己的に生きている」という、醜い現実でした。(残念ですが。)

 

 こうして、常識的な価値観を忘れていたり、人間に関して毎週のように新しい発見をしている僕を見ると、いかに、僕が破天荒なことをやってきた人間かということが分かると思います。

 (そんなことも、知らなかったのか…!)と。(苦笑)

 

 しかし、やってきた数多の試みが破天荒ではあっても、その裏にある動機は、狂気•邪気ではないという自信が僕にはあります。狂気に身を委ねた人間ではないという自信が、僕にはある。そういうものに駆られる人間的弱みというものは、24の絶望という人間体験を自力で乗り越えたことで、「克服」したからです。

 

 12月30日から1月3日の間は、実に食欲に耽った。ガッついたせいで、12月半ばに困っていた歯痛が、せっかく断食で取れたのに、再発してしまうのだが。

 腹パンパンにも食べたため、思索も、瞑想も放置し、のんびりした。

 

  1月4日(土)、それは、記念すべき門出の日であったが、僕にはそんな感慨に耽っている時間はない。そういう感慨深さに浸る、という幸せの実感があまり持てなくても、人生に支障がない。(「大人になった」ということかな?)例えばそういう感覚の延長で僕は、(人生十分食べた。)と、20代で思い、不食を夢見てきたのでもある。(食事という喜びはもう要らない。)

 いや… たぶん、今の僕にある心の充足感は、普通の人の比ではない。

 基本的に、満たされているから、「働き虫」になれるのだ。一人で33歳まで積み上げてきた世界と、それがもたらした人生の道のり、人生体験、これを、『世に広めること』、それが僕が、自分の人生の使命と感じている神様から与えられたプログラムです。そこに、寸分の疑いもないとは思っていませんが、恐らく、僕は行かなければならない。人生に狂いがあったとして、それが発覚するまでは、少なくとも。

 

 

 昨年11月、「一般就労」が始まる直前、僕は松阪市の母とケンカしている。

 『人との不和』… それは9月頃に本当に自分を取り戻してから、生憎絶え間なく続く現象であるのだが、こうなるのは、どうも正当な理由が自分にあるような気がしてならないのだ。それは、間違いない(にせものではない)と思う『絶望』という24歳の人生体験と、そこから、まがりなりにも『神様の承認』を獲得したと思ったほどの、絶望復活体験。そして、当時の自分は生憎もう忘れてしまったが、それに続く、「自分の放った怒りの呪が天に届いた」と、実感した、東日本大震災の体験、という僕の中のリアリティー(実際的人生体験)が説得しているのだ。

 

 

 たとえば、僕は、2011年2月末、「単なる言葉」ではなく、『言霊』を行使していた気がすること。『言霊』とは、実に言葉は力を持つという日本古来のすごい教えだが、それを体得していたから、それは、その呪の言葉は、天に届いたのではないかと思えること。(!)

 言葉に力を与える、もしくは、どういう時言葉は、力を得るか、そういうことを若い頃から僕は熱心に研究してた。

 

 相応に、人間的レベルが高いという自負もあるから、易々引っ込むことはしない。現に、来週の思惑で発表しようと思うが、1月7日(火)には、「今の自分で正しい」と自信が持てるようなすごい出来事が起きている。今の自分にのぼせることはしないが、何が真実か、自分は引っ込むべきか、否か、それが分かるのはもはや時間の問題である。「人間」を、「日本人」を、忘れた僕が、その『実体』を掌握する(過去の自分の人間理解の正誤を確かめる)のは、そう遠い未来ではない、そんな気がする。

 

 (話が逸れてしまったが)、ともかく、母とケンカした僕は、その衝撃が、兄妹を僕から離させても、何も不思議ではなかった。兄妹と離れるのは嫌だとか、そんなことはケンカした時考えていない。ケンカで、自分を貫くのが大事であり、その結果自分が被ることに、何も文句を言うつもりはない。だから、人生で再び一人になるか、つながっても愛知の3番目の妹くらいになることも想定していた。

 

 しかし、年末、2番目の妹から、妹はグループホーム退去掃除を、兄は4日の引っ越しを手伝ってくれるという連絡が入った。何が二人を動かしたかは分からない。ともかく、そうして退去掃除の苦労は半減、引っ越し費用の節約が叶ったのだった。そうして4日(土)、兄が駆けつけてくれた。。。

 

 

 久しぶりに兄と1日、めでたい日を送ったが、午後4時頃までは、実に楽しかった。。。

 しかし、午後4時過ぎに、「二人の時間を大切にしよう。」と、他の買い物をやめて二人で喫茶店に入ると、兄と口論が始まり、荒っぽくはなかったが、たしかな不和で別れる羽目になった。

 別れると、兄のおかしなところを挙げ連ねる思索が始まったが、しばらくすると(こんなことやっている時間はない!)と思うようになり(若い頃とは大違い)、4日の昼のこともあまりよく思い出せない。思い出せた内容だけちょろっと話して、起きてしまった口論についてここでは語りたい。

 

 

 4日土曜日は、朝8時に兄が来ることになっていた。しかし、僕はそれまでに済ますと思っていた「退去掃除」(床以外)が終わらなかった。

 だから、8時40分頃までは、連絡せずにただ兄を待った。

 しかし、8時40分兄に連絡すると、8時と主張する僕に兄は「ちがうよ、10時だよ!」と言った。

 否、約束は「8時」だったのだが、兄は打ち合わせ中の変更時間だかを覚えていて、最終的約束内容が頭に入っていなかった。

 兄らしい。

 そうして遅れてきた兄はだが、一人でやった第一便を「瞬殺」、その午後、僕が終わらせられなかった掃除もみっちり肩代わりしてくれたお陰で、僕は、後で発覚した(自分の掃除不足で)フロアーの溝に溜まってしまった油汚れをきれいにするという、大変な仕事に特化することができた。

