今回の帰郷で過去の書きものがもうひとつ発掘された。
2004年、不食思想に出会った頃、大学をやめるときに書いたものだ。
自称の「卒業論文」だ。 22歳だった。
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自称卒業論文
僕の卒論
“大学で学んだこと” 私の最後のC大生活の模様
16.11.04
午後11時過ぎ 今日は火曜日。授業は3つ、2・3・6限。2限の授業はレポートを提出しなかったのでもう単位は半分あきらめているので、大学には行ったが授業には出ず、天気がよかったので学部棟を出たところにある桜の下に、弁当を買って座った。
最近始めた英単語の例文集をぱらぱらとめくりながら弁当を食べ、すっかり葉が散ってしまった桜の下で、まだ確かに暖かい太陽の光を恋しがりながら、まもなく冬を迎えるとは思えない穏やかな自然を満喫していた。私はこの時、その後のことなど考えず、ただのんびりと、気の向くままに食べ物を買い、気の向くままに建物には入らず外の自然に身をさらした。何も考えない。きっとそれがしたかった。最近は色々なことがあって、考えてばかり。塾のこと。最近あった友人関係のこと。家族のこと。自分の将来のこと。 今日の過ごし方なんかは、最近の自分の典型だと思うので、書き残しておきたい。
焼きそば・タコのメンチカツロールパン・チキンロールパンを腹いっぱい食べた後、雲が出始め、日は陰った。たちまち日光がなくては外にいられないほど寒くなったので、物寂しさに本やCD、お菓子を売っている大学生協に足は向いた。わけもなく法律の国家試験の過去問を開いては、パラパラめくったりした。下手な本屋より多いファッション雑誌、スポーツ雑誌、なども眺めてみた。興味をそそる表紙はなかった。次に、文庫本の方にも行ってみた。たまに面白そうだ、と衝動で買ってしまう本があるが、今日は見つからなかった。「そういえば最近本を読んでないなぁ」と思った。でも何も読む気がしないのも分かっていた。一時期衝動のままに買った幾冊かの本が、読まれずに部屋の本棚に眠っている、という意識があったからだろうか。「今は本ではない」と思った。本屋に行くと割りとよく寄る語学参考書のコーナーにも行ってみたが、手にとって見るほどの本はなく、ただ素通りした。
次はたしか、学部棟に向かった。生協は大学内なのに授業のチャイムは鳴らないのか…と思いながら、「することがない」、「したいことがない」、というもの寂しさはそのままに、そのままふらふらと学部棟に向かった。 一人暮らしになってからこのさみしい男をよく飲み会に誘ってくれたウラが、一学年下の女の子達と2階ロビーの机に座っていた。僕には彼に貸して返してもらってない金があった。返してもらう話をしていたので、行ってみた。彼もまた、みんなとはいるものの、なんかさえない顔をしていた。お金はなく、明日には、という話になった。 ロビーの隅には、同期の連中の顔もあり、そこを通り過ぎてウラのところへ行ったのだけど、とりわけ話すこともないので、目の合いそうなところで自分から目をそらした。なにやら重要な話し合いのようにも聞こえたが、確かフジイくんといった、その人が顔を上げた瞬間、私は、不自然になってしまったが、顔をそらせた。彼とは確か何かのイベントのとき、そうだ、彼は学部10周年祝いのイベントの代表者を務めていた、彼とはそれ以来の知り合いだが、挨拶はするぐらいで、話をしたことはほとんどない。だから挨拶さえしなくていいような感じでさえある。 大学も4年目になって、知らない顔の増えた学部は、やはりどこか、居づらい。「知り合いになればいいじゃないか」というかもしれないが、昔から集団の輪に入れない自分、そこではなにか偽って振舞ってしまう自分があった。だから知り合いになってもうまくやっていくのは無理だ、と、そう勝手に思い込んでいる面もあるのだろうが、実際、「違う」自分もいる。「その兼ね合い」という技は私にはまだ難しい。そもそもそんなことできるのか、それより自分に合う仲間を探してそういう人たちとだけ関わっていくほうがずっと自然で無理がないのかもしれない。「私はまだまだ自分自身を知らない」と思った。
しかしそういうわけで学部という存在自体、あまり居心地のよい場所じゃない。時間があれば、「帰って自分の部屋の掃除でもしたほうがマシだ」となる。今日はまさにこの流れで、私は3限の授業のことが頭をよぎる前に学部棟を出てしまった。 私の足は再び生協へ向かった。寂しさをおいしい食べ物でまぎらそうとした。苺クリームのはさまったシリアルクッキーと小さなチョコクレープを買い、いよいよ足は本格的に自転車置き場に向かった。雲のせいで少し肌寒かったが、生協から自転車置き場までの500mくらいの道のりを歩くのは気持ちよかった。澄み切った空気と、きれいな空、静かでのどかな東京八王子の片田舎。太陽は力と色を変えて辺りはもう夕方みたいになっていた。
