この旅をしていて何度か体験的に学んだことがある。目的意識が低いと力が出ない、ということだ。
この時の自分がまさにこれだった。
ヨーロッパの北回りなんか、どこか、つまらない。
そしてどこか自分に“合って”いない。
ドイツPassauでまだスイスに帰れないと思ったのは事実だ。だから進路変更したのは間違いじゃなかった。でももしかしたらその時の意思変更「ヨーロッパ北回り」というのが派手すぎたのかもしれない。
そしてこの時、何もない自然の中で途方に暮れながら、くやしくもまた意思変更をすることになった。
「アウシュビッツを見たらスイスに帰る!」
そう気持ちを入れ換え、過去のことは構わないようにした。
初志貫徹しない、そして気分屋という自分の嫌いな、自分の性格、そしてまさに自分の弱み。
しかしそうやって何度か意思変更を自分に許すうちに、今は意思決定も前よりうまくなってきていると思うのだがどうだろう…。
とにかくそうと決まった僕には、エンジェルのサポートみたいな事が起こった。
前向きに歩き出した僕をすぐピオトレックという運送のドライバーが拾ってくれた。英語ダメ、ドイツ語ダメ、かろうじてセルビア語で会話を試みるが、お互い馬が合いそうなのにお互い伝えたいことが伝えられない。
もう忘れたが25kmくらいか乗せてもらい、最後には自分の仲間がオシュビエンチム方向へ行く者がいないか無線で調べてまでしてくれた。
そして… わずかだが、お金をもらった。 断ろうとしたが、もはや断れなかった。
これは非常に有り難かった。それによって少しアウシュビッツミュージアムの情報を得ることができ、「ミクシィ」にも一報を入れることになった。
そして翌朝、更に出会いがあった。
ヨゼフというドイツ語を話すおじさんだが、橋の下で泊まったところ、早朝そこに1人のおじさんが狩猟で獲った子ジカの頭蓋骨をブラシで洗いに来たのだが、これもまた印象的な出会いだ。
最初目が会うや、言葉を交わし、自分が徒歩でヨーロッパを旅してきたというと、呆れて、
「一人でやっていな」
といわんばかりの反応をされ、会話が終わった。
自分は日記か何か書きものをしていたが、おじさんも黙々と川で骨を洗い始めた。
5分くらい沈黙があっただろうか、急に声を掛けてみる気になって
「おじさん何やっているの?」
と聞いてみた。すると急にまた会話が始まって、間もなく、
「朝食でも食うかい?」
とまるで別人のように明るく自分の家へ誘ってくれたのだ。
アパートに入ると部屋には壁一面に鹿の頭蓋骨が飾られている。よっぽど狩猟が好きなんだなと思った。後にはドイツ製の狩猟銃を持たせてもらった。重くてびっくりした。
このヨゼフがまたお金をくれた。朝ごはんを出してくれ、コーヒーをくれ、インターネットも少しさせてもらった。
最初の彼の呆れ方は何であったのだろう。しかしそれらすべてが済んで街の中心まで送ってくれた時こんな事も言っていた。
「僕はふつうのポーランド人じゃあないんだ。」
と。
そして何も言わずに銀行のATMに寄り、
「これは君のだ。」
とお金をくれたのだ。
この2つの出会いで僕は一日前と比べて一気に別人のようになっていたんでないかと思う。
そのまま上昇気流にのっかってどんどん前進した。
一度はドイツのケルンに住むおじさんが拾ってくれたこともあった。お金をもらった僕は久しくスーパーで買いものをした。ソーセージやパンなど“まともな”食品を買って食事を楽しんだ。
しかしお金を持っているとどうしても手軽に手に入る食べものに使ってしまうので、ある時思いきって電車の切符を買い、60kmくらいだろうか、Katowiceという大きな町まで列車に乗った。
そうして8月25日、非常に早く250kmという距離を進んでアウシュビッツミュージアムに着いた。
夕方だったので近くで寝られる場所を探し、翌朝26日アウシュビッツを観光した。
2009.1.23
(昨夜は農家の納屋にしのびこみ、宿泊した。
早朝、まだ夜明け前、農家の人がトラクターのエンジンをかけると目が覚め、見つかるのは嫌だったので久しぶりにまだ暗いうちに出た。
そして5kmほど歩きSolothurn到着。生憎雨が降り出し、今はガーデニングセンターのパーキングにある展示用の木の小屋にお邪魔して待機させてもらっている。真冬だし、天気も雨ということで顧客は小屋を見にも来ないだろうと思っているが、どうだろうか。
ここは大きな通り沿いで人通りも多いだろうが、賭け、である。人が来たら、残念だが、ゲームオーバーだ。)
アウシュビッツはこの旅でしたもっともまともな観光だ。
旅の目的が観光ではないため、少しは観光した方がよいのだろうかと思うほど観光をして来なかったのだが、この日は開場から午後3時までメモ帳を持ちながら150万人のユダヤ人が殺された場所を見学した。
最も心が揺れたのは、アウシュビッツとは2kmくらい離れた「ビルケナウ」という収容キャンプが遠くから立ち現れた時だ。内部を見学している時も心は締めつけられたが、最初に施設が立ち現れたときの、テレビなどで見たことがある列車の入場門の不気味さとは比べものにならなかった。
思わず立ち止まってしゃがみこんでしまった。 周りに人がなく、一人だったからそうできた。
アウシュビッツメインミュージアムの方はがっかりした。あまりに、人が多すぎる。
ナチスが一番最初に使っていた小さなガス室の跡に入った時だ。入り口には:
『ここでは何十万人という人が殺されています。どうか静粛に、亡くなった方を前に恥ずかしくないふるまいをして下さい。』
と明記されている。当然僕も精神を集中する。
しかし人は僕の前にも後にも入ってくるし、写真撮影は禁止のマークがあってもパシャパシャと平気で撮っている。そして、そんな、やりにくい中でまだ精神を集中しようとするのだが、最後とうとうでかい声で騒ぐ若者が2人、3人入ってきて僕の集中力は完全に絶やされた。
「アウシュビッツという、人類が犯した最も大きな“あやまち”を反省するための施設で人々が面白おかしく笑ったり、はしゃいだりしているうちはまたきっと同じようなことが起こるな。」
そう思って、残りはすみやかに回って見学を終わらせた。
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