旅立ちがきまった。
家族との交流に、見切りをつけた。
みょうにち、「無銭徒歩」の旅が再開する。
家族と関わらないということは、家族に「期待」しないこと。鷹さんの言葉でいうと「愛で家族を縛らない」ということ。
「不食」 を確信した僕。
「お金がなくても生きられる」 ことを確信した僕。こんな人間がまともに生きられるはずもない。
「不食」を100%確認しなければ。
邪魔されない、静かな場所で。
「漸減」食で行こうと思っている。ヨーロッパではかなりすぐ断食に入ったが、そうでなくて今回は最後には「紛食」にして、腸内のシステム変更を意識して 3週間 はかけて完全断食に入ろうと思う。完全断食に入ってからも無理に食べないようにとはしない。おそらく平気だと思うが、妙な症状が確認されたときはその辺の草や木の実でも食べようと思う。
どちらに向かうかというのは気分に任せる。明日出発時の気分に任せようと思う。
長野や岐阜、そして日本海側に行ってみたいと思う。
その更に先は海外も考えている。日本を十分回ったら、世界に興味の冷めない僕は中国にでも飛ぶだろう。
お金を作る手段は路上でパフォーマンスでも、音楽でも、般若心経でもやるだろう。
知恵は、開ける。
2007年1月30日(前後)、日本から脱出したときもそうだった。
2007年4月28日、スイスから無銭放浪に出たときもそうだった。
知恵が後から、開けた。
でも僕の思想は「不食」にはじまり、狂気の域。
2年間、慎重に模索していった。
その2年間で十分な「自尊心」が培われたから、今年の1月日本帰国を決意した。
そんななりゆきだった。
大体昔っから「変わったことが好き」な僕だ。
小学校・中学校は自分の多方面の「ちがい」に苦労し、「ふつう」になりたかったが、大学で挫折してからはありのままの自分を認めるようになった。そうするしかなかったんだと思う。
でもそんな僕にも「変わったこと」には勇気が必要だった。
無銭で日本を飛び出すという狂気には、やっぱり危機感を覚えた。
家族が直面するであろう問題には、心配する。
心配してきたからそれらの問題の多くを経験した僕がアドバイスできないかと思ってやってきた。
でも僕のアドバイスを聞きだすほどに家族の僕に対する信用はなかったし、それは僕の「思いやり」や同情がほとんどだった。家族も当然、努力を要した。
親は非常に盲目であった。
救いがたいほど自分のやりかたに自信を持っていた。それでよいと思っているのだから、それでやってもらって、いくとこまで行ってもらうしかないのだろう。
兄は実家には滅多に帰って来ず、家族との接点はほぼ母だけになっており、自分の夢のために最大限のエネルギーを注いでいる。千葉でヤギを飼っているが、ついこの前は数を増やすため、愛知県へとヤギをもらいに行ったという。
妹(22、シングルマザー)は日々「子育て」に一生懸命だ。実家で主に母の手を借りながら男の子を育てている。その子を育てるというだけで今後20年の彼女の生活は方向付けられている。子供の存在というのは最大の「安定」材料なんだなと思った。自分自身の人生を棚上げして、子のそれのために身を捧げるという。
妹(18)は音大に入り、ピアノや音楽に没頭している。小川兄妹の中では彼女が一番要領がよくて「世渡りが上手い」。反面だいぶ自分の世界に生きており僕とは心が通じないことも多い。しょうがないか。
妹(14)は小川家が家族として一番「崩れた」時期に育っていて、家庭内が不安定だったために非行・反抗傾向が強い。僕が2006年絶望に陥ったころ、一番それを分かったというか、僕を応援しようとしてくれたのが彼女で、そのせいで僕は存在として彼女をだいぶ引き付けた。彼女は彼女でいずれ「独立」しなければならないのだが、精神的に必要以上に近づいたことが変に作用しなければいいと思っている。
親父はこの6月、一緒に作業してきた中でいろいろと興味深いことを口にした。
彼の「休まらない精神」、独善、それらが導くであろう、将来。あまり明るい将来はない。まず父が自分が他人の空気を読めない人間なのだと、それは一種の「障害」なのだと素直に認められたら、変わる可能性はあるが、そうでもなければ彼は「20代から続いている」自分で行き詰めるだろう。大方、そこで終わるだろう。
母は愛情たっぷりの人間だった。父よりは人を愛し、だから今度は「愛される」番になる。でも子供を、父との関係不全のために私的に利用した部分は否めず、それは彼女にとってもこれから、だれと一緒にいようと彼女自身の挑戦となるだろう。正直さというか、本当のコミュニケーション方法というか。
何週間か前、「大学時代の奨学金の返済」は僕の義務ではないと「迷いなく」思ったことがあった。父の無責任「教育」感覚、母の偽善。それは僕が「躓き」、社会のレールから「放り出される」最たる要因だった。僕は父と母のために生きていたのだ。自分の喜びのためというよりは。父と母から相応に愛され続けなかったら、「崩壊」する訳だ。
自分を愛する。
そういう時が来た。自分の生きたいように「今しばらく」生きるのだ。自分の知恵を開くために『自分を』生きる。
日々何もすることなく85になる祖母は、さみしいが、僕にどうすることもできず、ひょっとしたら、今回が最後になる。旅に出たら、自己の道の完成のために数年は帰って来ないだろう。帰ってこないどころか、インターネットや電話による連絡もなくなるかもしれない。自分を家族で縛らず、家族も僕で縛られないためにはそうする可能性が高い。
インターネットや電話という手段は、元来の『旅の意味を薄めてしまった』と個人的に思う。歴然たる距離と時間が人と人とを引き離したから、それがもたらした意味がこんにちの旅では、いったい、どれだけ残っているだろう?イスタンブールで、世界一周をしている旅行客の中で、“カッコいい”旅人、“本物の”旅人というのはやっぱりあまり、いなかった。それだけ、今の人にとって「旅」とは娯楽的なものになっている。時代が変わっている。
話が逸れた。
0 件のコメント:
コメントを投稿