(大学に来たけど結局授業も受けずに帰るんだな。)‐心で思った。(授業に出ても、講義の事細かい話なんて頭に入る状態じゃないよ。)‐自分を正当化した。(じゃぁもうこんな状態がずっとじゃないか、何のために大学に行ってるんだ?)…元気なときなら、この疑問にも自分に正当性を立てようと考えるのだろうが、最近はずっと、そんな気力がない。今日も、それ以上は考えなかった。 まだ、なにかもの足りなかった。
これは心の飢えだ。完全な。今日は朝から、借りていたブルース・リーと有名AV女優のDVDを返す日であることが頭にあった。きっと、ただそれだけは、今日の予定として昨日くらいからリストアップされていたのだ。以前に、レンタル品を返し忘れて、溜まりに溜まった膨大な延長料金を払わなければならない、という“悪夢”を見たことがあるくらいだから、忘れるわけもなく。
そして私の目的は、当然ながら、返すだけではなく、さらに新しいビデオを借りることにあった。返すだけだったら、心のもの寂しさは癒えない。むしろ労力を使う。やはり新しいもの、刺激のあるもの、が欲しくなるのだ。次々とこれまでに感じたことのない新鮮な、“刺激”があること。新鮮な気持ちでいることが幸せだ。そういう意味では今日は、性的な刺激のとりこになり、メスに飢えた猛獣と化し、ただただ、刺激を求めた。 今日は50円の割引券3枚を使って、3本のAVを420円で借り、家に帰って2本はみた。早送りで一番刺激的なものを見つけるとそこで抜いた。その後はどうしたのか、はっきり思い出せないが、そのまま抜いた後の脱力感で、横になり、眠った。
午後9時、目が覚めた。起きたい気がしなかった。楽しい夢でもみて、そのまま朝まで寝てしまっていたかった。しかし、満たされることを求めても、100%満たしてくれるものなど現実にはそうあるものじゃない。あったらこの世は天国と呼ぶべきだ。満たす手段にも限度がある。最近は本当によく寝ているが、働き通してくたくたになった体を横にして休む時の、あの睡眠に比べたら、私がいまやっている睡眠は、なんと味のないつまらないものだろう。でも、したいことがないのに起きて、あれこれ最近のことで頭を悩ますのは自分にとってマイナスだから、まだすこしでも、気持ちのよい睡眠を私は選んでいる。そうやって、最近は、きっと今年の春休みくらいから平均睡眠時間が10時間くらいあると思う。
9時すぎにおきてテレビをつけると、プロジェクトXがやっていた。Jリーグを立ち上げた人々の物語。日本に今ほどにサッカーを普及させた契機となったプロサッカーリーグの発足の裏には、一人の、若くして大病に自由を奪われた人物の人生があった。26歳で肝臓摘出。週3回の人口透析。そういうハンデを負いながら成し遂げた数々の功績。すごいと思った。
その人は言っていた:「思いの強さが、ないもの(フルに使える体)をカバーしてくれた。」この言葉を聞いて、私は軽くにやりと笑った。そうなんだ。そういうもの(自分のあり方次第でどうにでもなること)がやっぱあるんだ。と思えたから。もともと自分はそういう、ある意味で超人間的なもの全般に対して興味を持っていたから、その人のことばはまさに私に対する言葉だ、と思った。
この後、またオナニーに走った。勃起するとすこしペニスが痛んだ。もう一度していたから。でも、まだ見ていないビデオがあったから刺激を期待して、すこし強引に、抜いた。 その後、シャワーを浴びた。お風呂に入りたい気もしたが、時間もかかるし、あまりそこまでする気にもならなかったので熱いシャワーを浴びた。 以来ここに書き付けている。
もう午前2時をまわっている。疲れてきたのか、始めのように文章を考える力がない。気持ち悪くなるまえにやめよう。
翌日(17日) 私は今、自分の将来を考えて、「私はこの社会が性に合わないから何をやってもうまくいかない、やっていけない」と思っている。そのために、大学をやめようかと思っている。 2年くらい変わらない、相変わらずのテーマだが。
