命を燃やして生きるなら、「旅」がある。無銭徒歩の「旅」がある。
それが多分、僕がもっともこの命を燃やす方法だ。
「金が無くなる」から、生きていくための物資の管理や、瞑想による精神修養、精神世界の開拓(超能力等の研究)、もちろん「不食」も進む。
でもそれを今は葬っている。
それは「家族を愛そう」としているためだ。親を、妹を、兄を家族として愛そうとすることに命を捧げているからだ。
僕は過去にこの家族に訪れる大体のことが分かったとき、「絶望」した。
妹は高校生で妊娠してしまったり、兄は外国的資質で日本という社会に溶け込めず、母と父の人間的な致命的な隔たり、自分が自ら葬った過去の栄光・遺産。
死んでよかった。
無銭の放浪を終えて2年ぶりに日本に帰ってきてからやっぱり自分は間違っていなかったということが分かった。自分で思っていた以上に自分は正しかったということがわかった。親は僕の純粋な反発を受け入れたら最期、親として、あるいは家族として機能できなくなるということを本能的に分かっていたから僕の言っていることには耳を貸さなかった。耳を貸している振りをして、どうにか僕が静まるのを待っている、それだけだった。
親には憎悪がわいた。
今にも親父の部屋に突っ込んでいって、パソコンや仕事の書類関係をすべて二回のベランダから池にぶち込む衝動を、何度も抑えた。
良き母、温厚な母の衣を来て、どこまでも「分かっている振り」をする母を「ショック」を受けるまで突き飛ばしたかった。精神的にも。物理的にも。
そうしてついに2007年の1月、やむにやまれず、日本を飛び出した。
「憎しみ」を乗り越えるために。
「人間」を超えるために。すべて「なかったこと」にするために。
自然農、福岡正信先生の人生観が手伝った:
『なかった。
最初は何も なかった。』
何もなかったならば、「憎しみ」を作ったのは自分だ。
最初は「何もなかった」のだから、それに立ち還ればいい。
「楽しみ」も同時に、「消去」、できる限りの、すべての「リセット」だ。
肉体的な死を迎えるか、それとも、他に道はあるのか。
「不食」思想を含め、キチガイの思想を心の拠り所にした。でも自分がキチガイだとはしないようにした。あくまで謙虚にあるように努めた。
そして少しずつ、世界が拓けた。
セルビアで奇跡的にパスポートが発行され、イスタンブールで日本と再会した。そして「心の友」に、次から次へと出会っていった。自分の未開の能力の存在を認め始めた。自分のというか、「人間」の。
トルコから東は、行かないことにした。
命をもてあそぶべきでないという考えが生じて。
そして10ヶ月ほどかけてスイスに戻り、張り合いはなくなってきたので、「日本に帰ろうか」と思った。「張り合い」というか、人生のバランスというか。
そして日本に帰ってから5ヶ月がたとうとしている今だが、
多少の失望は起こった。それでもまだ僕がここ実家にいること、その全体性に動く余地を見出してきたから、ここにいる。ここ3週間くらいは朝から晩まで父の農作業を手伝っている。
僕にはこだわりがない。
27という年で「就職しないのか」と言われるけど、立派な職業に就こうなんて考えはない。その気になればドイツ語や英語を使ってのよい仕事も夢ではないが、それ以上に『自分の精神世界を生かす』生き方、多少「金」は少なくたって、精神を満たす生き方をしようと、思っている。最悪、家族が今の僕を扱えず、僕の見地を軽んじてさげすもうものなら、東京のホームレスと一時「たむろ」してもいいと思っている。僕は乞食のような汚らしい格好をしたことはないけれど、あえて汚くなる必要はないけれど、そういう連中とたむろすくらい訳はない。
僕の関心は、どうして今の自分で「清い」生き方ができるか。
「清い」というのは、「汚さない」というか。
自分の魂からまず、世界をよごさない。けがさない。できるものなら汚れを吸い取る。スポンジのように吸い取って、消してしまう。それがこの今ここの世界でどれだけできるか。
この世界は、特にここ日本の首都圏では、「神」はいらない。「神々しい存在」が、要らない。社会自体がそういうものを葬っている。却って「望まない」。
だから「神」も、無理には現れない。
「神」はそこら十にいる。
それを見ようとするかしないか、基本的にはそれだけだ。
都会の人間はそういうものに期待する気持ちをどこかで持ちながらも、それを宗教でもなければ全面的に出すことを恥じ、畏れ、閉じ込めている。自ら自他の神聖を葬っている。
だらだらだらだら。。。
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