一つ前の日記を書いた後、晩ご飯を食べた。
そこで家族、とりわけ最近父のお手伝いばかりで交流の乏しい(それでも日常的に会ってはいるが)母や妹達の、僕に対する「不信」が明らかになった。
それは言い換えれば「不食を確信している僕」に対する疑いである。
晩御飯は残りものを使った簡単な焼きうどんだった。
しかし量が少なく、後はどうするのかという話になった。
すると「足りない分はミルクがゆ(母がすっぱい梅ジャムといっしょにデザートとして作ったもの)だね」とY(一番上の妹)は言った。
それに僕は:
「えー。そんなんだったら僕食パン買いに行くよ。」
この発言に思わぬ二番目の妹(M)の突っ込みが入った。
『ともちゃん、「食べ物にはこだわりが無い」って言ってたじゃん…』
たしかに。
僕は食べ物にほとんどこだわりがない。
でもこの妹の発言は、僕の不食思想に対する根本的な不信から発していた。
でもではなぜそう言ったのか。
僕が不満をもったのは「十分に食べられないから」ではない。
炊事をやる女性陣(父と僕が今の家族の「男性陣」であるのに対して)のいい加減さだ。
そういう意味での
―えー。そんなんだったら僕食パン買いに行くよ。―
だった。
その後、上の妹Yや母からも僕に対する不信がちらほら伺えた。
僕が父との農作業でどれだけはかどっていても、家に帰ったら妹や母を「やさしく相手してやらねばならない」という、無理。
僕が家族を統率すれば大方問題はなくなるが、そんなこと親が認めるはずもなく…。
皆、多くの人間は、食べることで自分の生きるエネルギーを培っていると思っている。でも実は「精神的滋養」、これも食べ物とよく結びついている。上のMの勘違いは生意気だったけど、僕はそう言ったことで、言ってみれば、
‐それなら、お前(達)の愛情なんか要らないよ。自分で補うさ。‐
という気持ちを表明した。
「精神的滋養」・・・これは自分の近い人間関係で、大切なものだ。僕は今、かつて憎んだ自分の家族と、関係を修復する狙いで実家で生活をしている。それで、家族とその「精神的滋養」の補い合い(家族としての愛し合い)を試みるのだけど、難しい。ほんとうに難しい。
日本に帰ってきてから6月下旬で 「5ヶ月」となる。
どんだけこの「不信の家族」を「信用・信頼の家族」とすることができただろう。はっきり言って達成感は薄い。
母がどれだけ自分の子供達を知らなかったか、分かった。
父がどれだけ自分の子供達を観察してこなかったか、分かった。
僕が2006年、あれほどの「狂気」に陥っていながらも!!!
ある意味、馬鹿な親である。
盲目な親である。
哀れなくらいに。
親は自信過剰であった。
あまりに自分達の「教育」に自信があって、省みること(子供の身になって)が少なかった。
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