 

 (僕は、兄を忘れたが、)兄は確か、特に他人が決めた予定を「守る」ことが苦手だ。実に、ヨーロッパ人である母にもあった気のする特徴なのだが、自分の「ロジック」が違うからか、相手(日本人)のペースに合わせようとすることによって、「ペコペコ人間」になってしまう、とか、「相手のペースに乗せられて、ついていくしか能がなくなってしまう…」、そういう運びになる危機感があるからじゃないかと僕は思っている。だからあえて、細かい約束は破る(日本人はルールが細かい民族ではある)ことで、少し、物事を自分のペースに持っていき、それを理解してくれた人には、尽くして、お返しをする。

 

 「8時」という取り決めは、今回は兄がやったことだったが、まあ、兄にはそういうところがある。兄のこの、『ロジック』が関わっていると思われる欠点については、口論のところでまた一考したい。

 

 

 昼間の、楽しかった時間は、お互いの近況報告で実に色んな話を交わしたが、ここでは、あと一つ大きかったテーマについて話して、終わりにしたいと思う。

 グループホームの部屋が空っぽになって、最後の掃除をしてた時だったと思う。11月半ばにあった僕と母のケンカについての話になると、僕がしばらく振り返ったあと、兄から、

 「お母さんを、傷付けるなよっ…!!

 と、悔し紛れの反論をされた。

 「お母さんは、間違いなく智裕を愛してるよ。」

 「お母さんは、智裕のためにいっぱいやってきた。」

 …とも。

 

 

 これに対して、僕はこう自分が感じていることを返した:

 

 

 その一。

 僕は、母さんがそこまで好きではない。(兄とは違う。)

 その二。

 お母さんは、第一、≪僕を知らない。≫

 僕を知らないから、僕が母さんに期待する物事も、知らない。だから、それを施してもくれない。愛情はあるのだが、お母さんは、まず、日本人女性のような施しとか配慮とかしようとしない。「日本人」である息子がそういうのを求めて何も不思議はないと思うが、息子がそれを求めようが、求めまいが、母はそうはしない。

 息子の「あるがまま」を尊重しない。

 自分に、合わさせる。(父も同じ。)

  

  

 たしか僕はあの親のもとで、自分らしくいることができなかった。「自分らしさ」を育めなかった。育んで、それを親を前に生きることさえ、できなかった。(!)(育んだのは、19で「家出」をしてから。一人で。)

 どこまでも、僕は父などに“合わせてしまう”のだった。(!!)(承認欲求の切実なあまりに!!)それで、見事「自分」を失ったのだった。(実に去年のお盆も、父を前にまたそうなりかけた自分がいた。)

 あの親は、子供(僕)を立派に育てたと思い込んでいる、自分達に合わせていることに気付いていないのである。

 僕はいまだに、僕のあるがままの心(19から自分で培ったもの)の趣向(何が好きか等)を理解してくれているとは思わない。


 

 う~ん。。。

 ちょっと難しい。僕は29歳で(2011年8月)家族と絶縁してヨーロッパに行き、家族を忘れたから。

 これくらいしか今は言うことはできない。

 

 

 一つ去年11月、核心的に思ったのは、僕は、自分が(嫌だ。)と思ったら、その気持ちを“我慢するのではなく”、吐き出さなければならない!ということだった。若い頃は、そういう心は醜いとして、それを出すことにずっと罪悪感を抱いていた。自分の中に生じた「毒」を、吐かずに溜め込んで、その毒に生活全体が侵されたのである。(以下余談:僕の親の教育は、厳し過ぎた。それで僕は、自分を十分に愛してやること(「自分がやりたいようにやる。」という自己愛(自由)を、自分に許すことができず、「こうすべき」/「こうしなければならない」という基準で動くことが多かった。)ができず、自分を愛することによって実現できる(今日のような)幸せは、絶対実現不可能な状況であった。

 親も、自分も、「自分」を愛せないのだから、(神様には絶対愛される!!)と思う道を僕は突き進んだのかもしれない。(!!)

 

 

 引っ越しが終わって二人で喫茶店に入ったら話したいことに、兄が2年前からやっている「フリースクール」のことがあった。兄のフリースクールが成功するように、(問題や課題を一緒に考えたい…。)と前から思っていたのだ。

 

 カフェに座ると、兄は口早に生徒達に言われていることをまとめて吐いた。

 いくつものことを同時に言われても、扱いにくいのだが、例えば、『「5分前行動」をみんなで守ろうとしているのに、兄はいつもギリギリになってしまう…』、とか、『予定があるのに、子供達が何かで白熱すると、兄もそこに便乗して、予定が狂ってしまう。』など、他にも何かあった気がするが、そんなことを言っていた。

 「5分前行動」に関しても、兄の性格的問題を意識しない訳じゃないが、まぁ、いいだろう。僕が、厳しいようだが、兄に一番に投げかけたのは、2番目の批判に関して…:

 

 「兄は、子供達が白熱する時に便乗するというのは、”自分が楽しむため“、になっていないか?」

 

 という、疑問だった。

 兄は、「ワクワク」•「楽しさ」をいっぱい盛り込んだ学校というのをやっている。

 しかし、「優先は、『子供達の楽しさ』、『子供達のワクワク』、だよね!?」


 兄が、遊びの楽しさを、子供達に伝える目的で自分が楽しむのは悪くはないが、つまり、「ワクワク」や「楽しさ」、『心の踊らせ方』を教えるのはいいと思う。でも、これは、20年前から兄を見ていて、「よくない」と思っていたのだが、兄は、いい大人して子供のように遊ぶのが本当に好きで、そういう、”子供の趣向“がある人間だから、「やりたい」と言っているフリースクールが、ちゃんとした「教育」の場ではなく、兄の個人的な「遊びの場」に成り下がる可能性を、僕は予感して、一度厳しく、「そうなってはいないかな?」という問いただしを入れてみたかった。

 

 すると、兄は、

 「今はもうやっていない。」(自分が遊ぶのはやめた)

 と返事した。

 実は、この僕の抱いた疑問は、2年前(2022年12月)、僕がまだ入院中で、自分を取り戻したばかりの頃に、兄と手紙のやりとりをして、早々と気付き、兄に『忠告』していたことなのである。

 それを、「今はやめた」という兄だが、少なくとも去年の夏までは兄は「やって」いたのである。(!)

