2009年6月25日木曜日

仕事日和

今日は曇り一日、仕事日和だった。
今日は一日畑で仕事。
トマトの手入れ、葱の手入れ、ニンジンの床作り、草むしりなどをやった。

農作業というのはシンプルだ。時間に駆られるよりも植物一つひとつと交流しながら仕事は進む。僕は農業などまともに勉強したことはないけれど、「農業」とは何かを考えると人間の生き方が浮かび上がる。機械化した農業は僕からすればもはや「農業」ではない。それは自然を精神的なものというよりはモノとして、ただ「形」として食べ物を生産する、ちがうものだ。

食べ物とは何かということをよく考えてきた。
そして僕は「精神的滋養」という重要な観点を見つけた。実際に、この肉体行動としての「食べる」ということがどれだけ実質的な「生命エネルギー」を生んでいるだろうか?実は「それらが自分たちのエネルギーを生んでいる」と思い込んでいるだけで、私たちは極めて「惰性」という性質で食事を摂っているという事実がある。

僕の連続した完全断食は、10日間だ。
「不食」という思想の真偽を確認したとは言い切れない体験レベルだ。
でも今はこれまでの食事研究によって、「不食」―“人は食べなくても生きられる”―を「信じ切る」ようになっている。

体験的確認が今できないでいるのは身体的問題よりも社会的問題にある。食べないで生きるということが社会生活で何を意味するか、そこにある。

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7月から掲げる目標について、考えていた。
『仕事をまた探し直す』
1月終わりに日本に帰ってきてから、2回仕事に就いた。仕事と言ってもアルバイトだが、2月3月都心の警備会社で、4月を家庭教師と個別指導塾の講師をやった。
事情があって始めてはやめ、始めてはやめた。その事情とは、簡単に言えば自分の、「社交性」の問題や、家族との折れ合いの問題から。。。
2007年4月、スイスから歩いて旅立ってから2009年1月までのうち、イスタンブールとセルビアの合計5ヵ月間を除いて、僕は露天の下の一匹狼だった。社会に属さなかったというか。それで生活感覚がかなり変わったのだが、それが社会生活に戻る上で邪魔をしている。
 真っ先に挙げられるのは、「過敏性」だ。旅では日々まさに「野性動物のように」周囲に神経を張り詰めた。その名残で自分が求めずともキャッチしてしまう他人の情報や、社会での自分の立ち振る舞いはどうしたらよいのか分からないことがあり、細かいところで結構人間関係がギクシャクした。今だってそれは多少あると思う。

 自分に見えてしまう他人の情報。
 それを見て見ぬ振りというのが嫌いで、時にそれを表したが、大概それで「失敗」をした。
「見えても「見えない自分」を演じなければだめである。無理なく。」
 最近の認識だ。でもそれが結構難しそうだ。
 自分の感覚を人を見るために集中・練習させれば、一種の占い師か、スピリチュアヒーラーにもなれると感じている。でも何も急ぐ必要はないと思っていて、別の事に時間と労力を使っている。
 そして...家族と社会生活を送ることで僕の感受性も抑圧している。

 でも結局は『切り替え』の早さ、迷い無さかなと思ったりする。
 自分と言う人間はそうでなくても発想やアイデアが世間とずれている。でも学習力はあるから仕事もすぐ覚えるのだけど、そこであまりにパーフェクト過ぎてもいけないので、「手を抜く」必要なんだが、その抜きどころが分からないのが僕だった。それで無理をしてしまって、結局仕事はやめている。やめた理由はそれだけじゃないが。


 またつづく。。。

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