連日父と一日共に動いて、父を知る。
同様に、母も知る。
いったい、この二人がやらかしたことは何か...!
二人とも、自我が強かった。「自分」が強かった。
『あなたはこう?でも私はこう!』って早いうちから分裂していた。
そして結局彼らがやったのは、夫婦としての機能不全を子供で解消するというようなこと。父が子供に「1」!と言ったら今度は母が「-1」!と言った。母が「2」!と子供に期待したら父は「-2」を期待した。
そうして子供の元気が続く限り子供を翻弄した。
僕は兄妹の中でもっともエネルギッシュだったから、当然か、もっとも振り回された。もっとも邪魔された。
連日の親との関わりで、その辺のことがいまだに「ほとんどわかっていない」親がいることが、わかった。
では親がやってきたことはそんなに「ひどいこと」だったかと言えば、「ちょっとまって...」と思う。
彼らは彼らなりに「愛情」を持っていたし、世俗に流されずに宗教や哲学や倫理的な教育を早くからやって、僕らの「独自性」をはぐくんだ。
「父と母」―彼らはセックスを究めなかった。セックスという分野はあまり探求しなかった。それよりも、この特異な家族、非常にユニークな「小川家」の形成を、自らの使命として維持・発展に寄与した。その心は「伝わってくる」。
でも僕が19で初めて彼女ができたとき、かつてない密接な(心の)交流を経験した。彼女とはスキンシップもなく別れてしまったが、彼女がみせた「感受性」は自分の親がごまかしていた本来の「男女の通じ合い」という、そのものだったと思う。僕はそこでやはり「畏れた」。心が通じ“すぎる”のを、畏れた。
東洋人の父と、スイス人の母。
この二人の人間的「隔たり」というのはすごい。
僕が精神分裂質に悩んだのは不思議じゃない。
日本人にも西洋的な人間はいるし、西洋にも東洋と共鳴する人がいる。でも二人はどういうわけか結局は自分のオリジン(起源)を重視し、「異質」同士でぶつかるようになった。母は西洋的なものを求め、父は日本的なものを求めた。「振る舞い」や「善悪」の判断に及ぶまで...
両親が見事に「間逆」を向いた。何かあればお互いに邪魔し合い、時には傷つけあう関係になっていった。
そんな家庭には当然「不健全な」空気が溜まる。
今こそ子供がだいぶ発言力を持っているけれど、一昔前はひどかった。言葉通り僕など、「振り回された」。父の気分によって、また母の都合によって。
不健全な空気が、僕より12も年下の妹などに影響している。昔は、僕が小さかったころはこの家族にも独特の平和があったけれど、それがない今、それが壊れ始めてから大きくなったその妹は、少なからず犠牲者になっている。
話が逸れた。
(最近は無理をしているのだろうか、話が逸脱する)
両親はひょっとすると、自分たちのやっていることに気づいていなかった。
ただただ「自己を信じて」、最善を尽くして子供5人を教育した。
その「理解のなさ」は、最近、驚く。
よくまぁ僕があれだけ「おかしく」なってもこの二人は微動だにしなかったな...、と、『驚く』。憎しみを克服した自分はそれはそうと認められるが。
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昨日だか、おとといだか、『40年間変わらぬ人間』ということを思っていた。
人間はある一つの自分で確立すると、それで平気で40年生きる。もっとかもしれない。
僕の父親がそうだと、そんな気がした。
「本当に、父は「変わっていない」んだ」
「これでよい」とした自分を10代後半から行き続けているような感じがする。
(どうも調子がおかしい。
このまま続けてもろくでもない気がするので中断...)
アデ。
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