  

 そんなことを、喫茶店に入って間もなく話したが、その後、話を聞いていくと、僕が磨き上げた直感力からして、どうも看過できない状況が、兄のフリースクールにはあると思った。ここでは控えるが、その日の朝あった兄の共同経営者との電話のやりとりや、去年の夏頃からの3~4つの出来事を聞き、そこに、その日の兄の様子や、兄の正月の過ごし方などを総合的に鑑みると、兄が犯してしまっている(周囲に迷惑を掛けている)過ち(ここでは、何かは言わない。兄も、これを読む可能性があるため。)(生き方の過ち)が僕には見えてきた。それで、兄にあり得る、人間としての「根本的欠陥」は日記帳にのみ記録したが、例えば、僕は、人生で「問題」が生じたら、『放置』はせず、即刻向き合って(他のことは、犠牲にする)、生活の平安が守られるよう、取り計らうのだが、兄は、新婚の奥さんとの関係や、この4日の日も、僕との時間をただただ「楽しもう」とすることによって、フリースクールの問題は後回しにしているように、僕には見えた。

 兄は、「年末年始は、子供達がいないから、(フリースクールで起きている問題に関して)何もできることはない。」とか、「今、自分は苦しい。」と言ったのだが、もし本当に「苦しい」のであれば、「その喫茶店に入るまで、僕との時間を、エンジョイなんかしている暇はなかっただろ?」とか、「子供達がいなくても、問題は重大なんだから、休み中にどうするか「考える」ということができるだろ?」とか、僕は注意した。

 

 兄と不和になって別れて、帰宅してからは、兄にすごいショックを与えそうな悟りを、日記帳に書き留めたが、ここでは、それを言う代わりに、言いたいと思ったことだけ残して、この話を終わりにしたいと思う:


 『無視だ。

 痛い思いをして、学べばいい!

 僕の貴重なアドバイスを、批判だなどと、ケチを付けるならば!』

            -(兄へ。2025.1.4(土))

 

  

 

 

 

 最後に、今回いくつか扱った兄の性格的弱点に関して、ぜひとも言及しておきたいことがある。僕には、≪なぜ兄がそうであるのか≫、思い当たる節があるのだ。

 

 先に僕と母のケンカのところで、僕は「母は、第一、≪僕を知らない。≫」と言った。

 19歳で家出をした後、(正確にはその前年の恋愛から始まっているが)、「自分らしさ」を育んだ僕は、家を出てしまったために、母にその本当の自分らしさを知られなかった。「知られない」どころか、それからは遅れていた反抗期や、家族否定などで、もはやまともな関係など持てはしなかった。

 大人になるまでに、親を前に「自分らしさ」を出せなかったのがなによりも不幸なことだったが、その、「初恋」(2001年)に端を発する自分らしさの構築は、僕の中で、相当な危機感から突き動かされた一大決心の『自己改革』であった。「家出」の前年、2001年、そして2002年は、精神的にとても大変だった。

  

 なぜそんな大それた変革が必要だったかと言えば、それは、小川家特有の『経緯』、そして『人間性』があったためである。

  

 小川家は、当時としては珍しい「国際結婚」(日本とスイス)の家族であっただけでなく、兄や僕は、大人になるまでの「7年間」を海外2カ国(マレーシアとドイツ)で過ごしている。そこに、「崇教真光」や「マクロバイオティック」、「ゲーム」や「マンガ」といったオモチャを与えられない変わった教育が付随した。(*詳しくは、過去掲載の『こども時代』参照) そんな小川家には、『世間』(日本だろうが、マレーシアだろうが、ドイツだろうが)の影響が限りなく”少なく“、親の権力が絶大で、結果的に、親は子供を、自分達の好きなように「仕立てる」ことができたんじゃないかと思っている。

 

 その小川人間(兄妹、特に兄、僕、一番上の妹)の人間性は、とても「独特」で、『変わっている』ということを、1997年以降「日本」に定住した時に、僕は感じていた。小川家だけの人間なので、「自分達はおかしいんじゃないか。」という猜疑心も、僕は早くから持っていた。その、(おかしい。)という思いが、「危機感」へと変わるのは、高校生活が、”不完全燃焼“で終わった頃である。それで、「大学入学」早々、僕は「自分の気になる異性にアタックする」という、アクションを起こす。

 そうしてガランと変わった僕である。自分らしさをやっと発見できた僕である。

 

 

 しかし、兄は、変わることはなかった。

 「小川人間」のまま、生き続けたのである。(少なくとも僕の目にはそう映る。)

 そのせいか、兄は、必然かも分からないが、極端な楽天家になった。”「小川人間」のまま“日本の社会に出ていくことでブチ当たる難題(これを僕は案じたから19で自己改革が必要だと思ったのでもある)に対して、それでもやっていくためには、「極端な楽天家」になるという方法は、なんとも理解し易い。

 兄の好きな『遊び』… それは、生き方として、苦しみから目を逸らす、最善の方法である。

 20年以上も前、僕は、兄が、その小川人間を生き続ければ、兄は『仕事』も、『結婚』も、うまく行かないであろうということを、既に読んでいた。それは、今日兄は44歳だが、大方当たっている。

