2009年6月5日金曜日

雨の一日 畑とたんぼ

どうやら梅雨入りしたらしい。
よく雨が降っている。
もはや太陽が恋しいくらいで。自分が植えた苗のことを思うとね。

6月いっぱいは父の仕事を手伝う。
7月からはまた仕事を探すかもしれない。
いったい僕はどれほど自分を切り替えていることだろう。
5月頭の脱走は、結構な「リバウンド」だった。
無理を重ねてしまっていたし、それで家族外の人間にも「迷惑」を掛けた。
家庭教師でのF.サダテル君。
TOMASでの山本君、山口くん、他。
でも6日間(?)放浪して帰ってきてからは「平然と」生活を送っている。あまり過去に「とらわれ」がないのだ。自分を支配する特定の人格(スピリット)は、用がなくなると次のものに取って代わる。
目的は、家族とできるだけ「接する」ためだ。
僕が家族に伝えたいものはたくさんある。
それらを見せるのは一度に一つしかなく、したがって一つひとつ最も優先のものを見せた後は、次のものを見せるために次の人格を採用する。「呼び込む」というか。だから僕の様子は傍から見て決して「落ち着いていない」だろう。
どうも僕はそういう人間なのである。子供の頃から気の変わり方は激しかったが、2006年に分裂的危機を経てからはむしろ積極的にスピリットを交換するようになった。それが、「僕は“こういう”人間だ」というのがない、という意識を生む。
その場その場で100%入ってくるスピリットを生きてしまうからだ。僕の言動はすべてそのスピリットが決める。
Multi-spiritedness (日本語は検討中)という言葉を最近新たに意識している。
意識の『切り替え』が最高レベル(?)に頻発すると、人は分裂的危機を「乗り超える」。意識の切り替えはスピリットの出入りであり、そこに「忠実」であると、スキルアップしたときになんの迷いもなく最善のスピリットを招待することができる。
それは一種の神業だと思っている。普通の人にはできないから。
僕が喪失した「生きるための希望」を取り戻すことができたのは、そういう能力が「開発」されたからだ。
今はとりあえずMulti-spiritednessという言葉を使う。【多くのスピリット(魂)によって働きかけられる者】、という意味合いだ。日本語は、これから検討したい。もちろん、そういう概念がすでにあるかもしれないので、それも調べながら…。
既存の精神世界の研究もまだまだ勉強しなければならない。
でも今の僕にあるのは、止まることのない無限の叡智の泉、だ。それをこれから適切な言葉で表現していきたい。
とりあえず自分のことを、ひとつの新しい言葉で認識することにする。
精神分裂質を超越したところに現れた、非凡な「才能」だ。

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