2010年3月22日月曜日

仕事七日目

 運送の仕事は休日が特に忙しく、この3連休は本格的だ。朝目が覚めたのが6時23分。一瞬、7時23分(出発時刻)と間違えて、きもち焦った。
 目が覚めた時はまったく起きたくなかった。疲れが取りきれていない。今日は運送会社(Bとする)の7日目の出勤だが、きっと初日以外疲れを引きずらなかった日はないだろう。目覚まし時計によって「起きる」。緊張感によって「起きる」。あるいは、起こされて「起きる」。
 
 昨日は実に11時20分まで仕事した。茅ヶ崎市の15軒の家にテレビや冷蔵庫、洗濯機などを宅配する。一つひとつの作業はそれほどの重労働ではないが、相模原からの往復で一日15軒回ると、必然的に10時くらいになってしまう。おまけに昼の休憩という、契約には見込まれている時間は存在しない。僕が「不食」思想を、会社の人達に話しているせいもあるか、この6日間の勤務では昼ごはんさえ取らない感じだ。酷な仕事だ。一日約 12,000円(90ユーロ?) を稼ぐためにそれをするということ…。
 戦後本格的に「経済主義」になった日本の(国家)理念、日本人の見つめてきたものを、つい考えてしまう。

 昨日は『希望』について考えてみようと思ったが、実際はまだまだ仕事に負われて、余裕がなかった。「希望を語る」必要性を切実に感じたが、昨日はそれ以外のまだまだ向き合うべきことに追われた。まぁ、仕事6日目ではしょうがないかもしれない。

 希望とは何か。今朝は少し時間があるので、あと10分くらい話せる。
 僕が得た、絶望のふちから生まれた希望は、簡単には表現できないけれど、「不食」―人は食べなくても生きられる― という信念(確信)にあると言っていい気がする。これを、恐れながらも信じようとしてきたこの5年数ヶ月が僕に様々な素養、才能を恵んでくれた。不食を信じてこそ実現した10,000kmの旅が、様々な感覚を育ててくれた。それがなんなのかを今後の人生で、明らかにしていく。
 今言えることは、「信じること」の大切さだ。信じない人間は何もできない。信じる人間に未来がある。希望がある。信じることができなければ、信じられる範囲での生き方しか人はできない。「不食」で言えば、「人は食わずでは死ぬ」と信じれば、それは「それ相応の生き方しかできなくなる」ということだ。
 ところが、「人は[食わず]でも生きられる」と信じる気概は、また相応の生き方を実現する。!それがすごいことだ。「非常識」だと排除してしまう人間には、絶対に見えない真理が、そこに存在する。 
 それを僕は「見た」から、それを語ることが「希望を語る」ということになると思う。

 さて。あいにく時間で、行かなければなりません。
 今日もよい一日を。 ☆
 

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