 20年以上も前から僕は、兄に「警笛」を鳴らしていたが、兄は、それをまるで相手にしなかった。

 今回したアドバイスも、そうである。

 

 極端な楽天家にありがちな欠点は、人の苦しみや、大変さを、感じ取れないことである。兄は、小川家で育ったことで変わっている自分のロジックを、変えなかったからきっと、今でも日本人の物事の考え方について行けず(合わせきれず)、半ばそれが「障害」のように兄の仕事や人間関係に支障を及ぼしている。

 

  

  

                 ≪以上。≫



以下、今週の思惑です!:



2024.12.30より

•(「自分が嫌い」/「自己否定」に悩む人へ)

 (今日の僕自身の過去舞い戻りの体験から:)

 自分の好きなこと•やりたいこと、これを生かさない人は、元気にも、幸せにも、なりません。

 24の頃の僕がそうでした。当時僕は、自分を愛せなかった。愛せなかったから、自分の好きなこと、やりたいこと、そんな気持ち、まるで捨て去っていました。

 けれど、だからこそ、人生がうまくいかなかった。頑張っていたのに、うまくはいかなかった。

 それほど、実は、「やりたい」とか「好き」という感情を燃やすこと(そういう気持ちによく耳を傾け、応えていくこと)は大事なんです

 その感情が自分の内で「ひしひし」と感じられるようになった時、(「ひしひし」と感じられるようになるまで、心で温め守るという技を身に付けた時)、あなたはそこから莫大な「生命エネルギー」を得ることができます。あなたの人生を豊かにする、仕事で成功する、何かを達成する、そういう「生命エネルギー」です。

 

 (備考)

 「ひしひし」と、やりたい気持ちを感じ取って、それを感じるままに行動に移す、ということは、人によっては練習が要ることかもしれない。(「心を開放すること」を、教育のせいで、許されてこなかった人間など。)

 


以下の12.30の気付きは特に貴重

 これらの悟り、人生の極意、叡智、実践などが、僕が自分を高めてきたと言う所以である!:


•『言霊の駆使』? (俺?) 

 (俺は、「これだ!」と確信したものしか言わない。)

 

誰でも赦せちゃう

 

•俺はもう、周りの目など構わず、「自分を突き出す」ようになっている。(!!!)

 

•「本当のこと」(真実)には『力』がある。それを確かめた者は、自分に確固たる”自信“を得るからだ。

 

•『「的確な言葉」で表現できる。』

 (オレ)(そういう能力を身に着けている)

 

•『より高い真理に到達する瞑想』

 (自分が若い時からしてきたこと)

 

•“高貴な人間”とは、どういう人間か。(例えば、「聖者」と呼ばれる人達)

 そういうことを、僕は若い頃からずっと目指してきた。(重要なこと)

 

•(若い時) 俺は、「どんな人間でも、受け入れた。」

 

•(思い出し/ 20代の頃、「不食」を探求した時にさんざん抱いた思惑)

 『食べても、「始まら」ない!』 -食事がある生活に対する退屈さ





2025.1.1より

(食事に関する、20年前の僕の真実を今日発掘!)

 去年、おととしと社会生活に戻っていながら、すっかり忘れてしまった食生活の秘訣を思い出した:

 『コンビニ弁当·カップ麺では人(の体)は満足しない。

 

 マクロビで育った僕は、若い頃も、コンビニ弁当·菓子パン·カップ麺では、いつもより体が満足できないことに感覚的に気付いていた。

 「頭」で、「それは体に良くないから」という先入観があったから、そうだったのではない。

 食べ物に関する自分の感じ方、それを、読み取っていたのだ。

 

 去年のインスタグラムを見れば、僕の血色はあまりよくないのに気付く。

 「バランスの良い食事」·「満足する食事」を考えていなかったためだ。

  

 12/30, 31, 1/1と、コンビニの(世間の趣向)に2011年以来初めて参加し、昔の真実を思い出した。いかに、「手作り料理」が大事か。

 「コンビニ弁当」·「カップ麺」で普段から満足してしまうような人は、体感に関して『鈍感』•『無頓着』と言って間違いはない。

 

2025.1.4より

 『時間は貴重。』 -2025.1.4

 (引越し日、兄とぶつかって。若い頃は、こういうことがあれば『人間研究』の目的で詳細に振り返ったものだが、もう、それはしない。兄のためにそれらをやっている時間は、もうない。)

 

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2025年1月6日月曜日

号外 『新年早々どたばた…!』

  こんにちは。(^_^)

 

 新年早々、ハプニングだらけなので号外を発表します!!(通例の『今週の思惑』はこの後に発表致します。)

 

 1月4日(土)、僕は無事1年7ヶ月を過ごした障害者施設「グループホーム」を出ました。ようやく、形としましては「健常者」に戻りました!(苦笑)今日は実に、6年2ヶ月受給した「生活保護」が打ち切られた日でもあります。これからは、自分の生活費は、自分で稼がなければならない。

 そんな時に、昨日、ちょっと落胆した。建設業が6日からスタート、と聞いていたのに、2回番長に電話したのに、仕事がもらえなかった…。

 思えば、今の会社は「週5働けないことも多い。」年末は、半分は自分のせいだったが、23日が仕事納めの日だった。

 番長は、僕ができるせいか、試してくるところがある気がする。。。例えば、午後4時に予約を入れても、他の従業員を割り振ってから、最後に僕の仕事(あいつはどこでもいい?)を決める、みたいな。そんなことやってないかな、って思う。

 

 ともかく、番長は僕を前には?!、去年からずぼらなところがあるため、昨日気持ちよく仕事がもらえなかった時、ちょっと「ムカッ」と来た。若い頃の自分の、羨望の的になるがゆえの「人(日本人)に好かれない体験」を、強くはないが思い出した。

