12月22日午後6時、実家に顔を出した。
実家を訪ねるつもりはほとんどなかった。軽い気持ちで訪ねるべきではないと思っていた。
でもひょんなことから、神奈川県「平塚」にいた時、軽い気持ちで訪ねてみようと思った。そして30kmくらい歩いて一気に相模原に帰った。
実家では妹達には明るく迎えられたが、父は初め、冷たかった。「今晩は泊まっていいが明日は…」 というようなことを言われた。父がそう出るのは分からなくもなかった。
母は「居てほしい」という気持ちをぷんぷんさせた。「クリスマスイブの晩だけ、また来る、歌を歌おう。」と僕は言った。母は歌が好きで、特に「クリスマス」は母にとって大切なひとときでもある。
一泊で旅を東京へ再開するつもりだったが、「出よう」と思っていたところに父が来て、「明日の晩にまたくるならそんなめんどくさい事するなよ」といった。言葉に甘えて僕は、居ることにした。
それでもやはり、家族は「刺激的」だった。普段、放浪者として「歩いて寝る」以外は何もしないような僕にとって、人の出入りの激しい場所は家族でなくたって刺激が強いのだ。
24日の晩、僕はまた「どつぼ」にはまった。イブの晩餐に「ラザニア」を作ったのだが、肝心の食事には出られず布団に入って寝た。一緒に調理をした母の世界に触れすぎた…というのが言い訳になるだろうか。
そして今日、昨日のことは構わず家族と和やかに過ごした。
だが明日はいよいよ、「旅」の再開である。
実家に居る間に、インターネットをたくさんさせてもらった。半年間手をつけなかったネット上にはやりきれないほどの連絡が入っていた。実家には旅で出会った方々から郵便物も届いていた。すごく嬉しいものばかりだった。そしてこの3日間、何時間もインターネットに使った。それでもまだまだ事足らない。
特に東欧の出会いからの連絡は至急で、無銭で旅する自分が罪な気がするほどだった。
このブログの半年前の日記を、もう一度読み返すこともできた。
ちょっとやっぱり「実家に居る」ということにこだわりすぎてたと思う。ただ日本にいるということだけで、緊張していたんだろう。でも6月の1ヵ月間に書いたもので、『自己紹介』は十分できていると思った。もう、家族についてここに書く必要はないと思った。
これからはこのブログは現状報告メインで使いたい。
今回初めて、ブログにコメントが入っていることにも気が付いた。ありがとうございます。ちょっと時間の都合で一つひとつにお答えできるかわかりませんが、かならず、お応えします。
次に、今年の1月にフランスでまとめた『今できる不食総括』を掲載します。今の自分であったら違う言葉や文章を使うと思えるところ、捉え方の違いなどがありますが、1月の大作ではあるので掲載しない理由はないと思います。
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