10.12.04
実家にもどって
11月24日、実家に帰り、母にスイスに行く決意を話した。まだ決めきってはいなかったが。
11月25日、混沌とした頭を休めたい思いで、山登りにいった。ここで、本当は一人で行きたかったのだが、ちょっとしたことがあって、G塾塾生のI. Y君という子と行くことになったのだ。この、「ちょっとしたこと」については後に「私の家族」のところで詳しく考察してみたいと思う。
その晩、父の前で私はまたスイスに行こうとしている事を伝えた。私にとって父という存在は気安く話ができる存在ではない。話すときは相当覚悟をもって、言うこと言うことに神経を使わなければすまない。それは「怖いから」とか単純な理由ではなく、これも後で詳しく書きたいと思う。
気持ちがはっきりしていたわけではなかったが、言い出したからにはそれなりの認識を伝えるという意識で、「まともに大学の授業を受ける気にならない自分=スイスに行く自分」という感じで、父には事を伝えた。
それから色々動き出した。アパートを出て実家に引越しした。塾講師もやめた。 急に、実家の一員としての生活が始まり、今日に至っている。大学には行っていない。気の向くままに日々やることを決め、山に登ったり、読書したり、スイスに行くことを念頭におきながら、それまでにやらなければならないことにゆっくりと着手している。
そこでこの自称卒論のことを思い出し、2週間ぶりに読んでみようと思い、さらに内容を付け足すことにした。これを書いて誰に見せるかはまだ考えていない。父母、兄弟には渡したいと思うが、大学の友人に渡すか、どこまで渡すかは色々書いてみてから決めたいと思う。
私の家族
私の父は日本人、母はスイス人。兄弟は5人、年齢は上から24, 22, 17, 13, 10で、上に兄一人、下に妹3人だ。父はドイツに出張中、スイスで母に出会い、結婚した。
兄と私はドイツに生まれ、幼いころ日本に来た。私はそれから小学1年生まで日本で育ったが、父の仕事の関係で小2~小5マレーシア、小6日本、中1~中3夏ドイツ、中3秋~今日日本、というように海外で過ごした時間が長く、3カ国に及ぶ。この私の生い立ちについては説明しきれないので(だれでもそうだろう)省く。
まず、私の家族はデカい。日本で5人兄弟の家族は何パーセントあるだろう。人は3人や4人なら聞くが、5人は…、なんて言う。少子化が進み、一家族がもつ子供の数が1.2とか1.3とも言われている今日では珍しい。当然、家族内の雰囲気も変わっている。自分の個室が与えられるなんてことはまずなかったし、お小遣いだって少なかったし、親は5人も子供がいればその分一人ひとりに目が行き届かない訳で、自然に、兄弟一人ひとりがしっかり者に育っている。3年前に家を出て、日本の社会に浸り、一般的な家庭の子供たちに勉強を教えてきた私からすれば、一番下の妹なんか、かわいそうなくらい「しっかり」している。本当はもっと甘えたいだろうに…。
さて前置きはこれくらいにしておこう。書きすぎるのは疲れるので…(^^;。 家族について、どこから話したものか迷うが、思いつくままに書いていこうと思う。 これで始めよう:
『私の両親は相互理解がない』
(前もって断っておかなければならないが、私は、こう思うまではいいのだが、これを他人に言うことは、私の両親の理解がないことにさらに拍車をかけるというか、逆に、理解する道をも断ってしまう力を持っていることは分かっておかなければならない。だから読む人には、私の言うことは、あくまで単なる一人の人間の見方として聞いてもらいたい。)
理解ということについてまずはっきりさせたいことがある。理解というのは理屈が分かることではなく、心が通じることでなければならない(と私は思っている)。相手の気持ちに、自分の心が共鳴するか、しないか。理屈ではないところだ。Feelingというか。「理解」することを理解するのは難しくない。難しく考えると却って分からなくなってしまうのが本当の理解の仕方だと思う。
私の親は互いにこれが出来ていない。実際なにげなく観察していると分かるのだが、それが延長して、彼らが僕ら子供たちや、外部の人と接するとき、二人の間ほどではないが、ある肝心なところで相手との気持ちの共有がなされていないことに気づく。しかし、家族のあり方はどこでも、夫婦のあり方が土台になっていて、それによって家族のあり方が決まってくる。
だからうちの場合は、父と母のあり方は、G塾の土台になる。ステージになる。二人の間がうまくいかなければ、今の夫婦のあり方を改めなければ、G塾はうまくいかない。崩れるかもしれないステージでは、どんな役者も踊ろうとは思わない。
最近の夫婦の議論は不毛なものが多くて、何も生み出さない。お互いがあるところで譲らない。二人を今の私から見ると、父は、持ち前の判断力で物事を冷静に見ているが思いやりに欠け、また、ユーモアもない。この人は果たして人生を楽しんでいるのだろうか、と疑いたくなるほどだ。母は感情的な人間で、それに左右される。それで決め付けたり、余計なことまで手を出したりする。その点、行動が無責任になるのだが、それを人情の厚さでカバーしようとする、他人にもそうするよう迫る強引なところがある。
スイス人と日本人。お互い地球の反対側の人間である。文化とか言葉とかそういうものを総括して、人間の出来方が違う。そういう二人がくっついて家族を作った。『国際結婚。』それはもてはやされるが、そんな軽々しく扱われてよいものではない。そこに生じる責任にはものすごいものがある。その下に育った自分だから、予想される苦しみが分かる。
文化を超えた相互理解――これは今の時代的な流れでもある。21世紀はある意味で、人類がまさにこのことに取り組む一世紀になるに違いない。その意味では私は、このことを今自分のテーマにしているように、これからも、文化を超えた人間の交流に身を入れていきたい。一生かけてもなせる仕事か分からないが。 私の意識に両親が人間像としてはっきり捕らえられるようになってからまだ日は浅いが、私の両親は純のスイス人と日本人だ。彼らには文化の壁を越えるというのは大きすぎる壁だったのかもしれない。
結婚して二十数年。悲しくなるほど二人は歩み寄れなかった。いつのまにか、言葉で相手を説得するような関係になってしまった。あべこべだ。本来言葉は手段であって、心が先にあるのに…。 親の、子供に及ぶ影響はすさまじく、彼らの考え方は子供の物事の考え方そのものを大方決めている。子供の人格形成の過程で、やがて大人になれば無意識となる領域、それも決定付ける。幼いころに。 私の兄弟は知らないが、両親の考え方が合わないことが、そしてその間で裂かれるようにして生きた時間が影響したのか、私はついこの間まで、自分の人格が形成されていないような感覚がしばしばあった。あるところで私は自分の感覚を信じきれず、ああ考えてみたり、こう考えてみたりする傾向があった。普通の人だったら、まず疑わないようなところで。
価値観の違いは、一つひとつの物事に対してそれくらい大きく左右する。
⚫今日、2025年4月、42歳にして、これを読んで思ったことを書きます。:
返信削除〉『私の両親は相互理解がない。』
✵この後に続く()内…、自分でも(自分はなんて優しかったんだろう…。)って思う。🙂
〉だからうちの場合は、父と母のあり方は、G塾の土台になる。ステージになる。
〉崩れるかもしれないステージでは、どんな役者も踊ろうとは思わない。
✵なかなかいいことを言っている。特に2つ目は上手な表現だ。
当時の僕の両親の難しい在り方を、22歳(大学3年生)にしては、だいぶ鋭く見ていると思う。無駄な言葉も少ない…。👍