3月30日午前0時42分、13日目の仕事が終わった。これまでで一番遅い仕事あがりとなった。
ただいまの時刻は午前3時34分。家に帰って来てから寝ずに食事やインターネットをやった。まだ寝ていないから感覚では今日だが、昨日の午後には危機が訪れた。
「今日で仕事やめようかな…」
ドライバーのSさんに言った。仕事の真っ最中だった。
そのときは気を取り直して頑張った。Sさんとは最後まで仕事を続けたが、僕は限界に達していた。
ブログには僕が働き始めた運送会社の内情はほとんど書いていない。だからまともな内容は今更書こうと思えば大変だ。
社会生活のひずみ。簡単に言えば、(単純すぎるかもしれないが)僕は昨日の午後それに直面した。
<人は縛られなければ生きられない運命なのか>
<人は制限の中でしか生きられないのか>
…
そんな、『自称卒業論文』(2004)の中にも書いた内容が、ふたたび現れた。Sさんとの関わりの中でである。Sさんが僕に余裕を与えずに絶え間なく干渉する中で、僕は昨日の午後上記のようにこぼした。仕事を今日でやめようかな、と。
理由は、Sさんの意地悪な干渉だった。Sさんは僕を自由にしてくれなかった。僕の仕事のテンポ、やり方を基本的に受け入れていなかった。僕は四六時中10歳年上のその人に「操作」されていた。
操作に耐えがたくなったのは「お金をつくる」ことの意味が、早くも薄らいだからだ。薄らいだというか、努力に対する報いとしての1万数千円の価値は、日を経るごとに減っていった。
だが採用されるために「週5日~6日は仕事します」と言ったのは自分だった。そしてこの不況の中、選ばれて採用された自分だった。
でも約2週間働いて、どうもバランスが崩れた。毎日のように11時を回る帰宅。
不食思想の紹介による会社の仲間の異常な興味関心やうわさ。僕が最初の二日間一緒に乗ったのもSさんで、風俗店の店長をやっていたこともあるその人は、強烈な人物だった。下手に関わることは危険だとすら思った。
(つづく)
⇒次の日記に譲ります
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