 (番長に、他の仕事仲間に、僕は避けられているかもしれない…)、と。

 

 僕は、自分では人の1.5倍仕事してるんじゃないか、って思うくらい、僕はこの会社に入ってから頑張ってきたが、それを評価しないように見える(できる従業員に仕事を与えない、という行為で)番長に、愛想が尽きそうになった。

 それで、、、『仕事をやりたい人間に、仕事を与えないというのは、どういうことだっ!!』と、厳しく番長を弾劾してやろうか、と思った。この会社は、裏に「ヤクザ」が居るらしいが、そんなこと構わず、『正しいこと』を確立していく、そういう僕の正義感が、また一度メラメラと燃えたのだった。


 

 でも…、こんなことも思った:

 8年ほど前も、僕は関東で同じような会社で働いたことがあったが、先日仕事仲間にこういう意見を述べてみた。

 「こういう会社って、“他で仕事がもらえん”ような人が、集まるところだよね?!」

 そこで僕のような、「できる人」は、“場違い”(!)であるかもしれない……、と。

 変な話、『目立ちすぎる』、『浮く』、もっと言えば、『眩しすぎる』可能性すらある、と。「優しさ」を実践するのがまだあまり得意じゃない僕は、余計そういう人間には、なりやすい。

 それで、僕は、本当はこの会社で「半年」くらいは働きたかったが、「退く」ことを決意したのだった。弾劾もせず、仕事仲間たちに居場所を譲って。(「刺激」しないでいてあげる…。)

 そして、同時に、昨年末中断した『不食』を、再開することにして、インスタグラムでその発表を入れた。一つには、12/29に、大きな決心で始めた断食を、軽い気持ちで中断し、以来1週間ほど、食欲に耽った自分は、『甘すぎる!』と思ったこともある。

 「救世主を目指したんだろ…!?そんな人間がそう簡単にプロジェクトから退いていいのか…!?!」

 

 しかし…、そうして断食を再開した今日、『建設業から身を引く』のはまだ早すぎる気がしたのだった。そうするのは、ちょっと行動が、大胆すぎる。。。

 「我慢」は大事だ。多少の不便を受け入れることは。

 

 そうして、僕は、今日の午後、再度会社に電話を入れたのだった。どう反応をされるか、興味もあって…。もしかしたら、また今日も無視を受けるかもしれない。無視を受けたら、その時こそ、「僕が避けられている」ことは確かになり、辞めるためのより強力な根拠を僕は得ることになる…。

  

 そうしたら、5時過ぎに、番長から電話がかかってきた!

 仕事が、もらえたのである。

 まだ、「チャンス」がある…!!

 それは、僕に、にわかに希望を与えてくれた。≪社会生活が続けられる≫という希望を…!自分が人に嫌われて、また野宿生活になるのだろうかと脳裏を過った不安が、ひとまず払拭されて…。

 昨日、精神病院でお世話になった人に、(贈りものをしよう。)と思った勇気も、お陰様で戻ってきた。

  

 

 なかなか、やりにくい会社だな…。とは思っている。普通の人で、能力が高い人は、給料も安いし、肉体労働は大変だし、空調の効いたオフィスで、高い給料をもらいながら働いた方がいいから、すぐやめるのかもしれない。僕は、「仕事仲間との出会い」や、「その会社ならではの世界」や、「仕事を極める」とか興味があるから、そういう基準で行動はしない。ややもすると人は、自分と相性のいい世界だけに身を構えて、全人間的に人を知ろう、としない。所謂「ミニマリスト」であり、世界を、個人的都合で汚す、そんな連中である。

 だから「地球」は、病んでいる!

 

 

P.S. 今日、仕事がもらえたので、一時的にせよガリガリになってしまう完全断食は、しないことにしました。(度重なる「予定変更」、申し訳ありません。)



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2025年1月2日木曜日

今週の思惑(2024.12.23~2024.12.28)+『2010年代半ばからの大まかなこと』

 (注: 以下の原稿は、12月29日、夕方『不食』を中断する前に書いたものです。中断は、不意の出来事でしたが、一週間をまとめる原稿としては十分価値があると思ったので、そのまま掲載致します。不食の中断に関しましては、以下で「一週間の生活の様子」を扱った後、お話します。よろしくお願い致します。)

 



 こんにちは。(^_^)


 今日(12/29)は、「断食10日目」です。いえ、昨日は、昨日だけは、1食相当の食事をしたので、断食10日目とはいいにくいですが、まだ、断食はやめません。後ほど、なぜ昨日食事をしたのかについても、詳しく述べます!

 

 数日前、今週の思惑は「断食のせいであまりないでしょう。」ということをインスタグラムで言いましたが、意外と時間があるので、先週切実だったグループホームのオーナー体験について、僕のこれまでの経緯を踏まえて、話をしたいと思います。

 

 ブログ『とものきせき』を13年ぶりに更新した時も少し話しましたが、僕は、精神病院に4年半入院したために、退院の時、医師の指示に従って、「グループホーム」に入りました。

 しかし、その時も言っているように、僕は自分が精神病者(障害者)だとは思っていません。6年前(2018年10月)、僕はとある「事件」を起こし、それを診た精神科医が、僕に『統合失調症』という病名を付けたのですが、僕には「被害妄想」などないことは、入院当初から分かっていました。

 でも、僕には“別の”精神的問題がありました。2013年10月にドイツで発表した、『救世主宣言』というものに失敗した時に被った、混乱であります。僕は、『イエス·キリスト』を名乗って、本気で世界を前に『救世主』として君臨しようとした一大プロジェクトに失敗した時に、大混乱に入ったのです。

