2010年3月6日土曜日

●●● 「日本無銭徒歩」 終わる ●●●

3月1日、新潟県から相模原に戻った。

社会復帰を検討。
生活が「安定」してきたら、何があったのか、報告します。

日本無銭徒歩は245日。
ヨーロッパと合わせて925日。

借金(総額280万)の返済を優先することになりました。
世界一周を徒歩でするとか、シベリアを不食で横断するといった夢は、後回しです。

それでは、また。


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以下、追記◆ (3月14日記す)

 みなさんこんにちは。お待たせいたしました。m(_ _)m 
 いつ報告が入るか、待って下さった方も多いと思っています。今の生活は決して落ち着いたとは言えませんが、そんなことを言っているといつまでたっても落ち着かないような気がするので、明日から「仕事」(アルバイト)が始まる一つの節目として書くことにしました。

 3月1日、僕は新潟県長岡市から父と一緒に新幹線に乗って神奈川まで帰ってきました。
 28日の日付が変わるか変わらないかの頃、僕は長岡の町に繰り出していました。目的は、食べものと新聞などの情報誌を手に入れることでした。僕がキャンプしていた場所は長岡市東の、小高い山の裾です。不食の師、鷹さんのもとを発ってから深い雪世界のため、歩くのをやめて山に入る(籠る)気持ちがあったからです。歩くのもそう悪くはなかったのですが、自然の中にすっぽり入ってしまいたいような気持ちと、「旅わらじ」(自作の履きもの)の予備がなかったことがそういう決断へとつながりました。旅わらじは、タイヤのチューブさえあれば雪道も歩けるものができますが、新潟に入るまでそのことをあまり気にしていなかったので、チューブの蓄えがなくなっていました。
 長岡東の山の裾に入ったのは、2月7日でした。1月26日に鷹さんの元を去ってから、長岡まで来るのに10日以上かかりました。たぶんに進むという意識がなかったからです。覚えているのは国道17号の高架下や、越の大橋という橋の下にテントを張って何泊かとどまったことです。くる日もくる日も雪が降っていました。

 山の裾に入ってからは実に2月28日まで、1.6mほど雪を掘った中にテントを張って籠っていました。断食もしましたが、あまりそれにもこだわりませんでした。食べたくなったらあまり迷わず町のコンビニに出掛けました。ゴミのコンテナから廃棄品をこっそりもらっていました。
 日付が3月1日になったかならないかの頃、変な時間でしたが、上記の理由で町へ出ました。そしてまたテントに引き返したとき、警察につかまったのです。それが、父が長岡まで来る切っ掛けでした。

 パトカーが僕の横を通り過ぎたとき、もうだいぶいやな予感がしていました。
 案の定声を掛けられると、持っていた弁当や雑誌などの持ち物検査を受け、少しみずぼらしい格好でもあったので、署で「取調べ」を受けるためにパトカーに乗せられました。
 日本で200日以上旅をしてみて、警察に関わることは2、3回しかありませんでしたが、このときはもう何週間も長岡にいたので、目をつけられていたのではないか…とも思います。巨大なねずみのように、何度も同じコンビニに出掛けていたので、いかにも「コンビニ依存」で、よくないとは思っていました。そんな矢先の出来事でした。
 日本はコンビニというものがあり、僕はヨーロッパ以上に食事に甘んじていました。

 警察に捕まったのは午前3時前後でした。この時は、旅でもっとも汚い装備(服装も含めて)だったかもしれません。しかもそれは変な時間帯で、人気もない静かな町外れのことでした。
 当然のことながら、2人の警察官から次から次へと質問をされました。自分のやっていることが非常識であることは、その質問に答えるうちに如実に現れていたと思います。自分が持っていた新聞や弁当などをどこのコンビニからとったか、現場に行って確認もしました。そして、必然的にテントを立てた場所も、調べが入りました。深い雪の中を150mくらい、林の中のテントの場所まで警官を案内しました。

 午前6時頃でしょうか、一通り外での取調べが終わって、署の尋問室でまた色々と質問を受けました。他の警察官の方の質問もいくつか受けました。それは、もはや旅が終わりを意味するような、徹底的な「尋問」だったと思います。
 でも、ヨーロッパでそうであったように、僕は取り繕うことはしませんでした。犯罪の一歩手前とも言える「被疑者」としての扱いを受けましたが、それが定めならば、拒む気はありませんでした。僕がやっていたことは、たしかに恥ずかしいこと、そして忌まわしいことだと分かっていましたが、そんなことを構ってもいられないほどの「飢え」というか、「不納得」がこの日本の社会にはありました。たぶんに、親から受けた厳しい食生活や世界観の影響です。僕の中で日本のコンビニエンスストアというサービス業が、いかにも経済至上主義で、経済的に好ましければ消費は悪ではないという一大前提にあることに心が激しく反発していたのです。それは、海外の貧しい国や、環境立国のドイツを見て育ったこともあるはずです。日本だけに育っていればおそらくこうはならなかったでしょう。親がそうでも、自分はもっと日本の「実態」を受け入れたと思います。

 この日本での245日では、意外と警察に捕まりませんでした。ヨーロッパでは捕まりすぎていたというか、ヨーロッパではもっと軽く警察が事情聴取をするものかもしれません。
 山口県で、一度警備システムの入ったごみ処理場のようなところにあった「センサー」に引っかかってしまい、セコムが来て、ついでに警察も来ましたが、事情を話せば理解してもらえました。あとは年明けに、群馬から新潟に峠越えする前に警察官に止められましたが、厳しい取調べには至りませんでした。
 でもこの長岡では、そうではありませんでした。

 『もうすべてが明かされるな、警察に――――――。』
 そう思いました。隠そうとすることなど、もっての他でした。逆にこうなることは予期していたのだから、こうなりたくないならもっと町に出る時間帯を選ぶとか、服装に注意するとか、長岡は出るとか、いろいろできたはずです…。ですから、旅の緊張感が薄れていくにつれ、今回のような結末になるのはある意味で自然だったかもしれません。
 
  (つづく)
 
 

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