2009年12月26日土曜日

『今できる不食総括』 30

 食事後、上り坂で倒れこんでしまった後、また平たんな道になるとそれなりにまだ歩けた。
 しかし、力がない。力が出ない。
 弱弱しく歩いていただろうか、もう日もだいぶ西に傾いた頃、また拾ってくれる人があった。ドイツのこの地域(バイエルン)はこの旅でももっとも人が止まってくれた地域かもしれない。この9日間の断食中進んだのはヒッチハイク分を含めると200km近くなるかもしれない。

 自分の足で歩いた分で120kmだ。降ろしてもらってからはもう暗くなり始めていたので、寝場所を探した。そして3kmくらいだろうか、村のはずれに農業器械倉庫を発見した。当然再び食事に当たった。食事がこの時やっと楽しめるようになった。
 例のバターと砂糖のZopfがこの時元のようにくちゃくちゃと口の中での感触と胃に溜まる感じが心地よかった。その夜は目が覚めた際には暗闇の中手さぐりで残っているものを好きなものから平らげていった。実に食事というものを楽しんだ。

 最初駅での食事の後倒れこんでしまったのは、体内の血液が急に内臓器官に集中したからだ。運動部、防寒部(?)にあった血液が引いてしまったため、パワーがなくなって歩けなくなった。
 ここで1つあえて読者の方々に問いを投げかけてみよう。
 次の質問をあなたならどう答えますか:  
 ■もし食べものが人間の活力の源泉であるとするならば、なぜ内蔵器官が消化というエネルギー吸収に取りかかるのに逆に体は弱まるのか。栄養学という教えを使って、あなたのできる範囲でこのことに答えてみて下さい。  
 「不食」では、僕の解釈では次のようにこれを説明します。
 『基本的に食事とは身体への負担である。これを大前提に据える。
 人は食べなくても生きられるものなのだが、食事という営み、歓びも知っている。知っているというか、人間の味覚、食べものを享受する神経はとても繊細で、また深い。大人になっても新しい味覚を発見したり、味覚が変わるということは珍しくない。味覚とは追究してもしきれないものだと僕は思う。それだけに今日、人々が世界中の料理を楽しみ、食事を人生の大きな喜びの1つとして重宝するのは何も不思議なことではない。
 でも、人は食事に関する習慣によって少なからず健康を害してもいる。それは栄養学によって規則的でバランスのよい食事を摂ることが大変重要だと定められている上に、食事そのものが持っている依存性によってダブル攻撃を受けているからだ。
 もし、もしだ、「人は食べなくても生きられる」とだけでも人が思えたら、食欲に対する人間の弱みは半減する。そう言うことができると僕は思っている。
 
 僕が9日間一度もめまいや虚弱感を経験せず、逆に食事をとった後に倒れてしまったのは、しばらく食事という労働から身体が解放され、体が変わりつつあったからだ。食事をしなくなったはずなのに急にまた食事が始まった…。僕は身体を脅かしてしまったのだ。
 海と住む人間が山に行くと体調を崩したり、普段運動をしないものがいきなり10kmを走ったら熱を出して寝込んでしまったりするのは、同じような例と言えるのではないか。
 身体や感覚というものは生活習慣次第で驚くほど変わる。でも社会が、そして今日の人間科学が人生を隅々まで定義してしまったため、人間も決して自由ではない。長ったらしい答え方になってしまったが、僕はそう捉えている。』

 その日、10月30日以降は11月の5日のスイス入国まで残りのお金をすべて食事に使った。
 せっかく9日間の断食で身体も変わっていたのに!と悔やみながらも、食事の誘惑もまたすごかった。時にはまさにブタだった。栄養学のバランスというものをまったく無視している自分は、食欲を解放する時は人が止めるほど食べる。でもそうやって“実験”したわけだ。食事の効能について良い部分と悪い部分を。
 スイスに入ってからはいよいよ迫ってきた出発地点への帰還というその日に心が躍って食事も体調もまるでどうでもよくなるほどだった。
 『いよいよ、帰ってきた!!』
 また断食をしようとしたり、体を気遣って25kmでその日は終えようとしたり頭が考えるが、考えるだけ無駄であった。今思えばその内面的な興奮はきわめて自然な症状だった。

 1ついい忘れていた。9日断食の後に食べたものの中に要調理の冷蔵ハンバーグ(パックもの、大5つ)があった。調理をしなくても生ではないそのハンバーグは僕には十分おいしかったが、少し味が濃かった。そしてそれを食べた後口内上面左側にずいぶん大きな腫れものができた。
 痛みはもちろんあって、味覚も損なわれるほどの腫れだ。その後も食事も続いたせいもあるかもしれないが、この腫れはほとんどスイス到着(11月11日)まであった。食事はその腫れも無視して食べていたが、このことも僕は口内の味覚神経が退化しつつあったところに、急にショックを与えたからだと思っている。

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