 『救世主宣言』失敗から4年が経っていた2018年10月でも、僕の精神は混乱を続けていました。日本語を忘れ、日本を捨ててヨーロッパに行っていたこともあり、明らかに普通ではない僕の在り様を見て、何が問題なのか、精神科医と言えどもよく分からなかったのではないでしょうか…。

 

 ともかく、入院も4年となった、2022年11月に実兄からの心のこもったお手紙をもらうまで、僕の精神の混乱は溶けませんでした。

 人生の一大プロジェクト、『救世主宣言』に失敗した時、僕はなんと「自分のこと」も、「人間のこと」も、忘却してしまったのです。2011年夏に「絶縁」し、忘れた家族の一員である兄の人柄に、手紙を通して触れたことで、僕は『自分』を取り戻し、混乱が幕を閉じたのです。それからまだ半年間の入院、「退院」、「デイケア8ヶ月」、「作業所7ヶ月」の2年弱という歳月を経て、僕はようやく自分を完全に取り戻しました。

 ですから、僕が言いたいのは、僕が抱えていた精神的問題というのは、不治の病とされる統合失調症などではなく、別の問題であった、ということです。

  

 しかし、神奈川県から転院してきた僕を受け持った主治医も、そして入居先となったグループホームのオーナーも、僕をそうは見ません。僕を、「指導」•「サポート」(お世話)が必要な、「障害者」として見るのです。

 この2者と僕の意見の食い違いは、グループホーム入居当初から、あからさまではありませんが、衝突が起きていました。

 「社会」に戻り、家族や、デイケアの人々、作業所の仕事仲間などに触れて「自分」を取り戻していくにつれて、その衝突は激化していきました。

 今年の3月には、作業所で知り合った仲間と、オーナーの指示で主治医の許可を取ることをせずに門限を破って、焼肉を食べに行ったことが問題視され、許可が下りていた自炊ができなくなるという処分を受けました。

 

 「オーナーは、僕を障害者と見ているから、自己判断能力を認めていない!」

 そのことが、この時よく分かりました。そして、自分の方が、立派な人間だと思い込んでいるから、「上から目線」になり、「指揮官」になり、指図をしてくる…。

 若い時から一際自立心の強い自分としては、このような干渉は我慢ならないのです。オーナーと、対立する度、気持ちを入れ換えて、温和な関係を育もうと努力してきましたが、どうも受け付けません。

  

 

 去る12月18(19?)日は、こんなことがありました:

 建設業の一般就労が始まってから、僕はクタクタになってグループホームに帰りますが、帰って一番、「サービス管理責任者から、「退去」のこと聞きましたか?」と聞くと、「いつ出るの?」と言うので、「えーっと、1ヶ月前なので…」と自分が考えていると、

 「ちがうよ!」

 と言う。(何が違うんだよ?)と思うが、次の瞬間、「退去届け」を見せて、説明をおっ始めた。疲れているので、(一通り聞いたらまた熟読しよう。)と思って聞いていると、事細かな説明を次から次へと進めていく。

 とうとう僕が、

 「今疲れているんで、少し後でもいいですか…?」

 と聞くと、「はい」と答えたが、結局、説明をやめようとしない。ここで、僕の弱みを突くかのごとく、「退去時に、自費で業者を呼んで、部屋をきれいにしてから出ていって下さい。」という要求を出してきた。

 ここで、「衝突」した。


 僕の泊まっている部屋は、「はなれ」で、プレハブなのだが、この部屋が壁が空気をまるで通さない為、カビがすごく生えやすい。それで、「そのカビを業者を呼んできれいにしてもらってから退去して下さい」ということなのだが、なぜに自費(5万とかそれくらいかかると思われる)かというところが、「おかしい」と僕は思った。

 オーナーの理屈はこうだった:

 「カビが生えやすいのなら、その分多く掃除しなきゃだめでしょ。(でもあなたはやっていない。) 第一、あなたがあの部屋を選んだんでしょ。」

 

 僕が思ったこと:

 その一。

 「自然現象」である、密閉性の高い住宅で、カビが生えやすいというその欠陥的性質にあらがってまで、普通以上に掃除するというのは、あほらしい。1日普通より10分間長く家具や壁などを掃除しろとでもいうのか?第一、根本的な疑問だが、「プレハブ」というのは、僕をそこに「生活」させているけれども、本来生活するところではないんじゃないか?本来、作業とかするところじゃないのか?そこに生活させる上で生じるカビ問題は、僕の責任ではないと思う。。。

  

 その二。

 確かに、僕は自分でこの部屋を選んだ。

 しかし。

 オーナーの言い方だと、入居時に、この部屋は普通よりよく掃除しなければならないということを、知っていて、選んだ、という言い方になる。

 僕は、この部屋のカビの生えやすさについて、入居時は一切何も聞かされていない!!

 つまり、オーナーの言っていることは筋が通らない。

 

 僕が拒絶しても持論を通そうとするオーナーを前に、僕は席を立ち、最後はかわいい声で「バイバイ!」と言って、部屋に戻った。

 「退去届け」も出さず、「1ヶ月前告知」もせず、僕は、グループホームを出ることにした。。。

 

 2,3日後、オーナーは、「バイバイ!」と言った僕に対して、また話をした時、「逃げるな。」という文句を付けた。

 それを聞いて、思った。

 (この人は、自分の欠点を、僕に気付かせてもらいたいのかもしれない。。。)

 なんて欲張りな奴自分の図太さで相手を困らせているにも関わらず、それを説明して分からせて欲しいというのだから!

 自分自身を顧みる能のない者は、その能力を身につける迄、苦労する!

 

  

 

        ≪以上、「2010年代半ばからの大まか

         なこと」+「先週のグループホーム

         のオーナー体験談」≫




⚫以下は、今週の生活の様子です:

 

 先週末、G工業では、12/26(木)まで同じ現場に入ってくれと頼まれた。しかし、現場がなかった2日の間に、やっぱり名古屋に行ってくれと言われた。そして名古屋に1日行くと、やっぱりまた別の現場に、となった。

 (何じゃ…!!)

