今朝実家が寄宿生活塾だったときにつかっていたホワイトボードに父から伝言が付されていた。
【智裕へ
今日もしんどの田んぼで手伝いよろしく。
当てにしているよ。 父より 】
しかし例の脱走の際、足の裏を怪我して、昨日剪定で指を深く切った僕には田んぼ作業は向かない。
「ちょっと無理があるなぁ」と思いつつも、今日は行くのだろうか?
先日、「脱走」は田んぼの作業中にあった。
どう説明したらよいか分からないが、簡単に言えば「嫌気が差し、その不満に耐えることに意義を見出せなかった。」 というか。そんな僕はそのしんどというところにある田んぼから自宅まで約10km(想定)、「裸足で」帰った。足の裏の怪我とは、小さいがそのときにできたいくつかの擦り傷だ。3箇所膿んでいる。
先日、携帯電話の解約手続きをした。
もう自分の中で旅に出ることが決まったためだった。
しかしそこで例の「お声」が掛かり、父の仕事を手伝い始めたのだが...
それも例によって(?)「投げ出し」となった。
これは果たして、家族のためになっているのだろうか。
結論から言う:
「僕は父と、親子でありながら、親子らしい近さはなかった。でも大人になって、日本の社会で生活するうちに、父という人間が理解できるようになり、心的に近づいたというまでだ。」
「それに代わって母とは密接な関係があったが、それは不健康でもあり(近すぎた)、日本に同化する過程ではその感覚も邪魔になった、はねつけた。」
『父は子を知らなかった。(母もまた然り)』
父は僕に対して、あまりに距離を感じてしまっている。だから安易に近づけない。安易に近づくことを、危険視さえしているだろう。そして僕の掲げている「不食」思想とか、精神世界の探求は基本的に相手できない。
じゃあなんで僕はここ、実家にいるのか。
僕がいることは基本的に彼らにとって、「挑戦」となるのに。
僕は家族を愛するために帰ってきた。
自分が勝ち得た希望をできればシェアするために、帰ってきた。
でもそれは、せつないが、ほとんどできない。
時間を掛けて、交流をたくさん持って、僕を「観察」してもらって、そうやって関係を修復するしかない。
「観察」する人間なんて、僕に言わせれば「不信」の塊だ。
でも残念ながら、ほとんど人がそうである。時間を掛けて、他人のあらゆる行動パターンを総合分析(意識的・無意識的問わず)して、「この人はできる」とか「この人なら頼れる」って判断する。
僕は、そうじゃない。それが難しい。僕の生活を難しくしている。
書きたいことがこういうことだったか、ちょっと違う気がするが、また後で続けたいと思う。
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