◆アソウ君ちでファミコンとマクドナルド
小学校3年生になったとき、アソウ君という仲のいい友達ができた。後であまり仲良くなくなってしまうが、当時は毎日一緒にお弁当を食べる仲だった。彼はどちらかというと大人しい子で、僕が「あれやろうぜ」「これやろうぜ」と振るタイプだった。
この彼の元でたしか初めて「お泊り会」をした。クラスが一緒だった3年生の間に3回位お泊り会をしたかもしれないが、その度に僕はファミコンに没頭した。ある時は夜中の3時頃までファミコンをした。さすがにやばいと思って寝にいくのだが、ファミコンでなければそんな時間まで起きてはいられなかっただろう。アソウ君の親は広間で僕一人がファミコンをやっていることに気付いていたと思うが、優しいおばさんで、そっとしておいてくれた。
ファミコンに対する執着は「飢え」という感じのレベルだった。アソウ君は優しかったから僕に思う存分やらせてくれるのだが、思うとその飢えは、「みんなと同じことができない」「みんなと自分は、どうやっても違う」という疎外感、孤独感の表れだったのではないだろうか。流行りのゲームの話ができなければ、付き合えない友達も多い。流行りのテレビ番組を見ていなければ友達の話題に入れない…。まだ小学生だったから、その傾向はまだ少ないが、それでも違いすぎる自分に苦労していた。
大人になってから、僕は自分の中に十分な日本のルーツを見出せずにもがいたが、もし子供の時にもう少しファミコンの世界に浸り「追求」することが許されていたら、僕はその経験をベースに日本で落ちつくことができたかもしれない。ファミコン(ゲーム)が表現する世界は限りなく魅力的だった。
アソウ君ちで食べたマクドナルドも、そのお泊り会を鮮明に思い出すことができるほど、印象的だった。僕の父はマクドナルドを嫌うべきNo.1の飲食業界といわん人で、マレーシアに飛ぶ前にマクドナルドを食べたことは一回あったか、ないか。もちろん父の承諾のもとではない。そんな僕にとってマクドナルドは却って「憧れ」だった。「ふーん、こんな味がするのか。」とかみしめながら食べていたにちがいない。そのメニューについてきたマクドナルドキャラクターのおもちゃを使って、その後も家でよく遊んだ。
夜が明けると、「あ~あ。夜も明けちゃった。」と思った。「あとは朝ゴハンを食べてちょっと遊んだら、もうお別れだ…。」「帰りたくない。」「ずっとここにいたい…!」
家族が車で迎えに来て、M教のK.L.道場に向かうことになった時、家族といることがいやだとはっきり思ったことを覚えている。親、特に父に対する「反抗心」も芽生えていたような気がする。アソウ君ちで洗った、くつ下かなにかのうちにはないにおいが、愛しかった。
◆熱帯の生き物たちに釘付け
生き物に対する興味関心は、幼稚園の頃からあった。庭で大きなカマキリとクモをつかまえてきて無理矢理争わせたり、いとこのS君がたんぼからアマガエルを捕まえてくると自分もカエルが飼いたくて仕方なかった。
そんな僕が生き物の王国である熱帯に飛んで黙っているわけがない。カエル、トカゲ、イグアナ、ヘビ、アリ、カブトムシ、巨大バッタ、…どの生き物にも色々な思い出がある。ぺタリングジャヤでは道路の脇を流れる溝にもグッピーが生息していた。家には必ずヤモリがいて、明りに寄ってくる羽虫を狙って至るところで見られる。「ケッケッケッケ」と、まるで妖怪がいるみたいに鳴くのも、ヤモリだ。蟻の種類も豊富で、アゴにかまれるとかなり痛い赤い蟻や、ハチのように針を持った危険な蟻、四角い変な頭をしていてくさいにおいを出す蟻など、蟻だけでもほんとに見ていて面白かった。学校の草むらにはよく30cmくらいのトカゲがいて、首元を抑えて持ち、バッタなどを近づけるとしっかりと食べた。
家ではミドリガメを飼った。初めて買った時はおたまじゃくしを用意して与えるのだが、食べるのを観察するのが楽しくてしかたなくて、その日のうちに食べるだけ(11匹)与えてしまったのを覚えている。3cmくらいの小さなカメで、「11匹も食べちゃって大丈夫かな?」と思ったが、大丈夫だった。リゾートの海では、何度かウミガメにもお目にかかった。こちらはシュノーケルで深くは潜れないけれど、足にはひれがついている。めいっぱい泳ぐとかなりスピードが出る。何度かそれでウミガメを追いかけたが、とても海の生活者にはかなわなかった。
海では、よくサメもいた。サメといっても1mくらいの小さなものだが、初めて見た時は、あの刺すようなえげつない表情に、心臓が飛び出しそうだった。仮に襲いかかってきても、こちらはなにもできないのだ!でもどうやら、リゾート客が海水浴を楽しむ様な海域では、「ジョーンズ」のような人食いザメは出ないらしい。
マレーシアも最後の年、小学5年生の時には、学校のゴミ置き場にいた1m近い、ウロコのザラザラした重たいイグアナにとびついて、捕まえた。その場にあった袋か何かに入れ、もって帰ろうとすると、先生だったか誰かが大きなプラスチックの水槽をくれて、それに入れて持ち帰った。帰りのスクールバスの止まるロータリーで、みんながびっくりした顔で見てくるのが、誇らしかった。
は虫類、両生類を中心に強い興味があって、将来は「生物学者」になることを夢見た。
暇な時は、は虫・両生類の図鑑を見ているだけでも、色々と夢が浮かんできてあっというまに時間が過ぎるのだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