 結局、今週は23日(月)しか仕事はしなかった。

 

 断食突入(12/20)からは、仕事は楽な現場2件だけだった。

 断食2日目:(1件目、12/21) 名古屋。窓枠に綿(防火剤)を詰める、軽作業。脱力感に襲われた時のために、あんぱんを用意するのを忘れたが、道端で拾ったチョコレート菓子に勇気付けられ、軽作業でもあったので、乗り切れた。

 断食3日目: 「休み」(日曜日)

 断食4日目: (月曜日) これまた軽作業。親方と一対一でペンキ屋の後片付け。問題なかった。

 しかし、そうでなくとも色々動き出した、一週間。

 断食5日目: 仕事を入れてもらえなかったが、却って「よかった。」

 僕は、「気合」で乗り切ってしまうようなところがある(やりがいを感じるとエネルギーがグーンッと出てくる)が、休みと言われた時、「年末はあまり仕事ないかもしれない。。。」とも番長補佐から聞き、僕は気持ちを切り換えた。

 (断食始めの、一番キツい時に、なにもそんな頑張る必要は、ない。)

 と。

 それで、25日(断食6日目)も休み、その夕方に給料明細だけ必要で会社に取りに行くと、年末は27日迄で、「仕事はもうほぼない」と聞かされた。

 

 「インスタグラム」には、毎朝トランクス一枚になって裸の自分を自撮りしていたが、ここには、体調の覚書きだけ残すことにします:

 (以下、インスタグラム投稿より)

 

 断食3日目(22日) 若干脱力感を感じるが、体調は良好。

 断食4日目(23日) 断食に入ってから、深く眠れない

 でも、思ったより脱力感はない。断食前も少食だったからだろうか。

 断食5日目(24日) 「足」が細くなる。(ちょっと仕事で”酷使“したと、後日思う。)

 仕事はもらえず、休日になる。

 断食6日目(25日) 断食を始めてから、先週のオーナーとの決裂もあり、休みは遅くまで(7時半から8時など)寝るようになる。

 断食7日目(26日) この日から、「不食エネルギー」の発生が感じられる。昼寝1時間半を挟んで、午前は郵便局に転送届を出しに(頭がいつものようには回らなかった)行き、2~3キロのものを持ってオークワから20分歩いて帰る。午後は2時間20分自転車に乗って洗濯機などを見に行く。風呂は疲れて、入れず。睡眠時間は長い。(10~11?時間)

 断食8日目(27日) 妹(2番目)と4時間ほど「退去掃除」に精を出す。

 断食9日目(28日) 思考力が回復してくる。2008年のドイツでの不食体験と比べて、『爽快感』や『腸の静止』という快感が体験できずにいることに気付いたが、おそらくストレスのせいと推測。

 この夕方、とうとう『不食エネルギー』のスイッチが「ON」になったと思う。(!)(pm4~5時) 

 

 

 それは、『不食エネルギー』の源泉が開かれたと思った矢先だった。

 (断食の始めの4日間は忙しく、仕事もあって足を酷使した。1月6日には仕事が再開するから、その時のために少し「肉」を付けようか。。。)

 断食4日目、5日目、ひざがゲッソリしたのは事実である。(インスタグラムで写真公表) それを補いたい気持ちが一番の動機だったが、後から、断食9日目にして、食事に対して体がどう反応するか見てみたいという気持ちもあった気がした。(2008年10月の不食体験(*このブログの2009年12月に掲載した『今できる不食総括 29』で詳しく語っています)と、どう違うか、見てみたかった。)

 (食べてみよう。)と思ってスーパーに向かった自分は、『不食エネルギー』で実に機敏にスーパーの中を歩いていた。

 唐揚げ(4コパック)、コッペパン(あん&マーガリン)、カップメン(赤いきつね)の3点を買って帰った。

 唐揚げは、午前9時調理されたもので、少し固かったせいか、それほどおいしくは感じなかった。(でも、2008年10月のリンゴとは違って、普通にのどを通った。)

 しかし、カップメンができあがるまで待てずに食べたコッペパンでは、のどが少し閉じるのを感じた。2008年と同じような症状である。でも、深刻ではなかった。

 「赤いきつね」は、温かかったせいか、とてもおいしく感じた。

 

 その夜は、なんとも元気になってしまった。寝たのは、わずか2~3時間で、活発な思考力が復活していた。横になりながら、一杯思索をした。

 

 ところが、『軽い気持ちで』食べたことが、次の日、自分の調子を崩させた。

 「生活の全体感」が失われかけた。

 そして、ついに、確かな目的意識なく自転車で出掛けると、食べることになった。(インスタグラム投稿参照)

 この時、別に食欲が爆発したとか、そういう訳ではなかった。

 情けないが、実に軽く、(食べよう。)と思ってしまった。

 そして、自動販売機で2本ジュースを買い、セブンで「唐揚げ」、「あんドーナツ」、「テーブルロール」を買って食し、次にはオークワで「トンカツ弁当」、「フライドチキン2ピース」、そして、最後にファミマで「明太子スパゲティー(大盛り)」を買って、食した。大して、「食欲」からではなかった。夜は暴食のせいで、少し苦しかった。

                  以上。

 

(追記: 以後、これを書いている今日(1月2日(木))も食事を続けている。6日には、また肉体労働が控えている。勇んでまた断食するのも悪くはないかもしれないが、今回、9日間でかなりゲッソリしたのは確かなので、「アプローチ」を換えようかと考えている。)




⚫以下、今週の思惑です!:


2024.12.23より

•(記録) 断食4日目。

 貧血にはまだ一度もなっていない。

 

