2009年6月4日木曜日

分裂質について その2

 昨日は「分裂病」もしくは自分の、社会生活の厳しいほどに発達してしまった「過敏性」というか、「落ち着きのなさ」についてここで考えてみたかった。
 でも結局、そのときの発想に任せて書き殴っていったら、最初に意識したものとは違うものが仕上がった。決して、悪くは無いのだが。

 自分が「分裂病」ではないにしても、精神的に「分裂質」であることは、親も認めている。親、少なくとも父は、それが両親の人間的隔壁又は違いに寄るのだろうと言ってもいた。そうだ。何も僕は自分で好んで分裂質になったんじゃないやい。

 でも実はその「分裂質」という性質、そこほど困ってはいない。
 自分がそうなったことが納得できている上に、逆に言えば自分は、「分裂病」相当の精神的逆境を乗り越えてきたと思う節もあり、生活でも、これといって障害はないからだ。ただ今問題なのは仕事につけないことだ。1月終わりにヨーロッパから日本に帰国してきてから、いろいろな仕事(アルバイト)を試してきたが、どうも仕事で「安定しない」。
 日本に帰ってきたのには少々の借金を返済するという目的があったから、それができないのは自分でも「面白くない」。
 なんで仕事ができないか、だが、たぶん、自分で思うには2年間の放浪そして「不食」思想の定着が、僕が『どう生きるか』を分からなくしているんだ。元の生き方はできないし、新しい感覚で社会に根を張るにはそれなりにどうしても、時間がかかってしまうらしい...。
 しかたがなく、旅をしたい、旅をすべき思いも抑えて、あえて時間をとってゆったり構えるようにしている。その必要性は無理に問わないで...

 
 

 今日も父の農作業を丸一日、たくさんやってきた。
 今日は昨日と違って気を害することもなく、むしろ父と仲良く、仕事仲間達とも一緒に田植えをやった。思ったほど仕事はできなかったが、頑張ったのは確かであり、良い一日だったと、思う。

 「明日は休みな...」と 父には言われた。
 僕はやってもよかったが、そう言うなら…と、一日違うことに時間を使おうと気持ちを入れたまでだ。もう一度仕事を探してみようか?


 今日はとうとう、「不食」の著者山田鷹夫さんのミクシィページにコメントを入れた。
 僕のような「不食」狂(教)の人間が彼に連絡を入れるというのは、ただならない。僕も自然とこれまでの、不食と出会ってからの4年半のすべてを出さずにはおれないのが目に見えているからだ。
 そして。
 僕のコメントに対する山田さん(以後「(露天の)鷹さん」とする)の反応は温かくて、それはすごく嬉しかった。僕の中での「不食」を、鷹さんを前に提出しよう。こんなにある意味でわくわくすることはないかもしれない。


 日々いろいろあって「旅」は棚上げ。
 決しては却下、決しては却下の日々が続く。
 これも必然なのだろう... あまり面白くないのだが。

 また。
 

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