2010年5月2日日曜日

『こども時代』 26

学びとは「無心」のこと
 大人になると、人は「失敗」に対して寛容ではなくなってしまう。「友達にメールを送ろうとしていたが、忘れて、他のことをやっているうちに友達から連絡が来て、友達を待たせていた…」というような、たとえばそんなミスが、自分に許せなくなる。
 僕自身がまさにこれで、早くから自分の犯した失敗に対しては恥や自己嫌悪、後悔が強かった。ところが、大学一年の父との喧嘩にしても大学の中退にしても、本当はまだまだ失敗をして、僕はそこからできる限り純粋に、色んなことを学び取らなければいけなかったのだ。しかしそれを妨げたり、過度に問題視させたのが「大人としての」プライドだった。僕は有能な人間だ。「器用」に生きたい。無駄はできる限り避けたい。時間を最大限に生産的に、有効に使いたい…。今思えばそれは「頭」でしか生きていない自分でもあった。

 旅をしてから分かってきたことだが、人は、「無心」である時に最も深いレベルの学習をしている。「これを勉強すればこういうことが分かる様になる」とか打算的な考えがあるうちは人はあんまり学ぶことができない。そうでなくて、大人でも子供でも、純粋な心で我を忘れるくらいに何かをやっている時、本当に血肉になる学びが進んでいると、僕は思う。ある時ふと、無心の自分は「何をやっていたのか」ということに気付く。
 これは、子供ならばまるで当たり前に日常的にできていることだが、大人になるととても難しくなる。失敗を過去に忘れ去るということがなかなかできなくなる。生活や仕事に追われて、自由を見失ってしまうからだ。試行錯誤は面倒臭くもなる。無理なのではなく生産性がしきりに問われるようになるから、そうなのだ。

 僕は子供の頃、友達のようにのびのびとできなかったので、あまり「失敗を通して学ぶ」ということができなかった。「体験的学習」とか「試行錯誤」があまり許されず、早くから「頭」によって自分を統制していた。大人になってから僕に本当に必要だったことは、子供の頃に戻って「失敗を通して学ぶこと」だったが、プライドはそれを許さなかった。
 「無心」でいられる時間が多ければ多いほど、子供は心の豊かな人間になれるのではないか。

 小川家の子供の特徴として、昔、「兄弟ならところ構わずふざけられる」というのがあった。兄弟で盛り上がっている時は、周りのことなんか、どうでもよい。それより兄弟関係を楽しみたい…。それは中学生になろうが、高校生になろうが、変わらなかった。それは今思えば、それだけ心がまだ無邪気で、子供だったのであり、まだまだそういう経験が必要だったのだ。頭は親の真面目さにより色んなことを学んでいたが、心は相応に成長していなかった。心が成長するためには、もっともっと「無心」でいる時間とその学びが必要だった。
 両親の結婚は、ある意味で西洋と東洋の衝突だった。母も父も、強い自我をもつ人間だったからだ。そのせいで子供は心―精神年齢―がなかなか伸びなかった。


5人兄妹の意味
 父と母の夫婦としての交流は、随分早くに限界を経験していたと、いつからか僕は思うようになった。父と母の心のでき方の違いや、自分自身が2人から全く別の性質を期待されたという経験もあって、僕は大人になってから親の夫婦関係に大きな疑問を持つようになった。
 そしてある時、ふと到達した理解は、「子供がいるから2人は結婚を維持することができる」という、容赦ない親批判だった。そして、「小川家は、「家族」としては実は脆いもので、これまで子供を含め皆が必死になってやってきたからなんとか維持ができたのだ」と、僕は考えるようになった。

 もとより父と母は兄ができてから結婚しているが、僕の後には3年とか4年の間隔で妹が順々に誕生した。親は、子供をどんどん作ることを通して、家族をもっともっと愛そうとしたのかもしれない…。本当は、子供のためにも、2,3人でやめてゆったりとした家庭を築くこともできたはずだが、そうはしなかった。どんどん新しい成員を招き入れることで、子供達を通して家庭を豊かにしようという考えがあったのではないだろうか。
 僕とは12歳離れた一番下の妹が4歳になる頃、親は寄宿生活塾を始め、よその子供達も招き入れるようになった。そのような背景には、「個人」よりも「集団」としての豊かさを模索した親の姿があるような気がするのだ。
 かつての「大家族」―――それは現代人が失いもした人間関係の豊かな空間であったことは確かだ。おじいちゃんやおばあちゃんのなにげない関わりが子供の基本的な人間性を育んだ。「不登校」とか「ひきこもり」という社会現象が現れたのも、少子化や核家族化の進行と密接な関係があると思われる。
 しかし、それでも親は自らの夫婦としての不具を棚にあげて子供を前には多大な権力があった。話によって理解させるというよりは、口答えのできないキツイ言葉と雰囲気によって父は家族をまとめるところがあった。友達が親に平気で反発しているのを見るが、自分はそんなこと間違ってもできなかった。やっぱりうちはどこか変だという気持ちも僕はもっていた。
 集団的な豊かさを追求する反面、「個人」はおろそかになった。精神的に幼いままだった上の兄妹は、本当はもっと親とのレベルの高い交流が必要だったが、家によその子が入るにつれ、親の意識は僕らから外れ、そちらに向くようになった。
 やはり、親はあまり個々の子供に深く関わると、夫婦の文化的・人間的差異がまた浮き彫りになるのをおそれたんじゃないか。よその子ならまだしも、実の子に対して親が衝突するのは、子供の情も絡んだりして家族の絆に問題を起こしかねない。だから親はあえて子供には関わらず、自らを別の仕事で忙しくしたのである。最も前提にあった問題はだが、やはり夫婦としての不通だった。

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