2010年3月17日水曜日

『こども時代』 11

馴染みは意外と早かった
 母親の心を受け継いでいたためだろう、僕は授業にはまだついていけなくても早くからクラスに居心地のよさを感じた。それは「私はこうだから。」とか、「あの人はそうだから。」といった個人的な事情や、個性の違いはあって当たり前とするドイツ人の気質があったためだ。それが、自分のたしかな違いからは目を逸らせ、「自分を出す」ことにつながり、それが気持ちよかった。
 1年目だったと思うが、ミニサッカーをしていた時に納得のできない何かがあってみんなを前に不満を表明したことがあった。だいぶ怒っていたと思う。しかし、それが友人関係の決定的な傷や汚点にはならず、1日たてばヤンかグリシャが「トモ、今日の放課後はサッカーやる?」と普通に聞いてくるのだった。
 ドイツ人からすれば、人が時に感情的になって不満や怒りを表すのは普通であり、それは受けて流せばよいという考えがある。一時集団を乱したからといってそれがすぐ変なうわさとか、当人のマイナス評価にはつながらないのが西洋かもしれない。僕はそんな、みんなの不思議な寛容さに癒され、みんなを前に怒鳴るようなことは、したくなくなった。


なわとびやゲーム、数学では自己アピールも
 日本の学校で身につけたちょっとした芸やあそびが、僕の自己アピールに役立った。なわとびなどはドイツ人は下手くそで、僕が「二重跳び」なんかをして見せるとみんな感心した。その他には紙一枚あればできる色々なゲームも、暇つぶしには役立った。「棒消しゲーム」、「ブロックゲーム」、「○×」、エトセトラ。向こうの生徒はあまりそういう遊びを知らなかった。でもやってみると、面白がって、それがうちらの間で習慣にもなったりした。
 数学は日本の教育の方が進度が早く、一学年下に入っていたせいもあるかもしれないが、それにしても易しかった。日本に帰った時に勉強が遅れないように、日本水準の問題集を買って勉強したりした。
 英語のレベルには当惑した。マレーシアで少し英語ができたとはいえ、5年生から始まるドイツの英語教育ではもう、けっこうな長文を読まされた。更には、7年生となった最初の9月からは第二外国語がスタートした。フランス語かラテン語を選択するのだが、生物に興味があった僕はラテン語を採った。ドイツ語、英語に加えてラテン語と、「強行カリキュラム」になった。ドイツの成績評価は6段階で、1が一番良く、6が一番悪い。一般の生徒は「5」が2つか「6」が1つあると「落第」で、同学年をもう一度やらされることになる。僕は体験入学生であったため、7年生、8年生にあがる際、基準が除外された。
 ラテン語の初めての試験では僕は「5」を取った。生徒が座りきれないほどいる授業で、授業がいまいち分からなかった僕は単語の意味を2つ3つ書いたくらいでテストが終わってしまった。先生が、年配の、教頭先生でもあったから、「こりゃなんとかしないとまずい」と思って、自分で本屋にラテン語の文法書を買いに行き、独学した。説明がすべてドイツ語なのでわかり易さは低かったが、それでも何か得るものがあって、次のクリスマス前の試験では「3」をマークした。ドイツ語もろくにできない僕が結果を出すと、そのフォンローバート先生は感心して、みんなの前で僕の大変さをアピールしてくれた。それからはラテン語が好きになり、だいたいいつも「2」をとるようになった。

0 件のコメント:

コメントを投稿