2010年5月2日日曜日

『こども時代』 28

◆「直球」の母といつも「変化球」の父
 西洋人の「愛」の観念と、日本人の「慈悲」の観念はおおよそ違うと思う。それはイエスの説いた「愛」と仏陀の説いた「慈悲」との違いで説明できるだろうか?
 ヨーロッパを旅した時に、ヨーロッパ人は「与える」ことが好きな人達であると心底思った。無銭の旅人である僕を前にやれ「コーヒー飲んでいけ」・「服は要るか」・「まだ何か欲しくないか」、など率直に聞く人ばかりだった。決して「裏心」があるようではなかった。たとえそう見えるような時でも、そうではなかった。

 母がそれとまったく同じ心で、僕らを育てた。「与える」時は、決して裏があるわけではなく、純粋な愛として僕らは受け取っていた。それでよかった。
 しかしそれが、父や日本人とのやりとりになると、その同じ方法ではうまくいかないのを経験した。たとえば大学時代、塾講師をしていたとき、生徒を慕って何か与えても、なかなか笑顔が返ってくることは少なかった。「日本人には与え方というものが重要だ」ということは分かっていても、心が西洋人な自分はそれをあまり深く考えることができなかった。たとえ教師と生徒という間柄でも、「貸し」や「借り」といった概念が早くも子供にはあるのだった。だからよほど純粋に「与えたい」という気持ちを表現できない限り、生徒は快く受けとってくれないのだ。
 対して父の「与え方」、そして「関わり方」は大概「含み」というものがあって、そこに注意を向けるということを母からは学ばない僕らは、よく分からなかった。それでも父は父で、直球を投げることはほとんどなく「変化球」を投げつづけた。


表を見る西洋人と裏を見る東洋人
 西洋の映画を見ると、「表情の豊かさ」が目立つ。怒りや不安、喜びや楽しさ、なんでもない一介の個人の表情を、これほど豊かに表へ出す民族は他にないかもしれない。特に「顔」というものは西洋人は大切にしている。常に顔はあげて、ネガティブな感情は顔に出ないように気を遣っている。
 対して日本では、あまり顔を上げていてもおかしい。この国では西洋人ほど個人の顔というものは重要じゃないのだ。日本人が見ているのは顔よりも心であり、裏の方だ。
 たとえば、人の安易な言葉掛けにはまず下心を疑うのが日本人だ。日本では西洋ほど気楽に人に話しかけることができないのはそのためだ。言い換えれば日本人に気持ちを伝えるには気持ちがしっかりとこもっていなければならない。気持ちはあっても、それがうまくこめられないならば、表現できないならば、「気持ちはない」とされてしまうのが日本人の厳しいところだ。

 僕は大学の頃から、喜びでも表現の仕方を変えて、日本人流に「含み」を使ったりして表すようになった。それが妹などにはうけたが、母に関してはその頃からやりとりもぎこちなくなってしまった。嬉しいなら、まずそれを顔に出して、興奮を表しながら話すと西洋人にはよく理解されて、対して日本人には喜びと興奮は出さないで、言葉選びや表現方法によってそれを感じさせるのがいい。まるで違うルールである。


あげるだけあげる西洋人とあげられてもあげない東洋人
 僕の体験上、西洋と東洋の違いを挙げ出したら、きりがない。
 「与えること」を「愛」と直結する西洋人は与えられるものならいくらでも与えたいと思う。「愛」はいくら与えても害にはならないからだ。ところが東洋人は「与える」ことを必ずしも「愛」とは考えない。「甘やかす」という観念が強いんじゃないだろうか。「愛」はいくらあってもいいのはたしかだが、「甘え」はそうじゃない。だから与えるのもほどほどにするのだ。
 「甘え」という心理も、日本人を語る上での重要なキーワードだが、西洋の場合、「甘えん坊」というのが少ない。それは西洋人が早くから子供に「自立心」を養い、子供自身が自制し、そうする子供を大人も褒める。人が何か恵んでくれるのを待っている(甘えている)という心は西洋人からすると醜いものであり、自立心の欠如として戒められる。反して東洋ではそこで「情け」が働く。あまり立派な振りをしている子供を見るのは好かないのも東洋的かもしれない。

 子供の頃の僕の感覚からすると、父はケチであった。「ケチ」を越えて、「自分や家族のことを好きじゃないんじゃないか」とも思っていた。与えられる限り直に与えてくれる母に対して、父の不干渉や「変化球」的な関わりは、どうにも理解できなかったのである。ところが後になってから、父の教育観にはこういう考えもあったのかもしれないと思うようになった:
 『子を崖から突き落とす獅子(しし)』
 中国の民話に、子供を強くたくましく育てるために、自分の子を崖からわざと突き落とす親獅子の話がある。崖から突き落とされた子は致命傷を負ってしまうかもしれない。それでも親はそれが自分にできる、最良の教育だと考えるのだ。「密接に関わる親という身分だからこそ、教えられることを教えておかなければならない…」というのがこの話の味噌だろう。今日の近代的な家族はこういう考えをもつ親も少ないかもしれないが、西洋にはまず見られない教育観だ。

 父は昔から、父なりの「愛情」を持っていたが、それが僕には通じていなかった。僕はスキンシップや会話などに西洋的なスタイルを父から求めていた。僕にとって向き合いには西洋も東洋もなく、母から教わった「西洋」しかなかった。でも父は歴然とした日本人だったのである。
 中学生時代に早くも僕が「孤独」を好きになったのはそんな親との関係的貧困が大きいと思う。

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