◆子供から飯を奪ったら
一昔前だったら子供を育てたというだけでも立派だと言われたんじゃないだろうか。子供と向き合う時間や与えるごはんを用意するだけでも一苦労な時代である。
しかしつい50年前にはあったそんな時代が、めまぐるしい変化を経て、今日はワケがまるで変わっている。今日子供に飯を与えられない親がこの日本にいるだろうか。むしろ今日の親の関心は、子供を塾にやれる金はあるか、大学までやれるか。多くは経済的問題に集約されている気がする。
ところが、「子供に飯を食わせる」という課題がなくなってしまったわけではない。一人の人間が1日100円、コンビニのアルバイト(10分相当)をすればとりあえず飢え死にしないという豊かな時代となって、人々は食べものの有り難さを忘れているだけである。
しかし人から食べものを奪ったら、人が食べものに飢えたら、たとえ日給1,000円でも、人は働くだろう。丸一日働いて家族を食わせる食糧しか手に入らなくても、人は働くだろう。食べものとは、それくらい大切なものだ。
同様に子供から飯を奪ったら。子供は何でもするにちがいない。学校に行けなくても、友達と遊ぶ時間がなくても、小さな体と小さな頭で、生存のためのできる限りを尽くすに違いない。親に尽くすに違いない。
これほどではないが、僕の親はこれに似たことを家庭で行ったと僕は感じている。それは兄妹の中でも特に僕が苦労した「食べものコンプレックス」だ。親は、「食べものが毎日あるだけで、感謝しなければならない」「(食べものに関して)贅沢は言うな。」「あるもので満足しなさい。」… と言った。しかし僕は「飢え」続けた。食べものは確かにあったが、違う食べものに飢えていた。「みんなと一緒である」という一体感、安心感に欠かせない、条件としての食事だ。もう少し具体的に言えば、おべんとうに白米と赤いうめぼし、かつおぶし(おかか)やウインナー、コロッケ、そしてミートボールを持っていくことであった。
親は自分が偏った食事で二度大きな病気をしたために、その教訓としてまた滋養として「玄米菜食」を家庭に採用したのだが、僕には自分がそこまでする理由が全く理解できなかった。苦しいだけであった。でも親がそうと決めるからには従うしかなかった。それが子供の心にとってどんなに理不尽で、自虐的で、苦しくても、親がそうと言うのには逆らえないのだ。外へ一人で出ていっても生きてはいけない身だからこそ、どこまでだって自分を犠牲にしうるのだ。
僕を含め上の兄妹は特に「おひとよし」に育った。親が喜ぶような生き方をすることにだいぶ専念してきたからだ。僕自身今日でもまだその傾向があるかもしれない。ところがこの世というものは、そういう人間にとっては「酷」だ。きれいなことばかり言っても、やっても、生きてはいけない面を持っている。「強く」なければならない。(生存)競争に立ち向かっては必死に闘い、自分を磨いていかなければならない、時には仲間の足を引っ張ってでも自分が生きなければすまない、それがこの世界だ。人はそこから目をそらしたがるから、そうでない社会や環境をつくろうとするけれど、根底にあるのはいつの時代も、過酷な原理だ。
僕ら小川の兄妹がいち早く身につけなければならないのは、いかにしたら抜け目なく器用に利用されずに生きられるかという処世術だ。
◆結論
(「こども時代」のために用意したメモには、まだいくつか、重要な憎しみ(親に対する)が残っている。しかし、省略したいと思う。親を弾劾することがこの執筆の目的ではないのだ。それはそう簡単に消えるものでもないから、刺激的なことをむやみに載せることは控えようと思う。察しのよい読者ならば、僕の経験した憎悪の“輪郭”を汲み取って頂けたと思う。ただし、第三章「絶望の精神」においては十分なメモが用意してあるので、「絶望」について詳しく書きたいと思う。)
親は「冒険家」だったと、前に述べた。結婚し、子供をつくること自体が大きな 冒険だった。冒険であったから、当然、そこには危険が伴った。「幸せな家庭を築きたい」と願う夫婦にはまずないだろう危険が僕の家族にはあった。その一つが、僕の経験した絶望だ。まだまだ、これからもこの家族を困難は待ち受けているだろう。冒険者である以上、困難はつきものだ。
しかし、今こうして、自分の半生を振り返ってみて思うことは、「僕はこの親を選んで生まれてきた」ということだ。この飽くなき挑戦者でありロマンチストである2人を僕は選んで「生まれてきた」のだ。彼らだったからこそ経験できたこともある。
人間として生まれてくる以上は、誰にだって不具がある。ある人は金持ちに生まれるが、人間関係が欠乏し、ある人は目が見えないが人を癒す存在となる。またある人は病気で早死にするが本物の愛や神様に出会う。
日本を無銭で飛び出す前に自分の完成や、完璧性を求めてやまなかったころ、こんな気付きがあった。
『み~んな未熟。 事件、事故、不幸、戦争、殺人…。これらは絶えない。日常茶飯事だ。 それがニンゲン。 その中で生きるなら、「どう生きるか」を考えなければならないんだな…。人間は失敗をするもの。へまをしてなんぼ。』
精神的にボロボロだったけれど、それは確かな大きな気付き(悟り)だった。
「人間である」ということ。悟りは、一朝一夕には来ないということ。親の教育の影響で、せっかちに「大悟」を求める自分が人生とは「人間を楽しむ」ことでもあるのだと後に悟らされた。
この世の醜さや不条理を嫌って死んでいっても、それでは神様が何のためにこの世界をつくられたのか、分からなくなってしまう。
見方によってはこの世は美しい。青い地球と大自然、多種多様な生物たち。人間たち。朝が来れば日が昇り、夜がくれば月は輝いている。その美しさは、人間が生きるための「おとり」ではない。人間を喜ばすためのものだ。
そんな「人間」を生きながら、いかにしたら「神」に近づけるか。それが僕の新しい人生のテーマであると、今日思っている。
P.S.
父一人では子供は生まれなかった。
母一人でももちろんそうだ。
二人がいたからこそ自分は生まれた。
二人がいたからこそ自分は絶望した。
「子供をつくる」とはそういうことかもしれない。
我が身には背負えないなにかを、子供は必ず背負うて生まれてくる。
我が身を超えて生き行く命の、「人生課題」だ。
そうやってこの世の命はつづいてゆく。
けなげに、ひたむきに。そうではないか。
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