三編 『思春期』 (中学1年~3年生)
◆またまた新しい、斬新な世界
それはあくまで母さんの古郷の「近く」であるだけで、「古郷」ではなかったが、同じゲルマン民族の世界として僕は小さな子供のように目を開いて人々を、町を、建物を、自然を、眺めた。日本とも、マレーシアともまた違う世界がそこにはあった。マレーシアや日本を引きずってきたところでどうしようもない。僕ら兄妹はまた、成されるがままに、ただ純粋な心でドイツを迎えた。
耳にする言葉は自分にとって3つ目となる、ドイツ語。初めはもちろん、何も分からない。日本でもっと一生懸命勉強しておけばよかったが、それもちょっと無理があった。ドイツに着いてから現地校(ギムナジウム)に行くまでは少し時間があった。2週間か3週間くらいあったと思う。その間に、久しぶりの兄といろんなみやげ話を交換したりして一家団らんを楽しんでいた気がする。兄や父を通じて、さっそく、ドイツについていろいろなことを吸収した。
僕の通うことになった学校は家からは十数キロ、兄の通うデュッセルドルフ日本人学校の近くにあり、日本人学校とも交流の深い学校だった。僕は日常会話もできないほどだったので、「体験入学生」とでもいうのだろうか(独:Gastschueler)、一般の生徒とは違う扱いだった。学校には他にも日本人や日本人とドイツ人のハーフの子がいたが、別のクラスでほとんど交流はなかった。ただドイツの1年目と3年目は日本語の補習校に通ったので、そこでは毎週土曜日だけ、自分と同じような境遇の仲間がいた。
初登校の日は、今でもよく覚えている。たしか父につれられて学校の職員室へ行くと、1m90いくつあるんだという巨大だが優しそうなピーパー先生に会った。父は「じゃあこれで」という感じですみやかにいなくなってしまった。1限目は「美術」。美術クラスにつれていかれ、それから2年半一緒になるクラスに対面したが、僕は、それが何の授業なのかすら初め分からなかった。5、6人でまとまったテーブルに僕も座り、2、3人の大人し目の男子生徒達と会話を試みた。それから休み時間に仲良くテニスボールサッカーをすることになる仲間だ。
学校は日本の学校のように掃除とか、朝の会とか、クラブ活動はなく、午後1時には下校だった。昼ごはんはいつも家に帰ってから食べた。授業は1日6限、日本の学校と同じようなものだが、20分程度の中休みを除いては10分から5分の休み時間しかなく学校自体はとてもシンプルだった。ただし、昼過ぎに家に帰っても、おちおち遊んでいる気分じゃなかった。早く授業が分かるようになんないとやばいぞ、と思った。
休日には1時間で4000円とかするレベルの高い先生からドイツ語を習った。しかし、もちろん、「言葉」の問題であるから数ヶ月でどうにかなるものじゃなかった。1年たってようやくいくつか、頑張ればついていける授業が、できた。
◆クラス旅行 男の子と女の子がキスしちゃう?
ドイツの2年数ヶ月で一度だったが、そのピーパー先生の時に5泊くらいのクラス旅行があった。僕はまだドイツ語がほとんどできなかったが、この旅行の思い出は今でもとても心を和ます。
「友達」と呼べるほど親しい子はまだいなかったが、基本的に社交的である自分は、誰とも分け隔てなく交流した。下手な子よりも僕の方がみんなに対してオープンだっただろう。朝食に毎回出されるヨーグルトで、僕はふざけて、みんなが食べないものを少し太ったC君の前に並べた。初め反発したC君だったが、後には彼が僕にとってドイツ時代一番の親友になる。みんなで行ったスイミングプールでは、1メートル90越の先生と取っ組み合って遊んだが、当時160cmを越え、クラスでも一番大きかった僕も、ピーパー先生には投げられてしまった。
僕の入ったクラスは厳密には一学年下だったため、僕は大きい方だった。ドイツの3年目(15歳)になると、次から次へと級友には背を越された。
印象的だったのは、夜のディスコだった。ちょっとキラキラした照明をつけて薄暗くし、音楽をかけたくらいの空間だが、そんなものにそれまで触れたこともなかった僕はびっくりした。クラスで人気の男の子と女の子が、抱き合うようにしてキスしているのを見た時もびっくりし、それ以上その地下の部屋にはいかなかった。音楽に合わせて体を踊らせるということも決して不得手ではなかったが、それまでしたことがなかった。カルチャーショックみたいなものだった。
クラスの女の子の何人かが持っていた色気にも内心びっくりした。発育の早い子は胸も大きくて、その強い刺激には打ちのめされていた。そんな、大胆な西洋人女性に魅了されるのは、母親が西洋人だからというのはあっただろう。日本では本来、女性は貞淑で口数も少ないのが望ましい。母をはじめとして西洋の女性は堂々と「自分を出す」。それが色気の方面で自分を出されると、僕は参ってしまった。
このクラス旅行の頃はまだ成長期に入っていなかったので、自分の子供っぽさを出すことができて、それがまた楽しい思い出へとつながった。
0 件のコメント:
コメントを投稿