2009年6月24日水曜日

雨 休み

 今日は雨のため作業は中止となった。代わりに明日が作業日となる。朝はかなり本格的に降っていた。外に出ないのは懸命だと思う。勇んで田んぼの草取りをやってもいいけれど、昼にはあがるしかないだろう。

 僕は農業というのはすばらしい仕事だと思っている。「自然」との呼吸を合わせた生き方が多かれ少なかれそこにある。日本の大都市の人間が忘れているのは他でもなく宇宙人ではなく地球人としての自然との交流だ。花見をしたり、休みに登山にいったりキャンプをしたりすることが自然との交流だと思っている人は多い。それも交流の一種ではあるだろうけど、日常では何をやっているかと言えば雨天を憎み、風に帽子を取られることを不快に思っている。ここに、文明人間、都市人間のどうしようもない誤解、救いがたい誤解がある。
 昨日ラジオでこんなことを言っていた:
 「雨ばかり降っても困りますけどねぇ…」
 「水不足の地域もあるそうですから。」
 「“空の水道が調節できればいい”んですけどね、そうはいきませんねぇ…」

 ちがう。
 今に人類がすべて自分達の望むままに世界を動かしてごらん。雨の降り方、台風の進み方、火山の活動、季節の調節、云々。そこに「安らぎ」はない。自然の災害回避や農作物の確保が難なくできるようになったら、安らぎを得るかって言ったら、そんなのせいぜい一世代の喜びである。次の世代はそれが当たり前の世界に育つから、それがそうでなくなった時の脆さといったらない。
 今の子供達が甘やかされているというのは他でもない。精神が貧弱になっている。困難に立ち向かうなんてバカのやることだと思っている。賢く抜け目無く生きようとしか思わない。人間として、冷めた生き物だ。

 東京は特にすごい。
 ここに住む人間はある意味で人類(高度近代文明)の最先端を歩んでいると思うけれど、同時におかしさの最先端を歩んでもいると思う。ある社会の人間の精神がある程度以上「独走」した時、何が起こりうるか。このわずか50年の間に生活を激変させ、そこになんともなく寄りかかるようになっている人間が、今のシステムが壊れたときの混乱といったら、恐ろしい。
 僕はだから、この世界に組しない。
 堂々とふつうに「後れた」生き方をする。そして身の回りの人間には僕のとらえるあるべき自然生活を提唱する。

 

 気づいたら猛脱線していた。(いつもだが)
 7月から新しい挑戦をしようと思っているが何にするか、考えている。断食もいいし、仕事を探すのもいい。今考えている。

 とりあえず午前中、ここまで。

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 午後7時過ぎ。
 午後は昼寝をした。
 3時間くらい寝たかもしれない。怠けるのを楽しんだ。何もしないを楽しんだ。

 上に書いたのを読み返せばずいぶん突き詰めてるなと思った。
 僕は「アンチ文明社会」という立ち位置をとっているけれど、都会生活を嫌ってはいない。「好まない」に過ぎない。 「時計」と「約束」と「仕事」に追われる生活を好まないに過ぎない。それが好きな人はそれをすればいいと思う。


 妹の話を少ししたい。僕には妹が3人いるが、その一番上、5歳下の妹だ。
 僕が大学をやめ自分の内面でひどく苦悩したとき、妹が「妊娠」をした。当時はまだ高校生の彼女だったが同校の男の子との間に子供ができた。僕の親は「中絶」を嫌っている(倫理的に認めていない)。妹はまだ、自分で判断がつけられなかった。男の子の親は「中絶が当然だ」という考えだった。完全なる対立だった。

 2007年4月、妹は男の子を産んだ。名前は「じゅん」だ。
 去る4月「2歳」になり、非常に「元気に」「健康に」育っている。妹はシングルマザーのため、実家で生活している。週に何回かはアルバイトにも出ていて、その間はおばあちゃんが面倒を見ている。彼の方はうわさによればインドに行っているというのだが…
 でもつくづく感じるのは、「子育て」は大変だということだ。妹は今自分の人生をじゅんのために全面的に捧げている。見ていてすごいことだ…と思う。

 という僕自身は「恋愛」のれの字もない。今は気配もない。僕は20ごろからすっかり家族のことを扱うのに精一杯だ。そりゃあ、彼女を作って町へデートしに行ったり、同居したり素敵な生活を送ることだって望めばできることだ。でも親や兄妹のことを放っておいてそういう勝手をする気には、ずっとならなかったし、今ではヨーロッパの旅を経てぜんぜん違う生き方にも興味がある。かつては憧れでもあった世間一般の「若者ライフ」が、今の僕には魅力がとんとない。

 概して、「若き時代」をとことんまで「犠牲」にした僕だ。いまさら過去の憧憬を追いかけ直すつもりはない。今は、今見える希望を追いかけていくことだ。

 今の希望とは…
 「夢に燃えている」という感じではない。
 今の生活が「有望」だという気もしない。まさに『模索中』だ。
 夢を語るのも悪くない。でもそれで夢に酔ってもしょうがない。今は時にきらめきのように見える可能性を慎重に吟味していく時だという気がする。大きなことをしない。大きなことをしない方がいい時かもしれない。

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