私は大学を卒業し、自分が会社に勤めるということを考えるとき、基本になる“経営”とか“利潤追求”とか都会のメインストリームの人間がする考え方に合わない。 これは大学に入って経済学を学んだときに、「金銭の集中するところに人が集まる」ということをどこかの先生がおっしゃったときに、理解しつつもその考え方には賛同できない自分がいたのが象徴的だった。ビジネス界はお金の動きがまずあって、その結果として人が集まったり集まらなかったりする、というように世界をとらえる。人間の社会を、金という世界でとらえるのは、人間の心とか、信仰とかを軽視することになるような気がして、私は今でもやっぱり基準をそこに考える気にはなれない。でも、きっと、ビジネスで成功する人というのは、その点は私のようではなくて、功利的に考えることができる人なのだろう。抜け目のない鋭い観察で、何が富をもたらすかということをゲームのように楽しむことができる人。そういう人がビジネスをやるべきだ。私はそういう考え方ができない。幼いときに培われた価値観では、富を追求することが、特にそれが自分のためであるときはなにより「よくないこと」・「非道徳」、さらには「悪」という感覚があった。
「情け」、これが一番の信仰だった。 でも今は情けも時には「醜い」ものだと思う。情けですべてを解決しようとする人は、他人に強要する面があるから。同情によって、他人に同情を期待して事を収めようとするところだ。(私の家族の母や兄は、全くそういう人間だ。母や兄のその面には私はアレルギーを持っている。)
だから大学に入ってから、経済学の基本的な考え方、「人は自分の利益を最大にすべく行動する」というものの見方に重要な意味があるということがすこしは共感できるようになった。でも、まだまだ、この社会が経済によって成り立っているという事実を目の当たりにしながらも、私はそこには入りきれないでいる。それでいいと思っている。 だから会社とか、多くの人々の中で協同作業で働いていく場合、どこかで違和感を感じて、違う自分を主張するか、協調を示さないことで、そこからつまみ出されるかもしれない。摘み出されなくても、同僚たちや仕事が、自分とどうにも合わないと感じてしまったら、仕事に「やりがい」やそういう生き方自体に「生きがい」を感じるのは、難しいと思う。
どう合わないと思っているのかは、例えば: 節約(消費)に対する考えかた。興味の対象(宗教・人生観)(←これはあまりにも抽象的だが)。 節約に関して言えば、使い捨てという消費形態が人々の考え方に浸透していること。一つのモノをとってもそれをどう扱うかにいちいちこういう違いがあるのだから、なんともやりにくい。
例えば、ノートに落書きをしている子供を相手に「もっと紙を大切にしろ」とか言うとまず相手にされない。(まぁ中学生とはそんなものだ(節約になんて一番興味のない時期だ)といえば、確かにそうだ。なら、自分は「大人」であるから、むしろ子供を指導する立場にあるのだから、その点で子供たちを社会のメインストリームに置き換えて共感を求めるのは間違ってはいるかもしれない。)
でも何か日常生活などで、根本的に違いを感じる。 興味の対象、宗教観とか人生観なんてものは日本人だって一人ひとり全く違うのであるから、これについてまとまったことを書こうと思えば何十ページではすまないだろう。
…いや、まてよ。こういうことではないかもしれない。問題は、何が違うか、ということではない。(一度書いた文に修正を加える中でちょっと思った) 問題は、違うところを明らかにすることよりは、私自身が、「違う」と認識していることにあるはずだ。
私は、まだまだ他人の考えていることが理解できない。他人の気持ちを察することがへたくそだ。かなり表面的な、浅はかな観察でもって、他人のことを理解したつもりになっている。ふと耳に入った言葉や、ちょっとしたしぐさで物事を判断する。全部自分の中で考えて、他人になかなか心を許さない。勝手な妄想で判断しているところがある。小さいときからの癖だ。親を見て育つ子供の運命だ。(昔よりはやわらかくなったとはおもうが)
今年の春、家族会議があったとき、母親のそういう一面を批判したが、自分もまだまだそういう面があるぞ。 これからスイスに行こうがどこに行こうが、他人に心を許すということは、必ず必要になってくる。単なる甘えでなく、めりはりのある、雰囲気を和ますような自由なあり方は、これから自分で模索していかなければならない。私はすぐに「甘えだ!」としてしまうから、なかなか心を許すに至らない。すぐにはできないだろうが、それをしなければ、頭の中で凝り固まったワンパターンな考えしかできない、不自由で不幸な人間になってしまうだろう。今自分が親のことを見ているような。 つまり、「違う」と認識するのは自分が他人を理解できないからであって、ちょっとしたことで他人を自分とは違うものと感じてしまうからではないか。 人を深く見つめないままに。
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