まえがき
2010年3月1日、急遽僕の「無銭の歩き旅」が終わりました。
ヨーロッパの2年間、19カ国―7000km―に加え、一昨年6月から日本を同じように歩いていましたが、新潟県長岡市でひょんなことから神奈川に戻ることになりました。
3月1日午前3時頃、長岡市内を歩いていたところ、警察官に声を掛けられ、取調べを受けました。警察官が声を掛けたのは僕の格好が薄汚かったからだと思います。無銭の旅でも、洗剤くらいは持っているのですが、真冬の新潟では服を洗う場所もなく、干す場所もなく、洗濯物は溜まっていて、一番きれいなものを着て町に出ていました。しかし、ひげは伸びていましたし、履いていた靴は自作の「タイヤチューブ」製でした。
西洋風の容姿と薄汚い格好では、目をつけられても無理もないかもしれません。
警察署で取り調べを受けた際に神奈川の親に連絡が入り、親が迎えにくることになりました。情けなくも、それが925日に及ぶ1万キロ超の旅が終わることになる切っ掛けでした。
この書きもの 『こども時代』 は、僕がなぜお金も持たずに1万キロメートルも旅してしまったか、その動機や背景的なものを明らかにするものだと僕はとらえています。
ヨーロッパから2年ぶりに日本に帰る時、『今できる不食総括』という旅の記録を書き上げましたが、どうもそれだけでは事足らない気がしていました。「旅」も重要ですが、旅につながる背景も同じくらい重要だという気がしてなりませんでした。
そうして今年、2010年1月にまとめたものがこの 『こども時代』 です。
どんな人の人生もそうだと存じますが、人の過去というものは“計り知れない深み”を持っています。そう思わない人がいるとしたら、それは気付いていないか、まだ気付く時でない、何かの最中にあるということだと思います。僕はたまたま二十代半ばで人生の節目に立ったので、自分のそれをよく見渡すことができる地点にいます。いまにも仕事か、新しい課題に専念したら、周りも見えなくなるかもしれません。それは、仕方がありません。
この執筆は、半分「自己満足」のようなものです。それは、家族も、日本も、お金も捨てるというところまで自己を追い詰めた「こだわり」、又、人生体験が捉えた僕の半生の姿です。しかしこれだけ書いたとしても、(!)、そこに現れているものは人生の一側面に過ぎないようです。例えば兄妹から見ましても、僕の人生はだいぶ違って見えるようです。
しかし、前著『今できる不食総括』とこの『こども時代』、もしくは自称の 『大学卒業論文』(2004)をもって、どのようなものが僕を「絶望」まで追い込み、予期せぬ旅を実現したか…と言うことは、十分にわかっていただけるのではないでしょうか…
絶望も、過ぎてみれば我が人生の財産です。「絶望」と一口に言いましても、十人十色です。僕の経験したそれは大したことはなかったのかもしれません…。あるいは自殺してしまう人はもう本当に何もできなくて死を選ぶのかもしれません…。
僕はまだ「歩く」という選択肢を持っていました。それがまるで新しい人生を見つけてくれたのです。
この自己満足の書きものを読んで下さる読者の方々に、深い感謝の意を表しまして、ご挨拶とさせていただきます。こんな若僧の体験話が、貴方の人生を充足しえるならば、著者としてこれ以上に嬉しいことはありません。
―――3年前、スイスから歩き出した、ちょうど同じ日に
著者小川智裕/Karol
0 件のコメント:
コメントを投稿