2010年3月19日金曜日

『こども時代』 12

2010.1.4
流行りのものは高すぎ!
 自分は5人兄妹であったせいもあるだろうが、ファッションに周りが目覚め始める中、僕らは服にしても靴にしても必要最低限のものしか買ってもらえなかった。体は成長期に入って急速に成長し、カッコイイ服を着たかったが、級友と比べると地味な服しかもっていなかった。親はファッションにお金をかけることはとても勿体ないことだと、人は見てくれより中身だと、僕らには説諭した。
 日本の学校で「自分はどう見られているのか」ということをすごく気にしたせいもあるのか、僕はでもけっこうスタイルのことが気になった。たとえばドイツ人に比べて短い自分の足が、気になった。スイス人はドイツ人と比べて若干小柄で、足も短いかもしれない。クラスではイスに座ると余裕のある座高だが、ひざの高さを見ると、自分より背の低いのが高かったりした。クラスでは大きく、力も負けていなかったが、どういうわけか身長と足の長さは気になりっぱなしだった。
 背が高いことを誇りにした小学校時代があったからかもしれない。一学年上、本来自分が入るであろう学年を見ると自分より背が高いのがゴロゴロいた。背だけでなく力や運動能力も僕は引け目を感じていた。それで、「大きくなれ、大きくなれ」と、自分に念じていた気がする。かのピーパー先生はもちろん大の憧れだった。大きいからと言ってひょろっとはしていなくて、ピーンと張った背筋と大きなブーツでどしっどしっと歩くのである。それでいて心はすごく優しいのだった。


◆「孤独」との出会い。『あしたのジョー』
 ドイツの冬は生き物の気配が途絶えて、さびしかった。町に住んでいたのでさほど自然を見ていたわけではないがそれでもドイツの冬には独特の憂うつな雰囲気があった。北緯で言うと「稚内(わっかない)」よりもはるかに北にあるデュッセルドルフは、日照時間の変化が大きく、夏は夜10時まで明るいのに、冬は4時には暗くなった。冬は長く、日光浴をしてもほとんど温かくならなかった。
 毎日片道一時間かかる通学の時間や、馴染みの薄いドイツという世界では自分の「孤独さ」を感じた。友達はそれなりにいたが、1年や2年くらいで居心地がよくなるはずもなかった。「居心地」という点ならかのマレーシアがドイツや日本よりもよかったかもしれない。そしてドイツで自分を見失いそうになった時はアルバムを見てマレーシアの思い出に浸ったり、日本の思い出に浸ったりした。
 日本語の補習校にはちばてつやの「あしたのジョー」があって毎週借りてきては夢中になった。東京下町のあてなきさみしい青年が、酒飲みの元ボクサーに才能を買われて、ボクシングを始める。そしてボクシングの頂点まで登りつめて燃え尽きる。男子にとっては不朽の名作だと思う。なによりも僕は、主人公の孤独なジョー(矢吹丈)に自分を重ね合わせていた。「もう、誰にも頼りにならずに生きてやる」そんな情感が切実だった。
 ラテン語で「能力」を意味する「ファクルタス」を題名に、天涯孤独の宇宙飛行士のマンガを描いたのもドイツだった。宇宙船の謎の事故により一人の少年(主人公)と乗組員だけが生き残り、旅を続けるが、しまいには頼りにした乗組員も自分を裏切って自殺してしまう。たった一人になっても生命を命一杯燃やそうとする少年の物語だった。絵はさほどうまくなかったが、ストーリー設定にはだいぶ熱が入っていた。
 ブランコに揺られながら、ただぼんやりと夕日を眺めるために、家の近くの湖公園に足を運んだ。兄とは相変わらず仲はよかったし、親や妹達ともなんら変わりなく接していたが、僕は孤独を感じ、また孤独が好きにもなった。静かに物思いにふける、そんなひとときが好きだった。

 だが、ドイツの自然にも「里」を探した。自分は日本人であるという自覚はあいまいだった。そう胸を張って言えるほど日本を知らなかったし、日本に関することには距離感を感じていたのも確かだ。そして少しばかりドイツにも心を預けて、日本に帰国した。

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