•「仕事」や「インスタ」、「ブログ」、「引っ越し手続き」で忙しくて、断食中にも関わらず、身体の声を聴く時間がほとんどない。(汗)

 

2024.12.24より

•「首周り」、「手首」、「足首」の動きが精妙になったんじゃないか。例えて言えば、グリースをよく塗った後の、機械の稼働部のように。

 

•(記録) まだ、体力が少ない…。

 

•(記録) 断食を始めてから、グループホームで朝晩測る体温が、35.0~35.9℃。

断食5日目朝、36.4℃に戻る。

 

•(情感) 『心もとない…。(汗)』(断食2日目~5日目(今日))

 エネルギーがないので、これまでの行動力(生活力)·思考力がない。動けない、考えられない訳ではないが…。

 

•(記録) 「不動産」、「銀行」、「引越し会社」の三者と電話のやりとり、などで、休みだったが、心は休まらなかった。

 

2024.12.25より

•(気付き) なかなか不食エネルギーに移行できない時:

 やはり、(やりたい!)というものを見つけることが大事?!

 そのとき、力が出る。余りやりたくないもの、納得しきれていないもの、それらには力が出ず、「貧血」を起こしやすい。(ここ2,3日、ふらふらになりそうなことが、風呂場(お湯に浸かって、体を洗うために出た時)、部屋で、スタッフに呼ばれ、立ち上がった後にあった。)

 あと、(私は食べなくても生きられるのだ。)と思うことが大事ではないかと思う。(僕はこの間余りそうなりきれていなくて。)

 ※注 断食4日目(12/23)の時点では、貧血は一度も体験しなかった。


2024.12.26より

•(記録) 寝起きはそうでもなかったが、2時間ゆっくりふとんで過ごすと、エネルギーが出てくる。

 郵便局への「転送願い」手続き、続いて20分以上歩き、コンビニに寄り(コピー作業)、スーパーで退去掃除の洗剤等買って、(引っ越し用の段ボール等をもらうため)、段ボール4箱と、2,3キロの荷物を20分掛けて歩きでグループホームまで持ち帰る。

 

(1日飛んで)2024.12.28より

•“思索する力は減ったが、日々より動けるようになっている気がする。”


•2,3日前(断食6日目頃)からの感想:

 「眼球の動き」が軽快に。

 (食事をしている時の僕は、「近視」という疾患もあってか、「目の動きにキレがない」というか、「目が重たい」というか、そういう症状がある。それが、改善される気がする。)

 

•先日、断食を始めてからの体の変化で、「体の動きが精妙になった」と言ったが、この言葉で表現したい!:

 →体の動き(色んな箇所の動き)が“しなやか”になった。(!)

 

•(記録) 今日も、よく寝た。2008年の僕の不食体験と比べ、『爽快感』や、『不食エネルギー』の出方がかんばしくなかったから。

 

•(pm 9:40。 「思索」の元気が出てきた。今晩食事したこともあるだろう…。)

 (僕の人生哲学)

  『自分の一挙一動を意識する。』

  

 「ペン1つ置く」のも、「花瓶1つ動かす」のも、あなたが、それらの『運命』を握っている!

 ペン1つ適当に置けば、あなたは今度それを探す羽目になるかもしれないし、放っぽれば、落ちて、車にひかれる羽目になるかもしれない。

 だから、自分のやることは、すべて、意識して(これでよかれ。)と思う形で収めていく必要がある。

 そしてその一挙一動を、インプット(頭に入れる)するように努める。(それが自分の行動を意識する、ということだ。)

 それが上手になると、思い出したいときに、何をどこに置いたか、何をいつ最後に見たか、なども思い出せるようになる。

 どんな些細な行動でも、これをして、明日のために、明後日のために、備える(置き場所を変える、片付ける、工夫を加える、等)ことで、あなたの生活には創造力が吹き込まれ、生活の発展•充実が見込めるようになる。

 朝起きてから夜寝るまで、一部始終の己の行動を「意識」することができるようになると、生活の創造力は最大になる。

 何かを見た瞬間に、(あ。これはこうしたいんだった。)と思い出し、やること(やりたかったこと)が見つかるからだ。

 (生活が、「やりたいこと」で満ちるようになる。)


  「洗濯カゴ」1つ変なところに置けば、次それを見た時に、(邪魔だ。/変だ。)と思い、それを置いた時のイイカゲンな自分の心(良くない波動)によって、自分自身が『マイナスの波動』を受けることになる。

 

 つまり、僕らは、触れるものすべてにそれを運命付ける力を持っている。

 良く運命付ければ、良く自分に還ってくるし、悪く運命付ければ、悪く自分に還ってくる。

 だから、『自分の一挙一動を意識する』というコントロールを学ばなきゃいけないのだ。

 それは、変な話、人の中にいても、「その場での適切な行動を採る」という広義の意味でもある。「鬼」を前に、「優しくする」必要はない。「暴君」を前に、「追従する」必要もない。

 (これでよかれ。)を手放さなければならないこともある。でもそれは、自分のせいではなく、鬼や暴君らのせいなのだ。そういう見極めも、時に必要になる。

 

 『邪気によって扱われたものには、魔が差す。』(「花瓶を落とす」、「うっかりカタツムリを踏んづける」、「人とぶつかる」、など。) それが著しくなると、『交通事故』、『火事』、『骨折』、『負傷』などの事件になる。


 ※備考(次回考察?)

 例えば、モノ1コ『マイナスな感情』で置くならば、あなたは、それをまた手にした時に、『マイナスな感情』に侵される(もはや過去であるはずの、その感情を、思い出す)。(!!)

 「侵されない」人がいるとすれば、それはもっと質が悪く、その人は文字通り「世界を汚す」悪魔である。

 

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