今日は「火曜日」。毎週火曜日は父が育てている無農薬野菜の宅配の日だ。
今年から父の会社「だいかぞく」の食糧生産が始まった。
田んぼが8.5反(?)、一年目は「50俵」(60kg×50)の米の生産をもくろむ。野菜づくりも行うが、人手が足りないため、今は週に半日だけ畑をやる。
父のポリシーには『むのうやく』がある。農薬を、「使わない」。だからおかげで田んぼも畑も「草」がすごい。特に畑は「どうしようもない」状況になっている。ねぎが草むらに文字通り「呑み込まれて」いる。
今日はそんな畑で昼まで、大豆の苗植えと、キャベツの草むしりをやった。
一週間前にも同じ宅配の日で畑でだいぶ働いたが、一週間で辺りは見事に「一変」した。草の生長が“おそろしい”。
父はもうギリギリのところでやっている。本当にギリギリである。
数週間か前、父の目を見たとき、「危ないな」と思った。目はとかくその人を語る。父の目は、精神が休まない、精神を蝕む様子だった。
数週間一緒に仕事をした中で、父の表情も時にはうんとよくなった。笑顔が顔全体に行き渡る日もあった。
父に農作業を手伝ってと言われたのは6月5日頃だったと思う。もう今日は23日、3週間は経った。
僕にしては、過去の父との関係を思うと、よく続いた。
意外だったのは、僕にもまだ、父という人物を深く「知る」余地があったことだ。
2007年1月に日本を飛び出した時は、父に「見切り」をつけていた。十分に「知った」つもりであった。ところが帰ってきて今、父のことがもっとよく分かるようになるとは… 2007年、自分が日本での可能性を否定したのは自然だったのだが。。。
父は優等生だった。上智大学を出て、商社に勤め海外に飛び、日本語教師をやったり、この11年間は寄宿生活塾というものを実家で営んだ。10年おきにユニークな仕事へ転職した。僕が小学校の4年間と中学校の2年半をマレーシアとドイツで過ごすことができたのは父の仕事のおかげだ。
しかし父と僕の関係というのは、薄かった。
小学校時代は父の意向が知れずに、いつもビクビクしていた。父は僕にとって「冷たかった」。
でも自分がこの日本で社会に出て行ってから、少しずつ憎かった父が分かるようになり、逆に母との関係が壊れた。父とはちゃんと近づくことはなかったが(父が人を近づけない)、父のことは日本の社会を見ることでかなり分かっていった。
しかしそんな父も、今となっては哀れに見える。
かれこれ7年くらい、僕は親に対立して「注意」を喚起してきたが、彼らの向かっている方向は僕が絶望するほど想定した、まさにその辺だ。違うのは、今僕には希望があり、ちょっとしたことでは僕は動じなくなったことか。
父は若いとき、食生活の乱れで病気になり手術をした。30過ぎには蓄膿症の手術で嗅覚を失った。
父と話していて感じるのは、なぜ鼻が利かなくなったのか、その理由だった。「嗅覚」というものが人間の感知能力においてどんな役割をしているか、そのことを最近考えされていた。
呼吸で必要な酸素は、口からも鼻からも摂ることができる。でも自然な呼吸とは鼻息であり、口息ではない。運動したときくらいが、大量の空気が必要になって、口呼吸をする。でも蓄膿症の人は常時から口呼吸の傾向がある。鼻の中に外の空気を「通さない」。
その意味は何かと考えていた。
母は早くから父との関係の問題を子供たちと共有した。
僕は次男だが、上の兄妹が中学校にあったころにも母の父との不和は結構知っていた。母は「隠さない」人なので堂々と子供たちとそういう、夫婦でとどめておくべき悩みを共有した。
それは日本に落ち着くや父の支配力の方が優位になっていったが、母が訴えていた問題は確かに存在した。「日本はこう」では収まらないものが、あった。
最近よく分かったこと。
父は「空気」を嫌った。「空間」というか「雰囲気」というか。
人がいる空間にはさまざまな「空気」がある。職場の空気、家庭の空気、部活動の空気、先生の空気・・・ 職場でも上司の期限がよい時、仕事がはかどっている時、全体がまとまっているとき、まとまっていないとき... そういう「空気」がある。
父はどういう訳か、そういう「空気」に同調することができない。同調したがらないとも言えるかもしれないが、僕にはそれが父は苦手だからそれをしないと見える。
それが「鼻」のことと関係する気がしてならない。
「病気」が先か、 「こだわり」が先か。
僕は病気というものは治らないものはないと思っている。
治さない結果病気に「命を取られる」ということはあっても、それはさまざまな要因があって治療が阻止されたケースである...と考える。
だから父の場合も、父自身の問題が鼻に出ているのだと僕は考えるのだが...。
でもここで言っておかなければいけないと思うのは、病人が治らないのは、非常に多くの場合に、本人がそれを望んでいないということが言える。たとえば、「肝硬変」。酒が、タバコが、食生活、運動不足などがそれを引き起こしているとは告知されても、本気でそこにタックルし、治癒を目指す人は、実はすごく少ない、ということ。
重病をおうた多くの人の心理は、「あぁ...これまでの生活が恋しいっ!」「いいお医者さんよ、金出すからなんとかしておくれ」「薬は何がいいのか?」と、他力本願である。まず自分が自分の病気と向き合うという姿勢が必要でも、それが多くの人はできない。これまでの生活がなくなることに、精神的にまいってしまって...
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話がそれた。
父がこれから会社を運営するに当たって、疑問は尽きないが、僕は今、そんな父の弱さを見て見ぬ振りでどこまで家族と向き合っていけるかということを考えている。
「6月一杯のお手伝い」というのが最初の父の話だった。
7月からは「やってもやらなくてもよい」という感じだが、新しいことを始めるなら、まもなくチャンスだ。
何か、大きめの目標を掲げようか。。。
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